69、決戦前夜
モルカとグレイルが口論している内に、各々役目を終えていたリオたちは不穏な空気を感じ取り、アデルたちの様子を蚊帳の外から眺めている。
だが感情的になっているモルカはそれに気づける程余裕が無く、噛みしめていた唇をそっと開く。
「……なら、せめて母親である私に一言でも言ってくれればよかったじゃない……サクマをどうするのか、私に少しでも相談してくれれば良かったじゃない…………どうして……どうして?どうして、何も言わずに、一人で勝手に決めて、勝手にサクマを殺したのよ……あんまりよ……ねぇ?どうしてなのよ?」
「……」
何かに取り憑かれたようなモルカは、アデルの腕を掴むと縋るように尋ねた。まるでアデルのことを、憎きエルだと思っているかのように。
尋ねられたアデルは、何も答えなかった。ただただ、その赤い瞳をガラスの様にしてモルカを見つめ返すだけ。声どころか、呼吸さえもしていないのではないかと思える程アデルは静かだった。
だがモルカはアデルが何も答えてくれないことが腹立たしく、ただ悔しかった。理由も分からないので、どうしようもない理不尽に晒されているような感覚に陥る。
「何とか言ってよ……ねぇ!答えてよっ……」
「……」
「っ……」
何度尋ねられても、モルカが泣き顔を浮かべても、アデルは口をキュッと堅く結んで答えようとはしなかった。他人から見れば逃げのようにも思えるそれには、どこか強い意志のようなものも感じられる。
アデルが何を考えているのかも、自分がどうすればいいのかも分からなくなったモルカは、彼の腕を放してその場から逃げ出した。
「待つのじゃモルカっ!」
「よい、グレイル殿」
「しかし……」
「よいのだ……」
咄嗟にモルカを呼び止めようとしたグレイルを、アデルは優しく制止した。困ったように微笑むアデルはどこか無理をしているようで、リオたちは胸を締め付けられるような感覚に陥ってしまう。
「アデルん……」
「…………本当は、分かっているのだ」
「?分かっている、とは?」
俯きがちにポロっとアデルが吐露すると、グレイルは首を傾げた。何と表現すればいいのか分からないというのに、アデルのその表情は底知れぬほど優しく感じられたから。
「何故師匠が何も言わずに愛し子を殺したのか……本当は、手に取るように分かるのだ」
「っ……?ならば何故、モルカに答えてやらなかったのじゃ?」
「……師匠が誰にも相談しないまま決断したのは、全ての責任を自分一人で負うためである」
「「っ……!」」
静かに告げられたその推測に、全員が目を見開いて息を呑んだ。一人落ち着いているアデルは、どこを見つめているのか分からないような虚ろな目をしている。だがリオたちは思った。もしかするとアデルは、記憶の中のエルを優しく捉えているのかもしれないと。
「あのご婦人に判断を委ねた場合、結果がどうなったかは分からぬが、恐らくサクマを殺すか、殺さず亜人の国を危機にさらすかの二択しか無かっただろう。どちらにおいてもその責任は大きく付き纏ってくるのだ。だから師匠は、その重い責任をご婦人に負わせないために。全てを自分一人のせいにするために。何も言わなかったのだと我は思う……師匠は、そういう人である」
「「…………」」
それはアデルの憶測でしか無いが、同時に説明しようのない確信でもあった。
「そういう人だ」と、優しく微笑みながら語ったアデルを目の当たりにし、リオたちは思った。自分たちはこの領域には決して入れないと。
例えどれ程アデルと親密になろうと、どれ程アデルとの絆を深めても、どれ程信頼し合っても。エルとの関係には決して敵わないと。
その強烈な何かに中てられ、思い知らされたリオたちは、劣等感にも似た感情に蝕まれる。
「……一人で抱え込みおって……不器用にも程がある」
「不器用な師匠なりに、考え尽くした結果であろう…………我があのご婦人に、師匠の思いを伝えるのは簡単である。だが、我の自己満足で師匠の思いを無駄にはしたくなかったのだ」
モルカに問いただされても答えなかった理由をアデルは語った。不器用すぎるエルにグレイルがため息を零す中、アデルはハッと大事なことを思い出す。
「それよりも今は、華位道国の件を何とかせねばな」
「そうじゃな……」
