第二章19あたり 神殿行きの裏話
「宰相殿、国王陛下に謁見賜りたくお願い申し上げます。聖女様の弟君のことでご相談がございます」
所用を済ませようと廊下を歩いていたダレスは、後ろから呼び止める老婆の声に振り向いた。
視線を下げると王宮付きの魔術師ヤン・ノベがいた。何とも小柄な老婆である。
「どのような相談でしょう?」
「一番目の月に神殿に行きたく思います」
頭を下げる老婆にダレスは「ふむ」と唸ると、すぐに戻るから国王陛下の執務室で待つように伝えた。
ヤンがその指示に従って、執務室の前で宰相殿を待っていると、さらさらとドレスを引きずるような音が聞こえてきた。王妃は与えられた離宮からなかなか出てこないから、そんな物音をさせる人物は一人しかいない。
「第二王子様にご挨拶申し上げます」
「あっ、魔術師ヤン。こんにちは」
ヤンの気配に気づいていなかったルカスが、声のする方に手を伸ばした。老婆の手が触れるとふんわりと微笑む。
「相変わらず気配を感じにくい方ですね。お元気でしたか?」
「お褒めの言葉と受け取っておきます。お陰様で今日も生きております」
「あなたはまだあと百年生きそうじゃないですか」
ルカスはフフッと笑うと、こんなところで何をしているのかと訊いた。ヤンは国王陛下に謁見するため宰相を待っているのだと答えた。
「父上に謁見? わたしと一緒に入ります?」
「いえいえ、宰相殿を待ちます」
「宰相ならもうすぐ戻ってきますから。……ほら」
丁度噂していたダレスが小走りで戻ってきた。
「廊下を走るなんて優雅ではありませんよ、ダレス宰相」
「それなら父上様に宰相の仕事量を減らせとお願いくださいませ」
「減らしたら減らしたで自分で仕事を作ってしまうくせに」
三人で執務室に入ると、国王クレイオスが書類の向こうで顔を上げた。思っていたよりも戻ってきた人数が多くて少しびっくりしている。
「珍しい組み合わせだな。一体どうした?」
「陛下、ヤンが一番目の月に神殿に行きたいと」
「神殿に行くのですか? もしや、リク様も?」
「はい、姉君に会わせてやりたいと思いまして」
ヤンの言葉に場の空気が一瞬重くなる。
クレイオスは少し息抜きをするために席を立つと、それぞれに席を勧めた。父と息子が並んで座り、向かい側には宰相と老魔術師が落ち着く。
「リンゲン卿、そなたも少し休め」
「はっ」
ヤンが魔法で銘々に飲み物を出す。わざわざ使用人に淹れさせるまでもない。
少し場が和んだところで、老婆が改めて神殿行きの件を切り出した。
「して、先ほどの件ですが」
「ならん」
クレイオスが難しい顔で却下した。この数カ月で陸に魔力がないとよく分かったが、それでも離れたところに行かせるのは不安だった。神殿独自の考え方もある。
ヤンもそれを重々承知の上で相談しに来ているのだ、簡単に引き下がるわけにいかない。
「陛下、二人はもう数カ月も会っていないのですぞ。丁度今は一番目の月。『初めての神殿参拝は一番目の月に行え』と言われているので、今回を逃したら来年まで待たねばなりまん。せめて一度くらい、実の姉弟なのですから。どうかお情けを」
「しかしだな、リク殿は」
「それならば、わたしと一緒に行くのはどうですか?」
ヤンに助け舟を出したのはルカスだった。彼は年に六度、十三番目の月以外の奇数月に必ず神殿に通っている。参拝のためもあるが、別の目的もあった。それに陸を合わせて連れて行けばいいのではないかというのだ。
「わざわざリク様を下の神殿にお連れする必要はありませんでしょう? 一つくらい手順を飛ばしても、問題はありません。気になるなら、わたしがリク様の分まで下の神殿で祈ればいいだけで」
通常、神殿への参拝は下の神殿で祈りを捧げてから、上の神殿に向かうのだが、その工程を一つすっ飛ばしてしまえばいいという。そんなことができるのかと父親に問われたルカスは、全く問題ないと首肯した。
強制されているわけでもないのだが、参拝に訪れる人々は基本的に「まずは下の神殿で祈りを捧げるものだ」と認識していた。
