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 アクララン王国には月が十三ある。

 一月から三月が冬、四月から六月が春、七月から九月が夏、十月から十二月が秋、そして十三月が祈りの季節と呼ばれていた。今は九番目の月の終わりだ。

 王宮全体が特殊な魔法ですっぽりと覆われているので、室内や敷地内は年中快適な温度に保たれ季節感はない。その代わりに植物の変化がもうすぐ紅葉の季節が来るのだと告げていた。


 召喚の儀が行われてから二カ月以上経つ。

 新しい生活様式にもすっかり慣れた少年は、ようやく自分好みに組み合わせることができた軽食を摘まみつつ、午後の講義に想いを馳せていた。ヤン・ノベに何度もお願いした末、剣術指導の時間を設けてくれることになったのだ。


(ついに、この日が来た……!)


 喜びを噛み締める。

 実は甲冑姿の騎士を見た時から、その凛とした姿に少なからず憧れていた。まだ長剣を構える様は見たことがないので殊更楽しみだ。

 茶色の柔らかな皮ズボンにひざ丈のブーツ、肘あてのついた麻のシャツという軽装に着替え、護衛の騎士とは別に同行する炎の精霊アミシュと、王宮内にいくつかある中庭の一つに来た。さすがに部屋の中で剣を振り回すわけにはいかないので、この日は野外学習だ。

 中庭では陸の先生である老婆と黒髪の長身が待っていた。


《リク、彼が教える》


 他の講義と同じように双子の精霊たちを相手に学ぶものだと思っていたが、本物の騎士の指導を受けられるらしい。しかも恭しく頭を下げるのは近衛隊隊長を名乗る男だ。

 本当にいいのかとヤンに視線を送ると、梅干し顔は口をへの字にしてそっぽを向く。


《王様が言った》


 その一言で全てを理解した。ヤンは不本意なのだろうが、さすがに王命には逆らえない。美祢が何度か「破格の待遇」と漏らしていたが、ちょっとした憧れから派生したささやかなわがまま一つで、まさか王宮の警備責任者まで引っ張り出すとは思わなかった。

 老魔術師の特徴的な形をした杖が空中を突くと、立体画像のような黒板が現れた。講義で学んだ平易な文法で、今回の講義についての但し書きが浮かび上がる。


《一つ、講義時間はいつもの半分。一つ、先生をよく見ること。一つ、指示に正しく従うこと。一つ、怪我に注意すること》


 さすがに初回から打ち合いが行えるとは思っていないが、しかしもう少しかっこいいことがしたかった陸には少々不満のある内容だった。さらに普段の講義は大体一時間程度だが、今回はその半分だから三十分で講義は終わるらしい。初回とはいえ、時間が足りないような気がする。試しに「不満です」とオーラを放ってみたが見事に無視された。


 しかし陸はよく理解していなかった。

 剣とは金属の塊で、見た目以上に重いのだ。


「おっも……」


 近衛隊隊長直々に手本の型を見せてもらってから、渡された長剣を両手で構えながら呻く。

 ただでさえこの数カ月重いものを持たない生活していたこともあり、なおさらずっしりと重く感じる。これを振り回すことなど絶対不可能だ。

 剣先を小刻みにブレさせながら陸は傍らの長身を伺った。


 廊下などで何度か見かけた時には、オオカミと鷲の意匠があしらわれた甲冑で身を包んでいたのだが、この日の隊長殿はシャツに暗い色のズボンと同系色のベストを合わせただけだった。近くの木には黒い外套かマントが掛けられているのが見える。もしかして本当は非番なのにこの時間のために付き合ってくれたのかと疑いたくなるくらいのラフな格好だ。


 遠目からでも、甲冑の美しさに負けない容姿を持つ黒髪緑眼の貴公子だと感じていたが、近くで見ると何とも言えない魅力があった。すれ違えば誰もがその姿に視線を奪われ、そのまま振り向いてしまいそうな、そんな人を惹き付ける独特の雰囲気だ。服の上からでも体がよく鍛えられているのが分かるが、王族の騎士だからといって、武骨であったり、熱血漢であったりすることはないようだ。

 容姿、家柄、実力、そして恐らく頭脳も。全てにおいて完璧すぎて、これで性格が歪んでいたらと願いたくなるのだが、近衛隊の騎士たちから注がれる憧憬の眼差しはそちらも素晴らしいのだと物語っていた。


 軽く腕を組んでいたリンゲンはへっぴり腰の陸を暫く観察すると、ヤンに何事か呟き、徐に自身の腕や腹を撫でた。それだけで言いたいことは大体分かった。剣を持つには陸の筋肉が足りないのだ。さらに陸が持つ長剣を取り上げ、今度は大振りのナイフを取り出した。ハンマーか何かで潰された刀身は、切っ先に向かって緩く沿っている。リンゲンがそれをダンベルのように上げ下げして見せると、ヤンは頷いた。


《リクはこれで練習しなさい》

《……はい》


 手渡されたナイフは見た目よりも重く、確かにダンベルとして仕えそうだ。刃も潰されているから怪我の心配もない。柄の部分は長剣と同じ造りをしており、握る練習にもなった。併せて、スクワットや腕立て伏せのやり方も指導してもらい、まずは筋肉量を増やしてから徐々に武器の扱いを教えるという流れでその日の剣術指導は終わった。

