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常に異例の事態とは、多少なりとも人に恐怖を与える。
国王が『影』を使ってまで無力な陸を監視し続けることも不思議ではない。
だが本当の理由はどうであれ、彼に国王に対して嫌悪や憎悪といった負の感情を持たせてはならない。国王としての立場では時には非情なまでに理性的な判断をしなければならないが、生身の人間であるクレイオス自身は陸をとても気にかけていた。それは同じ年頃の息子がいるからかもしれない。普通の孤児とは全く異なる陸の境遇に同情したからかもしれない。
だから下手な物言いで、陸に「国王は敵である」と認識させてはいけない。
精霊電話越しにヤンは言葉を選びながら陸に説明した。
どんなに言葉を並べても反抗するかもしれないと老婆はやきもきしていたのだが杞憂だった。何故なら陸はいつか姉に窘められていたのだ。王様を悪く言うようなことは駄目だと。国王の誠意を尽くした心配りが陸にもきちんと伝わるようになっていたことが、せめてもの救いであった。
そもそも国として、国王として、治める国や民の安全のために得体のしれない存在を警戒するの当然のことだった。
本来であれば儀式で召喚されるのは聖女の魂を持つ美祢だけのはずなのに、彼は何故か現れた。朝桐陸という存在は、はっきり言って『不要なもの』であった。
弟を巻き込んでしまった張本人は「自分がしっかり抱えてしまったからだ」と自責の念に駆られていたが、儀式を執り行った神官や魔術師たち曰くそれは違うと思うらしい。では何かと問えば口籠ってしまう。
その時から、そして現在に至るまで、オスカやヤンのような考え方をする者はまだ誰もいない。年と経験を重ねた老魔術師として、あるいは長く神殿に仕える大神官補佐として。魔法や神話などに精通している彼らでさえ「あくまでも一つの仮定」としか言えず、それを検証する術さえ分からない。
何故陸が現れたのか。そこにはっきりした理由付けができさえすれば、皆が心穏やかになれるというのに。
何とも歯がゆいではないか。
とにかく連れてきてしまったものは仕方ない。聖女を早く神殿に連れて行かなければと二人を引き離そうとしたら、今度は美祢がその障害になった。陸の前ではいつもは穏やかで優しい彼女が敵意を剝き出しにして、周囲に睨みを利かせたのだ。それは国王相手でも変わりなかった。美祢の言葉は冷静だったが、彼女が放つ雰囲気は聖女というより怒れる龍のようだった。
召喚した相手が果たして本当に聖女なのかと、国王と宰相が疑ったほどだ。
美祢の、弟への執着は異常だった。
意識不明の陸を一人きりにしておけないと同じ部屋で過ごすことを要求し、そこに向かうまでも彼女が背負って弟を部屋まで運んだ。美祢の体に触れる分には問題ないのだが、誰かが陸に触れようとすると彼女は飛び掛かってそれを拒絶した。医師が診察しようと手を伸ばしても、看護師である自分が脈をとると断ったほどだ。
とりあえず陸が傍にいれば穏やかな様子になるからと、陸が目覚めるまでの間、極力美祢を刺激しないように使用人たちは気を張った。
国王が深夜、彼女の元を訪れた時、美祢が比較的穏やかに迎え入れたのは、また別の理由があるのだがそれはこの世ではまだ誰も知らない。
とにかく今回の召喚の儀では、最初からずっと異常事態の連続だった。
間もなく来る二十五回目の聖女の日までに、不確定要素は排除しておきたい。
表面上は平気な顔をしながら、その裏では理由付けが欲しくて関係者は皆あくせくしていた。
何故そんなにも気にするのか、そんなに重要なことなのかと異邦人らしい疑問を投げかけてみると、二人の識者は同時に肯定した。そして、オスカが非常に歯切れ悪くこう切り出した。
〈リク様は、聖女の本当の責務についてお知りになりたいと思いますか?〉
その瞬間、約五分が経過した。ブツブツとすぐに時間切れになってしまう精霊電話に、その原因が魔力のない自分にあるのだと思い出して陸は頭を掻きむしる。データ通信に制限がかかった時でさえこんなに悶えたことはなかったのに。メールやSNS、その他多種多様なコミュニケーションアプリ。元の世界がいかに他人と繋がりやすい世界だったか彼は思い知った。
時間を置いて再びオスカたちとの対話を始めると、今度はヤンが今までにないほど真剣な声で「深い悲しみを伴うが構わないか」と確認してきた。構わないかと問われても、どんな情報なのかは自分で確かめてみないと分からない。陸はそのように断言した。
その時陸と同じ場に老婆はいなかったが、辛そうに双眸を閉じたイメージが陸の頭の中に浮かんだ。
〈リク様、よくお聞きください。聖女様は来年死ななければなりません〉
握りしめていたペンが、手から転がり落ちた。
それはあまりにも信じられない一言だった。
聖女は死ななければならない。
その一言を陸が理解するにはかなりの時間がかかった。知らない言語を初めて聞いたようだった。
死ぬとは何か? どんな意味があったか?
