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「っ、……すみません、何でもないです」

「心当たりがあれば、いつでも情報提供は歓迎します」


 よくも白々しくそんな言葉が吐けるものだ。

 オスカが胸中に抱えているのは父親の仇である国王への復讐心。つまり、同じ父親を持つリンゲン自身も同じ気持ちを抱えていてもおかしくないのに。片や貴族として、近衛隊としての立場を取った。片や貴族の立場を捨て、復讐の道を取った。相対すれば同じ血を分かちながらも殺し合わなければならない。

 姉の命を助けんとこれまで努力してきた弟にとって、この腹違いの兄弟の存在はあまりにも悲しすぎた。

 片方にはどこまでも思い慕う相手がいるというのに……。


「えっと、……リンゲン卿は、オスカ様の気持ちを知っていると聞きました。その……ルカス様への」

「あの馬鹿っ。……まさかリク殿にも惚気たのですか?」


 リンゲンは異母兄弟を小声でののしった。

 オスカが陸に打ち明けたのは、惚気話と言うよりどこまでもストイックな片思いの心だ。もしかしたらリンゲンには別の話をしているのかもしれない。二度くらいしかそのやり取りを見ていないが、結構仲が良さそうに見えたし。


「いや、惚気ではなく、『心を捧げて、あとはとことん尽くしたい』と言っていましたが」

「ほう? 随分控えめな言い方をしたものだ」


 リンゲンはせせら笑う。


「一応訂正しておきますが、そんな綺麗事ではありません。私はあいつの話を聞いて『愛』というものが怖くなりました。あいつと同じ血が、この身にも半分流れていますからね」


 人に恐怖心を抱かせるほどの想いとは、一体どんな話をしたのか。

 いっそ高潔ささえ感じる尽くす愛情に、どす黒い面が見え隠れする。


「リク殿も人の心というものにはお気を付けください。あれはとても厄介なものだ。馬と違ってどうしても制御できない時がある」

「はぁ」

「さて。明日は階段上りですし、私は行きます。今晩出立されないことは陛下に伝えておきましょう。もうお休みください」

「分かりました、おやすみなさい」


 リンゲンを送り出した陸はまだ温もりを保っていたお湯に入り直してから、寝間着に着替えた。ノッガーはまだ空を見たいというので、先にベッドに潜り込む。もぞもぞと久々の柔らかい感触に納まりの良いところを探して落ち着く。

 完全に眠りにつく前にあの大神官補佐の顔を思い出して、陸はモヤモヤするものを感じた。


(やっぱりあの人、隠し事多くない?)




 翌朝、国王と三王子たちは麻の衣服に身を包み、皮のサンダルを履いて上の神殿に向かった。すでに食料などは運んであるので、彼らは背中に何も背負わない。

 彼らが出発する直前、暫しの別れを告げに陸が部屋から出てくると、第二王子がその顔に触れたいと手を伸ばしてきた。陸の頬を柔く摘まんで遊ぶと、だいぶ伸びた髪を何度も梳く。


「リク様もだいぶ凛々しいお顔になられましたね」

「……ルカス様。あの、何故、顔を触るんですか?」

「そうですね。わたしの場合、最初はその人の親切が嬉しくて、お顔に触れたいと思います。優しく接してくれる人が、どんな表情で話しかけてくれているのか、もっと知りたいと。その後は、その人の変化を知りたいと思って、触りたくなります。

 感情や年齢といった情報は、その人の声や匂い、気配あるいはオーラからでも分かりますが、形は実際に見たり触れたりしてみないと分かりません。表情は特にそうです。だから、親切にしてくれた相手の姿をイメージしながら感謝の気持ちをより高めるため、あるいは、その人の変化に気付くため、お顔を触らせていただいています。あっ、でも、誰でもいいというわけではありませんよ。触れられるのを嫌がる方もいますし」


 自分の心の中で、特別に大切にしたいと思う相手だけ。

 第二王子はそう微笑むと、弟に連れられて馬車に乗り込んでいった。



 その日の深夜になり、ようやく待ちに待った合図があったとノッガーが知らせてきた。陸の目には何も見えないが、確かに合図があったのだという。

 ノッガーの指示で動きやすい服装に着替え、柔らかい皮のブーツの紐をしっかりと締める。腰回りにベルトを巻き黒っぽいマントも羽織って身なりを整える。

 部屋を出ると、どこからともなく紙でできた鳥が彼の周りを飛び回り、それに案内される形で夕闇に飲み込まれる外界に出た。当然、街頭などない。自然の光は天上から薄っすらと降り注ぐ月明かりだけだ。陸は手に持った消えないランタンで足元を照らすと、神殿周りに広がる樹海に足を踏み入れた。


