66、エルと悪魔の愛し子1
久しぶりに師匠が登場します!
真っ白な顎髭が特徴的な羊の亜人――グレイルはアデルの姿を目の当たりにした時、雷に打たれたような衝撃を受けていた。
そして、そんなアデルの口からエルの名前と、かつてこの国で生まれた悪魔の愛し子のことが発せられ、本能的にこう思った。アデルが亜人の国を訪ねてきたのは、天からの思し召しなのでは無いかと。
過去から目を逸らし続ける愚かな自分たちに対する、残酷な運命なのでは無いかと思えて仕方が無かったのだ。
「……青年……エルを知っているのか?」
「エルは……我の師匠であった」
「なんとっ……」
更に告げられる衝撃的な事実に、グレイルは言葉を失ってしまう。それもそのはず。
かつて悪魔の愛し子を手にかけた存在が、また別の愛し子を弟子にするなど、一体どんな運命のいたずらなのだと。誰に向ければよいのか分からない疑問を持たない者はここにはいない。
「……そのエルは今、どうしているのじゃ?」
「……」
長年この国に帰ってきていないエルのことを尋ねると、途端にアデルは哀愁入り混じる相好で口を噤んでしまう。
そんな彼の反応に首を傾げるグレイルたちだったが、次の瞬間アデル以上にその表情を悲しみで歪ませることになる。
「……師匠は、死んでしまったのだ。悪魔に、殺され……」
「っ!?……あぁっ……なんということじゃ……」
それ以上、アデルはエルの死について説明することが出来なかった。グレイルたちの、亜人の国に住まう者たちのその悲痛な表情を目にし、エルの死が彼らにとって悲しまずにはいられないことを悟ったから。エルの死を悼んでくれる彼らに、どのようにして死んだかなんて言えるはずも無かったのだ。
何せエルは一切の抵抗も出来ない状況で、愛しい弟子であるアデルの前で、一瞬にしてその首を刎ねられたのだから。
「我にもっと力があれば、防げた事態である……師匠を死なせてしまったこと、謝って済むようなことでは無いが……」
「待つのじゃ。誰も君のせいだなんて思ってはおらぬ。どうか頭を下げようとするのはやめるのじゃ」
「……師匠の家族は、いるのだろうか?」
グレイルたちが許しても、もしエルに近しい存在がいるのであれば、その者たちは許してくれないだろう。そう思ったアデルは、その存在について尋ねずにはいられなかった。
「エルの両親は、アレが幼い頃に事故で亡くなっているのじゃ。恐らく家族と呼べる存在は、君だけだったのではないだろうか」
「……そう、であるか」
家族。自分がエルにとってのそれに相応しかったのかなんて、アデルには分からない。悩んでも答えなど出るわけも無く、アデルはかつてのエルの言葉を思い出していた。
『アデルの親はこの僕さ。君がアデルの親だなんて、気持ちの悪い勘違いはやめて欲しいものだね』
アデルの生まれたクルシュルージュ家の当主――ルークス・クルシュルージュが彼を実家に連れ帰ろうとした際。そんなルークスを追い返したエルが放った言葉である。
その時のエルの断言がどれだけ嬉しく、アデルの心を温かく満たしてくれたか。アデルにとってはそれだけで十分だったはずなのだ。
にも拘らず、今更エルの言葉を疑うように思い悩む自身の女々しさに、アデルはほとほと嫌気が差してしまう。
「実は……師匠を連れてきているのだが……会うか?」
「なんじゃと……?それは本当なのか?」
「あぁ……ナギカ、ベッドを借りてもよいだろうか?」
「はい。どうぞ」
既に死んでいるエルを連れてきているという、現実味に欠ける事実にグレイルたちは当惑した。その為、アデルは見てもらった方が早いだろうと、ぬいぐるみを憑代にしているエルを元に戻すことにした。
結局グレイル以外の来訪者たちもぞろぞろとナギカの家に上がることになり、全員で久方ぶりのエルとの再会を果たすことになった。
アデルは荷物の中から犬のぬいぐるみを取り出すと、それをベッドの上にちょこんと置き、早速術を解くことにした。アデルがぬいぐるみに触れた次の瞬間、それは生気のないエルの遺体に変化し、グレイルたちはあまりの衝撃に目を見開く。
「「っ!?」」
すかさずタオルケットをエルの身体にかけてやると、アデルは誰もが息を呑んでしまうような瞳でエルに視線を送っていた。
