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 ルカスは「ルドとオスカも早く来て」と言い残して先ほどまで座っていた木製の長椅子に戻り、両手を組んで熱心に祈り始めた。

 その後を追おうとしたローブ男の腕をリンゲンが掴むと、陸たちを別の場所に案内する直前には問い質せなかったことを聞き出そうと数歩ヤンたちから距離を取った。極力声を抑えながら低く唸る。


「水浴びしている間に何があった?」

「……閣下、ここは上の神殿ですから今はいろいろ聞くことを控えてください。後でちゃんとご説明しますから、今はウリテル様に感謝の祈りを捧げましょう」

「ふざけないでいただこうか。去年同行した部下から色々報告を受けている。『わきまえろ』と言ったはずだが?」

「……だからずっと妙に厳しめの視線を向けてくるわけですか」


 オスカは自分たちの様子を伺っている陸とヤンを一瞥し、それから一人で祈っているルカスにも視線をやると、頭を傾けて彼だけに聞こえるように小声でまくし立てた。


「わきまえろと言われても困る……時間になれば人が集中するし、人に押されてお互いの距離が詰まるのは不可抗力では? ならもう一人護衛を連れてきて、その間に座っていただいたらどうだ?」

「それができたら苦労しない。せめてもう少し人が集中しない場所にご案内できないのか?」

「あそこが最も祭壇近くで祈れる場所なんだ。そこで一晩掛けてじっくり神に感謝したいと考えるのは各自の自由だろう?」


 まるで八つ当たりのようにリンゲンの握力が強まり、大神官補佐を名乗る男は「……頼む、そろそろ痛い」と弱音を吐いた。解放され痛む腕を擦りながら、寄ってきた老婆にも顔を向ける。


「大神官補佐殿、お聞きしたいことが」

「あぁ、先ほど話の途中だった祈り方のことでしたね。ヤン・ノベ様も、両手をきちんと組んで精神を統一してください。そうしたら、神の声のようなものが聞こえてくるかもしれませんよ。リク様も、ヤン・ノベ様の傍にいることをお勧めします」


 軽やかな足取りでルカスの隣に陣取った白いローブは、祈りの体勢になるとそのまま動かなくなった。さすがに近衛隊隊長の視線を気にしてか、一人分……いや、半人分のスペースを空けていた。


「リク、少し外の風にあたろう」

「……俺は、いい」

「話があるのだ。ここは他の人の目も耳もある。……いいからついてきなさい。大丈夫、明り取りの石の近くにいれば寒くはない」


 今は一番目の月、冬である。王都に雪が降るほどに冷える季節であるが、『ウリテルの寝台』もまたそうだった。下から吹き上げられた粉雪がちらちらと舞っていて幻想的だ。ヤンの言葉通り、あちらこちらに置かれた明り取りの光る石の周りには他の参拝者たちが集まっていた。炎の精霊たちが石を通じて温めてくれているようだ。

 なるべく彼らから離れたうちの一つを選ぶと、ヤンは座ってその傍らを叩いた。


「リク。この世界に来てから約半年。言葉も分からない中、不安に負けず、よく頑張ってきた。……偉いぞ、リク」


 ――えらいねぇ、陸ちゃん。


 懐かしい声に懐かしい顔。記憶の一部が呼び起こされて、鼻の奥がツンとした。

 少し口調や仕草が異なるが、目の前の老婆は間違いなく陸の記憶の中にいた。


 皺だらけの手が伸びてきて、陸の頬から頭頂部にかけて押し付けるように移動した。化学薬品を使わなくなって久しいその髪の毛は、すっかり元の髪質に戻って柔らかく手触りがいい。いつまでも撫でていられそうだ。くしゃくしゃとかき乱す。いつの間にかまた一つ年を重ねていた少年は、抵抗せずに俯いた。

 ヤンは陸の頑張りを褒めながら、何度も同じフレーズを繰り返した。話している最中、他の人影がふらふらと礼拝堂に戻っていったが、陸の意識がそちらに向かないように真剣に向き合った。今の彼に、聖女の姿を再び見せない方がいい。


「お前はいい子だ、リク」


 ――陸ちゃんは本当にいい子ね。


 麻のシャツにシンプルなズボンに重なるように、陸の目には懐かしいエプロン姿が滲んだ。実は、今この瞬間も全部夢の中の出来事で、実は自分は小学生くらいなのではないかと思えてくる。


