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「うっ、っと、さすがに人を抱えるのは案外重いですね」

「す、すみませ」

「手首を傷めそうですね、少し浮遊魔法を使いましょう。少し脇を締めていただけますか?」


 フワッとローブが風で吹き上げられる。その瞬間、陸は自分の体が風船のように軽くなっているのを感じた。むしろ浮き過ぎないようにオスカにしっかりと抱き着く。

 体が密着したことで他人の体を支えている方も歩きやすくなったようだ。


「これなら大丈夫そうです。リク様は?」

「あ、えっと。手首痛くないです」


 二人の身長差は頭一つと少し。オスカがいつもより肘を張って頭を下げれば、少しローブの凹凸は生じるものの服のシワだと言い張れば何とかなりそうだった。そもそも神官同士はフードを被っていて相手の姿が良く見えない。呼び止められないように気をつけなければならないのはフードなしの者――王族や騎士たち――だけである。

 王族なら見つかっても問題なさそうだが、念のためとのことだった。


 幸いなことに、廊下に辿り着くまでにすれ違った人はいなかった。神官のほとんどはこの日のために用意された食堂に集まっているし、王族や騎士たちは基本的にあちこち出歩かない。陸とノッガーはそんな丁度いい時間に到着したのだ。


「ここなら人目がありませんから歩いてください」


 炎の精霊たちが灯りを提供する廊下に入ると、オスカは陸を下ろした。同時に、浮遊魔法も解く。割と恥ずかしい恰好だったからスムーズに移動ができて良かった。


「足元に気を付けてください。物音を立てないように」

「はい」


 暫く歩き続け、そろそろ廊下も終わる頃に、陸とオスカは同じ体勢になった。今度は三枚の扉を過ぎてあの布が垂れ下がった空間に付いたら、適当なところで下ろすという。

 あの白い空間は『真の神域』とも呼ばれ一切の魔法は通用しない。一歩踏み入れた瞬間に、浮遊魔法も、オスカの見た目を偽る魔法も強制的に解除されてしまうのだ。


「女神官に見られない位置まで頑張りますので、リク様も耐えてください」

「が、頑張ります」


 オスカが真の神域に通じる最初の扉をノックする。陸には見えないが、木製のそれが開く音がした。


「大神官の指示で、聖女様のご様子を確認しに参った。聖女様にお目通り願いたい」


 聞き覚えのある鈴の音と扉が軋む音がして、オスカが足を進める。二つ目の扉も難なく通り過ぎた。三枚目の扉も開かれる。

 これから全ての魔法が解除される。

 オスカと陸は深呼吸して、一歩踏み出した瞬間訪れる重さに備えた。


「っ!」


 陸はいきなり手首にかかった痛みに声を上げそうになった。

 そんな若者の重さに思わずよろめいたオスカに、女神官が近寄ろうとしたのか、大神官補佐は片手を上げて制した。


「問題ない。儀式の準備で疲れが出ただけだ」


 そのままゆっくり歩いて白布の向こう側に進む。適当なところで陸を下ろすと、オスカはわざとらしく肩を回してアピールした。


「すみませんでしたね、重くて」

「いいえ。別に」


 二人は並んで白布の間を進むと、あの天蓋付きの大きなベッドの影が見えてきた。


「リク様は少し離れて、回り込むようにして近づいてください。あの女神官たちに気付かれると何をされるか分かりませんから」

「いきなり姉貴の前に現れるのは?」

「それは悪手です。驚かれて声を上げるに違いない。自分がご機嫌を伺っている時にそれとなく耳打ちしましょう。あとはどうぞ、リク様の計画通りに」


 詰めの甘い計画をオスカが絶妙に補填してくれている。陸は相変わらず付き合いの良い大神官補佐に感謝を述べると、左手の白布の林に飛び込んだ。足元に注意してぐるりと回り込み、天蓋付きのベッドの背後に回る。


「聖女様にご挨拶を。大神官補佐・オスカがお伺いします」

「まぁ、オスカ、お久しぶりですね」


 久しぶりの姉の声に、ドクッと陸の心臓が跳ね上がった。男と話し、小鳥が囀るように笑うその声に、マグマのように熱い思いが湧き出す。


 いやだ、やめろ。

 他の男と喋るな。

 こっちを見て。

 会いたい。

 顔を見たい。

 俺以外の男に笑顔を見せないで。

 笑い掛けないで。

 俺だけを見て。


 久方ぶりの異常なシスコン思考が微妙に変化している。


(これが『嫉妬』……)


