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 ……お父さんって本当は実直で穏やかな人だったのよ。仕事に誇りを持っていたわ。

 ……お母さんは社交的でいつも笑っていて、家族を大事にする人だったのよ。料理を作って人を持て成すのが好きだったわ。


 美祢は時折、そんなことを言っていた。


 でも、それって本当にうちのこと?


 陸は姉が両親を褒めるたび、想像がつかなくて首を傾げていた。

 彼が知っている母親の姿は、子どもを家に置き去りにして男友達と何日も遊び歩いていたし、父親は陸たちを直接殴ることはなかったが物に当たり散らしていた。頭髪が抜けることも気にせず頭を掻きむしり、情けない背中を丸めながら部屋で酒を飲んでいた。


 父親の会社で何があったのか、陸はよく知らない。

 ただ、思い出したくない記憶の中に、やたらとマスコミに追いかけられていた日々があった。

 意識の中に再現映像が流れだす。どこから画面なのか境界が曖昧で、まるで立体映像を見ているようだ。顔、頭、体、と自分を構成する部位を意識し始めると、背後からも映像の気配が感じられた。

 バシバシと焚かれるフラッシュ。口さがない者たちからの執拗なインタビュー。テレビをつければ、当時住んでいたマンション近くの映像が映し出されていた。

 ざわざわと雑音が大きくなって耳が痛くなる。喚きながら両手で塞いだ。


 急に場面が渦巻いた。


 これは、夢だ。

 妙な浮遊感が心地いい。渦に流されるようにぐるぐる回る。


 次に表示されたのは、病院の様子だった。

 清潔に整えられたベッドに腰かけ、あちこちに包帯を巻かれた生気のない男が窓の外を見ている。年齢の割に白髪が目立つ髪は、短くさっぱりと整えられていた。だいぶ痩せているが、肌色は前より健康そうだ。腕も萎れてはいない。

 アレは父親だと陸が認識すると、左後ろの方からスタイルの良い女性が通り過ぎていった。彼女は呆けたままの父親の横に座ると、水の入ったグラスを差し出した。


『あなた、水よ。飲んで』


 いつだったか陸に体を売らせようとした女の声だ。陸が覚えている彼女はけばけばしい化粧をしていたが、今は上品さのある落ち着いた印象になっていた。美祢が「綺麗な人」と良く言っていたが、なるほど、今の彼女は確かに綺麗な女性だ。服も趣味の悪い柄物ではない。焦げ茶のタイトスカートと同系色でふくらみのあるVネックプルオーバーで洗練された装いだ。

 陸たちの父親は時間をかけて水を飲むと、震える両手で顔を覆った。


『……俺が、悪かったんだ、俺が悪かったんだ……美祢を、陸を……守れなかった』

『あなた、それはあなたのせいじゃないわ。絶対あの子たちは生きているから!』

『ちがうっ……違うっ! あの時、陸と美祢が……光に包まれて……そしたら消えて……』

『落ち着いてあなた!』


 ぱしんっ。

 肉を叩く音がした。陸たちの母親だった人がガタガタと震える夫の頭を抱える。恐怖に震える大きな体を愛情深く包み込む。静かな口調で安心させようと声を掛ける。


『……叩いたりしてごめんなさい、お願いだから落ち着いて……今警察が二人を探してくれている。見つかるって信じて。あの子たちは、元気だって信じて』

『お、おれ……俺の目の前で……』

『大丈夫、大丈夫よ、必ず見つかるわ。美祢も陸もきっと元気よ。安心して、あなた』


 これは、夢だ。

 陸が知っている顔をしているけれども、全くの別人にしか見えない。まるで二人の子どもを一度に無くしたようにすすり泣く可哀想な男女を、陸は知らない。


 あぁ、それでも、ともう一度ベッドに座る二親をよく見る。


 こんなにも二人の不在を悲しみ、その無事を信じ、願われているのであれば、きっとこの人たちの『美祢』と『陸』は愛されていたのかもしれない。


 陸の知っている朝桐家の狂った歯車も、時間をかけて直せばこんな風に優しく動いていたのかもしれない。

 ――……その時間に耐えられる自信など、陸にはなかったのだけれども。


 再び場面が渦巻く。


 黄金色の麦畑だ。小さな子どもが手をつないで走っている。

 男の子と女の子。よく似ているから兄妹だろうか?

