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一日に二回ほど約五分間、丁度食事を終えた頃の時間帯。
陸は必ず愛用のボールペンを握りしめる。
まるで一昔前の国際電話のようなやり取りを――陸の感覚では「データ通信量をありえないほど制限されているようなやり取り」だが――何度も重ねていくうちに、陸とアクラランの人間たちの間にいくつかの認識の差があるのを理解した。
まず美祢の外見について。
陸はこれまで彼女の外見を「ごくごく平凡、印象に残らない普通の女。アクラランに来てからだんだん綺麗になった」との認識だったが、ヤンやオスカによれば、初めて会った時から彼女は美しい金髪にはちみつ色の瞳をしていたというのだ。正直陸は、それは嘘だと思った。そんなにあからさまな違いがあるわけない。別の誰かと勘違いしていないかと陸が主張していると、ヤンが苦々しそうに「もしや聖女であることの弊害ではないか」とオスカに問うた。オスカも同じ意見だった。
陸は彼らが何を言っているのかその時は分からなかったが、話しは先に進んだ。
次に、美祢と陸の仲について。
これを取り上げたのはオスカだった。陸の世界では兄弟姉妹の仲は普通どれほど親密なのかと訊かれたのだ。
陸はその意図を測り兼ねたが、思いついたことから元の世界でのことを教えた。あれこれ思い出しながら、陸はふと気付いた。小さい頃にはよく手をつないで歩いていたが、成長するにつれて身体的な接触どころか会話する機会すら減っていた。そのことも口にしてみると、静かに耳を傾けていたオスカとヤンは「それではエスコートは日常的ではないのですね」と確認した。丁度そのタイミングで対話が遮断されてしまったので夕食後にまた続きを話すことになったのだが、彼らとの会話で陸は自身への違和感に意識が向いた。
冷静になって第三者の視点になって自分自身の行動を思い返してみると身震いした。
ただのシスコンどころではない。
上の神殿の地下で美祢に対する違和感を抱くまで、陸は明らかに姉への恋愛感情を抱いていて、彼女を心から愛していた。
それ以外に他ならなかった。
確かに陸にとって美祢は特別な存在だ。母親代わりだったし、いつも一緒に過ごしていたし、陸をよく守ってくれていた。勉強もアルバイトも家事も全部頑張る、とてもできた姉だ。そしてそんな姉を陸は慕い、アクラランに来てからは支えたいと思う気持ちが強くなった。誰よりも近くで神に仕える彼女を、助けたいと思ったのだ。
彼はアクラランに来てから女性のエスコートに関して学ぶようになったのだが、練習中は恥ずかしくて難しくて堪らなかった。動きがいちいち気取っているのだ。
それなのにいざ美祢を相手にしたらたった半日で慣れてしまい、夕方にはかなり様になっていたと思う。初めて図書館と植物園を訪れたあの日のことだ。植物園でベンチに腰掛ける際には、神ウリテルと英雄にして初代国王アクラランの石像から目が離せないでいる姉を誘導し、彼女のためにベンチを払ってハンカチーフを敷いた。
それ以外の日も、さも当然のことのように美祢の手を取り、恋人のようにくっついて歩き、ほとんど朝から晩までベタベタしながら時間を過ごした。
美祢が神殿にいる間には、今度来たら何を話そうか、聖女期間が終わったらどこに行こうか、何を一緒に食べようか、彼女とどうやって暮らしていこうかと事あるごとに考えていた。互いの結婚相手を紹介し合えたらと思ったこともあるが、何度思い返してみてその場面に「互いの結婚相手」とやらのイメージはなかった。新婚ほやほやの幸せカップルのように、見つめ合っているのだ。
糖分が過剰でメンタルが砂糖漬けになりそうだ。
いっそ悟りの境地に辿り着きたくなった。
陸の美祢への態度は周囲も当然、見ていた。特に護衛の騎士たちは見ていた……いや、見せつけられていた。最初はただの仲良し姉弟かと思っていたのに、次第にそうではない雰囲気に通常の距離より一歩どころか三歩、四歩下がって見守るようになった。最終的には五歩で留まった。
だってここは安全な王宮内だし、二人の雰囲気を邪魔したくないし。あまり近すぎるとあの空気に中てられるし……。でも離れすぎると今度は隊長殿に怒られそうだし。
そんな彼らの妥協点が「五歩」だった。