 次回は一週間後の同じ時間帯。

 今度は近衛隊の騎士たちが実際に訓練している修練場を見学させてくれるという約束は、陸の気分をあげるには十分だった。




 だが、日を置かずにその気分も急降下する事態になった。

 ついに「聖なる責務に専念してほしい」との王家と神殿から要求が出たのだ。

 戦況も好転せず不作も改善しないのは、聖女の祈りが足りず神の啓示が受けられないからだと、神殿の神官たちは異口同音に訴えた。

 聖女不在の二十数年間、打開策が見つからないまま難しい舵取りをしてきた国王本人も、陸がアクラランでの生活に慣れてきたことを踏まえて決断した。


「次回の馬車はない」


 美祢が王宮に戻ってきたある日。『召喚の儀成功の報告会』という名目で開かれた関係者集会の後、再び国王から呼び出され告知された。あまりに急な決定に美祢は抗議しようとしたが、未だ最初の責務すら果たせていない彼女の訴えは退けられてしまった。


 忘れかけていたが、本来聖女は毎日神殿に仕えるべき存在だ。

 ただ美祢の場合には言葉が分からない弟の存在もあり、週に一度面会の機会が与えられていた。王宮まで面会に行っている間は神殿に聖女が不在となる。国王からの口添えもあり、聖女不在の穴を埋めるために神殿の神官たちは前例のない判断をしたが、それももう限界だった。

 これまでの状況がいかに二人に配慮されていたのか、改めて思い知らされる。


 二人で過ごせる最後の時間をどうするか悩んで、朝桐姉弟は結局いつもと同じように過ごすことにした。図書館や植物園に行き、廊下をぶらぶらして、適当に目に付いた中庭で寝ころぶ。


「なぁ……前に話したときには『国家として正式に謝罪します』とか言っていたくせに、謝って無くない?」

「陸、国王様を悪く言うようなことは駄目。あれは報告会という名の謝罪会見だったのよ。それに本当に悪いと思ってくれているから、私たち、破格の待遇を受けているじゃない」


 幼子に言い聞かせるように宥める。


 確かに、前の世界では割と頻繁に報道されていた謝罪会見とは異なり、今回の集会では詫びの言葉は一つもなかった。その代わりアクララン王国で過ごすうちに、謝罪一つとってもその影響力の大きさを理解するようになってきた美祢は、これ以上の謝罪の仕方はないだろうと考えていた。


 報告会で最終的に採用された報告書の内容には、一連の出来事について選び抜かれた言葉で認められていた。聖女召喚の儀は正常に行われたが、思いがけず無関係な者まで呼び出してしまったこと、戻る術がないからこちらでの生活を保障しなければならないこと、それまで生活支援をする義務が国家として発生することなどがしっかり記載されていた。

 過不足なくただ事実だけが明記された文章には、美祢が指摘する隙もなかった。


 さらに、この報告書を王宮図書館内の閉架に納めると国王が断言した時、集まった関係者たちがどよめいた。立ち上がり、文章の再校か閉架収納の再考を促す者までいた。誰もが明言を避けたが、この資料が後世まで残ってしまったら、現国王クレイオス=アレクサンドル・アクラランの汚点になりかねないからだ。それは断じて避けねばならぬと次第に息巻く関係者たちではあったがしかし、国王は圧倒的な支配者の気迫をもって黙らせた。


 そもそも、この世界の常識に当てはめれば、執務室での謝罪すら必要なかった。

 国を指導する立場にある人間が、簡単に謝罪をしてはいけない。国王は『個人』ではない、どこまでも『公人』だ。頭数を数えるときには「一人」でも、その影響は彼が指揮する集団全体、つまりアクララン王国全体に波及する。だから簡単には頭を下げられず、膝を折ることも許されない。

 謝罪する側もされる側ともにきちんと理に適っているか正しく判断しなければならないからだ。理とは人の感情ではなく、明確に定められた法の支配に従わなければならない。個人の一時の感情で、国家を「謝罪」という法の鎖で縛りつけてはならない。謝罪することは難しいのだ。

 だから国王は執務室で膝をついた。

 当事者以外に、宰相と近衛隊隊長しかいないあの空間で、最大限の誠意を見せるために。


 クレイオス=アレクサンドル・アクラランは既に多くの誠意を示した。

 ならば次は、聖女がその誠意に報いるべきだ。


 だがその前に、もう一人向き合わなければならない相手がいる。


「聖女召喚の儀」は当然と考えるアクララン。

別世界に生まれてしまったので、強制帰国するために召喚された姉。

それに巻き込まれちゃった弟。

王国としては陸に対しては一貫して「何でいるの?」状態なので、本当は最初の非公式謝罪も必要もありませんでした。


そんな三者間において「謝罪することが理に適っている」とは言えないだろうということで、公式には明確に謝罪できない国王が公式的にできる謝罪の方法が「例え自分の汚点となろうとも事実を認め残すこと」でした。

ここまでしようとする国王にも事情があります。

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