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さてさて困ったことになってしまった。
新たに一つ課題が増えたのだ。
今まで散々「千年以上途切れぬ禍根を断つためにも、女神ウリテルを殺そう」と考えていたのに、神殺しの力を備えているかもしれない本人が、誰かの命を奪うことを嫌がったから方向性を変えなければいけなくなった。
聖女の心臓を女神ウリテルに捧げることを止めるには、ウリテルの激しい嫉妬心をどうにかするしかない。そのためには英雄アクラランに土下座させて謝り続けるとか、それこそ現在の国法に従って去勢するとか。とにかく彼女の気持ちを何とかして晴らすしかない。
禍根を断つか。遺恨を晴らすか。
あえてどちらが簡単だろうかと考えれば、なんとなく前者のような気がする。
だって災いの原因をこの世界から排除しまえばいいのだから。
しかしそれを残したまま、心のわだかまりだけ消すとなると生半可な説得や謝罪では難しいだろう。
何せ千年以上続いているのだ。
その上、アクラランの血を引いているとされる歴代の国王たちに聖女を殺させ、その心臓を捧げさせているというのだから、その怒りの激しさは計り知れない。
激昂。憤怒。業腹。憤激。
とにかく「激おこ」レベルではないことは確かだ。
そう考えると、オスカが言っていた「許す方が難しい」という考え方に陸は納得せざるを得なかった。
(…………説得に失敗したら、やっぱり『神殺し』になるしかないのかなぁ)
陸は短剣を慎重に磨きながら、深いため息をついた。
どうやら上級者向けの茨の道を選んでしまったようだ。
「よしっ」
一通り短剣を磨き終わると、陸は光を当てて磨き残しがないか確かめた。
さすがは近衛隊の隊長様というべきか、あるいは金持ち貴族の次男様というべきか。リンゲンが贈った短剣は最高品質のものだった。磨いた布を上から落とすと切っ先に触れたところから二つに切り裂かれる。材料はアダマンタイトとかいう非常に強固な金属らしい。
元の世界での知識で「ミスリルやオリハルコンと言った伝説上の金属はあるのか」と訊いてみれば、エルフやドワーフたちが扱うような希少価値の高い物質なのだと解説された。
エルフにドワーフ!
いかにもファンタジー世界らしい単語を聞いて、陸の顔に期待が籠った。
すでに魔術師も、魔法も、魔法生物も、精霊たちを目の当たりにしているというのに、普段接しているのが主に魔法が使える人間だからか、新しい単語を聞くと夢見る心がくすぐられるようだ。
いちいちそういうところで感動している陸が、オスカはおかしくて堪らないようだった。
「リク様、全てが無事に終わったら、旅に出てみてはいかがですか? そういえば王宮と神殿しかご覧になっていませんよね」
「旅……旅かぁ。確かに神殿に来る前にはそんなことを考えていました。この短剣やベルトや、ランタンは俺が旅に出ても使えるようにと、皆が贈ってくれたものなんですよ」
「そうでしたか。そうしたら、猶更使わねば」
他にも東のセンにはクラーケンが出没するだとか、北方のエルバには雪女だか冬の女王と呼ばれる雪と氷を操る魔物がいるだとか、ミティウェアにはエントーンやフォールーンという木にまつわる精霊がいるだとか。人を寄せ付けない切り裂き山脈にも、家一軒分の大きさがある鷲や頭が三つあるヤギが住み着いているらしい。
オスカ自身も目にしたことはないが、各地にいる不可思議な生き物や各地の神様の話をしてやった。
「それから、各地には土着の神様も多くいらっしゃいます」
陸がふと首を傾げた。
「そういえば神様とか女神様って、そうそう人前に姿を現すものなのですか?」
散々神様を殺すとか言っておいて、今更な質問だ。
少なくとも人と交わるのだから肉体はあるのだろう。しかし姿を現す頻度はどうか?
