31、少女の決意2
「私を、バランドール民主国へ戻してください」
「……理由は?」
概ね予想通りのメイリーンの要求に愁然を禁じ得なかったアデルだが、彼女の意思を端から否定したりはしなかった。
「ミルを見たという目撃情報がある以上、ミルの死を疑わざるを得なくなりました。生きているのなら、サリドに利用されている可能性が高い……一刻も早くミルを助けたいのです。それに、バランドールの国民たちも気掛かりです。だから何とかサリドの悪行を暴いて、みんなを助けないと…………心配なのです。バランドールという国の、全てが」
「我は……メイリーンが心配である」
「っ……」
アデルの不安の入り混じった声を聞くと、メイリーンはその優しさにほんの少し泣きそうになってしまう。メイリーンが他者や友を心配するのと同じように、彼女のことを心配してくれるアデルのような存在は、今となっては貴重だからだ。
「いくらメイリーンが国民や友の心配をしていようと、彼奴らはお前を殺そうとするかもしれぬのだぞ?バランドールに一歩でも踏み入れれば、どんな危険が待っているか分からぬ。それでも行くというのであるか?」
「それでも……私は……このまま、アデル様に守られながら何もせず、ぬるま湯に浸かってしまえば、一生抜け出せなくなると思うのです。だから今度こそ……今度こそ絶対に、私の歌で……与えられた力でみんなを……」
メイリーンは焦っていた。今彼女がバランドールに向かうことがどれ程の危険なのかは理解できていたが、それでもミルが生きているかもしれないと知ってしまえば、天秤にかけるまでも無かったのだ。
だからこそ焦っていたのだ。現状、メイリーンは歌を歌うことが出来ない。精神的な理由だと判明しているからこそ、過去に対する恐怖の克服さえ出来れば、再び歌えることは分かっていた。
そんな考えのせいでどんどんメイリーンは自身を追い込んでしまっている。今度こそ心を強く持って歌わなければ、と。
「……分かったのだ。メイリーンの要求を呑もう」
「アデル様っ……」
何か言いたげな表情ではあったものの、アデルが了承してくれたことで彼女はパッと顔を綻ばせた。
「ただ。我はやはりメイリーンが心配なのでな。ほんの少しのお節介は許して欲しいのだ」
「お節介?」
「あぁ。メイリーンは今、契約する精霊がいない状況であろう?それでは万が一の時、神の力を行使できないのではないか?」
「はい……」
以前歌おうとした際は慌てていて失念していたが、神の力を行使するには大量のジルが必要不可欠である。例えメイリーンが歌えたとしても、何らかの供給源が無ければその力を行使することは出来ないのだ。
「であれば、我のジルを使うといいのだ」
「アデル様の?」
「あぁ。我はいくらでもジルを生み出すことが出来るのでな。精霊よりも優秀だと思うぞ。いくら使っても問題ない故、遠慮する必要は無いのだ」
「でもどうやって……」
悪魔の愛し子の性質はメイリーンも知識として知っているのでその理屈は理解できた。だが問題なのは、そのジルをどのようにしてメイリーンの元に送るのかという問題である。精霊の場合、契約さえしてしまえばいつでも精霊の生み出すジルを使うことが出来るが、人間相手ではその方法が無かった。
「この指輪をどこでも好きな指にはめるのだ。この指輪を介して、我のジルをメイリーンに送ることが出来る。メイリーンが望めさえすればな。どんな時でも、どんなに離れていても大丈夫なのだ」
アデルは一瞬の内に自身の手の中に二つの指輪を生成すると、その片方をメイリーンに手渡した。その指輪は赤く輝く輪に、小さな黒い宝石が一つ装飾されており、アデルの色を装っていた。
メイリーンの指にはめるには少し大きめで、彼女は左手の親指にその指輪をはめた。一方のアデルは左手の人差し指にはめている。
「これで我は、メイリーン専用の精霊であるな」
「ふふっ……ありがとうございます」
アデルの軽口のおかげで彼女の中で渦巻いていた焦りがほんの少し解消され、メイリーンは破顔一笑した。
「それと、メイリーンに強固な結界を張っておこうと思う。ちょっとやそっとの衝撃では壊れない程、頑丈なものをな」
「何から何まで、本当にありがとうございます。アデル様」
