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〈ヤン先生!〉
〈リク、元気そうだな。今日も『開かずの倉庫』にいるのか?〉
〈オスカ様も一緒に。先生、確か以前、『開かずの倉庫』に入ったことがあるって言っていましたよね? 三枚の石板が入った、小さな棚を覚えていますか?〉
陸は真下から見上げたレリーフの形状が人の手の形に見えたこと、その示す先にあった小さな棚のことを説明した。
ヤンは暫く考え込んで、古い記憶を掘り起こすことに成功した。
〈……おぉ! アレか、覚えているぞ。あれは古エティス語以外で書かれていて、読み解くのに時間が掛かった記憶がある。オスカ殿、精霊の言葉はご存じか?〉
〈簡単な会話程度なら。しかし、かの言葉には文字があったのですか?〉
〈ある。彼らは文字を滅多に残さないから知られていないだけだ。そこにコボルトはいるか?〉
本棚の間から老コボルトが出てきた。
精霊電話越しのヤンの指示で、ボールペンの中に仕込んだファイヤーオパールを引き抜き、松明掛けで灯りを提供していた炎の精霊に渡す。途端に、炎の精霊の体が大きく燃え上がった。燃え盛る炎の中心に、見覚えのある老婆の顔が薄っすら浮かび上がる。
〈おぉ、上手くいった! あたしの声が聞こえるか?〉
「お嬢様!」
ノッガーがキーキー声で叫んだ。
〈お嬢様はやめておくれ、ノッガーよ。あたしはもうよぼよぼの婆さんだよ〉
「今どこに?」
〈アクラランの王宮さ。ずっと研究していた……あの伝説を〉
「戻りますか? エティスに」
〈まだ分からん。ノッガーよ。あたしの頼みを聞いてくれ。あたしにしてくれたように、あたしの教え子に石板の物語を語ってくれ。あたしはもうよく覚えていないんだ〉
「でも、これは伝説、違う」
〈構わん。女神セレアの意志だ。リクが見つけた。……あぁ、これ! アミシュ! それを燃やすんじゃない!〉
炎の中のヤンは彼女に従う精霊の片割れを叱りつけると、一方的に精霊電話を終了させてしまった。どうやらアミシュが何かを燃やしてしまったらしい。
窓口になっていた精霊も再度激しく燃え上がると、ポーンと細長いオパールを投げ出して隠れてしまった。地面に落ちて砕けてしまう前に慌てて陸が受け取る。
「……さすがヤン・ノベ様、すごい魔力量だ。まさか本当に出来るなんて」
「……ねぇノッガー。さっきヤン先生のこと『お嬢様』って呼んだ?」
人間二人が別々の意味で驚いていると、ノッガーが陸から石板を取り上げた。
あくまでも石板には優しく触れ、ぴょんぴょん跳ねていく老コボルトを追いかける。
「ヤン先生ってエティスの偉い人なの?」
「今は、その話、関係ない!」
「教えてよ、ノッガー!」
コボルトの個人情報保護の方針は、極めて厳格だった。
かなり打ち解けた陸がどんなにお願いしても「お嬢様」発言に関して一切口を割らない。
他の質問に混ぜ込んで、うっかり失言するのを狙っても引っかからない。
働き者で口が堅く、正直者の良い奴ら。
国王さえ自由に閲覧できず、『禁書庫』とも呼ばれる神殿大文殿にこれほどの適材はいないかもしれない。
どうしても破れないノッガーの鉄壁に、陸は降参した。人間、引き際も大事である。
ヤンの秘密を見事守り切った老コボルトは、すごすご引き下がる若者と、少し背後で傍観していた大神官補佐をそれぞれ指差した。
「リク、精霊の言葉、分からない。オスカ、分かる」
つまり翻訳しろということだ。
三つの石板に書かれていることは短かった。というか大半が風化して読めなくなっていた。
特に最初の石板は風化がひどく、「世界は一枚の布のよう」しか判読できない。二枚目の石板には「金の人は勝利の宴で美酒に酔い、XXXの女を貫いた」。三枚目の石板には「金の人は女神XXXXXと固く契り、XXXXXは約束を果たした。魔とXXの血で染まった両手で称えられた女神、金の人を抱き大地を豊か……」と刻まれているらしい。