もしも神ウリテルが姿を現さずに美祢の心臓を求めたとしたら、どうやって彼女と相対するつもりだったのか。
「リク様の世界では神様は人前に姿を現さないのですか?」
「姿を見せないというか、俺の国はちょっと特殊というか……説明が難しいんですけど……」
陸は故郷の特殊な宗教観を話した。いつか国王クレイオスに美祢が語って聞かせたような話をすると、宗教にがっつり染まっている人間には理解できないようだった。
必死に話の内容に追いつこうとしているのだろう、目鼻立ちの良い顔が微妙に歪んでいる。
「それから、俺の国には古くから神道という宗教があります。全てのものには神様があって」
「……リク様、待ってください。あなたの国の民は宗教を信じていないのですよね?」
「はい、大体は」
「それなのに、国の宗教がある?」
「はい。太陽の神様もいるし、水神も、土地神様も」
「待って、待って。待ってください、リク様」
いるけれど、信じていない。信じていないけど、その考え方を認めている。
一体どういうことだ?
深く悩む大神官補佐の姿に、陸はぱちくりと目を瞬かせた。
もしも美祢がこの場にいたら、絶対こう言うはずだ。「ほら、やっぱり余計に混乱した」と。
アクララン王国では神ウリテルが一強ではあるが、実は大陸には他にも神様がたくさんいる。豊穣の神だったり、戦いの神だったり、慈愛の神だったり。人と同じような姿をしている場合もあれば、海の神様のように怪物のような姿をしている場合もあった。
それらに共通しているのは、創造神によって作られたということだ。
大国の影響力は宗教的にも強いのか、大抵どこの国でも創造神は神ウリテルであり、神ウリテルが他の神々を世界に作り出したと信じられている。
しかし陸たちは「神ウリテル≠創造神」との認識でいた。誤った推理をしないためにも、そこはきっちりと分けなければならない。
神殿大文殿や『開かずの倉庫』に保管されていた過去の建国伝説には、現在流通している建国伝説よりももう少し長い物語が描かれていた。
アクララン王国建国前。つまり英雄アクラランが世に出現する前の、苦しみと恐怖と無秩序が満ち溢れていた時代。
創造神によって生み出された神々もまた、争いを治めようと戦っていたらしい。更に古い資料も引っ張り出してみると、驚くべきことにそれらの神々は元人間だったという。
元々、数多の生命の一つだった人間は、神に祈るための手と御前にかしずくための膝を持つことから、大地を治めよと神の命令を下された。
しかし、次第に悪魔の囁きに耳を貸すようになり、欲を覚え、争うようになった。そんな人間たちを正しい道に引き戻すため、特に創造神に忠実に従っていた一部の人間たちに、特別な力が分け与えられたのだ。
元人間。特別な力。
女神セネアと同じだ。
雑多に記録が積み上げられた倉庫の一角で見つけた崩れかけた羊皮紙には、各地の神々誕生の物語が記録されていた。
ただの神話やおとぎ話などではなく、神がいかにして神になり得たかという事実の記録。
元の世界では神様が絡む話は、ただの言い伝えだったり空想だったり人の想像であったりしたが、今いる世界では神様は実在するものであり歴史の一部だ。
元は人間だったこともあるのだろうか。記録には泣いて、笑って、怒って、喜んで、恋に現を抜かして、ちょっと間が抜けていて、勝ち気で、弱気で、傲慢な姿が記録されていた。人間と全く変わらない。
しいてただの人間との違いを挙げるなら、嘘をつかないとか、悪を憎むとか、だろうか。いや、それでも嘘を嫌う人間はいるものだし、悪を憎む正義漢もいる。
老若男女問わず次々に人間から神様になっていく物語に、思わずにはいられない。
女神ウリテルは最初から女神だったのではなく、実は元人間だったのではないか?
「うっ……」
「さすがに二番目の月ともなると冷えますね。精霊たちに部屋の温度を上げてもらいましょう」
オスカは松明掛けにいる炎の精霊たちに掛け合うと、底冷えする倉庫の空気が和らいだ。
「ありがとうございます」
「いえいえ、お礼はどうぞ精霊たちに」
陸が礼を言うと、炎の精霊たちは松明掛けの上で嬉しそうに手を振った。
もう一年近く会っていない双子の精霊アミシュとカバネは人の姿をしていたが、本来の姿は手の平サイズの人型が炎を纏っているものらしい。炎の合間に目と口らしき黒点は見えるのだが、その姿はほぼ燃える人形である。
「さてさて困ったことになってしまった。」って書きながら「全くその通りだよ」ってツッコミを入れてしまいました。




