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ある程度生活に必要な知識に関わる講義は終わったので、今度は何を学びたいかとヤンが聞けば、陸は「アクララン王国の歴史について知りたい」と申し出た。「それならば」と神が天地創造する場面から始まる建国伝説から語り出そうとするヤンに、そうではなくて正式な記録となっている人間の歴史を教えてほしいのだと割り込んだ。
それは少々難しい注文であった。
何せアクララン王国の歴史と建国伝説は密接に繋がっている。しかも現在の王家の先祖は英雄アクラランだ。王国の歴史を語るには、英雄の存在を無視することはできない。
川の流れの最初には必ず水が湧き出る泉があるように、アクラランの歴史を語る時には必ず建国伝説から始まった。
梅干し顔が困っているので、代わりに陸は自分の話を少しした。
彼の元の世界にもアクララン建国伝説とよく似た話があった。それは世界中に信者を抱え大きな影響力を持つ宗教の物語であったり、陸が元住んでいた国に関わるような神話だったり。陸が知らないだけで、他の国にも同じような伝説や神話があったのかもしれない。うろ覚えの知識をたどたどしく披露すると、ヤンは身を乗り出して聞き入っていた。
もしも自分が神様とやらを信じていたらもう少し知識を身に着けていたのだろうか?
他人に説明すると自分の知識量のなさを知ることになる。出来事の順序が前後し、言葉に詰まる。何度も話が行ったり来たり、修正しながら「確かこうだった……」と記憶を辿る。結局、なんとなく遊んでいたゲーム由来の知識しか思い浮かばなくて、陸は心の中で自嘲した。
「……はっきりとは断言できんが。建国伝説と切り離してアクララン王国を語るとするならば、恐らく今から約八百五十年前の記録が最も古いと言えるだろう」
それは聖女の記録だった。「まったく切り離せていないではないか」というツッコミが喉元まで迫ったが黙って飲み込む。
(……ここでも『聖女』かよ)
資料に残されたその名は「アンネ=レキアリ」というそうだ。彼女の前にも数人の聖女がいたようだが、正確な記録が残っていない。そのため、聖女アンネが出現してから『何番目の聖女様』と番号が付くようになったらしい。因みに美祢は『三十九番目の聖女様』だ。正式に記録されている聖女様の数は意外と少ない。
『一番目の聖女様』が出現した当時の国王は既に十九代を名乗っていたそうだから、もしかしたら数人どころではなく、十人単位で名もなき聖女たちがいたのかもしれない。
記録が消失しまっては、もう想像するしかないのだが……。
(それにしても、百五十年で十九代、か……王様の回転率、ヤバくないか?)
昔の王様は短命なイメージがあるが、この世界でも昔はそうだったのかもしれない。今の国王は神の加護を受け、次の国王が決まるまでは不死身らしいというらしいのに。
(……なんか、本当に『千年』なのか?)
大前提が揺らぐ。どうにも年表がおかしい。
元の世界の教育を受けた陸の感覚で言えば、「千年であればまだ遡って調べられる時間」な気がする。彼が受けた歴史教育には、数万年単位の記録も残っているのだ。
ともかくとして、聖女アンネはまだ王国としてまだ盤石とはいえなかったアクラランの地に生まれ、当時の王子たちと長い闘いで疲弊した南部の地に癒しを与えた。その後、聖女アンネにより新国王に神ウリテルの祝福が与えられると、聖女アンネは神にその魂を返還した。
二番目の聖女の名は「マリエット=ギャリー」。彼女は大商家の娘として生を受けたが、彼女がまだ幼い時分に父親が不幸な事故で死んでからは、一家離散の憂き目にあい、神殿に救いを求めて聖女として見いだされた。彼女もまた聖女として神殿で過ごし、数々の奇跡を起こしてからその役目を終えた。荒れ地に湧水を出現させ、病に苦しむものを癒し、東国センとなる前の東の地の穢れを清めたという。今までの聖女の中で最も神の力に愛された人と言われてる。
八人目の聖女の説明をしているところで、途中で陸が口を挟んだ。彼女たちの名前に疑問を抱いたのだ。
