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34 ※改稿しました

 果たして信心深い第二王子の予告通り、間もなく陸に待ちに待った知らせがきた。

 神殿と王室、それぞれでの確認に時間が掛かったが、「陸に神殿での奉仕を認める」ということで結論が出たのだ。



 この結論に至るまでには紆余曲折あった。


 アクララン建国以来、初めて聖女が『弟』を名乗る男と現れた。

 聖女召喚の儀で発生したこの前代未聞のトラブルは、儀式に関わった神官たちによって神殿に報告された。そんな時こそ、すぐにでも祈り手が必要だというのに、神殿に届けられたのは聖女ではなく書簡だった。


 次に届けられた書簡には、姉弟に関する情報がいくつかまとめられていた。王宮からの書簡を待つ間、神殿内でも地下に保管されている膨大な史料を照会したのだが、いくら探しても似たような情報は見つけることができなかった。

 約千年の歴史の中で起きた異常事態に、「ただでさえ『混沌』の存在に手を焼いているというのに、もしや新たな災厄の前触れではないか」と囁く者さえ現れるほどだった。



 混沌とは、アクララン東部から東国センを貫いて海に流れ込む大河を遡ってやってくる、人間に害するものだ。被害を受けるのは大抵川沿いの平地で、混沌が現れると実に不快極まりない環境に作り替えられてしまう。


 まず洗濯物が乾かなくなる。しっかり天日に干されたタオルまで、いつの間にかびしょびしょに濡れてしまうのだ。大地は雨が降ったわけでもないのにぬかるみ、河川が氾濫しやすくなる。普段は肥沃な土地なのに、混沌が悪さをしている間は、麦や根菜、更には果樹まで根腐れを起こして枯れてしまう。

 さらに混沌の侵入が続くと、どんな頑丈な造りの家でさえも壁や天井から水滴が滴り落ちるほど湿気が籠り、あちこちに黒色のシミやふわふわした緑色の綿などを発生させてしまう。重く湿った空気は、疫病を運び込んでは毒を振り撒き、人々は止まらない咳と全身の発疹に悩まされた。時には出血を伴うほどの重症化をする者もいた。

 アクラランでは、混沌を追い返す唯一の手段は聖女の祈りだと信じられていた。


 混沌には未だ不明な点が多い。水の中に身を潜めているため、その姿を見た者は少ないのだ。仮に目撃者がいたとしたとしても、「醜女」、「大蛇」、「巨大な魚」、「人魚」、「幼い子ども」、「美しい女」、「虹色の光」などと、それぞれ姿が異なり全く参考にならない。水に関する魔法の適性がある魔術師がその正体を掴もうとしても、何故か混沌の前には無力だった。

 それが余計に不気味さを煽った。



 不安を口にする神官たちを一喝したのは主たる大神官であるゼヴェリウスだった。例え陸が新たな混沌だろうと、聖女の弟なのだから偉大なる神の前には平伏すはず。そう神官たちを説き伏せたのだ。更に彼は、「聖女様がそこまで弟君を気にするのであれば、一緒に神殿に来てもらえばいい」とまで言った。


 しかしその提案は、諸事情を鑑みた王宮によって却下された。

 神殿の場所は馬車で半日かかる距離にあると聞いて、聖女である美祢本人も首を縦に振らなかった。陸の状態をモニタリングする設備もないのに、小刻みに揺れる馬車で何時間も揺られることはあり得ないと思ったからだ。


 結局、陸が目覚めた後も、宰相が窓口に立ったことで神殿からの要求はのらりくらりと躱された。おかげで美祢は陸との時間を過ごすことができたのだが、大神官たちの機嫌はだいぶ損なわれてしまった。

 その上、美祢が聖女として神殿に上がってからも彼女本人の強い希望もあって、神官たちはできる限りの協力を強いられた。仕事を振り分け、時には代行し、王宮にいる弟に会いに行くための時間を捻出してやらねばならない。通例に従えば、聖女は神殿に上がったら神ウリテルに祈りを捧げることが至上の喜びとなるはずなのに、美祢の場合にはだいぶ異なった。

 その肝心の弟に関する情報についても、「言葉が分からず、魔力もない」という情報以外は何の変哲もない普通の観察日記のような報告書が上がってくるのみ。途中、大神官補佐の一部が魔術師の間に伝わる異国の伝説を持ち出してきたが、参考にすらならなかった。聖女に聞いても、前の世界には魔法や魔力、神様や聖女の奇跡などなかったと首を振るのだから猶更だ。


 神殿に上がって数週間経っても、美祢は聖女としての務めを果たせなかった。いくら祈っても神の啓示一つ受けられないのだ。

 痺れを切らした神殿によって、ついには王宮側に書簡が届けられた。「聖女はもっと祈りに集中すべき」という内容は、責務を放り出して弟に会いに行く彼女とそれを許容する王家への抗議文に他ならなかった。

 二十数年間もの長きに渡り、神の啓示もなしに国内各地で発生する有事に対応しつつ、聖女を異世界から呼び戻そうと努めてきた国王はこの書簡の内容を受け入れた。彼にとって、これ以上の問題は避けたかったのだ。


