第三章42あたり チャランポランコンビが去った後
ところで、陸は先を歩くオスカに声を掛けた。
「さっきノッガーと何を話していたんですか?」
「この契約書に関して内容を少し確認してもらっていたんです」
「なんか変わった喋り方してましたけど、あれは?」
「あぁ、エティス語です。ノッガーはその昔エティスの魔術師の契約精霊だったらしくて、アクララン語よりエティス語の方が伝わるんですよ」
「その昔っていう事は、今は?」
「契約が解消され、自由意志でここにいるそうです」
例えばヤン・ノベと炎の精霊たちのように、魔術師の中には精霊と契約を結ぶ者がいる。魔術師は精霊に様々なことを手伝ってもらう代わりに、報酬として魔力を分け与える。彼らの関係は、双方が同意して契約解除するか、どちらかの死によって強制解除されるまで続く。
「エティス語を耳にするのは初めてでしたか? では、ヤン・ノベ様の契約精霊たちは普段はどこの言葉で会話を?」
「アミシュとカバネは俺の前では普通にアクララン語でしたけど?」
「へぇ、それは珍しい。アクラランには精霊と契約できるほどの魔術師は少ないので、アクララン語を話す精霊は少数なんです。神殿にいる精霊たちはその少数派ですがね」
オスカは精霊語について簡単に説明を始めた。
精霊語とは、その名の通り精霊が使う言葉だ。天地創造と共に精霊たちが誕生してから存在する言語だが、表記文字がない上に発音も難解なため、その習得は極めて困難とされている。
明文化できないのは不便ということで、精霊語の研究が最も盛んなミティウェアの文字を流用しているのだが、必ずしも正確ではない。そういったややこしさも、精霊語の習得における大きな壁となっていた。
現在、五人ほどの神官たちが精霊語を理解するとされているが、その中でも流暢とされるのが大神官補佐のポランニーとオスカの二人だ。特にポランニーは神官たちの中でも精霊文化に精通しているため、精霊語の講師も担っていた。最近はその魅力をもっと広めようと、アクララン語での辞書作りに熱中している。
数分会った時の印象だけで、“チャランポラン”などとあだ名をつけてしまった陸は、気まずい気持ちになった。
「……そんな人に、俺はなんてあだ名を……」
「初対面からあの調子ですから『いい加減な奴』と思われるのも当然かと」
オスカは肩を震わせて笑うと、先ほどの大神官補佐たちについて補足した。
「ポランニーはミティウェアの出身ですが、幼い頃に両親とアクラランに移住してきたそうです。ポランニー一家が住んでいた村に配属されていた神官が、まだ子どもの彼が風の精霊と遊び精霊語で会話する様子を見て、神殿に連れてきたと聞いています。
彼は契約精霊のいる風属性の魔術師なので、神殿に入った直後から巡回当番――参拝者たちが事故に遭わないように警護する仕事ですが――に関わっていました。もう二十年近くやっている古株ですよ」
ポランニーはいわば「風の精霊に愛された神官」といったところだろうか。
響きは綺麗だ。なんだか清々しい感じがする。その言動は微妙だが。
「普段はどんな人ですか?」
「これはあくまでも自分の意見ですが、基本的にマイペースで集団行動が苦手。精霊語の研究に関しては頑固一徹……そんなところでしょうか。大神官補佐になってからは、あまりわがままも言っていられなくなりましたが」
「もう一人は?」
「ベルチャラーンはアクララン東部にあるガルニアの街を治める男爵家の四男で、時々神官たちに護身術と対魔獣術を教えています。彼は長年、騎士団メンバーとして武功を挙げていたそうですが、ある時ワイバーンの群れに遭遇して九死に一生を得たのをきっかけに、神殿に入ることにした、とか」
陸は口を大きく開けた。オスカに言われるまで、ベルチャラーンにそんな壮絶な過去があったなんて思わなかった。
でも確かに、言われてみれば「昔、甲冑着て戦ってました」という面構えをしていた。
