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 そうこうしているうちに、問題の日が来た。

 文字通り、生死を賭けた運命の日だ。


「うううおおおおおぅぅ……ヤバい、ヤバい。マジでヤバイ。……無理っしょ、いや、これ絶対無理っしょ!」


 地下に割り当てられた自室で静かに悶絶しながら二つの小瓶を握りしめた。

 死ぬかもしれない。めちゃくちゃ怖い。

 それでも泣いても笑っても、神殿から抜け出すためにはこの方法しかもうないのだ。

 いつまでも恐怖に震えているわけにはいかない。


 朝桐陸。気付けば十七歳。

 男の意地を見せつけるには、今しかない。


「朝桐陸……行きますっ」


 何度も何度も小瓶の色を確かめた。最初は茶色、それから青色。


「最初は茶色……」


 小瓶の上を捻ると、キュポンッ、といい音を立てて蓋が開いた。その途端、絶対に飲んだらまずそうな臭いが立ち上る。吐き気を催す臭いにえづきながら一気に飲み干す。吐いた時に交じる胃液のような味がした。

 なんてヤバいものを飲ませるんだと大神官補佐を呪いながら、緊張の時間を過ごす。体に異変が現れないことを確認すると、少し安心した。解毒薬であることは間違いないらしい。

 その間にも、エリクサーとかポーションとかそういう類のものが入っていそうな小瓶が、氷が解けるように消えていった。

 なるほど、こうやって証拠隠滅するのかと感心しながら、今度は青い小瓶を手に取った。


「次は青」


 どうか今度は同じような味がしませんように、と心から願って蓋を開けてみると、何ともフルーティーな臭いがした。マンゴーとレモンとパイナップルとブドウ……いろいろなフルーツの香りがするのに変に混じり合っていない。奇跡のハーモニーを醸しながら、陸に早く飲めと促してくる。

 陸はゴクリと生唾を飲み込むと、こちらも一気に飲み干した。中身の液体が無くなると、茶色の小瓶と同じように青い小瓶も溶けてなくなる。


「あ、しまった。髪の毛……」


 今まで隠し続けてきた黒髪と黒目の処理を忘れていたのを思い出す。せっかく髪を剃って、瞳の色も薬でオレンジの瞳に変えてごまかしてきたのに。

 それでもまぁいいかと陸は思った。死体相手に変な気を起こす奴などいないだろう。


 そのまま陸は待った。

 一分くらいは何もなかった。

 口の中に残ったフルーツカクテルの味を楽しみながら、いつ薬の効果が現れるのだろうと、簡素な造りのベッドに腰掛けながらドキドキしながら待っていた。


 何度か瞬きをしていると、突然見慣れた美貌が覗き込んできた。


「……ぅおっ?! お、オスカ様?」

「目が覚めましたか、リク殿」


 オスカが心の底から安堵したように顔を緩めた。

 いや、少し違う。


「あ、れ? ……もしかして、リンゲン卿?」


 声も姿もオスカそっくりなのに、雰囲気や口調がどこか固い。それに左の目元に黒子がある。服装もあの巨大フードのついたローブではなく、チュニックにベスト、そしてズボンという軽装だ。これがオスカでないのなら、この顔の持ち主は近衛隊隊長しかいない。


「いつまでも目覚めないものだから心配しました。ご無沙汰しております。約一年ぶりですね」

「あ……お、お久しぶりです」


 この顔相手に「久しぶり」とか「一年ぶり」とかやり取りするのは非常に違和感があるが、リンゲンと顔を合わすのは昨年の五番目の月以来だ。確かに約一年ぶりではある。


「体の調子はどうですか? 眩暈や頭痛は? 体を起こせますか?」


 陸は少し目を瞑って自分の体調の変化に意識を向けた。頭痛はない。眩暈もない。多少だるさはあるものの、それは長時間眠っていたからだろうと判断した。体を起こそうと腕を動かすと、リンゲンがその動きを助けた。

 陸が上半身を起こすと、コップに注いだ水を渡された。


「なかなか目覚めないのでオスカが失敗したのかと。何の薬を飲んだのです?」

「えっと、『エフィネスの睡眠薬』だと聞いています」


 飲んだ薬の名前を伝えると、リンゲンの顔色が一気に青ざめた。解毒薬を先に飲まないと永遠に目覚めないとは言われていたけれど、こうして他人の反応を見ると、それだけでどれほどヤバい薬だったのかがよく分かる。