 陸は己の心臓のあたりの服を握ると、ベッドの陰に身を潜めた。息を殺して二人の会話に耳を澄ませる。


「皆揃いましたか?」

「はい。三人の王子たちが、これから……」


 あと数時間で王族が来るとか、そんなどうでもいい話をしていないで。

 早く来て。

 こっちに来て。

 俺を見つけて。

 早く姉貴と話したい。

 早く姉貴の顔を見たい。


 胃がキリキリするような時間を過ごしていると、オスカが別れの挨拶をするのが聞こえた。ハッとしてベッドの陰から顔を覗かせると、ローブ姿の男を見送った美祢が振り返るところだった。

 溶かしたばかりの金のような金髪と宝石のように輝く同じ色の瞳。肌は真珠色に美しく光り輝いている。体の細さは同じくらいか、それより少し痩せた気がする。食べられるものにいろいろ制限があるとか言っていた。それのせいだろうか?

 今の彼女の見た目には、陸と一つ屋根の下で住んでいた頃の面影はすっかりなくなっていた。しかし纏っている雰囲気は昔と全く変わっていなくて、涙が出るほど嬉しかった。


「あっ」


 姉貴、と呼びかけようとした弟に向かって、美祢が唇に指をあてる。その間にも人の足音が暫く響いて、扉が開閉する音がした。

 十秒くらい沈黙してから、美祢がようやく口を開いた。


「……陸、もういいよ」

「あっ、あ、姉貴っ!」


 ベッドを避けて姉に駆け寄った。

 思わず抱き着こうとしたのに気付いて足の速度を落とした。それでも二歩三歩たたらを踏む。

 この前二人で並んだ時には同じくらいの身長だったはずなのに、少し見下ろす形になっていて陸は離れていた時の長さを痛感した。

 戸惑う陸に、美祢は苦笑すると、両腕を柔らかく広げた。


「陸、おいで」


 彼女は、なかなか飛び込んでこない弟の腕を引いて、逞しくなった体を腕の中に迎え入れた。今まで守り続けてきた小さな小さな弟が、こんなにも大きくなったのかと感動する。

 厚くなった胸板。

 しっかりついた筋肉。

 長くなった手足。

 抱き締める力強さ。

 それも彼女が知っている子どものそれではない。


「大きくなったのね」


 美祢は感慨深げに呟いた。いろいろな思いが溢れて涙となる。

 次第に鼻を鳴らして泣き始めた姉に、陸は甘酸っぱいような、照れくさいような、堪らない気持ちになった。あのやたらと薄い聖女様の服越しに感じる体の細さに、今まで以上に守ってやりたいという気持ちが強くなる。

 陸は姉の両肩に手を置くと、しっかりその目を覗き込んで訴えた。


「……姉貴、ここから逃げよう」

「どうして?」

「どうしてって、このままじゃ姉貴、殺されちゃうよ」


 きょとん。そんな擬音が似合いそうな美祢に、陸は焦る。

 まさか『聖女の真の責務』を知らないのではないか?

 そんなことはないはずだ。国王が自ら彼女にそのことを話したと言っていた。

 でもそれが嘘だったら?

 考えられなくはないが、あの国王がそんなことするとは思えない。


「姉貴、よく聞いて。明日か明後日の夜中、姉貴の心臓を神様に捧げる儀式があるんだ」

「えぇ、知っているわ。神ウリテル様に心臓を捧げるのでしょう? 私はそのためにいるのよ?」

「知ってるのかよっ。じゃぁ猶更逃げよう! 俺は姉貴にしぶっ」


 興奮する陸の口を美祢の手が覆った。もう片方の手で再び唇に指を置く。


「静かに。天と地と海の三人に気付かれてしまうわ。彼女たち、怖いのよ」


 どうやらあの三人の女神官は『天』と『地』、『海』と呼ばれているらしい。見た目がよく似ているのでどれがどれだか分からなくなりそうだ。

 陸は声を抑えて美祢を説得した。


「とにかく、逃げよう! ここにいちゃ駄目だよ。殺される」

「でも、私は」

「俺は姉貴に死んでほしくないんだよ! そのために神殿行って、いろいろ調べまくったんだから」

「陸……」

「頼む。一緒に逃げよう。姉貴の心臓欲しがってる女神は俺が説得するよ。説得して、こんなふざけた儀式なんてやめさせるよ!」


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