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オスカに書いてもらった別の言語でも、同じように音を拾ってもらう。全ての音で、カタカナと同じ傾向があることが分かった。
「……女神セネアは、何度もいたんだ」
「リク様?」
「これを見てください。これ、アンネの場合には彼女の名前の『ネ』、『キ』、『ア』、『リ』の四つの音がセネアと共通しています。マリエットの場合には二つの『リ』、迷ったけど『ギャリー』と『キャリ』は音が似ているから共通と考えました。他にもここは『ネ』、『リ』、『キ』……そして、姉貴の場合には六つの音で、セネアと共通しています」
「しかし、それは偶然ではありませんか?」
「そうかもしれません。でも、姉貴は俺に言ったんです。『私たちをよく見て、私の本当の名前に気付いたように、陸なら気付くはず』って。あの時言いたかったのは、きっと名前をよく見て、セネアの痕跡を見つけろって話だったんだと思います」
その人にまつわる出来事や逸話は、人々から忘れられたり、記録が消失したりしてしまったら完全に失われてしまう。しかし名前であれば必ずしもそうではない。特に聖女であれば神殿内にその記録が残されるから、後世に確実に引き継ぐことができる。
陸の元の世界では、名は体を表すと言われている。
だから女神セネアは、自分の魂や力を濃く引き継いできた歴代聖女に自分の名前を組み込んだのではないか。言うなれば「名は魂を表す」だ。
もしも二親分の名前をきちんと記録していたら、もっと明確にセネアとの繋がりを見つけることができたのではないか。
陸の考えにオスカは考え込み、低く唸った。
「……もしリク様のお考えの通りなら、これでは足りません」
「えっ、俺、なんか見落としていましたか?」
「もちろんです。これはかなり大きな見落としですよ」
オスカは陸のペンを借りると、覚えたてのカタカナでゆっくりと何かを書き始めた。
時々陸がノートに書き込むのを見ていた彼は、この未知の言語記号に興味を抱き、先日全ての形を覚えたばかりなのだ。
『アクララン / アークィル・キャリ』
『リク=セイヤ・アカリ・アサギリ』
それぞれに印をつける。
『アクララン / アークィル・キャリ』
『リク=セイヤ・アカリ・アサギリ』
何故か「セ」にも印がついていることに、陸は眉を寄せる。数秒の休憩を挟んで、ペンは既に書かれている人物の名前のいくつかに、赤丸を追加していった。
『セネア・キャリ』
「一番目の月にあなた方姉弟が再会した時に、我々には光が見えたと言ったのを覚えていらっしゃいますか?」
シスコン思考全開だった陸が、「美祢の元に戻りたい」と願っていたアレだ。朝桐姉弟が上の神殿の地下で再会した際、オスカとヤンには抱き合った二人から光が放たれるのが見えたという。
オスカはその光をセネアの魔力の一部だと仮定した。「元に戻りたい」という感情は、子孫にあたる魔術師が祖先にあたる魔術師に抱くそれと同じだからだ。
ではいつ、何故、女神セネアは陸に魔力の一部を与えたのか。魔力を分け与えられたタイミングは恐らく夢の中で祝福を受けた時。そしてその理由は、陸に言葉を分からせるため。
「自分は、英雄アクラランの魂を呼び覚ますためだった、とも考えています。リク様が女神セネアの祝福を受けてから彼に関する夢を見るようになりましたから。アクラランの記憶の呼び水になったのだと」
その通りだった。約四カ月の時間を置いて、陸はアークィルあるいはアクラランの夢を見るようになったのだ。
「でも、何で俺が……」
「何故リク様だったのか、今の情報だけでは何とも言えません。しかしあなたがこの世界に呼ばれた理由がこれで分かりました。……早速、ヤン・ノベ様とこの事を共有しましょう」
聖女の魂を持つ者だけが現れるはずの『召喚の儀』で現れた、聖女の魂を持たぬ少年。
原因不明のトラブルによってもたらされた異世界からやってきた、本来であれば『不要な存在』、『異物』。
これまでにその原因は激しく議論されてきたが、これといった理由付けには至らなかった。陸の姉に対する感情の変化は説明できそうでも、そもそも彼が何故この世界に現れたのかさっぱり分からなかったのだ。
何かの間違いによる、不運な事故。
そう、仮の結論がなされていた。
