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第三章29あたり 再び水浴び場にて(微BL)

「ねぇ、顔を触らせて」


 上の神殿内、王族専用の水浴び場。

 王族と神官しか入れない場所に入るなり発せられたお願いに、オスカはフードを払い、身を偽る魔法を解いた。差し出された両手を取って己の顔に触れさせる。

 ルカスは前回会った時よりも少しだけ栄養状態の良くなった頬を何度も撫でていると、指先に引っかかるものを感じた。何度も指先でひっかく。


「っ、不快なものがあって申し訳ありません。剃り残しです」

「へぇ、オスカも髭が生えるんだね。初めて知ったよ」

「それは、まぁ、多少は」


 髭など珍しくもないだろうと溢すオスカに、ルカスはそんなことはないと否定した。あまり男性的ではない彼は、成人してからも髭など生えたことがない。目の見えないルカスが自己と他人の違いを知るには、相手の顔を実際に触らせてもらうしかないのだが、それも家族や近衛隊の隊長、一部の侍従くらいと相手が限られる。

 ルカスが最後に髭を認識したのは何年も前のことで、兄であるライオスがお洒落の一環として顎に蓄えたものを触らせてくれたのだ。短い針の集まりのような、ちくちくした感触を覚えている。


「それから北部の戦線に向かわれて、伸ばしっぱなしにしていたらしいのだけど。昨年末、久し振りに弟に会ったら辛辣に言われたらしくてね。わたしが訪ねる前に綺麗に剃ってしまっていたよ」

「左様ですか。……あの、そろそろやめていただけますか?」


 話の流れでだんだん顎の下をくすぐる形になってきて、オスカは上半身を仰け反らせてその手から逃げた。残念そうな声を上げられても、これ以上好き勝手に遊ばれるわけにはいかない。

 いつものようにタオルが準備された椅子に誘導し、相手が服を脱いでいる間に水瓶の中の水を温める。適温になったら手桶に満たして渡す。土埃で汚れた素足には、今回は皮サンダルで擦れた痕がなかった。


「そういえば、リク様が神殿で奉仕したいんだって、父上に手紙を書いてきたよ」

「聖女様の弟君が、国王陛下に?」


 話題にルカスの父親が出てきた途端、オスカの声が若干低くなった。

 お湯の入った手桶を受け取りながら、ルカスはオスカを見上げた。目の前の大神官補佐がどのような表情を浮かべているか、ルカスには分からないが、その言動のわずかな変化から心情はなんとなく読み取れる。

 にじみ出る黒い感情に気付かないふりをしながら、ルカスは首肯した。


「……この間、王家の晩餐会をしたのだけど、その時に父上に『今後はどうしたいか』って聞かれてね。その場では回答を保留にしていたのだけど、ついこの間、『神殿での奉仕がしたい』と回答があったんだ。よほど姉君の近くにいたいみたいだね」

「しかし、リク様は大丈夫なのですか? その、『聖女の真の責務』は」

「それは我々からリク様にお伝えすべきか、父上も悩んでいたよ。でも、その必要はなかった。姉君と会った時か、その後に誰かから教えられたみたいでね。とてもショックを受けて数日部屋に閉じこもってしまったの」


 一人残された弟に『聖女の真の責務』を教えたのはお前じゃないの?

 そう言われているようで、オスカは顔を逸らした。


「でもリク様は強い方だったみたいでね。そのまま心折れるのではなく、以前にもまして歴史を学んだり、剣の腕を磨くことに意欲的になったり、なんだか色々頑張っているみたい。

 ねぇ、オスカ。異世界から来た彼なら、どうにかして姉君と生きる手段を見つけ出すとは思わない?」

「ルカス様がそうお考えなら、そうかもしれませんね」


 ルカスの水浴びを手伝いながら、オスカは同意した。

 確かに精霊電話でそのことを伝えた時、陸の激しい動揺が伝わってきて突然対話が切れてしまった。その後、何度も精霊電話を繋ごうと試みたが陸は応答しなかった。代わりにヤンから、四日閉じこもってようやく陸が部屋から出てきたのだと聞いた。


