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若者の胸の中で、ノッガーの「オスカ、知っている」と言う言葉が引っかかる。単純に大神官補佐として事件現場に近いところにいるから知っているのか、それとも事件に深く関わっているから知っているのか。どちらにも取れてしまう。
特にライオスあたりは陸の話を聞いただけでオスカを真犯人と決めつけて、突っ走ってしまいそうだ。うかつに考えを述べられない。
「とにかく、ルカス様からご提供いただいたリストにも、ハンネルゲーテの名前がありました。この者は天罰を受けたのでしょう。ここには児童買春、奴隷売買、禁止薬物の取引に関わっていたと書かれています」
リンゲンは手にしていたリストを指で弾いた。先日死んだ二人の神官たちも同じような犯罪に手を染めていた。ハンネルゲーテが聖職者の身でありながら悪事に関わっていたと知ったライオスは、再び義憤を覚えて体を震わせたが、二人の弟たちによって部屋から連れ出されてしまった。ルカスが陸も連れ出そうとしたのだが、国王に止められた。
「リンゲン卿、上で次の国王を決めている間、下の大掃除を頼まれてくれるか?」
「陛下。このクロヴィスに任せても良いでしょうか? 大神官の部屋から禁忌の薬を見つけたのは彼です」
ずっとリンゲンの後ろに控えていたクロヴィスは、素早く敬礼をした。
「国王陛下に永遠の忠誠を」
薄茶色の髪の毛を後ろに撫でつけ、赤っぽい瞳を持った溌溂とした好青年だ。南部の出身のようで肌も焼けている。リンゲンより少し身長が低いが、それでも陸より頭一つ分大きい。国王に問われて答えた年齢は二十六歳だという。
「分かった。リンゲン卿の目を信じよう。クロヴィス、しっかり掃除をしてくれ」
「はっ! ご期待に応えるべく誠心誠意尽くします!」
初めて国王と直接会話した栄光に舞い上がっているのだろう。クロヴィスが顔を輝かせて再び敬礼し、リンゲンの指示で退出した。
「リク殿」
わざわざそんな光景を見せた男が優しく微笑む。
「全てが無事に終わったら、近衛隊に入らないか? 彼らのように我が王家に忠誠を誓うのだ」
「え? 俺がですか?」
「うむ。聖女の日が終わった後、二年は私が国王だ。その間にそなたに爵位と領地を与えればいい。実績は、そうだな……『腐敗した神殿の大掃除に貢献した』で十分だろう。なぁ、ルドルフ?」
「陛下、せめて騎士団にしてください。私に依怙贔屓などできません」
「では第一騎士団にしよう。首都の守護だ。ルドルフやネフィウスから聞いている。そなたは筋が良いらしいな。今からでも鍛えればちゃんとした騎士になれるだろう」
正確には「筋は悪くない」なのだが、訂正はしない。
とりあえずその場では考えておくと曖昧な答えをして、陸は自室に戻ることにした。
陸の部屋ではノッガーが待っていた。テーブルの上には食事も用意されている。
「食べる。肉がいい。肉美味い」
エネルギー源としての勧めなのか、個人の好みなのか分からないアドバイスを受けて、肉を食べると確かに美味かった。脳内に幸せホルモンが放出されるような味だ。
しっかり目の夕食を平らげると、さてそろそろ出発かとベルトを腰に巻く。いつでも準備完了だと陸が息巻いていると、ノッガーが空を見上げて首を振った。
「今夜、違う。合図ない」
「オスカ様が合図をするのか?」
「オスカ、まだ上に上ってない。リクは明日の夜上がる」
二手に分かれて上った大神官やその補佐たちの中にオスカはいないらしい。ある意味敵ばかりの所に確かに陸が乗り込んでは危険だろう。陸は納得した。
皿を下げに来た使用人に頼んでリンゲンに言付けを頼んだ。さすがに、何も言わずにこの屋敷内に居座ることはできない。
食後に風呂の準備もしてもらって身を清めていると、リンゲンが部屋に訪ねてきた。タオルで腰回りを隠してドアを開けると、近衛隊隊長が一瞬顔を顰めて目を逸らした。
「……タオル地のローブがなかったのですか?」
すでに一度はお互いの裸を見ているというのに、今更ではないだろうか?