その瞳に込められた感情は、この世界の誰にも理解することは出来ないだろう。何故ならアデルとエル――この親子の全てを知るのは、本人たちしかいないから。アデルとエルが出会い、エルがその命を散らすまでの期間は、本当に二人だけの世界で完結されており、他人が入り込む隙間など無かったから。
愛情、尊敬、哀愁、渇望、慈愛……。一言では言い表せない感情の波に、彼らは目を奪われた。
「師匠……師匠の故郷であるぞ。皆、師匠のことを心配してくれる、良い同族であるな」
「「…………」」
しゃがみ込み、目を細めたアデルは優しすぎる声音で、返す言葉を持たないエルに話しかけた。その姿を目の当たりにした彼らは、とてもでは無いが言葉を発することなど出来ない。
だが、グレイルただ一人がアデルと同じように膝をつき、冷たいエルの顔を覗き込んでいた。
「……久しぶりじゃのぅ……エル。お主は相変わらず……もう息絶えているというのに、目麗しいのは変わらぬなぁ……皺一つないではないか……」
ゆっくりと、皺くちゃなその手でエルの頬を撫でるグレイルの言葉には、どこか切なさがあった。
「本当に……この老いぼれと比べれば、まだまだ若いというのに……こんなにも若くしてあの世へ旅立ってしまうなんて……」
エルの享年は七十だが、その数字は十分に生きたという証にはならない。亜人の寿命は他の種族よりも長いので、七十歳というのはまだまだ若い世代なのだ。それはエルの容姿を見ても明らかで、若くしてエルが死んでしまったことをグレイルは哀れんでいる。
何百年も生き、皺だらけになった自分は未だ息をしているというのに、まだ若いエルがその美しい顔に皺を積み重ねることが出来ないという現実を、グレイルはあまりにも酷だと思ってしまった。
********
アデルはベッドで寝そべるエルを元の犬のぬいぐるみに戻すと、エルの死を悼んでくれたグレイルに視線を向けた。
「グレイル殿……聞いてもよいだろうか?」
「エルのたった一人の愛弟子の頼みじゃ。儂に答えられることであれば、何でも話そうではないか」
「感謝するのだ、グレイル殿」
グレイルは恐らく、アデルから何を聞かれるか分かっていたのだろう。分かっているというのに快く承諾してくれたグレイルに、アデルは感謝の意を込めて破顔した。
「……何故師匠は、この国に生まれた愛し子を殺したのであるか?」
「……あれはもう、三十年ほど前のことじゃ――」
長年アデルが疑問に思い続けていたこと。その謎に対する答えを、グレイルは語り始めた。
********
――三十年前。
「悪魔の愛し子……」
エルが冒険者として名を馳せ始めた頃。亜人の国に悪魔の愛し子が生を享けた。何の前触れも無く唐突に。
うっすらと、赤子の頭から生えているその髪は黒く、涙が滲むその瞳は南天の実のように赤い。熊の亜人であったが、そんなことは彼らにとってどうでも良いことであった。
「どうして私たちの子供が……」
その母親は、お腹を痛めて産んだ我が子が悪魔の愛し子という事実に絶望し、彼を抱きしめることなく項垂れてしまった。周囲の亜人たちも当惑気味に視線を泳がすだけで、母親にかける言葉を持っていなかった。
だが――。
「生まれてしまったもんはしょうがないだろう?母親が子供の前でうじうじするもんじゃないよ。そもそも、この国は愛し子に対する差別が大して無いじゃないか。不幸中の幸いさ。悪魔の愛し子ってことを気にする隙も無いぐらい、僕たちがこの子を愛してやればいいだけの話だ。そうだろ?」
たまたまその出産に立ち会っていたエルの発言には、その場の空気を一変させるほどの力があった。誰一人として彼の誕生を喜べない中、エルだけがポジティブな意見を述べていて、それを否定できるような薄情者は一人もいなかった。
「それが嫌だってんなら、アンタが子供を殺せばいいだけの話だ。その覚悟も無い癖に悲劇のヒロインぶるのはやめな。今この場で最も哀れなのは、誕生を誰からも祝われないこの小さな赤子なんだからね」
「……」
それはあまりにも力強く、母親にとっては酷な言葉だった。そして何より、正しい言葉でもあった。
悪魔の愛し子として生まれてきた彼の未来を哀れみ、子供が辛い思いをするのを避けたいと言うのであれば、意識の無いうちに一思いに殺してしまうことが母親にできる唯一だ。もちろんエルはそれが正しいと思っている訳でも、それを勧めている訳でもない。
