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大神官補佐である男は、テーブルの上に積み上げていた古文書や石板の山の上に手を置いた。ピアノを弾くように、リズミカルに四本の指で叩く。
「もしもあの方が聖女だったら、自分は正気を保てなかったでしょう。神官の立場を忘れてあの方を攫って逃げていたかもしれません。それで神ウリテルの怒りを買い、この身が呪われようとも、この国が滅ぼうとも一切気にしなかったかもしれません。そういう意味でも、リク様は本当に強い方だと思いますよ。多少覚悟は足りなかったけれども、冷静に向き合われている」
「ゔっ……」
「人の心に踏み入ったお返しです。それに今はもう、覚悟を決められているのでしょう?」
自分から昔話であればいいと言ったくせに、と文句を言いたいが、吹っ掛けた方は陸の方だ。
悔しそうな陸に意趣返しが成功したオスカは、上機嫌になった。
「千年続く女神の怒りを鎮めることはなかなか困難でしょうけれども。女神セネアも今の聖女様もルカス様も、リク様ならできるというのだから自信を持っていいのではないでしょうか? これで何百何千と心臓を捧げられた乙女たちの無念も晴れるというものでしょう」
「何ですって?」
陸は己の耳を疑った。二つほど、聞き捨てならないことをオスカは言った気がする。
「ですから、乙女たちの無念も」
「その前です。もっと前。女神セネアと姉貴が、俺ならできるっていうのは分かるんですが。何故ルカス様が彼女たちと同じことを言えるんです? それに、さっき『何百何千と心臓を捧げた』って言いましたよね?」
トトトンッと本を叩いていた指が止まる。
どうやら無意識に言葉にしていたらしい。唇に指をあて、悩んでいる。
「えっと、とりあえず、簡単そうな方からで」
陸はすっかりお馴染みのノートをテーブルに広げた。余白が足りなくなって、白っぽいハンカチーフをノートの代わりに挟み込んでいた。だいぶ書きにくくはあるが仕方ない。この世界では紙は意外と高価なのだ。
赤字で所々メモが残されたノートを捲り、いつか書き残した数字を探す。
「あった!」
五十代の国王による二十六年の治世。丸で囲まれた千三百年。他より十三年治世の長い二人の国王。
「あっ、やっべ。計算ミス」
陸は千三百年を横線で消すと、千三百二十六年と書き直した。更に文字を書き足す。
「オスカ様。過去に本当に千人聖女がいたとしたら、二万六千年の歴史があることになります。でもそれは考えにくい」
「は、はぁ」
「でも百人ならどうですか? 丁度二千六百年です」
「王家の歴史の二倍、ですか?」
「少し計算間違えたけど……まぁ、はい。それに、これ。見てください」
陸はぐりぐりと赤丸を付け加えた。
「妙だとは思っていたんです。数字が揃いすぎている。こじつけかもしれないし、桁も違うけれど、共通しているのは十三と二十六です」
十三と二十六。
偶然の一致かもしれないし、意味があるのかもしれない。
しかし少なくとも、二十六は因縁めいた繋がりがある。
三番目の月の二十六日は、歴代聖女の死ぬ日であり、二十六歳は歴代聖女が死ぬ年齢だ。
歴代の国王が代替わりするのも二十六年。次の聖女が現れるのも二十六年。
「オスカ様、国王の代替わりは聖女が死ぬのと同時ですか?」
「いいえ……二年程、国務の引継ぎ期間がありますが」
「それもかっ!」
アクラランでの暦は一年で十三カ月。二年であればこれも二十六年。
あの中途半端に在位期間が長かった二人の国王の十三年を足しても二十六年。
「二十六……二十六……もしかして、セネアは二十六歳で死んだ?」
「可能性はありますね。神様の年齢など誰も気にしませんが」
残念ながら十三に関しては、「国王の治世が千三百年であること」と「一年が十三カ月であること」、そして「足せば二十六になること」くらいしか分からなかった。
「あぁっ、クソっ」
他にもないかと頭を捻るが思い浮かばない。
こじつけと言われてしまえばそれまでだが、本当は全て二千六百年前に起きたことではないかと思えてきた。
事実が伝説となり、記録が消失し、人々の記憶から消えるには、十分な年数ではないだろうか?