 美祢が祈りに集中するようになってから暫くの後。

 ついに最初の啓示が降りてきて、南で続いていた海賊との闘いに快勝した。長年に渡り南部のアクララン人を蹂躙してきた海賊の首領が処刑されたというニュースに、アクラランの民は沸き立った。聖域として立ち入り禁止区域に指定されている海沿いの岩場の洞窟に潜んでいたのを、捕縛したのだ。

 上の神殿に聖女が入ったことで、北の大国エルバもそれまで強行していた南方進出を取りやめ、雪と氷の地へと戻っていった。未だに国境沿いでの睨み合いは続いているが、戦闘状態には至っていない。

 東国から流れ込んでくる混沌も、前年の十番目の月の頃から次第に影響力を失っていた。

 他にも南部の穀倉地帯では、冬にも関わらず麦が豊作になったという奇跡が起きたらしい。神殿に参拝したものの中には、長年の病が癒えた者も多くいた。


 まるで神に愛された二番目の聖女・マリエットの再来のよう。それまで美祢に対して失望の視線を向けていた多くの神官たちは、掌を返したように美祢を讃えた。

 次の聖女交代まであと一年しかないが、それまでにはアクラランは豊かで平和な王国になっているだろう。そう思わせるペースで、美祢は次々に神の啓示を受けている。


 そんな中、異世界から召喚された若者が「姉を支えるために、神殿で奉仕したい」と言い出した。

 第二王子によって届けられた国王からの書簡を一読して、神殿の代表である主たる大神官は最初拒否した。聖女を迎え入れる時点で散々振り回されたのが、不愉快で堪らなかったのだ。しかし、当事者含めそれぞれに話し合った結果、神殿は陸を迎え入れることを決定した。

 陸の受け入れ承諾の最終的な回答をする時には、諸々の条件をまとめた契約書の草案も添えて王宮に届けさせた。

 国王側は届けられたそれらの書類を吟味して、思わず破り捨てたくなった。それまで散々意見を交わしてきた、王宮からの浄財や王族の神殿参拝の頻度を増やすこと、そして陸の配属先の部署に関すること以外に、「聖女の弟君については、今後神殿が管理する」という一文が付け加えられていたからだ。しかも、この文言を拒否したら、この話は永久に白紙になるという。

 もし三王子たちが関わっていたら是非そうしたいところだが、陸は国王の子ではない。余計な一文を最後に付け加えてくる神殿の卑怯さに苦々しく思いながらも、国王は陸を呼び出し、自分で判断させることにした。



「……他に分からないところはあるか?」


 大きなソファーに座る陸は、向かい合って座る国王に視線を向け、首を横に振った。彼の両手には、陸の身柄が神殿に預けられるための条件がずらずらと並べられた書類がある。

 国王と宰相と一項目ずつ読み合わせ、耳慣れない単語の意味や細かいニュアンスまで確認したので不明点はない。王族の神殿参拝頻度を増やす条件については、陸が巻き込んでしまって申し訳ないと謝罪すると、「こちらの都合もあるから気にするな」と手を振られた。


「改めて確認するが、そなたがその文言に承諾してしまったら、そなたの生殺与奪は神殿が握ることになる。仮にそなたが神殿から逃げ出したくなっても、私は何も手助けできないぞ」


 思わぬ言葉に、陸は国王をまじまじと見る。

 こんなにもまともに観察するのは初めてだ。

 白銀が混じった不思議な色合いの金髪。薄い金色の睫毛の間には、暖かい夕焼け色の瞳が嵌め込まれ、オレンジサファイアのように輝いている。優しい目元だが、同時に厳しさも持ち合わせている。多分陸たちの父親と同じくらいの年齢だろう。顔に刻まれた皺には、聖女不在の中、戦争と混沌を退け続け、広い領土と国民を守ってきた長年の苦労が窺えた。


「会食の時から、そなたが今後どうしたいのかずっと気になっていた。王宮で働くのか、旅に出るのか。神官となって姉を支えることも考えているとは聞き及んでいたのだが、参拝から戻ってきてのそなたの様子を聞いたら、最後の選択肢の可能性は低そうだと思っていた」

「確かにいろいろあって、かなり悩みました」


 自分に関する言動が筒抜けだったことに、陸は力なく笑った。

 召喚の儀の経緯から、ずっと監視の目が付けられていたと知ったのは、ヤンたちに誕生日を祝われた後だ。どんな情報が収集されたかは不明だが、老魔術師が「現国王なら絶対に悪いようにはせん」と太鼓判を押すので、釈然としないながらも今更問い質すのはやめておいた。


「悩んだ結果、やはり神殿に行きたいと思いました。国王陛下に手紙を出した時は、まさかここまで大事になるとは想像していませんでしたが」

「この世界が創造されてから初めてのことなのだから、慎重を期すのは当然だ」


 それまで公人として凛としていた男の雰囲気が少し緩んだ。


「それにしても残念だ。リク殿には、息子たちの……特にルカスやネフィウスの良き友人として、話し相手になってほしいと思っていたが」

「もしかして、俺が神官になると皆さんとは会えなくなりますか?」

「会えないこともないが、これまでと同じというわけにはいかないな」


 国王は暫し瞠目すると意を決したように宰相を振り返った。

 ダレス宰相はその意を汲み取ると、同じく控えていたリンゲンを伴って執務室から出て行く。


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