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(……本当に、大丈夫だろうか)
神殿大文殿奥にある個室にいた陸は、手の中にある小瓶を見ながら額に汗した。
小瓶は二つ。茶色いのと青いのだ。前者には解毒薬、後者には『エフィネスの睡眠薬』と呼ばれる毒薬が入っている。
『リク様には数日死んでいただこうかと考えています』
そう笑顔で物騒なことを言い放った大神官補佐から渡されたものだ。十三日の深夜か十四日の未明に、必ず茶色の小瓶、青の小瓶という順番に飲み干せと言われている。もし順番を間違えれば陸は永遠に目覚めることはない。
因みに陸が悩んでいるこの日は十日だ。
三番目の月に入ってから、オスカとは顔を合わせることが無くなった。
大神官補佐のひとりとして、三人の大神官と他の二十人の大神官補佐のともに、二十六年ごとに行われる次期国王選出の儀と聖女の日の儀式を行うため、最終的な準備を進めているのだ。
その間、陸は一人で神殿大文殿の仕事を行っている、ということになっている。最初はげっそりと頬のこけた上級神官が二人ほどついていたのだが、コボルトたちが巻き上げる息苦しい埃に耐えかねて、初日から神殿大文殿から逃げ出してしまったのだ。そしてその後はずっとあの馬鹿でかい扉の前に陣取り、陸が神殿大文殿から出てくるのを待っていた。
今、こうしている間にも待っていることだろう。
ご苦労なことだ。
上級神官が付いているのは、陸が勝手なことをしないようにという監視だ。
オスカからも、ゼヴェリウスの子飼いが周りを付きまとうだろうことは予告されていた。しかも、麻薬でしっかり教育された忠実な僕である。ご褒美欲しさに、儀式がひと段落する二十六日には、陸を殺そうとすることも厭わないだろう。
その前に神殿から陸の体を外に出すためにも、薬によって仮死状態にして表向き死んだことにしようという話になった。具体的なやり方は、神殿から神官見習いの若者たちを逃がす時の手法を用いることにした。
正常な判断力を失っている二人の上級神官は死体には絶対に触れない。大神官補佐たちもだ。ゼヴェリウス派の人間は死者を忌み嫌っているから、反ゼヴェリウス派の上級神官たちを呼び寄せて、陸の死体を処理させるだろう。埋葬のための穴を掘ったり、形だけの葬儀を行ったりするので、少なくとも三日は死体置き場に安置される。
その後、埋められた陸の体を協力者たちが掘り起こして隠れ家に運ぶ。
これまでの成功例を踏まえて言うなら、目覚めるまでには約四日かかる。『成功例』ということはもちろん失敗例もある。数人の若者は体が猛毒に耐えられなくて死んだ。しかし陸の場合には、しっかり体を鍛えていたし食事もちゃんと取っていたので、死ぬ可能性は限りなく低いという判断だった。
死ぬ可能性もあると聞いた時点で尻込みした陸だったが、「死ぬかもしれないと覚悟の上で来られたのではないですか?」と問われてしまえば頷くしかない。
陸はそんなにうまくいくだろうかと疑問に思ったが、『聖女様の弟君』である陸が、平常時に実行すればまず失敗するとオスカも認めた。いきなり彼が不審死したら、死因を探ろうと解剖されてしまう可能性があるからだ。
ついでに、異世界から来た若者の体内構造を確かめてやろうと、異常な研究も行われてしまうかもしれない。
だが、今は例外だ。
国と神殿の一大イベントが約二週間後に控えている。失敗するわけにはいかない一発真剣勝負だ。そのためにも大神官補佐以上の人間がわらわら集まって、それぞれの役割や、これまでの儀式の進行などを念入りに確認し合っている。
はっきり言って、今の彼らには儀式のことしか頭にないのだ。だからとりあえず、儀式に参加する神官たちの目をごまかせればいい。
特に三人の大神官たちは、突然の陸の死にほっと胸を撫でおろすことだろう。
これまでは上の神殿に住む聖女様が、下の神殿にいる弟を気にしていて無下に扱えなかった。だが、聖女の心臓を捧げてしまえば、あとはどうでもいい。陸に『黒髪黒目の美少年』であることを期待してた彼らの失望は、陸にどんな死をもたらすか分からない。相変わらず陸には、そこまで執着する理由が分からないのだが、彼らにとっては大きなことだった。
自由に神殿から移動できない彼らにとって、それくらいしか楽しみがなかった、と言えば多少は理解を得られるだろうか? いや、そんなことでは言い訳にならない。
とにかく『陸の死』が、大神官たちの心に平安をもたらし、彼らを油断させ、陸の体を傷付けずに神殿から回収する、より簡便な方法だと考えられた。
二十六番目の聖女の日の儀式に参加する神官の数は合計九人だ。大神官が三人、それぞれについている大神官補佐から二人ずつ。残りは全員、下の神殿に残る。
そこに更に王族が加わる。例年は現国王、国王の息子たち、それに護衛の騎士が同じ数だけ。