使い慣れた検索エンジンで確認しなければとゆらりと立ち上がり、部屋をあちこち漁ってすっかり忘れかけていた黒い端末を探し出した。しかしバッテリーなどもう残っていない。手の中にあるのはただの金属とガラスと樹脂でできた複雑な塊だ。聖女召喚の儀の衝撃で画面はバキバキに割れている。仮に電源が付いたとしても、まともに操作はできないくらいに見事な割れ方だ。
画面を指で擦ると細かく割れたガラスが指に刺さって激痛が走った。それでも手を止められない。分からない言葉があったのだ。早く意味を調べなければ。死ぬとはどういう意味だっただろうか?
一向に電源が入らない黒い塊に、陸は苛立って愛用の電子端末をどこかに叩きつけた。腕まで振るえる両手に拳を作る。
調べなくてもその短い単語の意味など知っているくせに、別の意味を見出したくて過去の遺物に頼ろうとした。
死ぬ? 誰が? 姉貴が? どうして? 本当に? 何で?
思考と体が分断されたようだ。
頭の中では疑問符が溢れ、鼓動を刻む心臓は形容しがたい感情で凍えたまま焼かれている。目の前が渦巻くように歪み、頭が痛い。耳鳴りがする。汗が止まらない。呼吸しているのに息ができない。震える両手で喉を掻いた。
まさか姉貴は知っていた? いつから? 最初から?
部屋をうろついているうちに、先ほどまで座っていた椅子に足をぶつけた。受け身を取る間もなく家具諸共床に倒れ込む。ガタンッと大きな音が部屋中に響く。物音に気付いた廊下の見張りがドアをノックして陸に声を掛けた。確かに聞こえた。聞こえたはずなのに、何も聞こえない。
「……リク様? 鍵を開けていただけませんか? 大きな音がしましたが、一体何があったのですか? リク様? リク様?!」
ノック音から拳で叩く音に変わった。陸はボールペンを握りしめる時間だけは部屋に鍵をかけていた。ガタガタと激しくドアが揺すぶられるが、分厚いそれは開くことはない。廊下では物々しい音がして誰かが何か言う声が聞こえた。
ドゴンッ!
「リクっ!!」
大砲が撃たれたような爆音がして、陸の部屋のドアが吹っ飛び粉々に砕かれた。いつものお団子頭が乱れ、焦りのあまり恐ろしい形相になっている老婆が部屋に駆け込んでくる。
「リク! しっかりしろ、リク!」
椅子ごと転んだ拍子に頭を打ったらしい。枯れ枝のような腕が陸の頭を撫でるとべったりと赤く染まっていた。短くカットした髪の毛の間にも、何やら暖かくて粘り気のある感触がぬるぬると重力に従って進むのを感じる。
「リク! 今傷を治す! しっかりするんだよ、リク!!」
王宮付きの魔術師のくせに派手な魔法をなかなか使おうとしないヤンが、必死になって陸の傷に治癒魔法を施す。幸いにも大怪我ではない。だが頭を打っている。老婆は傷の大きさにそぐわない上級魔法を施した。魔法の光が強くなり、周囲を取り囲む扉の見張り番や使用人たちが騒然とする。
「リク! あたしが分かるかい?!」
つぶらな瞳に涙を浮かべているヤンの体を、陸は静かに押し戻した。大丈夫だからとその手を外し、集まった周りの者たちに目を合わせることなく静かに退出を願う。
「……悪いけど、少し一人になりたい」