王宮の装飾品たちさえたじろがせるほど、二人の間は仲睦まじく熱烈に愛し合う恋人たちのようだったのだ。
これも『聖女であることの弊害』ではないかとげんなりするヤンに、オスカは恐らくそれは違うと冷静に否定した。
聖女であることの弊害。
それはヤンの造語だ。七つの国を巡ってアクララン建国伝説を研究してきた彼女はある可能性に気付いた。多くの聖女たちは生まれてから何らかの手段で七歳までには神殿に連れてこられるが、中には数年外の世界で成長してから神殿に連れてこられるものもいた。
ヤンが紙や石板の一片でその記録を確認できたのはこれまでに十四人。母数は少ないがそれでも全員が全員、戦争や災害、不慮の事故など何らかの不幸が生じて孤立しているのだ。彼女たちは神に救いを求めた。祈りを捧げに神殿に行き、そこで聖女として見いだされ、名誉の座に就いた。
エティスにも記録が残されていた『アンナ』『サリーナ』『エネバ』という三人の聖女に関しても不可避の不幸が彼女たちを襲っていた。いっそ必然的にも思えるそれには、誰かの手が加えられたような不自然さがあった。
オスカも似たようなことを考えていた。神殿で育った聖女たち以外は、神に縋りたくなるような不幸に巻き込まれていた事実を彼は知っていた。さすが大神官補佐というべきか。下の神殿に住む彼は『いろんな話』を見聞きするらしい。
さまざま見聞きしたことと陸の話を混ぜ合わせた結果、彼が思いついたのが『魂の違い』という考え方だった。
どのような手段を使ったのかは想像するに留めておくが、彼は王宮で朝桐姉弟の仲睦まじさを多少なりと知っているようだった。そして、異世界の人間は姉弟間でも愛し合うのだろうと思っていたそうだ。しかし陸本人から強く否定され、考えを巡らせているうちに、重要となるキーワードが『聖女の魂』ではないかと閃いた。
そこから導き出される仮説をオスカは約五分という短い時間で説明しようとしたのだが、陸には難解すぎて話に置いて行かれた。仕方ないので結論を述べると、アクララン王国のある世界では陸の方が異邦人だから、元の世界での姉弟としての繋がりが薄れてしまい、そこから恋愛感情が湧いたのではないか、というのだ。陸はこれでも分かっているような分かっていないような反応をしていたが、とにかく恋愛感情が湧いてしまうのは無理もないということで話を切り上げた。
オスカの考え方に当てはめれば美祢の外見についても説明ができそうだった。
陸たちの世界で『朝桐美祢』として育った心身が本来の世界に戻ってきたことで、それまで覆われていた偽りのヴェールが時間を経て少しずつ剝がれてきている。そう考えれば、陸の目から見る美祢が次第に『脱色』されているように見えるのも不思議ではない。あれは脱色ではなく、本来の色が現れてきているだけではないだろうか。
陸が精霊電話に参加できない間にも、魔法に造詣の深い二人は折を見て何度も対話した。「魔術師村エティスと関わりがある」という共通項があるためか、二人の話はよく合った。
元々、聖女である美祢の魂はアクララン王国がある世界に生れ落ちるべきものだった。しかし何らかの事情で別の世界で生を受けたので、その魂の持ち主を本来の世界に連れ戻す大魔法が『召喚の儀』だ。これを踏まえると陸たちが生まれ育った世界では、美祢の魂は『異物』、つまり本来存在しないものだったことになる。続いて、儀式に巻き込まれてしまった陸だが、彼は聖女の魂を持っているわけではないので今度は陸自身がこちらの世界での『異物』と考えられる。
大雑把にではあるが、召喚の儀は釣りに例えられる。『聖女の魂』という魚を目標に針を投げ釣りあげるのだ。だからその周りに何があろうと、一つの針で釣りあげられるものは一匹の魚だけのはず。だが、そうはならなかった。
さらに召喚の儀を経て異世界に来たことで、陸にとっての元の世界において、これまで『姉弟』という立場に無理やり当てはめられていた関係性がある意味消滅したのではないか。そして魂レベルでは他人となった彼らだが、本人たちにはその自覚がない。あくまでも大切な家族だと思って関りを続けていくうちに、家族愛だったはずのものが恋愛感情に変質したのではないか。
あくまでも突拍子のない仮定だが、「誤って異世界に産み落とされた聖女を元の世界に引き戻した」という前提に立っている彼らにとっては、無視できない説得力があった。