しかし今、陸の存在意義が変わろうとしている。
『千年の呪いを終わらせるために、古の神に請われて来るべくして来た子』
その壮大な理由に、あまりの重責に、陸自身はあまり実感が湧いていなかった。
しかも千年の呪いと言ってはいるが、恐らくその因縁の歴史はもっと長い。どうやってその禍根を断てばいいのか想像すらつかない。
夢の中で美祢の姿をしたセネアに問いただしたいが、恐らく彼女はもう現れることはないだろう。謎解きを大きく前進させてくれる唯一の存在は失われたのだ。
何かないか。
陸は考える。
何か他に、手掛かりは……。
軽く二十回は通っている『開かずの倉庫』の中で、人の知識を借りながら古代の記録を漁っていた陸は、目の前に座る美しい面立ちの大神官補佐が、下を向きながら髪をかき上げる姿に一瞬魅入った。
これまでも「イケメンだなぁ」と思うことはあったが、何度見ても容姿が整っている。
王家を守り、華やぎを添える美形集団こと近衛隊の隊長と瓜二つのこの男は、同性も見惚れるほどの美男子だ。そのエメラルド色の瞳に熱い想いを込めつつ彼が言い寄れば、抗える女性などいないだろう。
王国の有力貴族リンゲン辺境伯の、妾腹から生まれた男。
我が身の身分の低さを理解していた彼は、周囲の思惑に振り回されないためにも、ただの平民出身者と混じって神官になったのだと言っていた。
誰もが嫌がる神殿大文殿の仕事に真面目に取り組んだ結果、まだ三十手前の若さで大神官補佐に取り立てられた男だ。長年、あの膨大な記録と向き合っていたためか、その知識量は神殿内でも随一とされる。
普段は魔法でその美貌を隠して全く別の姿になっている。左頬に大きな火傷の痕が目立ち、赤白入り混じった傷んだ髪の男。声も少々耳障りな掠れ声だ。それは男色家が多い神殿内でその身を守るためであり、近衛隊隊長そっくりのその姿を隠すためでもあった。
何故そんな男がここまで自分に付き合ってくれるのだろうか。
陸は急に不思議に思えてきた。第二王子ルカスが「何かあれば大神官補佐を頼れ」とは言っていたが、今、陸が行っていることは巡り巡って神殿の根底を脅かすことに繋がるのだ。数多いる神官の中でも、重役の一人であるオスカがこのまま付き合っていていいのだろうか?
「……もしかして、見惚れました?」
「え?」
ヴィオラの低い弦を奏でるように、柔らかい低音が陸の鼓膜をくすぐる。
先ほどから解読している石板から、視線だけ陸に向けたオスカがふっと顔を緩めた。その上目遣いはずるい。
「そんなに熱視線を送られると、さすがに照れてしまうのですが」
「えっ、いや!」
「しかし大変申し訳ないのですが、リク様のお気持ちには応えられません。自分にはもう心を捧げた方がいるのです」
「いやいやいやいや、いい、いい。応えなくていいです。そうじゃないですから」
手と頭を小刻みに振って全力否定する陸に、色男は肩を震わせた。数度咳払いして、姿勢を改める。
「それで? どうしてリク様はそんなに見つめていたのですか?」
「いや、何でオスカ様はこうやって俺に付き合ってくれているのかなって思って」
「第二王子様に頼まれましたので」
「それでも俺がやっていることは最終的には神殿に楯突くことになりません?」
「それでもいいのでは?」
思わぬ回答に、陸は聞き返すことも出来なかった。神官のくせに、神殿に抗うことになっても構わないのではないかという。
いくら仲良しの第二王子に頼まれたからとはいえ、そこまで吹っ切れるものだろうか?
陸は無意識に身を乗り出した。
「どうして、そう思うんですか?」
「どうしてと言われましても。女神セネアやリク様と同じように、聖女の心臓を神に捧げるという儀式に胸を傷め、可能であれば終わらせたいと考える者は案外いるものです。その一人が第二王子ルカス様です」
「『その一人』ということは、オスカ様もですか?」
「自分はルカス様の希望を叶えるために行動しています。他にもいますが、自分の口からはとても……」
オスカの言葉の端に苦いものが加わる。表情にも少し陰りが見えた。
「何故そこまでルカス様に尽くそうとするんです?」
「……リク様、それはもう、分かっていて聞いてませんか?」
いっそ不躾な陸の質問攻撃に、大神官補佐は渋面と苦笑を足して二で割って顔に貼り付けた。