所々文字が潰れてしまって要領を得ない。
とりあえずノートにメモした。
一枚目はとにかく、二枚目と三枚目は「金の人」という繋がりがありそうだ。番号が振られているわけではないので、もしかしたら三枚目が先なのかもしれないが、それは後で検討する。
女神セネアの名が刻まれたレリーフが示していたということは、少なからず彼女に関係がある内容と考えた方がいい。ならばこの「金の人」とは英雄アクラランと仮称してもよさそうだ。
陸は二枚目の内容を数回読んで、先日見た夢の内容を思い浮かべる。
一人で百人の敵を薙ぎ払い、夜も一騎当千の大活躍をしていた。なんか、こう、テクニックも体力もすごかった。「女を貫いた」とあるのは、無粋な剣ではなく別の剣のことだろう。
建国伝説とは別の意味でアクララン先輩を敬愛している陸は、判読出来なかったところに、「おどり子」と書き込んだ。
問題は三枚目だ。
仮称アクラランは何かの女神と固く契って、恐らくその女神は何かの約束を果たし、仮称アクラランを抱いて大地を豊かにした、と思われる。
「……オスカ様、一ついいですか?」
「答えられる範囲なら」
「神ウリテルって、男神と女神、どちらですか? はっきり分かる描写ってありますか?」
大神官補佐が視線を彷徨わせる。
その回答で十分だ。
そういえば、今まで神ウリテルはずっと「神ウリテル」だった。明確にどんな神かは語られていない。
陸に限って言えば、世界を創造するほどの精力的な神様ならば無条件で『男神』だろうと思っていた。何せ元の世界の常識がそうだったから。
だがここに来て、神ウリテルは女神説が登場した。そもそも、石板にははっきりと女神だと書かれている。……精霊の言葉で書かれているから陸には確認できないが。
王宮の植物園で見る者を魅了する一体の白い作品が脳裏に浮かぶ。頭に布を被り、慈愛に溢れた微笑みを称えた姿の神ウリテルが英雄アクラランに手を差し伸べていた。
その姿は、男でも女でもなく、中性的に表現されていた。
石板によれば、神ウリテルは英雄アクラランと固く契ったという。恐らくそれは、現在で言う『祝福』だ。
祝福の意味やその方法を悩む必要はない。
ノッガーがバカ丁寧に解説してくれたではないか。神が祝福を授ける方法は二つ。女神セネアが行ったように口づけをするか、あるいは、交わるか、だと。
神ウリテルは、女神だった。
女神ウリテルは英雄アクラランと交わりその祝福を授けた。魔と『何か』の血で染まった両手で称えられた彼女は英雄を抱いて大地を豊かにした。
血というキーワードで出てくるのは、女神セネアの存在だ。セネアは大罪を犯したことを女神ウリテルに告白し、女神ウリテルの情けを受けて自身も女神の一人となった。そして、セネアは何度も聖女の魂としてこの地に戻り、何度も何度もその心臓を女神ウリテルに捧げ続けている。
ならば石板の記述から消えていた『何か』の血とは、『セネア』の血である可能性が高い。
元々、セネアは水没した世界の少年アークィルの妹だ。
少年アークィルはあのヴェールお化けによって水没してしまった『箱庭』から別の『箱庭』に招待され、その後、アクラと名乗るようになり、海の怪物を倒してアクラランと名を変え……。
いやいや、待て。
古い情報から時間を下ってみた方がよさそうだ。
今までバラバラの点にしか見えなかった物語が、ようやく一つの線で繋がり始めた。古の物語に血が通い始める。それはただの伝説ではなく、人と神の過去の事実として呼吸を始めた。
興奮のあまり全身がブルブル震えて、汗が滝のように吹き出す。
瞳孔も開ききっているのか些細な光さえ眩しい。
今まで一緒に大量の資料に立ち向かい、手掛かりの乏しい、雲を掴むような謎解きに付き合ってくれたパートナーの両椀をガシッと掴む。
俺の話を聞いてくれと唸る陸はこの日、十七歳になっていた。
三番目の月まであと約二カ月。
ついに陸が立ち向かうべき相手が、はっきりした。