 リンゲンが低く唸った。


「あいつ、そんなものを……」

「あの、今日は何日ですか?」

「二十一日の朝です」


 陸が薬を飲みほしたのは十四日の未明だから、丸七日眠っていたことになる。薬を渡した本人は四日程度で目覚めると言っていたのに、その倍かかっていた。オスカならともかく、あまり表情を変えることがないリンゲンが安堵の笑みを浮かべるのも無理はない。


「陛下とルカス様に報告しなければ」

「と、とりあえず、起きたんだから良くないですか?」

「いいえ、駄目です」


 聖女様の弟君を命の危険に曝した。そのことを知られたら、オスカはなかなか危ない立場に立たされそうである。さすがに儀式の最中に糾弾することはないだろうが、その後、どんな処罰が下されるか分からない。

 早速報告しに行こうとするリンゲンを呼び止めた陸は、すっかり空っぽの腹を満たす何かを持ってきてほしいと頼んだ。


 半時間してスープをメインにした食事が用意された。

 陸が食事を終えると、陸の目覚めを聞いた人々が彼の元を訪れた。

 まずやってきたのは第二王子ルカスだ。面布の下で泣きそうになっているのがよく分かった。ベッドの傍に膝をつき、陸の手を握ってひたすら謝った。


「オスカがごめんなさい、リク様。まさかあの睡眠薬を使うとは思っていなくて。知っていたら止めたのに」

「大丈夫。大丈夫ですよ、ルカス様。こうして目が覚めて、神殿からも出られたんですから」


 陸がルカスを慰めていると、続いて第一王子と第三王子もやってきた。彼らは陸の無事を己の目で確かめると安心したのか、それぞれ肩を叩いてすぐに出て行った。最後にやってきたのは国王クレイオスだった。


「国王陛下っ」

「リク殿。久しいな」


 国王はルカスとは反対側のベッドの傍に座ると、我が子に向けるような眼差しで陸を見つめた。


「まさか生きてまた会えるとは思っていなかった」

「あはは、これも全て大神官補佐であるオスカ様のお陰です。彼はあそこで俺を助けてくれました」

「そうか。そうか」

「リク様、あまりオスカを褒めないでいいです。彼はあなたに禁忌の薬を飲ませたのだから」


 すっかり鼻声になっているルカスがむぅっと膨れる。


「でもちゃんと解毒薬もくれましたよ。『数日死んでいただきます』とは最初から言われていましたし。それに、本人がいいって言っているのだから、ルカス様ももう怒らないでください」

「でも」

「ルカス。確かにその通りかもしれん」

「父上まで!」

「リク殿、先ほどの話だがもう少し詳しく聞かせてくれ」


 国王に請われるまま、陸はオスカが何故『数日死んでくれ』発言をしたのか、その経緯を説明した。大神官たちを油断させ、陸の存在を忘却させるためにも、陸の死は必要だったのだ。

 説明が終わると、国王は深く感心したように頷いた。


「なるほど。引き渡しの儀で署名した誓約書を無効にするために、そのような強硬手段に出たのだな」

「誓約書って……あっ」


 昨年の五番目の月に行われた引き渡しの儀にいたルカスにはその意味が分かったようだ。

 陸が首を傾げていると、今度は国王が説明した。


 聖女の弟君については神殿に今後一任すべし。

 これは神殿側が陸の身柄を引き受けると結論を出した際に書き加えた一文だ。国王はその文章に隠された「陸の生殺与奪権は神殿が握る」という意味を心配して、本当にこの条件を承諾するのかと陸に確認していた。しかし、姉を助けたい一心で、未知の世界に踏み込むことを決意した陸は、その怪しげな条件を飲み込んだ。

 神殿側の準備が整い、聖女様の弟君引き渡しの儀が行われた。仰々しい名前が付いているが、そのやり取りは五分くらいで終わってしまった。

 いくつもの偽造防止加工が施された書類に署名し、留めに神の名を使った魔法でも契約した。


 ――我、神の聖なる御名においてここに偽り無き誓約をする者也。


 もし陸が『生きた状態』で神殿から抜け出して国王陛下に会えば、それはつまり契約違反を行ったのと等しい。契約違反した者には魔法による恐ろしい制裁が与えられる。

 それを避けるためにも、神殿側が陸を『死んだ』と判断し、その体を埋葬することでその身を『放棄』した後でなければならなかったのだ。


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