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「リク、どうした?」
「何もすることがなくて暇、って、え? サングラス?」
振り向いたノッガーの目元にはサングラスが掛けられていた。いや、違う。元の眼鏡と同じデザインだ。陸が眼鏡の変化に驚いているのだと気づくと、ノッガーは一度それを外して、その仕組みを見せてやった。
手で光を遮るとレンズ部分が透明になる。再び光の元に晒すと色が黒っぽくなる。
元の世界で陸も見たことがある。遮光眼鏡だ。
「目が痛くないように」
松明やロウソクの灯りの元では、何やら鋭い目つきに見えていたのに、太陽の下でにっかりと笑うコボルトの瞳は、案外つぶらでかわいい形をしていた。場所が変われば見方も変わるものだ。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔の陸を、ノッガーはハンモックに招いた。
晴れ渡った空は最高に気持ちよくて、陸はこれから一世一代の大勝負に出るのだということをうっかり失念しそうになって、頭を振った。
コボルトと一緒にゆらゆらハンモックに揺られていると、険しい顔をした近衛隊隊長がやってきた。
「リク殿、お聞きしたいことがあります。オスカは他に何か言っていませんでしたか?」
「え? 何かって、例えば?」
「例えば、神殿で何か起きるとか」
全く心当たりがないと首を振ると、今度はコボルトに同じ質問をした。こちらもサングラスをしたまま首を横に振る。
「一体どうしたんですか?」
「まだ詳しいことは何も。ただこの数日、何やら下の神殿の様子がおかしかったのです。それに今日も。事前に聞いていた話では、昼前には大神官たちが階段を上り始めるはずなのに、まだその動きがありません」
「えぇ?」
しかし残念ながら陸には本当に心当たりがないのだ。心苦しいが力になれないと詫びると、リンゲンは少し安堵したようだった。
「つまりリク殿は何も関わっていない。そういうことですね?」
「何も関わっていないっていうか、心当たりが本当にありません」
「分かりました。それならいいです。お騒がせしました」
立ち去るリンゲンの後姿に不安を覚える。
一体下の神殿で何があったというのだろうか?
「ノッガー、本当に何も知らないの?」
「知らない」
「本当の本当に?」
コボルトはパンに肉の塊を挟むと、ひょいっと口に放り込んだ。しっかり噛むとエールで流し込む。
陸はその様子をじっと見つめた。
コボルトは口が堅い。
その個人情報保護の方針は鉄壁である。
「……まさか、オスカ様が何かやった?」
「リク」
ノッガーは深々と息を吐くと、悲しそうに陸を見上げた。
「リクは知らない。わしも知らない。オスカ、知っている」
オスカは何かを知っている。
何を知っているというのだろうか?
そのヒントとなる知らせが下の神殿から王家に伝えられたのはそれから間もなくのことだった。
『主たる大神官・ゼヴェリウス急逝。現時点では死因不明』
その知らせを耳にした者たちは騒めいた。
ゼヴェリウスの穴を埋めるため、新たに主たる大神官となるものを相談しているという。次いで、この数日間に神殿内で二人の死者が出たとの知らせも入ってきた。急に血を吐いて倒れ、そのまま息を引き取ったという。
今のところ、上の神殿に向かう神官たちの体調に異常はないが、半分が先に向かい、もう半分は念のため一晩様子を見るという。
突然の大幅な予定変更だ。
「リンゲン卿! 直ちに調査隊を編成、下の神殿に向かえ! 何があったかその目と耳で確かめてくるのだ」
「はっ!」
国王は鋭く指令を出す。リンゲンを傍に寄せると、『影』を使ってでも調査せよと命じた。
下の神殿に武器の持ち込みは出来ない。リンゲンは部下たちに剣を佩かないように指示を飛ばすと、すぐさま馬に乗って下の神殿に向かった。
「明日には上の神殿に上がるというのに……」
調査には一体どれくらいの時間が掛かるだろうか。
そんな風に危惧していると、意外にもリンゲンたちはすぐに戻ってきた。原因が分かったという。
国王の部屋でその報告は行われた。部屋にいるのは国王、三人の息子、そして報告者であるリンゲンとその腹心の部下である。
陸も報告を聞きたがったが部屋にいるように頼んだ。どのような話が飛び出すか分かったものではないからだ。その代わり、あとで必ず情報共有すると約束した。
