第二章20あたり 別の水浴び場にて(微BL)
王宮から半日ほど行った山の上、通称『ウリテルの寝台』の上には『上の神殿』と呼ばれる簡素な造りの神殿がある。
その施設内にある王族専用の水浴び場の扉を開けると、二つの人影が中に滑り込んだ。一つはアクララン王国第二王子ルカス、もう一つは大神官補佐のオスカだ。
他にも陸やリンゲン、ヤンもいるのだが、彼らは王族以外が利用する水浴び場で身を清めている。
「今、水を用意しますから、服を脱いでお座りください。タオルは背もたれに」
そう言ってルカスを椅子のある場所に誘導すると、オスカは部屋の片隅に置かれた水瓶の蓋を開けて手をかざした。暫くすると手のひらに熱を感じ、ただの冷水が心地よい温度のお湯になったことを知る。
手桶に一杯汲むと、タオルで体を覆ったルカスに渡した。手桶を待っていた彼は面布も全て取り外している。
「いつもありがとう」
「いいえ。お風邪を召す前に、さぁ早く」
足、腕、両肩、頭の順番で、ルカスがお湯を被って汗を流すと、オスカは別の大判タオルを差し出した。濡れた長い髪は魔法で乾かしてやる。使った風魔法がくすぐったかったのか、ルカスは笑いながら軽く身をよじった。
体が冷えてしまわないようにと、部屋の温度も上げてやる。
立ち上がって着替えようとする第二王子を制すると、オスカはほっそりした体をタオルでしっかり包み、その足元に両膝をついた。汗を流している時から気になっていた、赤くなっている両足に触る。
皮サンダルを履くときには油をしっかり塗らなければいけないのに、どうやらその量が足りなかったらしい。所々皮がむけていた。
「大丈夫だよ、これくらい」
「駄目です。明日になったらヒリヒリしますよ。薬を塗るので少々お待ちください」
カチャカチャと小瓶同士がぶつかり合う音がすると、ルカスの足の甲にひんやりとした感触があった。くるくると二本の指で塗りこめる。他にも赤くなっているところには同じように薬を塗った。
「……彼が、以前からお話に聞いていた『聖女様の弟君』ですか」
「うん、そう。わたしも今回、初めて直接会ったのだけどね。……でもオスカ、今はお前の話がもう少し聞きたいかな。大体三か月ぶりだもの。元気だった?」
「この通りです。ルカス様もお元気そうで何よりでした」
「ねぇ、フードを取って。魔法もね。久しぶりに顔を触らせてくれない?」
オスカは無言でそれに従うと、ルカスの片手を取って己の頬にあてた。
距離感が分かったところで、もう片方の手も反対側の頬に触る。頬がこけていないか入念にチェックすると、少々無遠慮に他の部分を確かめた。
「ルカス様」
もういいだろう。名前だけで訴える大神官補佐に、ルカスは最後に髪をかき乱した。
「また痩せたね。去年のこの時期より肉が落ちている」
毎年一番目の月にはこうして痩せていないか確認するようになったのは六年ほど前からだ。十三番目の月には、神殿全体の食糧事情が一部を除いて悪くなる。その影響で痩せる神官が多い。
再び人の顔を確かめ始める王子の手にオスカは軽くすり寄ると、途中だった傷の手当てを再開した。
暫くの沈黙の後、独り言のようにオスカが呟き始めた。それは魔窟と化した神殿内部の状況だった。
ルカス個人としては、もう少しこの大神官補佐と個人的な話をしたいところだが、第二王子としてはこの問題の方を優先しなければならない。
「昨年末にバポネル大神官が飼っていた神官見習いが二人死にました。表向きの報告書には『厳しい修行に耐えかねて失踪』と書かれていましたが、検死した者によると、恐らく粉雪茸の中毒死ではないかということです」
「今度は粉雪茸か。この間はファーラーの水薬だったよね? その前は罪の果実にエフィネスの睡眠薬……。まるで毒物の博覧会だ」
「それだけではありません。まがい物の媚薬や麻薬の扱いも増えています。効果は高いが、量を間違えるとあっという間に死に至る薬です」
「新薬ってこと?」
その可能性が高い、と男は首肯した。
「禁忌の薬物の売買に関わっている神官は、大神官三名の他に五人の大神官補佐、十二人の上級神官までは把握しました。分かっているだけでも去年の被害者の数は二十二人。あとはまだ調査中です」
「上の立場にある聖職者ほど腐っているとは、なんて嘆かわしい……。悪いね、オスカ。お前は王家の『影』でもないのにルドルフと同じ事をさせてしまって」
「ルカス様の頼みとあらば」
「他には何かあった?」
「昨年の五番目の月から様子を探っていた上級神官の……――」
神殿内で跋扈する魑魅魍魎を一網打尽にするために、『影』の力を貸してほしいと頼まれてから約二年。