明日からこの国がどうなってしまうのか想像することも億劫で、グレイルは漏れ出るため息を抑えることが出来ない。亜人たちが華位道国に隷属させられることを避けるためには戦うしか無いのだが、華位道国程の大国と真面にやり合える自信などグレイルには無かった。
一人一人の戦闘力であれば確実に亜人の方が上なのだが、戦闘員の数が圧倒的に違いすぎるのだ。今回の様に何度も他国と戦争してきた華位道国は、このアンレズナで最も人口の多い国でもある。
「まぁそんなに思い悩む必要ないんじゃないかしら?俺たちが華位道国の奴らをぶっ飛ばせばいいだけの話なんだから」
「簡単に言いますね」
「あれ?ナギ助は自信無いの?」
グレイルを励ます様に言ってのけたリオを前に、ナギカは呆れと感心入り混じる声を上げた。それを好機と見たリオは暗い雰囲気を明るくする為、茶化す様に尋ねた。
「自信云々以前に、あの男が言っていたではありませんか。凄まじい戦力を保持していると。それが一体何なのか分からない以上、警戒するに越したことは無いかと」
「うーん。ド正論」
場を和ますために煽ってみたものの、反論しようのない正論で返されてしまい、リオは貼りついたような苦笑いを浮かべた。
「とにかく、明日に向けて計画を立てた方が良さそうであるな」
アデルの鶴の一声で、レディバグ一行は華位道国との戦いに向けて計画を立てることになった。
その結果、アデルたちは大きく二手に分かれて行動することが決定した。まず亜人の国で華位道国の戦士たちを迎え撃つのはアデル、メイリーン、コノハ、ルーク、ナツメの五人。因みにナツメは亜人の国から華位道国に留まっている戦士たちを狙撃する役目も担っていて、ルークはそんな彼女の護衛も兼ねている。
そして残りのリオ、アマノ、ナギカの三人は華位道国に向かって直接その戦力を削る役目である。
亜人の国に戦力を集中させたのはもちろん、華位道国側が攻めの方に力を注いでくると考えたからだ。宣戦布告したあの男の言う〝凄まじい戦力〟とやらも、この国に向けられる可能性が高いので当然の判断ではある。
この国に住まう亜人も戦える者は参戦することになったが、やはりその数は圧倒的に少なかった。元々の人口が少ないのでこれはもうどうしようもない話なのだが、彼らの不安は募るばかりである。
********
その日の深夜。アデルは国の避難所に足を運んでいた。明日の戦闘に参加しない女子供や老人が身を潜める予定のその場所に、強固な結界を張る為である。
結界は時間をかけて張った物ほどその強度を上げていくので、アデルは寝る間も惜しんで強固な結界作りに着手することにしたのだ。
避難所を囲むように張った結界に、自身から生み出されるジルをどんどん注ぎ込んでいると、アデルは静かな足音に気づく。
「……リオ」
「おっつかれー、アデルん」
足音の正体はリオで、呑気に手を振りながらアデルの元へ歩み寄った。一方のアデルは衝撃を受け、目を見開いている。
「どうしたのだリオ……こんな時間にリオが起きているなんて…………槍でも降るのか?」
「ごめんそれ微妙に否定できないやつだから。ややこしい」
普段であれば、真っ昼間でも暇さえあれば睡眠を取っているリオなので、誰もが寝静まるこの時刻に彼が起きているというのは中々の衝撃だったのだ。リオらしからぬ行動を指摘したアデルだったが、当に明日から槍が降ってくるような事態に見舞われるので、思わずリオはツッコんでしまった。
「ほら。明日からアデルんとは別行動になるから、少し話しておきたくて」
「なるほど」
「ねぇアデルん……」
「ん?」
「……ワンコお師匠様って、どんな人だったの?」
静かに尋ねられ、アデルは思わず避難所からリオに視線を移す。リオはしゃがみながら避難所を見上げていて、アデルに一瞥もくれないその瞳から感情を読み取ることは出来ない。
アデルも真似るように視線を戻すと、ゆっくりとエルとの思い出を一つ一つ丁寧に思い出し、リオに答えてやることにした。
「そうであるな……まず口が悪いのだ」
「あはっ、口悪いんだ」
「うむ、毒舌である」
「それから?」
「とても強いのだ。戦闘能力はもちろんであるが、その心がとても強い人であった」
「ふーん。アデルんよりも?」
「師匠は我の方が強くなったとは言っていたが、我にとって師匠は師匠なのでな。あまりそういう実感は無いのだ」
