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9

 昏睡状態だった陸が目覚めた時、美祢は自分の役割を演じる覚悟を固めていた。


 今後過ごせなくなる弟との時間の一分一秒を惜しむかのように、神殿に行くまでのほぼ全ての時間を陸と過ごした。食事の時間を知らせる以外は、二人で過ごす部屋に他人の侵入をなるべく許さなかった。

 途中で、陸の言葉の問題という思わぬアクシデントはあったものの、宰相の機転により陸に頼れる教育係が付くだけでなく「陸の様子を確認するために王宮に一時戻ってくる」という思わぬ特典が発生した。

 数々の奇跡に思わず神ウリテルへ感謝しそうになったことが決め手となって、ついに聖女としての本性を受け入れることにした。


 あとから冷静になって考えると、陸が目覚めなかったあの五日間は美祢を篭絡するために仕込まれた期間だったのかもしれない。しかし今となってはそれを確かめたところで何も変わらないし、もう彼女は前に進むしかないのだ。


(陸のためなら何でもする)


 ただひたすらに心にそう刻む。――美祢にとっての神様は、陸だった。




 使用人たちの手を借りつつ、手早く着替えと化粧直しをしていると、別れてから三十分もしていないのに美祢の部屋に陸が訪れた。昼間よりも華やかなデザインの衣装に着替えており、「エスコート、いるだろ?」と生意気な表情を浮かべている。

 美祢は一瞬泣きそうになって咄嗟に手で覆い隠し、両目からにじみ出る涙をハンカチーフで吸い取りながら弟の腕をバシッと叩いた。


「いってぇよ!」

「陸こそ、笑わさないでよ! やだ、おかしくて涙出ちゃった……」

「なんだよ、それ」


 少し騒がしくしながら夕食が用意された広間に向かうと、テーブルの上には大皿に盛られた料理がすでに準備されていた。

 テーブルの中心には、腕の長さはある大きな魚のレモン焼きに、中に香草が詰められた鳥の丸焼き。二つ並んだ小振りの土鍋は、レンズ豆のスープと人参と牛乳のスープで満たされている。パセリのソースが散らされた茹で野菜もあった。少し離れたところには、銀の飾り台に新鮮なフルーツが盛られていた。

 相変わらず二人分の量ではない。


 テーブルを挟んで向かい合わせに二人が席に着くと、給仕係がそれぞれの近くに立って食べたいものを取り分けてくれる。最初の頃は美祢の助けがなければ「肉が食べたい」とすら言えなかった陸も、今ではすっかり慣れた様子で次の料理を皿に盛りつけてもらっていた。

 クルミ入りのパンを千切りながら、ふと陸は姉が肉類に手を付けていないのに気付いた。香草の風味が良い鳥肉を勧めると、彼女は首を横に振った。


「今日は肉を食べちゃいけない日なのよ」


 彼女によれば、聖女には様々な制約がある。

 普段の生活リズムもそうだが、食事の内容も管理されていた。動物の肉が食べられるのは週に一度、魚と卵は週に二度。その他の日は野菜や果物、クルミといった木の実を食べる。

 声を掛けられるまで野菜ばかり口にしていた彼女だが、そういえば今日は魚が食べられる日だからと、レモン焼きの一切れを皿の上に取り分けた。


 なかなか制限の多い生活に陸は鼻白んだ。


「それよりも陸はちゃんと食べなさい。まだ成長期だから、いっぱい食べてね」

「ガキ扱いするなよ」

「私からしたらあんたなんてまだまだガキよ。ガキはガキらしく、大人の言うこと聞きなさい」

「偉そうに言うな」

「言うわよ」


 そんなこんなで夕食も終え、まだ夜というには早い時間なのに二人は暇になってしまった。食べ過ぎて苦しくなったお腹を撫でつつ、食後の紅茶を飲んでぼんやりする。

 美祢が神殿にいる間の陸は、食後はいつも自室に戻ってそこで待っているヤン・ノベやアミシュ達と過ごしていたので、時間を持て余すことなどなかったのだが、この後何をしようかと考え込んでしまう。