ただ、それもせずに自分の子供が悪魔の愛し子として生まれたことを嘆くだけというのは、あまりにも無責任ではないかとエルは戒めたのだ。
「可愛い顔をした子供じゃないか……ま、僕の次ぐらいにだけどね」
「……」
冗談交じりにエルが言うと、その場の張りつめた空気が一瞬にして温かくなった。思わずベビーベッドで寝転がっている我が子に目を向けると、母親はその柔らかな頬にそっと触れた。
その手は少し震えていたが、母親の表情に迷いはないように思える。
「……私、この子を愛せるかしら?」
「愛したいと思うのと、端から愛そうとしないのはかなり違うと思うけど?」
「……あなたの言う通りね……私はこの子の母親なんだから、私が誰よりもこの子の味方でなきゃいけないのに……あなたに先を越されちゃったわ」
瞳に涙の膜を張りながら微笑むと、母親はようやく我が子をその手で抱き上げた。
その微笑ましい光景を確認すると、エルはさっさとお暇しようと彼らに背を向けた。だがその退出を阻むように、グレイルはエルの進路を塞いだ。
そんなグレイルは、どこか困ったような眼差しをエルに向けている。
「エルよ……お主という奴はまったく難儀な性格じゃのぅ……他人の為に発言できるというのに、言い方がキツイせいで嫌われることもあるじゃろう。本当はこんなにも優しい奴じゃと言うのに、不憫な……」
「それ本人の前で堂々と言うのやめてくれるかな?」
心優しいというのに、あんな言い方しかできないせいで嫌われてしまうこともあるエルを、グレイルは心配していたのだ。だが友達がいない現実から目を逸らしているエルからしてみれば、グレイルの心配はありがた迷惑にも程があるので、エルは思わず顔を顰めてしまった。
「なんじゃ。やはり友達がおらぬのか」
「僕の魅力に気づける奴が少ないのが悪いんだよ」
「はぁ……」
「何だいその苦言を呈するのも諦めたかのようなため息は。腹立たしいね」
相変わらずの減らず口しか叩けないエルに、グレイルは深い深いため息をつくことしか出来ない。グレイルのその反応が気に食わなかったのか、エルは不満気な相好で腕を組んでしまう。
亜人の国に悪魔の愛し子が生を享けたその日。それは意外にも平凡にあっさりと終わりを迎えるのだった。
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それから数か月はそれなりに平穏な日々が過ぎて行った。悪魔の愛し子が生まれたことで国はそれなりに騒いだものの、差別意識をあまり持たない亜人たちは、生まれた赤子が辛い思いをしないよう、普通の子供と変わりなく育て上げることを決意した。
こんなにも上手くいったのは、陰でエルが赤子に害をなそうとする存在を懲らしめていたからなのだが、それを知る亜人は誰一人としていなかった。
悪魔の愛し子の誕生という、悲劇とも捉えられるその出来事に絶望することなく、平穏な日々を送れると思い始めた矢先。
その出来事は起こった。
「グレイル様っ!助けてっ!!」
「どっ、どうしたのじゃ?こんな夜更けに……」
ある日の丑三つ時。血相を変えてグレイルの自宅へやって来たのは、産まれた赤子の母親だった。彼女は靴も履かずにそこまでやって来たようで、足は傷だらけで所々血も出ていた。
その慌てた様子から只事では無いことをグレイルは察したが、何が彼女をそこまで怯えさせているのかは分からなかった。
「あ、あの子がっ……サクマがいないのっ!少し眠っている間にいなくなって……!ど、どうしようグレイル様っ……」
「お、落ち着くのじゃ。皆を起こして探すとしよう」
「は、はい……」
大分気が動転している彼女を落ち着かせると、グレイルはまずエルに捜索してもらうべく、エルの自宅へと向かった。グレイルはエルの実力を誰よりも知っていたし、エルであれば赤子の為に力を尽くしてくれると思ったからだ。
エルは睡眠を妨害されたことにグチグチと文句は言ったものの、すぐに起き上がって赤ん坊――サクマの捜索を開始してくれた。
それから何人もの亜人たちが夜通しサクマを探し続けたが、朝陽が登っても彼が見つかることは無かった。
次は明後日投稿予定です。
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