76、コノハ2
ギルドニスに話しかけられたことで、ボンヤリと目を覚ましたコノハは何が何やら分からないまま首を傾げる。突如目の前に現れた見知らぬ男と、何故か顔を真っ青にしているメイリーン。
この二人が原因で、コノハは今どういう状況なのか一切理解できていなかった。
「だれ……?」
「ギルドニス・礼音=シュカと申します。アデル様、メイリーン嬢とは知り合いでして」
「ふーん……」
傍にいるアデルが否定しなかったのでコノハは彼の言葉を疑わなかったが、その胡散臭い笑みがどうしても信用ならなかったのか、素っ気無い返事をした。
「よろしければ、悪魔様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……悪魔?」
眠っていたので、ギルドニスが自分のことを〝現代の悪魔〟と呼んだことを知らないコノハは、思わずキョトンと首を傾げた。
「おいギルドニス。コノハはまだ……」
「コノハ様と仰るのですね。アデル様が名付けられたのですか?」
「あぁ……」
(駄目……)
自分のペースで淡々と話を進めるギルドニスにアデルが当惑する中、蚊帳の外にいたメイリーンは震える手をぎゅっと握りしめている。
ギルドニスが現れたその瞬間から、彼女が危惧し続けている事態が今すぐにでも起きるのでは無いかと、それが不安で堪らないのだ。
どくどくと、心臓は激しく鼓動を打ち、くらくらと視界は定まらない。そんな不安定なメイリーンの目には、コノハに笑顔を向けているギルドニスしか映っていなかった。
ふらつく脚で歩き始めると、彼女はゆっくりとギルドニスの元へと歩み寄る。
「メイリーン?」
「……かか?」
様子のおかしいメイリーンに気づき、アデルたちは心配そうに彼女の姿を目で追うが、当の本人はそれに気づけていない。
そのままギルドニスの目の前まで辿り着くと――。
メイリーンはギルドニスの身体を、トン……と、弱々しい力で押した。
「っ……コノハ様を、連れて行かないでくださいっ……」
泣きそうなのをぐっと堪えているような、その震える声で紡がれた言葉は、メイリーンの純粋な本心であった。思わず、アデルたちは目を見開く。
神の力でもない、ただ一人の少女に過ぎない彼女の力では、ギルドニスをふらつかせることすら出来ないが、それでもその両手には彼女の全てが籠められていた。
メイリーンはコノハの正体を知ったその時から、ただ一つのことしか頭になかった。ギルドニスのような、悪魔を信仰する者たちが、コノハを手の届かない場所まで連れて行ってしまうのではないかと。ただそれだけを危惧していたのだ。
「コノハ様はっ……私たちの仲間です……!」
「っ……かか」
キっと、涙の溜まった瞳でギルドニスを力強く見上げ、メイリーンは宣言した。その精悍さに、コノハに対する純粋な思いに、彼は心を打たれる。そして同時に、アデルもメイリーンがそう断言してくれたことに、驚きと言いようのない喜びを感じていた。
メイリーンはアデルと違い、ギルドニスの言葉の意味を真に知っているわけでは無い。ただメイリーンに分かるのは、コノハが悪魔であるということだけ。その飾らない事実しか、今現在の彼女に分かっていないのだ。
だがメイリーンはコノハが悪魔であるという事実ではなく、コノハがいなくなってしまうことを一番に心配していた。コノハが悪魔であること自体に、不安や嫌悪感を抱いている訳ではないという、何よりの証明であった。
「……メイリーン、大丈夫である」
「っ……?」
背後からメイリーンの肩に優しく手をかけると、アデルは静かに言った。思わずメイリーンは首を傾げながら、不安気に後ろを振り向く。
「ギルドニス。お主は別にコノハを連れて行くつもりなど無いのだろう?」
「えぇ。もちろんですとも。そもそも私は始受会を破門になっている身です故」
「……だそうだ」
ギルドニス自身にそもそもその意思が無いのなら、メイリーンの心配は杞憂も良いところなので、彼女は茫然自失とした状態で二人の会話に耳を傾けている。
「…………本当、ですか?」
「えぇ」
「他の、始受会の方々は……」
「それも心配ないかと。あの者たちは悪魔様に信仰を捧げる身……当人の意思でもない限り出過ぎた真似はしませんよ」
「……」
サラリと告げられた事実がどれだけメイリーンの波打つ心を救ったか、ギルドニスには恐らく理解できないだろう。安堵したメイリーンは膝から崩れ落ち、へにゃりと地面に座り込んでしまった。