王宮で王家の『影』を担っているリンゲン卿を、はるかに上回る魔力量を誇るオスカにとって、神殿のあちこちに己の感覚を張り巡らせることなどさほど難しいことではない。
ただ情報量が多すぎて分析に時間が掛かる。その間に、別のことが進展していることも度々あった。
悪いことほど早く物事が進む。違法薬物の売買、人身や盗品の売買、買春、殺人。密かに、かつ速やかに。
いくら影に『影』ありと言え、見張っている個所が多ければ、それに気づくにも時間が掛かった。ようやくこの数カ月で、悪事の中核を構成している人間をある程度絞り込めてきたくらいなのだ。
身分を偽っていたオスカがリンゲン家の血を引く者だと、ルカスにすぐにバレてしまったのは今から八年ほど前のことだった。
寒さでガタガタ震える体に、大判タオルを被せ、温めている最中に「もしかしてリンゲン辺境伯の子?」と訊かれて、硬直してしまったのだ。今まで魔法で上手に隠してきたつもりだったのにどうして分かったのかと驚愕していると、ルカスは先代と先々代の近衛隊隊長と喋り方が似ていると感じたからだと笑った。
明確に動揺してしまったため、今更ごまかすことも出来ず、かといって王族相手に国王の許可なく記憶改ざんの超上級魔法を使うわけにもいかない。どうしたものかと逡巡したオスカは「このことは誰にも言ってくれるな」と口止めするしか思いつかなかった。
タオルの中でもみくちゃにされ、短めの髪の毛がクルクルとカールした第二王子の姿はまるで天使だった。
この時の笑顔が妙に記憶に焼き付いてオスカは一人煩悶したのだが、それを知ってか知らずか、先に距離を詰めてきたのはルカスの方だった。
二人が出会って半年が経つ頃には、「年齢が近い者の方が気楽」とか言って、若い大神官補佐に自身の世話を頼むようになり、出会った翌年には自らその手や肩に触れるようになった。更に時間が経過して、いきなり「顔に触れてみたい」と言い出したかと思えば、オスカが避ける間もなく、手入れの行き届いた手が顔の左側に触れていた。
手に感じる皮膚の感触の違いに、沈痛な面持ちを浮かべる第二王子を前にして、何とも言えない胸の苦しさを感じたオスカは、気付けば本当の姿を晒してしまっていた。彼が姿を偽っているのは、見た目が瓜二つの近衛隊の隊長を巻き込まないためだ。だから本当は火傷などしていない。
何故、突然顔に触れたいと思ったのかと訊けば、下の神殿に訪れている時に、他の神官たちが「恐ろしく醜い火傷のオスカ」と話しているのを耳にしたからだとルカスは項垂れた。オスカにとってはすっかり聞きなれたフレーズだが、その嘲笑を初めて聞いた方には思う所があったらしい。「どうしても確かめたかった、すまなかった」と詫びた。
火傷の有無など一度確認すれば十分なはずなのに、その後もルカスが何度か確認したがったので、八年の年月が経た今でも、ルカスがオスカの顔に触れることが惰性的に続いている。
「――……と、こんなところでしょうか」
「そうか。報告ありがとう。……ねぇオスカ。もう一回髪に触れてもいい?」
「その前に服を着てください。この中は暖かくしているとはいえ、本当に風邪を引いてしまいます」
着替えを手伝ってもらいながら、ルカスはオスカにちょっかいを出した。麻のシャツを被せてもらっている時にも、手を伸ばしてその黒髪を乱そうとする。オスカがやんわりと止めようとすると、ケット・シーの毛並みのような手触りが心地いいのだと、今度は顔をぺたぺた触り始めた。
「第二王子様、皆を待たせています」
「あと五分」
「ルカス様」
「じゃぁあと二分?」
いい加減にしないと、オスカの異母兄弟でもある生真面目な近衛隊隊長殿に怪しまれてしまう。彼はオスカとルカスが親しくなることをあまり快く思っていないのだ。
オスカは頬と口元と顎のあたりに触れている右手を掴まえ、その掌に低く囁いた。
「少々おふざけが過ぎるようですが?」
途端に、ルカスの体が硬直する。
その両手が止まっている隙に、オスカは繊細な目元を保護する布をつけてやった。子どものように叱られたのが恥ずかしかったのか、次第に赤くなる顔色を面布で覆い隠し、乱れた髪も軽く手櫛で梳いた。
「ルカス様?」
「あっ、いやっ、大丈夫だよ。えっと、じゃぁ行こうか」
ルカスは少し俯いて、面布が顔を覆う面積を角度で増やすと、オスカの手に引かれながら水浴び場から出る。火照る頬を片手で扇いだ。
待っていた三人と合流すると、リンゲンが一瞬だけ殺気立つのが分かったが、ルカスがその背中を押して礼拝堂に向かった。




