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 朝桐陸は朝から不満顔だった。


 三日ほどかけてかなり苦労して書き上げた手紙を師匠である魔術師、ヤン・ノベに校正してもらったところ、かなりの部分に取り消し線が引かれたて戻ってきた。特に、彼の身に起きたことについてこの喜びを姉にも伝えたい、共有したいと思って懸命にペンを走らせたのに、その記述がごっそり却下されたのだ。その上、アレは炎の精霊のいたずらだっただろうと梅干し顔に静かに迫られて、ドキドキしながら頷くしかなかった。

 結局、姉に送ることができた手紙には元気にしていること、祭りに行って楽しんだことをこれまでの手紙と同じくらいの分量で認めて、文官へと渡した。


 これとは別に、大収穫祭の観覧を終えてからヤンはやたらと陸の言動に厳しくなった。


 曰く、「言葉遣いが乱れたから」だそうだが、明らかに流暢に喋れるようになった陸を黙らせたいのだと分かった。この半年間、彼を喋らせるために講義を続けていたはずなのに、今度は黙らせようとしている。そのちぐはぐさの理由を、陸はまだよく理解していなかった。


 そして最後の不満ポイントは自分自身に対してであった。これが一番大きい。

 言葉が分かるようになったことは喜ばしい。それは間違いない。問題はその前後だ。ただし、金髪美少女に花が咲くような笑顔を向けられたことは不問に付す。あれは本当に可愛かった。時計のチャイム音にびっくりして少女を見失ってからがよろしくない。

 しつこく厚かましくあくどいまでに値切り交渉をしていたヤン・ノベの姿に茫然自失となり、母国語並みに聞き取れるようになったアクララン語のたどたどしさにショックを受け、最後には物理的に黙らされた。あの杖は危険物に指定すべきだ。

 大体、演出が地味すぎる。何故だか急に分かるようになった。できれば最初から分かっていたかったし、例え子供っぽいと言われようと、せめて何かしらの『特別感』が欲しかった。半年前から「アミシュとカバネはこの石好き」などと妙な口調で話しかけられていたのだとしたら何やら情けなさすぎる――などなどなど。


 言語教育に創意工夫を凝らすヤン・ノベの努力を知らなかった陸だが、普段は普通の子どもに接するようには話しかけていた。印象付けるために区切りながら話しかけると、どうしてもあの時陸が聞き取ったような口調に聞こえてしまうのだ。

 ネイティブ化への弊害なのかもしれない。


「今日も建国伝説を書き写す。ゆっくりと丁寧な字で取り組みなさい」


 あまり好きではない課題に、陸の口が尖った。




 眉間に切り裂き山脈を形成する教え子に、梅干し顔はやれやれと呆れた。

 大収穫祭を終えた翌日の午後から再び講義を開始したのだが、少し難しい言葉遣いをしても陸は難なく理解した。

 そして確証した。

 やはり陸は言葉が分かるようになった。

 言葉の指導役としては喜ばしいし、今まで使える単語に制約があった分様々な意見を交わしたいのだが、どうしても物影が気になって仕方がない。


(リクよ……)


 三日かけて次第に肌色の中に沈んでいく陸の切り裂き山脈を眺めながら老婆は思う。


(不満なのはお前だけではないのだよ)


 一体どうしてくれようかとヤンが唸っていると、呼び出したアミシュとカバネが二人の間を心配そうにクルクル回った。「大収穫祭では本当に申し訳ないことをした」と砂糖菓子を捧げながら精霊には謝ったのだが、いたずらの冤罪を押し付けられたアミシュが出てくるのはあの日以来だ。

 ようやく機嫌を直してくれたらしい。

 東国のようにならなくて良かったと胸を撫でおろす。


 目下の問題は、やはり陸との意思の疎通だ。

 あまり流暢に会話をしてはいけないし、かといってずっとだんまりで通させるわけにもいかない。困ったヤンは、とりあえず無難に建国伝説を書き写させることにした。いくら話せるようになったからとはいえ、陸はまだアクララン語の文法をきちんと理解していない。それを矯正する意味でも、伝説の書き写しは妥当な判断と言えた。

 

 神が無から大地と大海を作り、人と動物を生み出した。人が邪な言葉で唆され道を踏み外すと、信心深い若者アクラランに祝福を与え、乱れる国を統一させた。アクラランは神に感謝し、神殿と聖女を捧げ、今日に至る。


 現在一般に広まっているこの流れの建国伝説は、原文よりかなり短くなっている。どんなに幼い子でもすぐに覚えられるように構成し直したからとされているが、ヤンは恐らく違うと考えていた。


