43 ※改稿しました
薄暗く涼しい地下から外界に出た陸は、眩しい日差しに目を細める。
神殿周囲を取り囲む緑が濃くなり、強い日差しが降り注ぐ季節になった。
王都や神殿がある位置は大陸内部にあるため、天気が良くカラリとした暑さがある。もしも高温多湿の気候であったなら、新しく支給されたフード付きのローブを着て動き回ることは拷問でしかなかっただろう。
それでも日向にいるとオーブンで焼かれている気分になるから、陸は足早に日陰へと避難した。陸はなるべく日陰を通りながら、大礼拝堂近くにある東屋に向かう。少し遅れて、若草色のローブを着た上級神官が彼の後を付いてきた。
監視の目が付くのは、王宮生活時代と同じだ。
本日の担当者はこういう仕事に慣れていないのか、下手に物影に隠れようとして逆に気になるのだが、時々、監視していることを悟らせないくらい上手に尾行する者もいる。手慣れている感じが何とも不気味だが、「ある種VIP扱い」と無理矢理自分を納得させていた。
この世界において陸は特別な存在だから、常に誰かが付いて回るし、食事もちょっとだけ豪華だったりするし、王族の面々とも神殿の重鎮たちとも面会交流できたりするのだ。
そしてこの日は、月に一度のルカスとの面会日だった。
待ち合わせ場所の東屋では、襟首に煌びやかな刺繍が施された薄水色のチュニックに身を包んだルカスと、その侍従が待っていた。陸は最後の数十メートルを一気に駆ける。
「ルカス様!」
「ご無沙汰しております、リク様。走ってこられたのですか?」
「そんな大した距離じゃないですよ」
「神官のローブは走りにくいと聞きますから、足元には気を付けてくださいね」
ルカスは陸に隣へ来るよう促した。
陸が神殿に住み始めてから彼らが話すのは二度目だ。下の神殿での祈りの時間を終え、上の神殿に行くまでの短い時間だけだが、ルカスが神殿に月一で参拝に来る際、こうした面会時間が設けられることになった。
「あの、『リク様に乱暴狼藉を働いた者がいた』との噂を聞きました。一体、何があったのです?」
あぁ、と陸は視線を泳がせた。
恐らく、先ほどまで下の神殿で行われていた、祈りの時間の前後で耳にしたのだろう。乱暴狼藉と言うには些細な出来事だったが、ルカスを見る限り相当気にしているようでどこか落ち着きがない。
実は、前回ルカスとの面会を終えた頃に、ちょっとしたトラブルがあった。
それは上の神殿の当番だったオスカが戻る前日の夜のこと。陸が一人で浴場から宿舎棟に戻る道すがら、前後不覚となった上級神官が急に背後から抱き着いてきたのだ。何やら支離滅裂なことを言いながら他人の体をまさぐろうとし、それに陸が驚き暴れた結果、強烈な鉄拳を食らわせて相手を昏倒させてしまった。神殿に来て早々、腕っ節の強さを披露することになった、というわけだ。
そのまま部屋に駆け込んでしまったから、相手の怪我の具合など陸は知らない。
数日後には、問題の上級神官が一気に下級神官に降格したと耳にした。
「怪我もないし、もう気にしてないですよ。あの一件があってから、変な絡み方する人もいないですし、部屋ももっと大文殿に近くなりましたし」
陸に恐れをなしたか、見せしめ処分が効いたのか、あるいはその両方か。陸の周りには半径一メートルくらいの見えないバリアができた。
ついでに部屋の場所も変わった。それまで宿舎棟に部屋を与えられていたのだが、陸の職場である埃臭い神殿大文殿旧館と同じ施設内に移されたのだ。オスカ曰く、「厄介払い」らしい。どういう意味かは有耶無耶にされた。
通勤時間が短縮された一方で、食堂や浴場と離れてしまったが、人との接触がより避けられることは陸にとってはありがたいことだった。
悠長なことを言う陸に、ルカスは声を上げそうになってやめた。彼らはそもそもの常識や価値観が違うのだ。
「それにしても、あまりにも無礼です! ローブの色を見れば相手が自分より上か下か分かるはずなのに。リク様にも事実確認をしましたし、これは王宮に戻ったら一筆書かなければ」
「あの、抗議文みたいなのは送らなくていいですよ。俺の身柄は神殿に一任ってことになっていますし、内政干渉みたいになりませんか?」
「ご心配には及びません。神殿には毎回、無事に参拝できたことに対してお礼の手紙を書いていますから。今回はそれに加えて、《《聖女様の弟君が健やかに過ごせるように、改めてお願いするだけ》》です」
「そ、そうですか……」
神殿に所属する神官たちは、白ローブは大神官補佐、若草色のローブは上級神官と、ローブの色で相手の階層が分かるようになっている。陸の場合には、白ローブに金の縁取りという特別製だ。
因みに、最初はフードなしのローブが支給されていたのだが、ひと月も経たないうちに新たにフード付きの物が寄越された。聞くところによれば、現在の主たる大神官のゼヴェリウスは己の容姿にコンプレックスがあり、禿げ頭と極度の肥満体形は蛇蝎の如く嫌っている。視界に入るのもNGだ。陸にもフード付きローブが与えられたのは、つまりそういう事らしい。