「早かったな。何か分かったか?」
「陛下にご報告申し上げます。神殿内で暗殺が行われた模様。繰り返します。神殿内で暗殺が行われた模様」
部屋に集められた一同は息を呑んだ。
そんな、まさか。
「暗殺だと? 聖なる儀式を前にか?」
「はっ。首謀者は大神官・バポネルの補佐・ハンネルゲーテです。彼は違法薬物に侵されており、その薬物を求めて主たる大神官・ゼヴェリウスを殺害したとのこと」
「何? 大神官補佐ともあろうものが麻薬に侵されていたと?」
「はっ。更に、主たる大神官の居室からも八種類の禁忌の薬物を発見しました」
事前にそのような情報は耳に入ってきていたのだが、国王は初めて聞いたふりをした。しかし全てが芝居ではない。
まさかこんな重要なタイミングで、そのような事件が起きるなど微塵も想像していなかった。
「して、首謀者は捕らえたのか?」
「いいえ。到着した時にはすでに錯乱状態で、神殿の建物から身を投げました。……その、身を投げる前に、己の心臓を取り出してから……」
「なんということだ! 王家と神殿を冒涜する気か?」
「なんて、恐ろしい……」
「もしやこの数日間の神官たちの死も?」
この場で一番の若者から発せられた質問に、リンゲンは頷いた。
「可能性は高いかと。現在神殿に残してきた部下が神殿の医師と共同で調査しています」
「リンゲン卿、他に分かったことはありますか?」
「はい、第二王子様。死亡した二人の神官の名が分かりました。それから我々に保護を求める者たちも」
述べられた名前に、ルカスは両手で口を押えた。
それらは全てオスカから報告の上がっていた、違法なやり取りに手を染めていたゼヴェリウス派の者たちである。しかし、それしか接点がない。関与の度合いも、濃い者から薄い者までバラバラなのだ。
「父上……これは……」
「うむ。保護を求める者たちは何と?」
「全てではありませんが『自分たちは罪を犯した。神ウリテルの怒りを買った』と申しております」
「分かった」
報告を受けた国王は、顔を顰めてゆったりと頭を振ると、二番目の王子を呼んだ。
「ルカス、そなたが仕入れた例のリストをリンゲン卿に提供してくれ。リンゲン卿はそのリストに基づいて保護を求める神官たちを拘束せよ。その者たちは神官の身にありながら犯罪に手を染めている可能性がある」
「はっ!」
「すぐにご用意します!」
「父上! このライオスも調査に行かせてください! 神殿の不届き者を暴いてくれる!」
「ならん。そなたは王子の一人として上の神殿に上がるのだ」
「しかし!」
「くどい! ネフィウス。リク殿を呼んできてくれ。何があったか伝えたい」
「分かりました」
そして呼ばれた陸は、数人の神官の死とその犯人の自害を知らされた。詳細な情報は伏せられたが、嘘を伝えるわけではない。あまりにも血生臭い話は陸に聞かせたくないのだ。
そもそも、いつもはこんなに多くの血が流れるようなものではない。
たった一人、そう、聖女の心臓が捧げられる際に血が流れるだけのはずなのだ。
「その、ハンネルゲーテ? が、犯人なのですね?」
「リンゲン卿の報告によれば、そうだ」
ハンネルゲーテ。どこかで聞いたことがある。
一体どこで……。
「……あっ、あの時か!」
陸は初めて禿げ頭になった日のことを思い出した。確かあの時、その名をオスカが言っていたのだ。ルカスの世話を焼きたがるだろうから部屋から追い出せとも言っていた。
そこまで言って、リンゲンも思い出したらしい。
「見たことがある顔だと思ったら」
「いつ? どこで会ったのだ?」
「陛下、リク様が神殿に引き渡された時の神殿参拝時です。丁度、上の神殿での夜を担当で」
「どんな人物だった? 詳しく話せ、ルド」
食いついてきた第一王子の腕をルカスが抑えた。
「兄上……どうか、これ以上わたしに恥を与えないてください」
「なに? ルカス、どういう事だ?」
「ライオス、少し黙ってくれないか」
「ライオス兄様。女性に関わる機会のない神官が、女顔のルカス兄様を前にしたら、うっかり気を迷わすと思いませんか?」
「ネフィー、もうやめて」
ルカスが顔を両手で覆って落ち込んでいる。オスカに「部屋から追い出していい」と言っていたし、あのリンゲンのことだから、何かあったわけではないだろうが、少なくとも嫌な思い出の一つのようだ。