「……終わりました」


 ヤンがぼんやり意識を飛ばしていると、陸が書き上げた六回目の写経を差し出した。書き写している間に綴りや単語の過ちを見逃していることがあるので、それをチェックしてもらうのだ。

 じっくり時間をかけて確認する。五回目まではミスが目立ったが、今回は大丈夫だった。

 小腹が空いたので軽食でも頼もうと、少しの時間休憩をとることにした。




 さすがにここまで長時間書き取りをしていると、不慣れなペンを使っているわけでもないのに中指にはペンたこができていた。陸は親指で痛むあたりを強めにこする。


 アクラランでは付けペンも存在するのだが、高価なため一般的には羽ペンで書字が行われる。陸にはつけペンの方が支給されたのだが、何度もペン先をインク壺に浸す手間や、インクをつけすぎると液だれしてしまうといった不慣れが続き、結局使い慣れた自前のボールペンに頼っていた。聖女召喚の儀が行われた際、偶然にもズボンのポケットに入っていたのである。

 しかしそれも潮時かもしれない。陸はボールペンを分解して中身のインクを確かめて思った。ほとんど残量が残っていないのだ。これではいつ文字が掠れ、ボールペンがただの棒になってしまうかは時間の問題だ。


 陸愛用のボールペンは少し形状が変わっている。いわゆるタクティカルボールペンだ。軽量で丈夫な金属を加工して作られた両側のシルエットは細く尖り、片方はペン先となっている。普段は筆記用具として使用するが、いざとなったら護身具としての機能も併せ持っていた。

 十五歳の誕生日のプレゼントとして美祢から送られたものだ。何がいいか聞かれて、陸がリクエストした。いつのことだったか護身術の動画の中で登場したこの小さなアイテムが気になっていたのだ。


 小さい頃からのいざこざで、「他人は助けてくれない」と悟りのような考えにあった陸にとっては、この黒いボールペンはある種の救いだった。

 今では周囲にヤンがいて、アミシュとカバネがいて、近衛隊隊長も時々剣術指導の面倒を看てくれる。国王様も宰相も陸を気にかけてくれる。

 誰も助けてくれなかったのではない、陸も助けを求めてこなかったのだと痛感するが、それももう過去の話だ。少し重い造りの黒い棒を弄ぶ。くるくると器用に回すと双子の精霊たちが手を叩いてくれた。

 手遊びついでに先日仕入れたファイヤーオパールで手品もどきを披露する。アミシュとカバネはさらに強く拍手をして、石を貸してくれとせがんできた。


 黒い塊のような思い出を少しずつ消化しつつ、ペンをぼんやり眺めていると、無性に姉に会いたくなった。

 本人に知られさえしなければ、今この時点ではシスコンと思われようと構わない。それに目の前の老人ならば受け入れてくれるだろうと確信もある。


「……ちょっと、ちょっとだけ姉貴に会いてぇかも」

「『先生、姉上に会いたいです』」

「……姉上に、会いたいです」


 サンドイッチを摘まみながらしっかり指摘してくるヤンはさすがだ。

 弄んでいたペンを置くと、陸もクッキーに手を伸ばした。


「おかしいかな?」

「リク、丁寧に話しなさい」

「……はい」

「お前はおかしいかと言ったが、ミネ様はお前の家族だ。家族に会いたいと思うことはおかしくない。それは安心しなさい」

「…………はい」

「だが、前にも話したが、十三番目の月には嵐が来る。嵐が来たら外には出られない」


 祈りの季節とも呼ばれる十三番目の月には、人々は家に閉じこもってひたすら神に捧げるのだ。陸は祈りの季節ではなく修行ではないかと思っていた。


「一番目の月になったら嵐は去る。国王様に神殿に行きたいと聞いて、みれ……ば……」


 急に動きが悪くなったヤンに陸は焦った。このしわくちゃな老婆は、いつパッタリ倒れてもおかしくないほどに高齢だ。一瞬「もしかして」と思ってしまったのだ。

 暫くヤンは硬直していると、いきなり柏手を叩いた。


「それだよ、リク。それだよ!」


 急に両肩を掴まれ、枯れ枝のように細い両手でぶんぶん振り回され、陸は目を回した。


「リク、一番目の月になったら国王様に神殿に行く許可をもらおう、必ずじゃ!」


 急に元気になってサンドイッチを頬張り始めたヤンに訳が分からなくなる。

 とりあえず陸は「喉に詰まらせるなよ」と心の中で突っ込んだ。


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