アクララン建国伝説。
それは、本当にたった千年前の出来事だったのだろうか?
記録と記憶の書き換えを、誰かが行っている。
ようやくコボルトたちも認めた事実に裏付けが取れた。
恐らく世界の創造主あたりが、手を加えているのだ。
陸は手の平に拳を打ち付けた。
やはり、世界の創造主を引きずり出さなければならない。
そのためにはどうしたらいいのか?
心当たりは、ある。
「オスカ様。この間『神様は人前に姿を現す』的なことを仰っていましたよね」
「えぇ。やはりよく現れるのはやはり祭事の時ですかね。いずれの神様もご自分が祝われることは嬉しいようですから」
「他には? 神ウリテルはいつ?」
「あのお方は二十六年ごとです。聖女の日に心臓を捧げられるためお姿を現します」
「英雄アクラランも姿を現すのでしょうか?」
オスカは首を横に振った。そんな記録はない。
陸は自信が揺らぎかけたが、気をしっかり持った。
「俺が、その現場に行けば、何か感じることはできると思いますか? その、セネアの魔力のようなことが起きると思いますか?」
「女神セネアの魔力……まさか、それを魂で行えないかとお考えで?」
陸は頷いた。
『元に戻りたい』というあの欲求が使えないかと考えたのだ。
それは魔力の原点回帰欲求とも呼ばれる現象で、魔力量が減った子孫が強大な魔力量を有する祖先に出会った時、『元に戻りたい』という欲求が生じる。
「魔術師にとって魔力は魂だと聞いていますが、逆に魂は魔力なのではないでしょうか?」
「魂は魔力……」
「そうです。俺には魔力がないけれど、アクラランの魂は入っている可能性があります。『名は魂を表す』ってやつです。だから俺が行けばその、魂、を……」
陸は別のことを思いついて声をあげた。
「まさか、女神ウリテルがセネアの心臓を求めるのは、嫉妬の感情もあるけど、彼女の心臓を食べることで、魔力を補充しているのではないでしょうか?」
「リク様、それは」
「分かっています。考えすぎかもしれません。でも、神ウリテルに心臓が捧げられた後は、その影響力が増していますよね?」
彼の言う通りだった。
二十六回目の聖女の日と呼ばれる心臓を捧げる儀式が終わると、その後数年間は戦争が治まり、『混沌』も跳ね除けられた。それが二十年を過ぎた頃から再び戦争の火種がばらまかれはじめ、王国の東側には重苦しい湿気た空気が蔓延し始めるのだ。
在位期間が三十九年だった二人の国王の治世は散々だった。あちこちで戦争が勃発し、飢饉が発生し、急速に国力が低下していくというのに、そのタイミングで王座と言う権力に目が眩んだ者たちによる反乱が起きたのだ。しかも二度も。
どのように立ち直ったのかは、どの書物でも「奇跡が起きた」の一言で片づけられてしまっていて、どんな奇跡が起きたのかは不明である。
「セネアは過去に何度も奇跡を起こしています。五人……姉貴も入れれば六人の聖女になっても、その力は弱っていません。
魔力の補填。そういう意味でも、ウリテルはセネアの心臓を求めているのかも」
「っ! もし、そうであれば説得に失敗した場合でも……」
いつか聞いた老魔術師の言葉が、脳裏に木霊した。
『神様も同じで、お力を使い切ってしまうとその存在を維持できない。お前の世界ではどうかは知らないが、この世界では神様も死ぬのだよ』
陸が手を下さなくても、女神ウリテルはいずれ死ぬ。
本当は誰にも死んでほしくはないのだが、もしも力を使い切ってしまった彼女が存在し続けるためには、美祢の心臓が必要と言うのならば、陸は目をそらさずにその死に向き合おうと決意した。
どんな風に神が死ぬのかは知らない。
光のように散っていくのかもしれないし、萎れていくのかもしれないし、あるいは破裂してしまうのかもしれない。
それでも絶対にその様を見届けよう。
「……俺の計画は、こうです」




