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〈……聖女は祈ることが責務。リク様はそうお考えなのですね〉
まとめられた一言には、生温い響きがあった。
世間知らずを小ばかにするような、憐れむような、同情するようなそんな響きだ。
〈違うのですか?〉
〈他にもやる事はありますから。掃除とか式典とか、……まぁ、いろいろ〉
もしかしてこの人ならば答えてくれるかもしれないと、老魔術師が長年の疑問を投げかけようとしたところで、オスカから待ったがかかった。どうやらリンゲンが気付き始めたらしい。「続きはまた今度」と一方的に対話を遮断されてしまった。
ヴィオラのような声に集中していた意識に、急に風の音が届いた。瞑っていた両目を開けば、額に玉の汗が浮かんでいた。横には陸が眠っている。ゆっくりと両手を開けば、その中で手汗に濡れた小石がコロンと転がった。
長年生きてきたが、精霊を介しての会話など聞いたことがない。
(……使えるかもしれない)
ヤンはもう一度眠る陸の頭を撫でると、神ウリテルに祈りを捧げるために再び両手を組んだ。
日が昇ると、人々は下山の支度を整えていた。上の神殿周辺も薄っすら雪化粧し、より神秘的な光景になっていた。人々は階段を下る直前まで、何度も振り向き神ウリテルへの祈りを捧げていた。
大神官補佐であるオスカが下る一行の先頭に立ち、夜の間に階段に吹き込んだ雪を溶かしながら参拝者たちのために足元を整えながら進んだ。階段の中間地点にある待避所兼休憩場所に着くと、そこにも神官が一人いて彼と交代する。
第二王子が通り過ぎる際には、オスカの手を取って「今度は三番目の月にお会いしましょう」と約束するほどの親密ぶりを示した。
少ししてから、途中で先導が交代した理由を陸が問えば、リンゲンに手を引かれる第二王子が説明してくれた。
『ウリテルの寝台』は斜面がほぼ垂直の危険な山である。その山肌に刻み込まれたジグザグの長い階段には安全な手摺などはなく、一歩足を踏み外したらそのまま地面に真っ逆さまに落ちてしまう。神聖な山にあまり手を加えることもできない。
そこで下の神殿の神官たちが持ち回りで道中の安全を確保するため、参拝者たちと一緒に上るのだ。この時同行するのは魔力を有した者たちである。風魔法でモノを持ち上げたり、水魔法で空中に大きな水球を出現させたり、仮に参拝者が地面に落ちてしまっても何らかの魔法で救える程度のレベルが求められる。配置は山の上下、そして中間の三か所で、これを四人の神官たちが三泊四日かけて交代する。
本来なら新米神官の仕事なのだが、王族が参拝に来た時には必ず大神官補佐が最低三人立ち会うようになっていた。
「その中でも大神官補佐のオスカは本当に良くしてくれましてね。いつも安心して祈りを捧げられるのですよ」
第二王子がニコニコ顔で嬉しそうなので、陸もつられて口角を上げた。
始終上機嫌なルカスの厚意で、振動の少ない馬車に乗って王宮に戻ると、今度は国王との謁見を執り行うとの通達があった。すでに陸の身に起きた奇跡は伝わっていたらしい。
文句を言う間もなく着替えさせられ、三度か四度訪れた国王の執務室まで連れてこられると、あっという間に国家権力と向かい合うことになった。
それほど広くない部屋の中には、相変わらず三人しかいない。国王陛下と宰相と、近衛隊隊長だ。
「言葉を理解できるようになったらしいな。そなたの奇跡に祝福の言葉をそなたに贈ろう。初めての神殿はどうだったかね?」
今まで何を言っていたのかよく分からなかった声の意味が自然に通じる。それがどれほど心強いことか、陸は改めて思い知った。海外旅行に行ったことはないが、長い旅行から戻った時にはこんな風に感じるのかもしれないと想像した。
威厳溢れる国王の声に緊張しながらも素直に思ったことを呟く。
「えっと……案外、遠いなと思いました……」
一呼吸おいての哄笑。
鉄面皮と思っていた宰相も横を向いて咳払いする。
「そうか、遠かったか! まぁ、確かに半日もかかるからな。確かに遠い。そこからさらに何時間もかけてあの階段を上らねばならん。いや実にご苦労だった。……姉君とは会えたかね?」
お手本のような高笑いをした国王が、肩を揺すりながら陸の意見に同意した。濃いオレンジ色の瞳が細められ、豊かな低音が優しく響く。
会えた、ととりあえず首肯した。どうだったと聞かれて、答えに窮した。
あの姿を姉と認識していいのか迷ってしまう。
「……久々に会ったからか、緊張しました。聖女としての立場にも慣れたようで……なんだか、別人のように感じました」
「そうか、そうか」