上の神殿に住まう四人を合わせると合計二十一人という大所帯になる。
食料や水も人数分必要になるから、三番目の月に入ると同時に準備に取り掛かるのだ。
大神官補佐が主体となり、神殿の内装にも取り掛かり始める。壁や床に痛みがないか。天井付近に埃が溜まっていないか。一般の参拝者たちが落としていったゴミがないか。約二週間かけて徹底的に清める。もちろん三人の女神官たちも神殿内の部分で同じように補修したり、掃除したりする。
何しろ神様をお迎えするのだ。
綺麗に清めて当然だろう。
準備が終わると、大神官たちは二十一日から二日かけて山に登る。王族は翌日、一日がかりで上の神殿に向かう。
本来は同じ日に上るのだが、肥満体のゼヴェリウスが上がるのに時間が掛かりそうなのだ。あの延々続く地獄の階段を上りたくない主たる大神官は、己を食料と一緒に上に運べとわがままを言ったが、恐らく魔法の威力に耐えられないと魔法担当の神官たちに止められた。
彼が日夜可愛がっている神官見習いの若者たちからも虚ろな目で「大神官様が心配です」と言われてしまえば、ゼヴェリウスは不服そうに鼻を鳴らしながら階段を上ることを承諾した。
でも、本当はズルをしようとしていた。
相当な魔力量を有する大神官補佐にこっそり耳打ちしたのだ。階段を少し上ったところで、浮遊魔法を使ってこの身を上まで運べ。そうしたら第二王子が神殿に入った暁には、自分の後にその身を抱かせてやる、と。
検討すると返答した大神官補佐に、ゼヴェリウスはにんまりと笑った。
検討するも何も、醜い大火傷を持ち、気味の悪い赤と白の入り混じった髪を持つ男には、男も女も抱く機会がないはずだからだ。いくら禁欲的な男でも、媚薬を盛られて喘ぐ美しい王子を前にすれば、たちまち野獣になるはず。それはそれで面白い見物かもしれない。
そう思ったのだ。
つくづくゲスな男である。
他の神官たちが慌ただしく準備をしている間に、オスカは再び陸の持ち物を預かり、協力者たちの元に届けていた。陸はその協力者たちの正体を訪ねたが、オスカは教えてくれなかった。
それよりもこれまでの推理に見落としがないかという言葉と、二つの小瓶を残して、ずっと陸の面倒を看てくれていた大神官補佐は去っていった。
それから約十日。
陸はノートをペラペラめくっては、小瓶を見つめる日々を送っていた。
もうすぐ全ての答え合わせを行う時が来る。陸は、己の導き出した物語に結構自信を持っていた。それを裏付ける記録もある。
いくつか解けていない謎もあるが、それはもう現場に行って答えを見てみるしかない。
「……アクラランは、どこにいるんだろう?」
大体、女神ウリテルはどこで心臓を受け取るのだろう?
うっかり謎解きに集中していて、そういう所を確認するのを忘れた。これまで見た古文書の中にも書かれていない。
陸は、美祢と再会した時のあの巨大空間ではないだろうかと思った。天井から短冊状の白い布が何枚もぶら下がり、それを掻き分けて進むと大きな天蓋付きのベッドがあるのだ。
ただ心臓を捧げられるだけかと思っていたのに、正確には次期国王となる男に処女を捧げてから心臓を抜かれるのだという。
美祢の処女喪失のタイミングが分かるのは弟としても、彼女に恋焦がれる男としても、複雑な心境になる。そんなの知りたくなかった。
しかも相手は面識のある三王子のいずれかだ。殊更複雑な心境になる。心臓云々がなければ、「乙女ゲームの攻略かな?」くらいの感覚で済むのに、血みどろイベントが絡むからもう駄目だ。
姉が死ぬシナリオがなければ、第一王子か第三王子か、どちらでもくっついても構わない。二人ともワイルド系かクール系の美形だし、国家最高権力者だ。ぶっちゃけ血の繋がりのある陸には勝ち目はないのだが、姉を思う気持ちだけは負ける気がしない。
因みに第二王子は選択肢にない。仮に美祢と絡んでも百合の花の幻覚が見えそうだし、そもそもすでに相手がいる。第二王子本人の気持ちは知らないが、陸の予想としては両想いだろう。だから、そっちはそっちでくっついてほしいと思う。
陸の最終目標は、『みんながそれぞれにハッピーエンドを迎えること』だ。
そこにリアルな心臓は必要ない。血もいらない。誰かの死なんてまっぴらごめんだ。
どうしても致し方なくて誰かの死が目の前に訪れるかもしれないが、陸は希望を抱いていた。
世界の創造主。
その力を使って生き長らえさせるのだ。
彼の中には『死者は生き返らせない』というルールがあるらしいが、死にかけている相手を癒すくらいなら出来るだろう。
世界の創造主のお気に入りであるアークィルことアクラランに頼んでもらい、力尽きようとしている女神ウリテルを生き長らえさせる。
そうしたら誰の死も訪れない。
本当にできるかどうかは分からないが、目標は高い方がいいし、やってみなくちゃ分からない。
「そう、大〇学実験で」か「キラッ☆」で割と分かれると思うのです。