呆けているように見えるその表情からは、彼女の心からの安堵が窺えられる。
「っ、よかった……」
ポロっと心の内を吐露したメイリーンはふと、身体全体に伝わる温かさに目を見開く。
ぎゅっと、優しく、それでいて力強く。コノハに抱きしめられたメイリーンは一瞬だけ当惑し、それでもその温かさに涙を零した。
彼から温かさを与えられたことで、コノハが今ここにいる事実を実感でき、緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのだ。
「かか、ありがとう…………俺、かかを置いてどこかに行ったりしないから……安心して?」
「っ……はい……」
コノハの背に腕を回したメイリーンは、感情を溢れさせないようにぎゅっと唇を噛みしめると、その唇と同じように彼のシャツを握り締めた。
そんな二人を目を細めながら見守っているアデルに、ギルドニスは意味深な眼差しを向けている。
しばらく抱きしめ合っていた二人だが、ふと大事なことに気づいたメイリーンがギルドニスの方を振り向いたことで距離を取る。
「あっ……ギルドニス様……先程は失礼な勘違いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ別に。あなたに勘違いされたところでどうということはありませんので」
「あはは……」
特段メイリーンに対する興味を持っていないギルドニスは、陳謝してきた彼女に冷たく返した。相変わらず悪魔に関すること以外には興味を示さないギルドニスに、彼女は苦笑いを浮かべる他ない。
「メイリーン、コノハ。詳しい話は皆が集まった際にしても良いだろうか?今はメイリーンに頼みたいことがあるのでな」
「私に、ですか?」
「あぁ」
アデルの頼みに、コノハはコクンと首肯して返した。詳しい話とは、もちろんコノハの件についてである。
一方、名指しされたメイリーンは何を頼まれるか分からず、キョトンと首を傾げている。
「コノハはルークたちと合流するといいのだ」
「分かった」
「ギルドニスは……」
「はい!」
「……そうであるな。どうせなら手伝ってもらうとするか」
「「?」」
キラキラとした瞳を一身に受けてしまい、アデルは顔を引き攣らせつつそんな提案をした。思わず全員がキョトンと首を傾げてしまう。
当惑気味の二人を連れ、アデルは早速華位道国へ転移するのだった。
********
それから数分後。ギルドニスは転移した先で一人ポツンと残されたまま、空を見上げていた。
場所はアデルが華位道国に一時的に作った家のそばである。アデルの転移術は一度訪れたことのある場所への移動で効力を発揮するので、一度その場所に転移したのだ。
そして何故ギルドニスが空にガンを飛ばしているのかというと。端的に言ってしまえば、そこにアデルたちがいるからである。
――数分前。
『――なるほど。それで私に華位道国の方々を気絶させてほしいと』
『あぁ。出来るであるか?』
『えっと……フェイントは基本的に対象を認識しなければなりません。一人一人を視認しなければならない訳ではありませんが……要するに、どれだけ対象のイメージを固められるかが重要なのです。例えば今見えている範囲にいる全ての人、とか』
対象を一日間気絶させる神の力は、その対象をメイリーンが認識していなければかけることが出来ない。もし大勢の人間を一斉に気絶させたいのであれば、それなりの条件を指定してイメージを構築する必要があるのだ。因みに、怪我や病を治癒する〝ヒーリング〟は例え詳しく認識できていなくても行使できるので、そういった点で違いが生じている。
『ふむ……ならば飛ぶか』
『……へっ?』
メイリーンの説明を聞き、考え込んでいたアデルは唐突にそう言った。一方のメイリーンは、アデルが何を言っているのか理解できず、思わず呆けた声を漏らしてしまう。
『メイリーンが危惧している問題は我が何とかする故、メイリーンは取り敢えず力を行使する準備をしてくれるか?』
『は、はい……』
当惑しつつも、メイリーンはアデルに促されるまま歌を歌い始めた。そして彼女が歌を歌い終えると、アデルは何の前置きも無く彼女を横抱きし、そのまま上空へと飛び立ってしまったのだった。
********
そして現在。アデルは空気中のジルを操り、空気で身体を押し上げる要領で空を飛んでいた。
アデルに横抱きされている恥ずかしさと、今まで経験したことの無い高さから華位道国を見下ろしている恐怖で、メイリーンは平静を保っていられずにいた。