しかし実際のところは、参拝者たちからの寄付金を少しでも多く集めやすいようにと、人々の認識を少しずつ変えていった結果だ。
アクララン王国の建国以降、神ウリテルへの信仰は神殿が組織的に指揮するようになった。時代背景や年代に関する情報が失われているが、上の神殿に一極集中していた信仰の中心を、長い時間を掛けて下の神殿にも切り分け芸術品や宝石で飾り立てることで、その存在感を増していったのだ。
早朝から下の神殿に集まって大勢で祈り、更に大神官たちの説法に耳を傾ける時間を設けることで参拝者たちの気分が高揚し、ただあの長い階段を上るだけよりも、ありがたみが増した気になるらしい。身体的な理由で岩肌に刻まれた長階段を登れない者たちからも、『救済策』として支持された。
これは、ルカスが神殿に参拝に向かう過程で、特に親しくなった大神官補佐から聞いた話である。
「うぅむ、それなら……。だが、リク様は、その、目立たないか?」
「人が多いので目立たないでしょう。それに上に行く人の監視は厳しいですが、下ってきた者の確認は緩いので、呼び止められる前に馬車に乗れば大丈夫です」
「上で過ごす時にはどうする?」
「それは大神官補佐のオスカの当番に合わせましょう。彼は信頼できますから」
クレイオスは悩んだ。ルカスが懇意にしている大神官補佐がいることは聞き知っていたが、もう少し対策が欲しいところだ。
向かい側に座る宰相にも視線を送る。彼も考え込んでいた。
「ヤン、少し時間をくれないか? もう少し息子を相談して決めたい」
「もちろんでございます、国王陛下。何卒ご検討宜しくお願い申し上げます」
老魔術師を送り出すと、今度は残った四人で額を突き合わせ始めた。
「……ルカスよ、また行くのか?」
「えぇ、父上。だいぶ絞り込めてきましたし、最後までやりたいのです」
「何度も申し上げていますが……わざわざルカス様が現場に入られることはないのですよ?」
「ダレス宰相、国民の救済は王家の義務でしょう? それに、今の主たる大神官になってからは目に余るものがあります。苦しんでいる若者たちを見捨てるわけにはいきません。オスカも調査には協力してくれていますし」
毅然とした態度のルカスに、クレイオスは深いため息を吐いた。
「相変わらずお前も、……頑固者だな。分かった。いいだろう、許可しよう。神殿に向かう時にはリク殿と同行してくれ」
「ありがとうございます。父上。気を付けて行ってきます」
「頼むからそうしてくれ。……いつお前が神殿に引き込まれてしまうか心配でならん」
数年前にゼヴェリウスという名の大神官が、全てを司る主たる大神官の座についてから、神殿内の治安が悪化したとの報告があった。第二王子ルカスが神殿参拝を表向きの口実にして、その実態調査のために定期的に様子を探っているのだが、上がってくる報告は吐き気を催すものだった。
元々閉鎖的な環境だった神殿では、男色は珍しくはない。しかしゼヴェリウスの時代になってから、そこに明らかな違法行為が混じるようになったのだ。暴力、中毒性のある薬草の使用、幼い神官見習いへの虐待。神官見習いの若者の失踪件数も明らかに増えている。
清らかであるべき神殿の中が、一種の魔窟と化しているのだ。
「リンゲン卿。神殿参拝に行く我が息子の護衛を頼む」
「陛下の護衛はどうされます?」
「たかが数日だ、問題ない。パダレもいるしな」
その場にいる四人は、陸を姉に会わせることは大賛成だった。
陸が無事に行って、会って、王宮に帰ってくる。そのためにも他に何か対策はないかと四人は再び意見をぶつけ合った。
特に陸を四番目の息子のように思っていたり、もう一人の弟のように思っていたりする高貴な親子は、時間を見つけては二人だけで話し合うこともあった。影を通じて陸を見守っていた二人は、なんだかんだ言って異世界から来た若者を気に入っているのだ。
結局、ヤンに神殿行きの許可が下されたのは、それから五日後のことだった。
ただしそこに、「陸が馬車移動に慣れているか?」という議論は含まれていなかった。




