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紅茶とそれに合わせた軽食や菓子に舌鼓を打っていると、ルカスが「そういえば、リク様は神殿で奉仕をされたいらしいですね」と質問と確認の中間のニュアンスで聞いてきた。陸は肯定する。恐らく国王から話を聞いたのだろう。
陸は二番目の月の半ばに国王に「今後は神殿で勤めたい」という旨を手紙で伝えたのだ。様々な事情によりそれが可能かの確認には時間が掛かっており、未だ可否の返事は来ていない。
「まだ、国王陛下からのお返事は頂いていません」
「それなら、あまりお待たせすることはないと思われますよ」
何故そんなことが分かるのかと首を傾げると、ルカスはその理由を答えた。
「先日神殿に向かう際に、父から大神官の一人であるゼヴェリウス様へ宛てた書簡を届けたのです」
「大神官、ですか?」
大神官補佐なら一人知っているが、大神官のことはよく知らない。
年に六回も神殿に通っているルカスに説明を求めると、彼は緩やかに口角を引き上げた。
まず『ウリテルの寝台』には上と下、二つの神殿がある。上では三人の女神官が聖女の身の回りの世話をし、下の神殿では男の神官たちが奉仕している。
下の神殿はいわゆるピラミッド型組織で成り立っている。三人の大神官を頂点とし、その下には大神官補佐、上級神官、上級神官補佐、中級神官、下級神官、神官見習いと六つの階層がある。正確にはもっと細かい区分がされているそうだが、基本はこの七つの階層で識別されていた。
因みに陸も面識のあるオスカは大神官補佐なので、神殿の中枢部に深く関わっている。意外と偉い人なのだ。
三人の大神官はそれぞれ七年ごとに『主たる大神官』を務めていた。主たる大神官とは、その時の最高権力者であり、最終的な責任者となる。大神官たちは通常三人で話し合って決めるのだが、最終的な決定は主たる大神官が行っていた。
そして現在その座にいるのが、書簡の宛先であるゼヴェリウスその人だ。彼は主たる大神官になって丁度任期の折り返し地点に差し掛かり、翌年の聖女の日にも関わる予定なのだという。
「ゼヴェリウス様は大変お忙しい方なのですが、謁見を申し込んだらすぐに対応していただけました。領地視察の予定に響かなくて、本当に良かったです」
優雅に紅茶を楽しむ第二王子に、陸は思う。それは王族だからではなかろうか。神様の前では王族も貴族も平民もないと言われているが、大神官とはいえ、結局は人間だ。いろいろ忖度があっても不思議ではない。
「でも神殿は『いい』と言ってくれるでしょうか?」
「断られるかもしれないとお思いですか?」
「あー、……はい。……色々な話を聞いたので」
「確かにリク様のようなケースは前例がないので判断が難しいでしょうね。因みに書簡を確認されたゼヴェリウス様の回答は『否』と即答でした。何でも『検討する時間はない』とのことで」
「やっぱり……」
「だから再考をお願いしたのですよ。こうして手を取って」
髪を彩る花の一輪を手にした白い手が伸び、陸の手を取る。その手のひらに青い花を置くと、割れ物を扱うかのように両手で包み込んだ。
「『せめて半年、いや三月だけでもお願いできませんか? 弟君が姉を想う気持ちを無下になさらず、何卒ご検討くださいませ』、と」
憐憫の情を掻き立てるような声で芝居がかった台詞吐くと、ルカスは陸の手を握る両手に軽くキュッと力を込めた。
何故か陸の心臓もキュッとした。もし彼がお願いされる立場にいたら、首を縦に振っていたかもしれない。迫真の演技に当惑しつつ視線をヤンに向けると、そこには呆れ顔の老婆がいた。
「……恐れながら、ルカス殿下、それは」
「どうしてもリク様のために何かして差し上げたくて。社交界で流行っていると聞いていたから、思わずやってしまいました」
「左様でございますか。……しかし弟君は社交界の流行をご存じではありませんので、お戯れはその辺でご容赦願えますか?」
「フフッ。そのようですね」
陸の反応を面白がるルカスに、「確か、貴族の令嬢たちがやるものと聞いていたが」と思いつつも、もう何も言うまいとヤンは紅茶を飲むことに徹した。
王子が「お願いした」というなら、そうなのだ。「普通のお願いとは違う気がする」とか「違和感が仕事をしないのは何故だ」とか、余計な考えは頭から追い出してしまう。
老婆のカップが空になると、傍に控えていた侍従が次の一杯を注いでくれた。
「ところで、神殿が弟君を受け入れるとなったら、どこに配置されるのでしょうか?」
「上の神殿に置くことは、残念ながら出来ないでしょうね。あそこに男性が上がれるのは参拝の時ですから。それにリク様はお姿が目立つので表立った仕事も難しいでしょうし。オスカとも少し話してみたのですが、配属されるとしたら神殿内部のどこかになると思いますよ」
基本的に、上の神殿には女性しかいない。聖女と三人の女神官だ。
そこに男である陸が加わっては、神殿的には具合が悪いのだという。血の繋がった姉弟とは言え、アクラランでは十五歳以上は成人だ。同時に、陸の見た目も問題だった。白人系の国であるアクラランでは、黒髪黒目の彼の相貌はかなり希少なのだ。