 ローマ時代のような服装で、何かの映画のワンシーンのようだ。


 瞬間、黒い煙が一瞬視界を覆う。

 阿鼻叫喚が闇から聞こえる。

 真っ暗闇に取り残された陸も恐怖に身が強張る。

 絹を引き裂くような悲鳴がした。

 男の子の声が何かを叫んだ。


 戦争だ、略奪だ、侵略だ。

 瓦礫と骸が散乱する、あまりにも悲しい世界だ。

 もう繰り返したくない……。

 どこかから聞こえる悲痛な呻きに、胸が苦しくなる。

 もう二度とこんな世界を見たくない。

 村を、家族を、妹を。


 愛する人を、もう二度と失いたくない……。

 もう何も、失いたくない……。




 ぱっと覚ますと、そこはまだ暗闇の中だった。

 瞬きすると目尻が濡れていて、寝間着の袖でグイッと拭いた。そうしている間にも目は闇に慣れ、すっかり見知った天蓋の内側を認識するようになった。


 ここは王宮、朝桐陸にあてがわれた部屋。

 確認するように部屋の造りを思い浮かべる。ここは贅沢な造りをしていて、十人で使ってもいい広さに大きなベッドと数個の家具しかない。使っているのは陸一人。ここはあの嫌な思い出があるマンションではない。陰気な空気が漂っているわけでもない。燃え盛る麦畑の中でもない。

 ここは王宮、朝桐陸にあてがわれた部屋。

 頭の中で呪文のように繰り返した。


(……また、か)


 特に最後の光景は肉が焼ける臭いまで鮮明だった。

 焼けた畑の面積まで説明できてしまうほどに強烈だった。


 三番目の月に入ってからほぼ毎日見るようになった。何度見ても胸糞悪くなる。

 特に最後の夢は日を追うごとにより鮮明に、はっきりしてきている。


 また寝る気にもなれずむくりと起き上がる。そのままの体勢で何度か深呼吸をしてみたが、やはり嫌な気持ちは拭えなくて二度寝することを放棄した。寝汗で濡れて重くまとわりついてくるシーツが不愉快でベッドから抜け出す。

 何でもいいから汗を流したいと部屋に備え付けられた浴室に向かう。桶に溜められた水に手を浸し、その冷たさに手を引っ込めた。

 一番目の月よりマシになったとはいえ、季節的には今はまだ冬。

 頭から浴びるのはやめておこうとタオルを浸した。軽く絞って顔を拭く。寝間着も下着も全部脱ぎ去って何度も体を拭いた。ひんやりした空気に肺の下半分が押しつぶされた感じになる。手で水を何度も掬って髪の毛も濡らす。鼻の中に入りそうになる水を鼻息で飛ばして手で擦る。


 月明かりすら陰り始めるその時間。

 鏡に映る陸は精悍な顔立ちになりつつあった。

 湿った裸のまま鏡越しに自分の体を確かめる。無駄な脂肪はなく、腹筋の筋がはっきりしていた。週に一度だった剣術指導が週四回に増えていた結果だ。第二王子の提案でその弟と一緒に模造のレイピアを交わすようになっていた。第三王子のネフィウスは陸より三歳年上だ。パワーというより技巧の人で、「ルカス兄様の頼みなら」と忙しい時間の合間で剣の練習に付き合ってくれているのだ。毎回山ほどのかすり傷を作りながら、陸は着実に鍛えられていた。

 前回の練習で付けられたばかりの左肩の傷をなぞる。ピリリと引き攣って地味な痛さが全身を駆けた。

 タオルで軽く体を拭き、さっさと修練用の服装に着替える。誕生日にもらったベルトを身に着けると、消えないランタンを手に持った。

 まだ王宮が活動する時間ではないが構わなかった。扉を開けると寝ずの見張りが驚いて声を上げる。


「リク様、こんな時間にどちらへ?」

「目が覚めたから、少し体を動かしに」

「お供しましょう」


 いつの間にか後ろをついて歩く騎士の存在にもすっかり慣れていて、一番近い中庭に向かう。

 獲物は練習用のダンベルナイフだ。初めて持った時には重くて両手でないと持てなかったのに、今では片手で振り回す。

 いつも最初はいつも順手から。見えない相手に向かって鋭く突き出す。そのまま横に薙ぎ払う。くるりとそのまま大きく振りかぶって振り下ろす。そのまま大きく飛び揚がり、着地した時の体制のまま低い位置で再び重い鉄の塊を薙いだ。ゔおっ、と風が唸る。


「……下草を傷めないように」


 中庭によく音が広がるヴィオラのような声が響いた。護衛の騎士が反射的に敬礼する。あの反応の良さは見習わなくてはならない。

 先ほどまで寝ていたのだろう、リンゲン卿の服装はラフだった。シャツの襟元を縛る紐さえ結んでいない。肩に引っかけた薄めの毛布や、夜風に乱れる黒髪も普段よりけだるげな印象を強くした。


 こんな時間に素振りしていることをどのように知ったのだろう、だなんて今更疑問に思うほど陸はもう初心ではない。

 ただの「少年」から一皮むけて「青年」になりつつある陸の相貌の鋭さに、近衛隊隊長は剣呑としたものを感じて、ふっと口を緩めた。

 なかなかいい目をするようになっている。


「おはようございます」

「最近よく眠れていないらしいが?」

「……最近、以前の家族との思い出が夢に出ます」


 あぁ、と緑眼の男は納得した。



 以前、二人でレイピアを交えている時に家族の話になり、あまりいい思い出がないのだと語ったからだろう。どんな家庭だったか自分の思い出の中の出来事を聞かせると、何故か朝桐家は貴族だったのかと聞かれた。


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