だが、いくらフードで相手の顔が見えない仕様とはいえ、大神官補佐と同系色のローブに抱き着くなど正気の沙汰ではない。直前の言動から、恐らく深酒をして陸に襲い掛かったのだろうと考えれらた。
神殿では飲酒は禁じられていない。今回の一件があっても、「適量に留めるように」とお達しが出ただけで、禁酒令は出なかった。
「……ご主人様、そろそろ」
「もうそんな時間?」
侍従に声を掛けられたルカスが、渋々と言った体で陸に向き直った。
「リク様、本当に残念ですがそろそろ行きます。どうか御身を大切に、体調には気を付けてお過ごしください」
「ルカス様も。暑くなりましたから階段の上り下りは気を付けてください」
これから彼は別荘に一度戻り、着替えてからウリテルの寝台に向かう。何故そんな面倒なことをするのかと言えば、大きく二つの理由があり、一つ目が「王族としてそれなりに着飾って下の神殿の礼拝に参列するため」、二つ目が「時間を調整するため」らしい。
前回の面会時には、ルカスが侍従に馬車の中で着替えることを提案して即時却下されていた。仮に麻製の参拝服をチュニックの中に着込むにしても、皺だらけで上の神殿で向かうことになる。そんなことをしたら王族としての威厳が損なわれかねないし、神殿側が「ならば更衣室を用意するから」などと色々言ってくるだろうと指摘すると、ルカスは顔色を変えていた。
ルカスたちを見送ると、陸は足早に自分の職場へと向かった。二重構造になっている扉をくぐると、監視の目はその先までは付いてこない。巨大空間いっぱいに立ち込める埃と奇妙な土の精霊たちを嫌厭して、中には入ってこないのだ。
眼鏡をかけたコボルトの名を叫ぶと、霧が晴れるように立ち込める煙が引いていった。
「リク、遅い」
「ごめん、第二王子様に挨拶していたんだよ」
ヤンより少し小柄なノッガーの後について、神殿大文殿内を進む。陸たちの背後ではまた埃がもうもうと立ち上り、他のコボルトたちが作業を再開した。
「ノッガー、何でいつもここの埃を舞い上げるんだ?」
「人避け」
「息とかしにくくないか?」
「それ、人間だけ」
ふぅん、と陸は低く唸った。
オスカの仲介と炎の精霊の力が込められたファイヤーオパールのお陰で、気難しい精霊たちとはだいぶ打ち解けられたように思う。それでも最初のひと月くらいは、埃塗れになって職場に通っていた。最初は挨拶すらも無視され、こうしてまともに返事をしてくれるようになったのはほんの数日前からだ。
途中、陸は心が折れかけたのだが、オスカに慰められながら通い続けた。
陸の前を行く老コボルトは、神殿で働くコボルトたちを取り纏めるリーダーのような存在だ。他にも「長老」と呼ばれる年寄りがいるのだが、神殿大文殿のどこかに隠れていて、陸はまだ会ったことがない。
神殿大文殿旧館の仕事の大半は彼らが行っている。定期的な目録作りも、保管されている古文書の修復作業も、彼らの得意分野だ。稀に他の神官たちが古い史料の貸し出しを求めてくることがあれば、それはオスカたちが対応する。また、新館から数百年前の史料が移動してくる時にも、どこにどのように収めるかをオスカが判断してコボルトたちに指示を出す。
つまり何かというと、陸には仕事がほとんどないのだ。
普通の就職先なら絶対に転職を考えている頃合いだが、陸にとっては好都合だった。王宮にさえ無い、神殿独自の古い史料が読み放題なのだ。彼が美祢を救い出す方法を探るためには、過去の史料が必要だった。
しかし、時代を遡れば遡るほど、使用される文字も変わってくる。現代のアクララン語に統一されたのはこの約二百年間の話で、それ以前には古代アクララン語や既に失われた方言などが使われていたのだ。稀に、古エティス語なんてものも登場して、楔形文字のような文字が石板や粘土板、あるいは羊皮紙などに記されていた。
そこで陸はノッガーに頼み込んで、古い史料を読み上げてもらっていた。他のコボルトたちにも「聖女とその儀式についてどんな些細なことでも構わないから情報を集めてほしい」と協力を仰いだ。
何とか美祢を殺さず、聖女の魂だけ神に返すことはできないのか。
もし聖女を生きたままにしたらどうなるのか。
過去にそんな記録はないのか。
王宮にいる間にも陸はヤンと共に王宮図書館をあたったのだが、残念ながら番号付きの聖女たちの記録には彼が思うような記述は見つけられなかった。
基本的に、これまでの聖女は一家離散の憂き目に遭いながらも、救いを求めて神殿に上がっていた。過去に二人存在したという『異世界転移系聖女』も単身でこの世界に召喚されていた。つまり、彼女たちに『家族』はいなかったのだ。
彼女たちの聖女ライフの始まりは「驚いてたけど、すぐ慣れた」というレベルで、実に簡潔に書かれていたが、実際にはだいぶ苦悩したはずだ。
言葉が通じるとはいえ、いきなり見知らぬ世界に連れてこられ、見知らぬ人々から「聖女として死んでくれ」と言われるのだから。
陸なら断固拒否である。何故何の関係もない人たちのために自分が死ななければならないのか、ちっとも理解ができない。
美祢の場合には、弟の命を質に取られて断ることなど出来なかったようだが、もしも陸がいなければ同じように拒絶していたかもしれない。