優しく子煩悩な父親のような顔をした国王が微笑ましそうに耳を傾ける。こういう時、どういう顔をしたらいいのか陸は知らない。自分がここにいてはいけないような気がして、宰相にちらりと視線を向けた。駄目だ、ダレス宰相は手元の手帳への書き込みに夢中になっている。ではもう一人……と、国王の後ろに控える貴公子に助けを求めた。
長距離の旅から戻ってきたばかりなのに、少し顔色の良くなっている近衛隊隊長は陸の視線を受けて渋面になる。
さすがに国王も気になったらしい。微笑みを崩さぬまま、組んだ両手の指で顎を支える。
「……私の騎士が、何か?」
「いえ、その……」
「陛下。恐れながら申し上げますが、リク殿は神殿から戻られたばかりです。慣れぬ馬車移動でお疲れかと」
ようやく書き物を終えた宰相が顔を上げ、少年の眉が八の字に下がっているのに気付いて正解を導いた。冷たい印象だが、気遣いはできる男だ。
国王は気まずそうに姿勢を正した。
「いや、なに。今後について少し話そうかと思っていたのだが、それはまた今度、食事でもしながらにしよう。リク殿、今日はゆっくり休むがよい」
「ありがとうございます」
「今回はルカスが……第二王子の話相手にもなってくれたようだな。礼をする」
「いえ、俺の方こそ、いろいろ良くしてもらいました。ありがとうございました。失礼します」
腹に手を当て、片足を引き、腰を軽く落とす。そして部屋の主の許可を得て、自室に向かうため廊下を進んだ。
一週間というのは存外早く過ぎてしまう。
一番目の月も後半に入り、窓の外から見える白雪が人の膝下まで積もるようになった頃、陸はようやく自分が十六歳になったのを思い出した。いつもは姉がプレゼントのリクエストを聞いてくるので自分の誕生日を忘れることはなかったのだが、アクラランに来てからは毎日がいろいろありすぎてすっかり忘れてしまっていた。
いきなり叫んだ教え子にびっくりした老魔術師にもそのことを伝えると、何故もっと早く言わないのかと叱られてしまった。
王宮の一角で、陸の誕生日会は行われた。主役はもう喜ぶ年齢じゃないからと辞しようとしたが、噂を聞きつけたルカスが現れて結局なし崩し的に承諾することになった。
陸の誕生日を祝ってくれたのはヤン・ノベ、アミシュにカバネ、ルカス、そしてその付き添いとしてリンゲン卿だ。その場には毎年祝ってくれていた優しい笑顔はないが、それでも皆に囲まれて嬉しくてむずがゆい気持ちになった。
急遽決まった祝いの席にも関わらず、皆がそれぞれにプレゼントを用意してくれた。アミシュとカバネは消えないランタン、リンゲンは小振りの短剣、ルカスは剣をぶら下げるための幅広の上品なベルトだ。最後にヤンのプレゼントを受け取った。
「……あれ?」
渡されたのは数日前にヤンに貸し出した陸のボールペンだった。いぶかしみながらも中身を確認しろと言われて本体を分解してみると、中にはペンインクが入ったプラスチックの筒ではなく、細い金色の棒が入っていた。
「もうインクが切れそうだと言っていたね? 新調しても良かったのだが、使い慣れている物の方がいいかと思ってね」
陸の世界の技術がよく分からなかったので、つけペンにインク壺をくっつけるイメージで作ったようだ。主な素材は前に買ったあの『呪いのファイヤーオパール』で、腕のいいベペルティの職人に依頼して作ってもらったらしい。時々中の金色棒をインク壺に差しておけば勝手に吸い取って溜めてくれるという。
陸はもう一度ボールペンを組み立てて、書き心地を確かめてみた。悪くはない。
どうやって持ち歩こうか考えていると、ルカスがベルトをよく見るように囁いた。剣がぶら下がるのとは反対の位置に何やら細長いものを留める箇所がある。愛用のボールペンを当ててみると丁度嵌まった。あちこち触って確かめれば、ベルトには消えないランタンを引っかけるフックもついていた。
「気に入っていただけたらいいのですが」
「こちらの世界で迎える初めての誕生日に、特別なものを送りたいと皆で相談したのだよ。リンゲン卿が以前聖女様から、お前が旅に興味があるようだと聞いていてね、なら持ち歩けるものにしようかと」
陸を想って作られたプレゼントの数々に、陸は顔を手で隠した。感極まって赤く火照った顔を見られたくなかった。
「マジで嬉しい……ありがとう……」
絞り出されたその言葉に、参加者たちはほっと顔を綻ばせて夜遅くまで彼の生誕を祝ってくれた。
宴の途中で、アクラランでは十五歳が成人だからとヤンにエールを飲まされそうになったが、脳裏に酒に溺れた父親の姿が浮かんで、それは最後まで固辞させていただいた。
どうやら、陸は「うまい酒」とやらを飲めそうにない。