「ローブを被ればよいのでは?」
「フード付きのローブは上級神官以上にならないと。それ以下は普通丈の上着のようなローブが支給されると聞いています。リク様がどの階層になるか分かりませんが」
聞けば、神官見習いは参拝者たちと同じ格好で一年を過ごすらしい。雪が舞う冬場もあの格好で過ごすのかと思うと、背筋に寒気が走りそうだ。
あれやこれやと神殿関係の話をしている間、陸が自分の手に目をやれば、ルカスがいつの間にかそれで遊び始めていた。剣を握っているうちにできたタコを突いたり摘まんだり、にぎにぎとマッサージのようなことをしている。
「あの……俺の手が何か?」
「あぁ! 申し訳ありません、リク様。この手のタコがネフィウスとよく似ていて、つい」
陸の手をぱっと離すと、ルカスは口元に拳を当てて詫びた。
アクラランの第二王子は物腰が柔らかく、言動が落ち着いていて上品な印象が強いが、案外無邪気な面もあるようだ。よく一緒に過ごしていたという弟のネフィウスの面影を重ねているのか、年齢が近い陸に対しても実の兄弟のように気軽に接してくれている。それが余計に、美祢と雰囲気が酷似していると陸に思わせた。
「そう言えば、まだちゃんとお礼をお伝えしていませんでしたが、ルカス様のお陰でネフィウス様の剣術指導を受けることができました。ありがとうございました」
「リク様のお役に立てたなら良かったです」
それは王族との夕食の場でのこと。
ネフィウスに「剣術の相手をしてあげたら?」などとルカスが提案したのが事の発端だった。しかし第三王子も別に暇なわけではない。最新の政治情勢を確認しなければならないし、有力貴族たちとの退屈なお茶会にも参加しなければならない。その合間には細々した公務が舞い込んでくる。それでも最終的には「ルカス兄様の頼みなら」と、期間限定で陸の特訓に付き合うことを了承してくれたのだ。
真面目なネフィウスは気付いた点を細かく指摘してくれるから、どのように改善すべきかとてもイメージしやすかった。もしかしたら彼には教師の適性でもあるのかもしれないと思ったくらいだ。
お陰で陸の剣の腕前はかなり上達した。あとは近衛隊の隊長の足を一歩でも動かせれば、山の一つを越えたことになる。
「ゼヴェリウス様は責任あるお立場の方ですから、『審議する』と述べた以上、リク様のことはきちんと考えてくださるでしょう。それに神殿での暮らしで何か困ったことがあれば、オスカを頼ればいいですし」
神殿参拝の時といい、今回の茶会といい、ルカスは本当に大神官補佐であるオスカを信頼しているのだなと陸は感じた。実際に会ったのは一度だけだが、フードを目深に被っていたので陸はその素顔を見たことがない。背の高さと声がリンゲンに似ているのが印象的だった。そんな彼は、『聖女の本当の責務』を陸に教えた人物でもある。
美祢が死ななければならないという話を聞いた日から、なんとなくボールペンを握る勇気が出なくて、ずっと音信不通だった。ヤンがすでに陸の無事を伝えているかもしれないが、そろそろ直接精霊電話で無事を伝えた方がいいかもしれないと、陸は手に力を込めた。
聖女は死ななければならないという話を、陸は受け入れたわけではない。そんな残酷なこと許してはならないからだ。だが、どのようなプロセスを経て、聖女が殺されるのか分からない。そこで、神殿の関係者である彼にもっと話を聞けば、「美祢の死」以外の別の道が見出せるかもしれないと考えた。
前の世界での美祢を見てきたからか、陸もまた『家族』に関することは諦めが悪いようだ。
「俺、姉貴の……美祢のためなら、何でもやります」
「何でも、ですか? 書類整理とか、つまらない仕事を与えられるかもしれませんよ?」
「それが姉貴を支えることに繋がるなら」
「『聖女の弟君』を理由に、いろいろ気苦労が多くなるかもしれませんよ? リク様は特別な方ですから、何か良くないことをしようとするかも」
「それって、イジメがあるって意味ですか? いざとなったら力でどうにかします。ネフィウス殿下とリンゲン卿に鍛えていただきましたから。……それに、誰かが言っていたことですが――」
筋肉は裏切らない――それは陸が元の世界で、いつか聞いた言葉である。
相手よりも強い自信があれば、「こいつはいつでもぶちのめせる」と心に余裕が生まれる。
事実、陸は強くなった。
まだ付け焼刃的な強さかもしれないが、二人の優れた剣士の指導を受けたので型はしっかりと叩き込まれた。あとはその刃と筋肉を磨けば、心の強さも得られる気がする。
異世界の金言に一瞬の間の後、ヤンもルカスも肩が揺れるほどに哄笑した。二人とも普段そんなに大笑いすることなどないのか、胸のあたりを抑えてたり、息を切らしたりしている。
「確かに、人は裏切るかもしれませんが、筋肉は鍛えただけ強くなりますものね」
「異世界の言葉は興味深いな! 他にはどんな言い回しがあるんだい?」
その後は二人に請われるまま、陸は元の世界で聞きかじった面白い言い回しや笑い話を、時間の許す限り二人に語って聞かせた。




