20
(……っ、なんか、こっちに来てから姉貴のことばかり考えている……)
よく似た人物を夢見るほどに、美祢に会いたい。
会って、話したい。たくさん話題を考えているのだ。離れていた時間をしっかり埋めたい。
美祢の笑顔が見たい。ちょっとバカなことを言って呆れ顔も見てみたい。
美祢に会いたい。すぐそこにいるはずだ。会いたい。すごく会いたい。
早く会って、彼女の元に戻りたい。
(……ん?)
気持ち悪いほどのシスコン思考の最後に、違和感があった。
戻るなら彼女の方だ。
美祢は陸を置いて神殿に向かってしまったのだから。
では彼女の庇護下に戻りたいという意味かと考えて、それも否定した。
どちらかというと、陸の気持ちとしては独り立ちした姿を見せて彼女を安心させたい。
ならば「彼女の元に戻りたい」とはどういうことか? よく分からない。もしかしたら初めて四カ月も離れ離れになっていて、無意識のシスコンが拗れてしまったのかもしれない。
元の世界でも姉のことは気にしていた方だと思う。自分が迷惑にならないようにと他人行儀な思考回路をしていた。それがアクラランに召喚されてから、事あるごとに彼女のことを考えている。
姉のことは嫌いではない。むしろ「なんか色々すごい」と尊敬の念すら抱いている。小学生の時分から陸の面倒を看て、家族のために看護師になる道を選び、猛勉強とアルバイトを両立して最短で国家試験合格をした。父親に酒代を渡していたのはいただけないが、それ以外は家族に奉仕するような生き方をしていた。
だから彼女の支えになりたいと考えているのであって、『元に戻りたい』というのは自分の考えではないような気がした。
コンコンッ
悶々と悩んでいる最中に、ささやかなノック音。奇声をあげて飛び上がると、食事の前に浴室の用意ができたと聞こえてきた。
陸は思考を放棄した。
風呂だ、飯だ。腹を満たしたら速攻で寝る。
次の日の午後は山登りなのだ、初めての馬車移動で疲労した体を整えなければならなかった。
翌日は、早朝から下の神殿を訪ねていたルカス第二王子を待ってから、上の神殿に向かうことになっていた。上の神殿に向かうのは、陸、ルカス第二王子、リンゲン卿、そしてヤン・ノベだ。他の者たちは別荘で待機する。用意された別荘の馬車には陸と王子が、御者台にはリンゲンと老婆が乗った。馬車に乗っている間、渡された毛布に包まりながら陸は寒さに震えた。
彼らの服装は質素だった。麻のシャツにシンプルなズボン、そして編み上げタイプの皮サンダル。背中には着替えと一晩の食料が入った小さな背嚢を縛り付ける。雪が降るほどの寒いのだからもう少し着込みたいところだが、上の神殿に参拝するための正装がこれなのだという。
短い距離を進んで山の麓に降り立つ。改めて『ウリテルの寝台』を見上げた陸は、本当にこの階段を老婆が上れるのか気になったのだが、「疲れたらお前の筋力強化の重りになってやる」と言われて余計に心配になった。
上の神殿を頂く山はほぼ垂直に空に向かっていた。その山肌には所々待避所が設けられた階段がジグザグに見える。そのジグザクの隙間から降りてくる人影がちらほらあった。階段には転落防止柵も手摺もなく大風が吹いたら危なそうだ。あそこを四時間以上歩き続けるのかと思うと、背筋に冷たい汗が流れる。
視覚に不自由がありそうな第二王子は大丈夫なのかとそちらを伺えば、上の神殿を目指す他の参拝者たちと和気あいあいと言葉を交わしていた。最初は十人ほどだったその数が、あっという間に二倍、三倍になる。「十三番目の月以外の奇数月には神殿を訪ねる」という話は本当なのだろう、王子を取り囲む者の中には、再会を喜ぶ声まであった。
近衛隊隊長はどこにと探せば、王子の隣に目出し帽のような被り物をした長身がいた。別荘を出発する前「目立つから」とルカスが被せていたのだ。確かに王族がいるだけでも十分目を引くのに、そこに美貌の男が加わったらとんでもないことになりそうだ。
王族の警備は大丈夫なのかと様子を窺っていると、それはどうやら杞憂だったようだった。上の神殿に行くものはみな刃物などの武器を持つことはできないルールとはまた別に、英雄アクラランの血を引く王族に、人々は強い敬愛の念しか抱いていないのだ。
「第二王子様! またお会いできてうれしいです!」
「わしは王家のために祈りますぞ!」
「お怪我しないでくださいよー!」
「ありがとう。皆も気を付けて」