顔を逸らしながら部屋に入ってくるリンゲンのためにバスローブを着ると、ようやく顔を合わせてくれた。
「この国では上の神殿での水浴びは別として、普通は自分の肌を配偶者や恋人以外には見せません。もしや、ご存じない?」
「えっ、そうなんですか? じゃぁ水遊びする時には?」
「濡れてもいい服を着ます。裸を見せることはつまり、『体の関係を求めている』という意味です。特に不特定多数に見せるなど言語道断だ」
「おぉぅ」
「それでよく無事で。以後気を付けください」
約二年いるが、そんなことも知らなかった陸に、リンゲンは呆れ顔だった。
陸が知らなかったのも、仕方ないと言えば仕方ない。
神殿内の風呂場も個室状態になっていて、使える曜日も神官ごとに決まっていた。陸の場合は、水曜日と土曜日だけ。しかし割と最初の頃からオスカに頼んで魔法で身を清めてもらっていたのだ。それはもう、便利に使わせていただいた。
何しろ、職場である神殿大文殿内は埃が舞っていたし、夏場は汗臭くて堪らないのだ。更に自分自身を守るため、特に頭部を見られないように気をつけつつ、徹底的にガードしまくっていた。
そんな状況だから、単純に知る機会がなかったのだ。
「あははっ、神殿の中では気を付けていたんですが」
「胴回りは全て隠してください。自分は同性には大して興味ありませんが、今日のクロヴィス。彼は両方いける口です」
思わずバスローブの前をしっかり合わせる。脅しが効いたリンゲンは満足した。
「今夜は出立されないとか。理由を聞いても?」
「それはノッガー曰く、合図がないからって……あれ? ノッガー?」
先ほどまで部屋の中にいたはずなのにコボルトの姿が見えない。先ほどまで風呂場にしていた部屋に向かうと、ノッガーがそこの窓から外を見ていた。
「ノッガー。合図があったの?」
「リク。違う。空見てた」
「何だ、天体観測か。ちょっとこっちに来てよ。さっきの話をもう少し説明して欲しいんだ」
リンゲンが待つ寝室部に移動すると、ノッガーはリンゲンをしげしげと観察した。
「お前、オスカじゃない。違う。でもそっくり。同じ『影』持ってる」
「私と彼は異母兄弟だ。違う腹から生まれた」
「異母兄弟……違う腹……あぁ、理解した。エティスの血だ。あの方と同じ」
「あの方? 何のことだ?」
「リク、さっきの話、どれ?」
リンゲンの問いかけを無視すると、ノッガーは陸に向き直った。陸は先ほどのオスカからの合図の件を説明して欲しいと頼んだ。
「オスカ、上に行ったら合図する。わし、陸を連れて行く」
「しかし階段は王族が入ったら閉じられてしまうのだぞ。どうやって上に行く?」
「内緒。コボルトだけが上に行ける」
「では、合図はどのように行われる?」
「精霊が知らせる」
どうやらオスカは上の神殿に上がったら、精霊を使って合図をするらしい。ノッガーはその合図を確認したら、コボルトだけが知るルートを使って陸を上の神殿に連れて行く。
「やはりオスカは上がるのか?」
「上がる」
「そうか……」
リンゲンは残念そうな、諦めたような声で呟いた。
彼がそのような反応をする理由を、陸は知っている。
「もしかして、国王陛下への復讐のこと」
「リク殿」
オスカの復讐心を知っているのではないか。そう問い掛けようとした陸を、リンゲンは低い声で制した。
「私は王族を守護する近衛隊の隊長です。もしも国王陛下を害しようとする者があれば排除します。そのために、この体には殺人術を叩き込んでいる……剣がなくとも人は殺せます」
例え腹違いの兄弟であろうと、国王を殺そうとするなら容赦しない。鋭く光る男の双眸がそう言っている。
陸は己の考えの足りなさに気付いた。
オスカが復讐心を胸に国王の前に立ちはだかった時、その異母兄弟がその命を容赦なく絶つ。
だから彼が行動を起こす前に、その復讐心を晴らさなければならないのだ。
どのタイミングで、それをやるべきか。
そのタイミングで、ルカスにオスカの手綱を取ってもらえばいいだろうか。
そのあたりを一切考えていなかった。
オスカの凶刃が、国王陛下に届くまでに止めればいいと思っていた。