 目の前の姉に視線を送ると、ちょうど似たようなことを考えていたらしい。


「……陸、夜のお散歩に行ってみない?」

「どこまで?」

「植物園。そういえば、あるって聞いていたのにまだ行っていなくて。少し歩くけど、どうかな?」

「うーん、腹ごなしに丁度いいかも?」

「よし、じゃあ行きましょう」


 日暮れで景色が変わって見える王宮内を、護衛の近衛隊の騎士たちに案内してもらいながら植物園に場所を移した。


 ちょっとした市民ホールと同じくらいある大きな建物に入ると、そこに広がる光景に二人は言葉を失った。一瞬、世界的な名画の中にでも迷い込んだかと思ったのだ。


 視界を支配したのは、可憐な姿で誇らしげに咲き乱れる花々だった。一つ一つは淡く優しい色をしているはずなのに、その迫力はいっそ色彩の暴力であり、実際に頭を殴られたような衝撃さえあった。

 整備された花壇や優美な造りの鉢植えからも色とりどりの植物が、天に向かって元気に伸びている。目を凝らせば、アジサイの大きな株もあった。天井からもハンギングプランターがいくつも細い鎖で吊るされている。植木鉢を使っているのだろうがよく茂った植物に覆われてしまっていて、遠目からではモコモコした毛玉のようだ。

 建物の天井を支える壁や柱には鏡が取り付けられて互いに反射し合い、まるでずっと奥まで果てしなく続いているように見えた。

 その天井は大部分にガラスがはめられており、花の合間から見える星空は何とも神秘的だった。

 騎士たちが自慢の植物園なのだと道すがら説明していたが、それも納得だ。開いた口が塞がらない。


 迷い込んだら出られなくなりそうな、そんな不思議な植物園の床に敷かれたレンガ道を進むと、花々の間から白い彫刻が見えてきた。近くにはベンチもある。

 その彫刻には二人の人物が刻まれていた。

 立っているのは頭に布をふわりと被せた中性的な人物だ。慈愛に溢れた微笑みを称え、もう一人に向かって片手を差し伸べている。もう一人は若く美しい男で、身に着けているのは腰布とサンダルだけ。荒波のようにうねる頭髪と屈強な筋肉が男の力強さを強調している。恐れ敬うように片膝をつき、差し出された手に縋ろうとしていた。

 彫刻のどこにもタイトルはなかったが、それらが誰なのかすぐに分かった。


 ――神ウリテルと初代国王アクララン。


 恐らく神の祝福を受けている場面を切り取ったのだろう。一つ一つのノミの跡に魂が籠っているような出来栄えだ。

 王宮内でも神殿でも、神ウリテルと初代国王アクラランを讃える芸術作品は数多く目にする機会があったが、しかし何故、宗教を扱った芸術作品がこれほどまでに多く存在するのか?

 目の前の彫刻はその答えを物語っているようだった。


 伝説の一場面から目が離せないまま、無言のままベンチに座る。


「……姉貴、神様に仕えるってどんな感じ?」


 陸が唐突に問うた。

 自分の立場が決して神聖なものではないのだと口を滑らせそうになって、美祢は「まだよく分からない」と答えを濁した。

 言葉にできない苦悩を抱えた姉の気持ちを知ってか知らずか、陸は手袋に包まれたほっそりした手を握りしめた。


「……俺さ、この世界に来てから、いろいろ考えたんだよ。ちゃんと言葉を覚えたら王宮出て旅に出るかとか、このまま王宮で働かせてもらえないか、とか」

「うん」

「でも……」


 緊張なのか恥ずかしいのか、十五歳の少年は何度も深呼吸をして心を落ち着かせる。改めて両手で姉の手を握りしめると真摯に向き合った。


「これは姉貴がたった一人の家族、だから考えたことだからな。大真面目に話すから、シスコンとか言うなよ。……俺は、姉貴を支えたいと思っている。でも今の時分に何ができるか分からない。で、今、そこの彫刻を見て思ったんだ。『あれ? 神様とか聖女に近いところに行けば姉貴を支えることに繋がるんじゃないか?』って」


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