 フクロウのような鳥の鳴き声がどこかから聞こえる。

 木々の間を風が駆け抜け、まるで何者かに取り囲まれているような感覚がした。いつでも短剣が構えられるように、ランタンを左手で掲げる。

 背の低いコボルトを見失わないように、足早に森の中を駆け抜けた。あの皮サンダルでなくて良かったと思う。そうでなければ今頃陸の足は血まみれだったことだろう。下草には棘のある植物が多かった。


(……誰にも何も言わずに出てきちゃったけど、大丈夫かな?)


 陸が部屋から外に出るまでの間、使用人には一人として出くわさなかった。一応、国王が「リク殿は今夜ここを立つ」とは言い残していたものの、急に陸が消えて騒動にならないだろうか? 書き置きでも残していくべきだっただろうか?


(戻れたら、後で勝手にいなくなったこと謝ろう)


 それよりいつまで走り続けるのだろうかと心配になってきたところで、ノッガーが急に立ち止まった。丁度、王家の別荘と下の神殿の中間あたりだろうか。意外に距離があった。それもそうだろう、普通は馬車で移動している距離なのだから。

 陸の頭を剃り上げた日、オスカはこの距離を往復したのかと思うと、彼も案外体力があるのだなと感心した。もしかしたら、足を速くする魔法とか使っていたのかもしれない。


「リク、疲れた? 腹減った?」

「腹は減ってないけど、ちょっと疲れたかな。この調子で『ウリテルの寝台』まで行くのか?」

「少し休む。また進む」


 休憩しながら森の中を走り、太陽が顔を覗かせる頃。

 ようやく『ウリテルの寝台』の真下に来た。場所的には、参拝者たちが上る階段がある面の反対側だ。大回りする形で後ろに回ったので時間が掛かった。

 二人はそこで睡眠をとることにした。一晩掛けて走ってきたのだ、くたくただった。ノッガーが獣除けの結界を張ったので、獣に襲われる心配はなく安心して休息することができた。


 太陽が空の中心を過ぎた頃に起きだし、ノッガーが隠し持っていたパンと肉を頬張った。陸が「喉が渇いた」と言えば、コボルトは地面をノックして水の精霊を呼び出し、浴びるほど綺麗な水を飲ませてくれた。

 魔法や精霊は何と便利なことか。

 びしょ濡れになった陸はシャツを絞りながら空笑いした。


 コボルトだけが行ける道。

 それは一体どんなものだろうかと陸がノッガーに尋ねると、彼は岩肌をノックした。少し待つと傷一つない壁面に亀裂が入り、内側から無理やりこじ開けるようにメキメキと音を立ててぽっかりと小さな穴が開いた。


「何……これ」

「コボルトの階段」

「コボルトの階段って?」

「この山、コボルトが作った。神殿も。それ、ペペの一族、飾り付けた」

「ペペってまさか、……『ペペルビシュ』? やっぱり彼はアクラランと関係があったのか。でもどうしてそれをノッガーが知っているの? 多分二千年以上前の話だよ。 精霊は昔から生きているから?」

「コボルト、大地を通じて記憶を繋ぐ。死んで土に還り、土から生まれる」

「それって、昔のことでも全部分かるってこと?」

「全部じゃない。それはできない」

「ふぅん?」


 相変わらず謎解きのようなやり取りだ。

 ノッガーに促されて陸は穴の中に入った。中で立ち上がろうとして頭を思い切り天井にぶつけた。なるほど、ノッガーが「コボルトだけが上に行ける」と言った意味がよく分かった。天井が低いのだ。

 痛む頭を擦りながら、ランタンで穴の中をよく照らす。勾配は緩やかだが、長く伸びた階段が目の前に続いていた。陸は腰を屈めて高さ一メートル弱の空間を前に進む。

 歩き出して五分もしないうちに陸が弱弱しく相方の名前を呼んだ。


「……ノッガー、これどこまで続くの?」

「上まで」

「だいぶ辛いんだけど」

「頑張れ」

「マジか」


 この世界に召喚されてからかなり背の伸びた陸には、かなりの苦行であった。

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