二人の意外な一面を知って驚く陸に、オスカは「機会があれば直接やり取りすれば見方が変わる」と、まるでルカスのようなことを言った。
「……ワイバーンに襲われて生き残ったなんて、すごいですね」
「リク様の国にもワイバーンがいたんですか?」
「いえ、ヤン先生に聞きました」
陸がいた世界ではワイバーンは空想上のモンスターで、二次元世界のキャラクターだったが、アクラランには三次元の生命体として存在していた。
二本足の獰猛な翼竜で、火の球を吐き、尾には猛毒の棘を隠し持つ。大きなものは馬の二倍ほどの大きさになるらしい。講義中にヤンが立体映像魔法で見せてくれたのは、プテラノドンの体格に角トカゲの頭を乗せたような見た目をしていた。岩場や廃鉱山などに住み着き、通常は単独で人や家畜を襲う脅威だ。群れで襲われたらまず助からない。
実際にワイバーンを目にしたわけではないので、言葉を尽くしてその恐ろしさを説明されても、まだいまいちピンとこないのだが、多分ただの猛獣に襲われるより恐ろしそうだとは思う。
少なくとも、腕っ節の強そうな騎士の生き方を変えてしまうくらいの大きな出来事だったのだ。
「因みにオスカさんは――」
「リク様、到着しました。ここが神殿大文殿の新館です」
陸がオスカについても訪ねようとしたところで、前を歩いていた白ローブが急に立ち止まった。
彼らの前には大理石の外壁に、木製の内壁が合わさった小奇麗な建物が聳え立っていた。中に入ればそこは中心に大きな吹き抜けのある三階構造で、『知識の殿堂』と呼ぶにふさわしい風格があった。『死ぬまでに見に行きたい図書館ベスト・テン』とかに入っていてもおかしくない。陸のいる旧館とは異なり、全体的に清潔感に溢れていた。
入り口から見ると、縦に長い長方形の建物の中心に一筋の吹き抜けが設けられている。吹き抜け部分から左右に向かって通路が伸びていた。例えるなら魚の背骨のような構造だ。通路を隔てる壁、あるいは柱と一体化している本棚には上から下まで色とりどりの背表紙が並んでいた。
先ほどのチャランポランコンビが慌てて神殿大文殿旧館の出口に向かった理由がよく分かった。普段こんなきれいなところでお勤めをしていたら、あの埃塗れの空間は耐えがたいことだろう。
オスカが誓約書を収納してくる間、陸は他の神官たちの好奇の目に晒されながら彼が戻ってくるまで一人で待ち、それから食堂に向かった。学校などでもありそうな屋根付きの渡り廊下をいくつも進んで建物から建物へと移動する。
「食堂は宿舎棟の隣にあります。そしてその隣の建物が浴場です。それからあちらの同じ造りの小さな建物が第二倉庫で――」
食堂までの道中、オスカは陸に神殿を構成する施設の数々を示して歩いた。
「――他にも畑、鍛錬場、温室、色々ありますが、今日はここまでにしましょう。丁度いい時間になりましたね」
オスカは陸を食堂内部に案内した。
食堂では大きな広間の一角に大鍋が一列に並べられ、食器を持って行くと食堂担当の神官たちがよそってくれる。陸の場合には『聖女様の弟君』ということで、他の神官たちよりも少し量と品数が多かった。
「大神官……様もここに食べに来るんですか?」
「いえ、三大神官は食事が部屋まで運ばれます。補佐達もここで食べるより、自分が使える大神官のお相伴に預かるか、ここの料理を部屋に持ち帰って食べることが多いですね」
自分もそうですけど、と呟くなり、オスカは料理の上に覆いかぶさるようにして食べ始めた。周りを見れば、フード付きの神官たちは同じようなスタイルでもそもそ食べている。行儀悪く見えるがこれがここのルールなのだった。
「最初は慣れないかもしれませんが、無理はなさらず」
ぎこちなく料理に手をつける陸に、オスカは気遣う言葉を掛けた。
この日、陸は結局オスカについて聞き出すことはできなかった。