 これが夢ならもう覚めて。姉と老婆から優しい気持ちを受け取っていたあの頃に戻して。

 例えどんなに辛くても、あの二人がいればそれだけでいいから……。


「……ばあちゃん……」

「……あたしはお前たちの『山野辺のおばあちゃん』ではないが、そう呼びたいなら呼べばいい」


 ほらっ、と開かれた両手は、陸を幼児に戻らせた。


 不変だと思っていた存在が、今日、変わっていた。

 胸にぽっかりと穴が開いた。十五年間与えられてきた姉の温かさを失ったのだと、認めるのが恐ろしいほど大きな喪失感だった。どうしようもないほど孤独だった。

 父からも、母からも、親戚からも。まともに愛情を受けてこなかった陸にとって、あの優しい老婆が亡くなってからも注がれ続けた美祢のそれは特別だった。

 土台だった。戻れる場所だった。頼れる場所だった。安心できる場所だった。

 聖女期間が終わったら姉弟仲良く暮らそうかと想像していたのに、……あの姿の姉とはそれができそうにない。


「ゔっ……うぅっ……」


 一回分の着替えしか持ってきていないというのに、麻のシャツを涙と鼻水と涎と汗でぐちゃぐちゃに濡らす。力の加減をする余裕などなかった。




 ヤンは耳元で「姉貴じゃない」と地下で面会した女の存在を何度も否定する陸の背中を撫で続けた。いつの間にか眠りにつくまで、撫で続けた。


(……確かにアレは「ただの姉弟」ではないだろうな)


 老婆は寄りかかる大きな子どもの体をずらして、近くに横たわらせる。汚れた顔を拭いてやる。

 あの瞬間の姉弟は、今にも熱い口付けを交わしかねない様子だった。見ている方まで気圧される、あの情熱的な振る舞いも陸の仕草ではない。

 陸たちに『何か』が作用していることは明らかだった。

 確信を得るために、ヤンはファイヤーオパールを取り出した。金色に輝くその石は大収穫祭を見物した時に陸が購入したものだ。双子の精霊であるアミシュとカバネが気に入ってしまい、いつの間にかヤンが持ち歩くようになった。

 地下の白い空間で教わったように、金色のオパールの中に炎が宿るイメージを持つ。暫くするとカバネの気配が石の中から伝わってきた。これでいいのだろうかと疑問に思いながら、両手で握り込み集中する。


〈……さすがですね。初めてにしては上出来だ〉


 突然、オスカの声が響いた。脳みそに直接語り掛けるようで、少々気持ち悪い感覚がする。頭の中で返事を思い浮かべると、それがそのまま相手に伝わった。


〈オスカ殿?〉

〈はい。リンゲン卿にばれないように手短にしましょう。あとで怒られたくないのです。彼も一応、エティスの血を引く者ですから〉


 アクララン人を名乗る彼は、一体何をどこまで知っているのか。

 ヤンは今でも第二王子の隣で祈りを捧げている……ように振舞っているだろう白いローブの男に舌を巻いた。


 エティスの血を引く者――それはつまり魔術師であることを指す。

 エティスは切り裂き山脈の中間、アクララン王国に近い場所にある小国だ。アクララン王国王宮付き魔術師、ヤン・ノベの故郷でもある。通称『魔術師村』とも呼ばれ、険しい山脈を形成する山と山の間にぽつんとある。

 場所柄アクララン王国以外の国とはあまり国交のない国だが、魔術師の国というその特異性のため、小国ながら他国から危険視されている国でもある。最も、エティス人には戦争を起こそうという気は毛頭ない。第一人口が少なすぎるのだ。戦争を仕掛けてもし負けでもしたら間違いなく大陸から国が一つ消えてしまう。

 人口一万にも満たない国ではあるが、代々高名な魔術師を輩出してきた。魔法を使う者が必ずエティス出身者というわけではないが、高度な魔法を扱う者はすべからくエティスで生まれたと言っても過言ではない。

 千年より前から切り裂き山脈の隙間に住み、神からその力を分け与えられた一族とも、混沌たちと交わった一族とも言われている。ほとんど外部と交流しないため、他国の勝手な憶測で様々な言い方をされていた。そんな場所だから、七つの国を渡り歩いたというヤン・ノベは、同族からしてみれば「酔狂」の一言に尽きるだろう。


 そんなエティスの民にはとある特性がある。同じ苗字を共有する血族の中でも特に波長が合う者とは魔力を共有できるのだ。その特性を薄めないため、エティスではかなり狭い関係での婚姻が多かった。

 共有の仕方は様々で、得意な魔法によって異なる。水に関わる魔法が得意なものは水を介して、風魔法が得意なものは空気を介して、互いの魔力を融通する。

 影遣いであるリンゲンの場合には物影といったところか。


〈……不躾ながら、オスカ殿はリンゲン卿のご兄弟ですか?〉

〈あの方と兄弟だなんて畏れ多い。しかし……同じ種が別の畑で育ったことは事実です。家から離れ神官になりましたので、ここではただのオスカです〉

〈ただのオスカ……まさか?!〉

〈フフッ……どうかこれ以上はご勘弁を〉


 「あとで怒られたくないから」と少々幼稚な理由を挙げていた男の素顔は、近衛隊隊長と瓜二つだった。正反対の性格とはいかずとも、剛柔の違いが感じられる。黙っていれば分からないだろうが、口を開けば見分けるのは簡単そうだ。


〈して、リク様は『聖女の責務』に関して何かご存じですか?〉


 この問いに、ヤンは自身が把握している状況を簡単に説明した。普段から大神官の傍についている職務的な知識量からか、はたまた地頭の良さなのか、多少端折っても正しく余白を埋めて理解してくれる。話が早くて大いに助かる。


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