「メイリーン。見えるであるか?」
「は、はいっ……要塞と城付近にいる方々を全て気絶させれば良いのですよね?」
「あぁ。頼むのだ」
アデルがメイリーンを連れて飛んだのは、一目で気絶させるべき敵全てを把握する為である。空から見下ろせば個人個人を判断することは出来ないが、存在を認識することは出来る。〝フェイント〟は認識さえ出来ればいいので、力を行使するにはそれで十分だったのだ。
因みに、要塞と城付近の人間に限定したのにも理由がある。林の家族がどこに監禁されているか分からないとは言っても、可能性を減らすことは出来る。
例えば、林の全く知らない、軍とは無関係の場所に家族を隠しているという可能性。これはまずあり得なかった。華位道国が直接関与していない場所は確かに見つからない可能性が高いが、同時に全くの無関係の国民に見つかってしまう可能性も高くなってしまうのだ。なので、林の家族が監禁されているのは、少なくとも誰もが簡単に出入りできるような場所では無いということだ。
それを踏まえるとやはり、要塞や城のどこかということになるのだ。
(今見えているお城と要塞の傍にいる人たちと、建物の中にいる見えない人たち全てを対象にする認識で……リオ様たちはちゃんと除いて…………よし)
「フェイントっ!」
イメージを固めると、メイリーンは地上に手を向けて詠唱した。刹那、空から地上に向けて無数の雷が一気に放たれる。その壮観さは凄まじいものであった。
空からの視界では分かりにくいが、メイリーンが指定した者たちは一人残らず気絶しており、アデルたちは一先ず胸を撫で下ろすのだった。
********
一方その頃、華位道国で激しい戦闘を繰り広げていたリオたちは、その異変を逸早く察知していた。
「……っ」
「あれま。何事?」
突如、戦っていた全ての敵が雷に撃たれて気絶したので、ナギカは目を見開いたまま固まってしまった。一方のリオは、ナギカ程では無いにしろ呆けた様に首を傾げている。
「……あー、メイメイの仕業ね。どうかしたのかしら?」
「メイリーン様ですか?」
「うん。事情はよく分からないけど……取り敢えず、俺たちの仕事が一段落して良かったわぁ……これでやっと寝れる」
メイリーンによる攻撃であることはすぐに理解できたが、事情を知らないリオには彼女の目的など皆目見当もつかないので、彼は早々に思考を放棄した。
一先ず役目が終わったことで気を緩めたリオは地面に腰を下ろし、早速睡眠を取ろうとしている。戦闘直後でアドレナリンが出て仕方が無い状態で眠ろうとしているリオに、ナギカは呆れの眼差しを向ける。一方で、こんなにも死屍累々とした血生臭い場所で眠れる点を感心してしまう思いもあった。
そんな中、自らを洗脳状態にしたアマノのことが気になったリオは、眠りにつく前に彼の様子を確認しようと視線を向けた。敵がいなくなったことでアマノはその動きを止めていたが、何やら様子がおかしいことにリオは気づく。
「?…………っ!」
思わずリオが首を傾げた途端、アマノは力尽きた様に背中から倒れたのだ。リオは咄嗟にその場から駆け出すと、アマノが身体を打ち付ける前に支える。
腕の中で身体を預けるアマノは非常に顔色が悪く、先の戦いで肉体を酷使したことは明らかであった。洗脳のおかげで俊敏に動くことは出来ても、これまで鍛えてこなかったアマノの身体が、どうしてもその動きについていけなかったのだろう。
「っ、はぁ……クソガキの分際で心配させるんじゃないわよ……」
「ほう。心配しているのですか。意外です」
何とかアマノの頭を地面に打ちつけずに済み、リオは安堵のため息を漏らした。そんなリオに対し、ナギカは相変わらずの能面でサラッと言ってのけた。
「ナギ助揶揄ってる?」
「初めてリオ様の焦った表情を目の当たりにしましたので、つい」
「うげぇ……」
「何ですかその反応」
「その初めてがクソガキ発端っていうのがうげげだよ」
ナギカから客観的な見解を聞いたリオは思い切り顔を顰めたが、アマノを支える腕の力を緩めることは無い。そんなリオの二律背反な態度を前に、ナギカはまたしても〝素直じゃない人〟という認識を確固たるものにするのだった。
次は明後日投稿予定です。
この作品を「面白い!」「続きが気になる!」と思ってくださった方は、評価、感想、ブックマーク登録をお願いします!
評価は下の星ボタンからできます。