「そっか」
「師匠は毒舌で、強がっているが、本当は寂しがり屋である」
「へー、意外」
「友達がいないことをコンプレックスに思っていたのだ」
「自分で毒吐く癖に?」
「だから不器用と言われるのだ。師匠は」
「あー。なるほどね」
「そして文句が多い割には、何だかんだで我の気持ちを尊重し、許してくれる……優しい人であった。我を、本当の子供のように育ててくれた。大事な師匠である」
「……そっか」
他愛の無い会話の様に語り合う二人が視線を交わすことは無かったが、それでもそこに冷たさは一切感じられなかった。それは二人の間に絶対的な信頼があるからだろう。目を合わせる必要も無いほどに。
しみじみとリオが呟くと、そこで二人の会話は途切れた。沈黙が流れるが、そこに気まずさは無い。
「急にどうしたのだ?リオ」
「……よくよく考えてみるとさ、俺の大好きなアデルんをこんな風に育ててくれたのって、ワンコお師匠様なんだよね。それってつまりさ、もしワンコお師匠様がいなかったら、今のアデルんは存在してないってことじゃん?そう考えると、どんな人だったのかなって気になったのよ」
「そうか……我もリオのことが大好きであるぞ」
「っ……そ」
屈託のない笑みを向けられたリオは照れたのか、朱に染めたその顔をプイっと逸らしてしまう。どうやってエルはこんな天然タラシを育て上げたのだと、リオは疑問に思わざるを得ない。
「……ごめん、ちょっと嘘」
「?」
「俺ね、ちょっとワンコお師匠様に嫉妬してたのよ」
「嫉妬、であるか?」
予想外の単語に、アデルはキョトンと首を傾げた。
「嫉妬って言うと大袈裟だけど、アデルんにとってワンコお師匠様って特別な人でしょ?もちろんアデルんは俺たち仲間のことも大事にしてくれるけどさ、ワンコお師匠様に対する思いに比べたら全然敵わないから」
「リオ……」
「困らせてごめん。そりゃあアデルんにとってワンコお師匠様は親みたいなものだから、俺たちに対する好意と種類が違うのは当然って分かってるんだけどね……」
あの時感じた劣等感にも似た感情を、リオは嫉妬と称した。どんなにアデルからの信頼を得ても、どれだけ好かれても、リオは彼の仲間の一人でしかなく、エルのような唯一無二の存在にはなれない。そのことをリオは気にしているのだ。
自嘲するように俯いたリオの素直な気持ちを知ったアデルは、目をパチクリと瞬きさせる。何故なら、リオがそのような感情を抱く必要は皆無であると思ったから。
「確かに師匠は我にとって唯一無二の特別な存在ではあるが、それはリオたちも同じであるぞ?」
「え……」
「だってリオは、我の親友であろう?」
「…………」
当たり前であるように言ってのけたアデルを前に、リオはポカンと茫然自失としてしまった。ありきたりな励ましを想定していたリオにその発想は無かったのか、純粋無垢な驚きで目を見開いている。
「も、もしや……親友だと思っていたのは我だけであったか?」
「へっ……?あっ、ち、違う違う違う!そうじゃなくて、その……驚いて」
あまりにもリオが呆けていたせいで妙な勘違いをしたアデルは、不安気に尋ねた。だが咄嗟にリオが否定したので、アデルは自身が自意識過剰では無かったことにホッと胸を撫で下ろす。
「そ、そうか。ホッとしたのだ」
「……アデルん、そんな風に思ってくれてたのね」
「あぁ……リオも我にとっては唯一無二の存在故、そのようなことを気にする必要は無いのだぞ?」
「アデルん……ありがとねっ!」
アデルの素直な思いが嬉しく、リオは満面の笑みを彼に向けた。いつもどこか飄々としているリオだが、その笑顔だけは何の含みも無い子供らしいものだった。
心の痞えが取れて安心したのか、リオは嬉々とした声を上げると同時にアデルの肩に凭れかかって眠り始めてしまった。
肩に親友の重みを感じつつ、アデルは結界にジルを送り続ける。
とても明日からこの国の命運を分ける戦争が始まるとは思えない程、穏やかな夜が更けていく。そんな平穏が奪われないように、アデルは対策に力を入れるのだった。
次は明後日投稿予定です。次回、新キャラ登場します!
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