「平民には家名が付かないはずでは?」
「併記されているのは家名ではない、父親の名前だ。平民には家名がないから、両親の名と併せて名乗るのだが、公式の記録では父親の名前しか記録しないのだよ。もちろん、貴族出身者の場合には家名も記載される」
「へぇ……」
何やら男尊女卑の印象を抱いてしまうが、事実アクラランでは家長は男性であることが多い。やはり西洋的だ。
姉弟の父親の名前は何かと聞かれたので、久しく思い出していなかったその名を呼んだ。父親の名前ついでに、母親の名前も思い出した。朝桐あかり。奇跡的にまだ覚えていた。
「正也……朝桐正也です」
「ふむ、ではお前の姉の場合には、このように記載される」
――ミネ=セイヤ・アサギリ。
異世界の苗字を有する彼らは、階級の有無に関わらず、貴族と同じように家名として記載されることになるらしい。前例がないので半年かけて議論されごく最近決まったそうだ。
(じゃぁ、俺の場合は『リク=セイヤ・アサギリ』というわけか)
陸は目だけで斜め上を見上げた。
相変わらず父親への心象は最悪なので気に食わない。
まだまだ重要とされる聖女はいる。エネバ=リッキハッタ―、サリーナ=ギル・リャックハット、ステラ=アーギュリ―……聖女たちは大体二十六年の周期で、この世に現れてはその魂を神に返還した。
(だから姉貴は『お仕えはあと一年』って言っていたのか)
上の神殿で見聞きしたことを思い出す。
「……一般には、次期国王を選び、聖なる魂を神ウリテルに返還することで聖女はその役目を終え、平民として地に下ると言われている」
老婆の表情は暗かった。
無知とは恐ろしいものだ。ヤン自身も精霊電話を介してあの大神官補佐と答え合わせをするまでは、一般に広がる考えに少しの疑問を持つ程度だった。
昔々、まだ老魔術師が十歳の少女だった頃。魔術師村エティスの『開かずの倉庫』に迷い込み、そこに保管されていた古い記録に記された魅力的な建国伝説に夢中になってから、大陸全土を巡り伝説の検証をした。そして、「役目を終えた聖女は平民として地に下る」と言われている割には、彼女たちの痕跡が神殿で途切れていることに気付いた。
彼女たちは一体どこに行ったのか? もしかして神殿から出ていないのでは?
建国伝説を信じて疑わないアクラランの民では想像すらしない疑問を抱いたのは、ヤン・ノベがアクララン人ではなく、エティス出身者だったからかもしれない。そして、僅かながらエティスの血筋を引いているらしい大神官補佐にぶつけると、驚くほどあっさりと認めた。聖女は皆、神殿で消息を絶っている。それは事実である、と。
そんな機密情報を漏らしていいのかとヤン・ノベが動揺していると、オスカは「ヤン・ノベ様だからですよ」と吐露した。ヤンにはそこまで信用される心当たりがなかったのだが、同じエティスの血を引くからかと思うことにした。
いろいろと陸に知恵をつけすぎているので、もうそろそろ国王からお呼び出しがあるのではと戦々恐々としていたヤンだが、今のところはその気配がない。王家の『影』の気配は今でも感じる。もしかしてリンゲン卿もオスカと同じなのかと希望を抱きかけたが、頭を振って否定した。
余計な希望は抱かない方がいい。
恐らく国王は来る聖女の日で大忙しなのだ。
まだ放っておいても問題ないレベルなのだろう。
「……先生?」
ヤンが少し考え込んでいると陸が覗き込んでいた。具合が悪いのかと訊いてくる教え子に、老婆が注意散漫になっていたことを謝る。一番目の聖女の時代の周辺国の状況を説明することにした。
まだ七つの国で落ち着く前の大陸には、大小多数の国や地域が存在していた。それらが争い破れまたは勝利し、併合し、分裂し、乗っ取られ、愚策に自滅し、支配し、支配され、現在の国境線を引くことになった。
聖女の出現の合間に、王国もまた激動の歴史に何度も揺れた。建国伝説では「乱れる国を統一し」とあるが、正しくはそうではない。統一したと言えるのは現在の王都と『ウリテルの寝台』周辺、更に南部にある一部の土地だけだ。