五十人ほどに増えた取り巻きに、第二王子が涼やかな声で応えた。
下りの参拝者たちが一通りいなくなると、今度は上りの参拝者たちが階段の前に集まる。混乱を避けるためなのだろう、数人ごとに集められてから通される。
神の前では王族も貴族も平民も神官さえも皆同じという理由から、例え王子であっても皆と同じように階段昇降するのだとヤンから説明があった。身分制度が厳しい国だから当然王侯貴族は何かしら優遇されるのかと思いきや、篤い信仰心の前では身分も関係ないようだ。
一見ひ弱そうなルカスだが、さすが慣れているだけあって少し息を弾ませながら危なげもなく上っていく。リンゲンはいつでもすぐに手が出せるよう、そのすぐ後ろに続いていく。ヤン・ノベも涼しい顔をしながら石階段を進んだ。
「リク様、無理はなさらないでくださいね。疲れたら気軽に仰ってください」
途中でルカスは何度もそう声を掛け、陸を気遣った。
最初は楽勝に思えたその道程だが、それは誤認だったと陸は反省した。ぜぇはぁ息を切らしながら、途中で何度も休憩しながら、少しずつ確実に天上世界を目指す。
上り始めて五時間は経った頃、こちらも息を切らしたルカスが嬉しそうに振り返った。
「……リク様っ、はぁ、はぁ……着きましたよ」
そこには下の神殿と同じように荘厳な建物――ではなく、高さを抑えたパルテノン神殿のような作りをした建物があった。英雄アクラランが神ウリテルのために捧げた神殿と聞いていたので、昂然たる建造物を想像していたのに、目の前にあるそれは「え? これが?」と拍子抜けしてしまうようなスケールの小ささだ。
汗だくの陸は、元の世界の『がっかりスポット』を思い出した。
ここで美祢は生活しているという。
「第二王子ルカス様、お待ちしていました」
「いつもありがとう」
「ルカス様にまたお会いできたことを神ウリテルに感謝します」
布でくぐもってはいるが、ヴィオラのようによく響く低音が一行の耳に届いた。白いローブ姿がルカスの隣に立つ。顔はフードに隠れてよく見えないが、リンゲンと同じくらいの背の高さの男だ。声も少しだけに似ていた。
「水浴び場までご案内します。準備はできておりますので」
「ちょっと待って。その前に」
ルカスが陸とヤン・ノベを呼んだ。
「大神官補佐、紹介します。魔術師ヤン・ノベと、こちらが……例の、リク様です」
大神官補佐はフードの下で息を呑むと、頷くように頭を下げた。
「衆目がありますので膝をつけなくて申し訳ない。大神官補佐をしております、オスカと申します。ようこそ、リク様、ヤン・ノベ様」
「どうぞよろしく」
声を潜めるオスカに陸もいい慣れた自己紹介をする。どうやら彼が聖女の弟であることは伝わっているらしい。もしかして、美祢が王宮はいる間その仕事を肩代わりしてくれていた一人なのかもしれない。陸は心の中で礼を述べた。
オスカの案内で水浴びができる施設に向かうと、中で二手に分かれていた。右側が女性用、左側が男性用だ。陸たちがそれぞれの方向に進もうとすると、第二王子は大神官補佐の後に続いてどこか別の場所に行ってしまった。
神様の前では平等とは言え、さすがに王族を平民たちと同じ場所で水浴びさせるわけにはいかないらしい。下着一枚になって水浴び場に入ると、男性参拝者たちが神ウリテルへ感謝の言葉を口にしつつ、手桶の水を頭から被っていた。中には体中に傷を負った戦士もいた。いささかむさ苦しい世界に足を踏み入れ、陸も水を汲む。かなり冷たい。隣でリンゲンが平気な顔をして水浴びするのを見て、妙な負けん気が生じて一気に全身に浴びる。「冷てぇ!」の叫び声に大爆笑が起きた。
汗を流して再びヤンと合流すると、少し遅れて別行動していた二人も戻ってきた。王子様は汗を流すのにお湯でも使ったのだろうか、少し赤らんだ顔を手で扇いでいる。そんなルカスを認めて、護衛の騎士が刺すような視線を白いローブに向け、睨まれた方はそっぽを向いた。
もしかしたら平気な顔をしつつ、リンゲンもお湯を使いたかったのかもしれない。
俺もだと陸は思った。
水浴びの後は、神殿内の礼拝堂に通される。
そこでは日付が変わる頃に聖女が姿を現して参拝者たちに声を掛けるのだが、あとは神殿の静寂を乱さないように過ごせばいい。神に祈ってもいいし、星を見てもいい。『ウリテルの寝台』から世界を見渡してもいいし、礼拝堂の隅で眠ってしまっても構わない。
約束事は一つだけ、神ウリテルへの感謝と尊敬の念を強く思いながら時を過ごすのだ。