「ねぇ、オスカ。リク様が下の神殿に務めることになったら、お前が彼の面倒を看てよ。それで、必要なことを色々と教えてあげて」

「自分が? それは、どうでしょう。大神官の考え一つで変わりますから」

「なら適当な理由をつけてお前の傍に置くようにして。そうだな……神殿大文殿はどう? 彼は、ほら、召喚の儀でも問題になったでしょう?」

「確かに人目に晒すよりは、地下に居ていただいた方がいいかもしれませんね」

「うん。それに同じ場所に置けば、お前の目も届きやすいでしょう?」

「仮に『無理です』と申したら?」

「お願い、オスカ。この通り」


 ルカスは水浴びの支度をする時に取り忘れていた髪飾りの花を手に取ると、それを目の前の男に差し出す。花を添えて相手に特別なお願いをするのは、ここ最近の社交界の流行だ。

 数秒の沈黙の後、大きくため息を吐いたオスカが「分かりました。どうにかしてみましょう」と花を受け取ると、ルカスの両手が花を持つ手を覆ってキュッと力を込めた。


「ありがとう、そう言ってくれると思ったよ」


 難しそうな仕事を引き受けてしまって、オスカはがっくりと肩を落とした。

 そんな男をよそに、上機嫌なルカスは渡されたお湯を頭から被る。項のあたりにお湯が触れた瞬間、刺すような痛みが走った。


「いっ」

「どうされました?」

「ぃや、大したことないよ。数日前、花を飾ったら棘が刺さってしまって、多分それが」

「棘ですって? 見せてください」


 金と銀が入り混じる長髪をまとめて片方の肩から前に下ろし、少し頭を倒すと、そこにある痛みの正体が分かった。色素の薄い肌に赤い点がある。

 晒された項の艶めかしさにオスカは一瞬動揺しつつも、無心を装って軽く触れた。


「いたっ」

「申し訳ありません。棘は入っていないようですが……とりあえず乾かしたら、炎症止めの薬を塗りましょう」


 いつもはヤグルマギクなのに。

 今度は何の花を飾ったのかと訊けば、アザミだという。


「アザミは棘があるでしょう。何故そんなものを?」

「棘のないアザミもあるから、試したんだよ。でも、棘がないのは茎の部分で、咢にはちょっとだけあったんだ。あれも青い花なのでしょう?」

「青い花なら他にもあるでしょうに。何故アザミなのですか?」

「花言葉が気に入ったんだよ。『独立』とか『人格の高潔さ』とか。……ほら。わたしは人の助けを借りないといけないでしょう? だからせめて花言葉だけでも身につけたかったんだ」


 むぅっと膨れるルカスに、オスカはため息を吐いた。


「自分は、ルカス様はすでに多くのモノを持たれているかと思います。

 それにしても、最近お怪我が多い気がしますよ。この部屋を薬でいっぱいにする気ですか?」

「そうしたら、他の者にも分けてやってよ。怪我するのはわたしだけじゃないんだから」

「もしかして、それが狙いで?」

「平民が骨折するより王族が擦り傷を作った方が、備品の購入申請が簡単でしょう?」

「あなたと言う方は……」


 それもそうなのだが、治療する方としては面白くない。

 話している間に少し体が冷えたというのでもう一度お湯をかけると、濡れた痩躯をさっさとタオルと魔法で乾かしてやった。ルカスが身なりを整えている間に炎症止めの薬も用意する。


「少し痛みますよ、我慢してください」

「優しく頼むよ」


 何故だかより甘く聞こえる頼みに、オスカは腹の底に力を入れると慎重に薬を塗りこめる。やはり痛いのだろう。指先から皮膚の下でぴくぴくと張り詰める首の筋肉を感じた。

 特別な薬草を配合した即効性の薬を使ったためか、暫くすると皮膚の赤みが少し引いた。それでも指で触ると膨らみは残っている。


「王宮に戻られたら医師にちゃんと診てもらってください」

「うん」

「いいですか、ちゃんと治療してくださいよ?」

「分かった。分かったから」

「それからアザミも禁止です。御髪に花を飾るならこれまで通りヤグルマギクにするか、別の花を試したいというならカーネーションとか。とにかく棘の無いものにしてください」


 その後もオスカが言葉を変えて注意しようとすると、ルカスが両手を伸ばして小うるさい口をふさいだ。


「もう分かったから。……今度からはちゃんと確認するよ」


 その時、丁度ノック音がした。

 いつまでも水浴びを終えてこない第二王子を心配した付添人が、ドアをノックしたのだった。


 アザミの花言葉:復讐、報復、独立、厳格、触れないで、人格の高潔さ


 青いカーネーションの花言葉:無垢で深い愛、真実の愛、永遠の幸福、尊敬、感動、純粋な愛情、他

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