エルの本体、そして憑代のぬいぐるみにも張っている結界と同じものをメイリーンに施してくれたアデルに、彼女は深々と頭を下げた。
そんな彼女を慈愛に満ちた瞳で見つめるアデルは、静かな声で名前を呼ぶ。
「……メイリーン」
「はい?」
「歌が歌えるか、不安なのか?」
「っ!……アデル様には、敵いませんね」
悲痛な笑みを浮かべたメイリーンの態度が、問いに対する肯定を意味していた。
「何も心配することは無いのだ、メイリーン。他の誰でも無く、我のことを信じてくれ。自分自身を信じろとは言わない。だが、メイリーンは我が必ず守る。その身体に、傷一つもつけないと誓おう。恐れるものなど何もない。お前はただ――」
「っ……」
最後に紡がれたその言葉が、メイリーンの胸に深く深く刻まれる。静寂が訪れ、メイリーンは自身の焦りと不安がだんだんと崩れていく感覚に酔いしれる。
呆けたまま一筋の涙を流すと、メイリーンはこれ以上ない程の清々しい笑みを浮かべた。
「はい。アデル様」
憂いを全て取っ払ったようなその笑顔を目の当たりにしたアデルは満足気に頷いた。そしてメイリーンの頭に手を伸ばすと、優しく優しく撫でてやった。
かつて妹のティンベルにやってあげたように。
「アデル様って、もしかしてお兄ちゃんですか?」
「よく分かったであるな……実は、妹と弟がいたのだ」
「私も兄のいる妹なので……まぁ、あまり会ったことは無いのですが」
他愛もない会話で緊張を解した後、アデルとメイリーンは再びバランドール民主国へ転移するのだった。
********
メイリーンたちが一時ゼルド王国に避難していた頃。バランドール民主国の元首――サリドは目の前に広がる光景に目を疑った。
順調に計画が進んでいる中、あと一歩というところで、檻の中にいるはずのメイリーンが姿を晦ましたからである。
「っ……!?いない、だと……?」
この一年、檻を壊そうともしなかったメイリーンの突然の失踪に驚きを隠せず、サリドは目を見開いて固まってしまう。
毎日午前零時に行っている見回りの時はぐっすり眠っていたという報告を受けていただけ、サリドの驚きは一入だった。サリドが訪れるまでの僅か数刻の間にメイリーンがこの檻から脱出したことになるので、彼にはその方法が見当もつかなかった。
「あと少しであの小娘を始末できたというのに……くそっ!」
苛立ちのこもった拳をすぐ傍の壁にぶつけると、その衝撃でパラパラと壁の一部が崩れ落ちていった。
サリドがこの国の元首となったのは一五年前。彼にとって目障りだった王制を廃止し、実力でこの国の頂点に上り詰めたサリドは全く予期していなかった。
元首になった途端、自身の地位を脅かすであろう存在が産まれてくることを。
それがメイリーンだった。産まれたばかりの頃は何の力も無いただの子供としか思っていなかったが、その認識はあの出来事を境に一変する。
メイリーンの歌が神に気に入られ、神の力を行使できるようになったという情報が国に広まったのは一瞬であった。神の力はサリドの想像を遥かに超え、とても人間に太刀打ちできるものでは無かった。
次第にメイリーンに対する支持が増え、危機感を覚え始めたサリドは一つの計画を思いつく。それが、正式な形でメイリーンを殺すことだった。
最初は警戒されないよう好印象を装って近づき、彼女を城に招き入れた。そしてしばらくは普通に城での生活を満喫してもらい、メイリーンが城で幸せに暮らしているという認識を国民たちに植え付けた。
そしてメイリーンが完全に油断したところを狙い、彼女の声を奪う術を行使した。その際精霊のミルも殺し、彼女が抗う術を完全に絶った時点で、サリドの勝利は決定づけられた様なものであった。
にも拘らず、この土壇場で想定外の事態が起き、サリドは非常に当惑していた。
「何者かの協力か……?最悪なのは、神アポロンがアイツを救ったという可能性だが……」
まさか悪魔の愛し子が彼女を逃がしたとは流石のサリドも思い至らなかったのか、彼は神アポロンの関与を危惧していた。
ともかくこれ以上考えても埒が明かないと考え、サリドは部下たちにメイリーンの捜索を命じる為、その場を後にするのだった。
********
サリドがメイリーン捜索に躍起になっている頃、アデルたちは人目につかない森の中に転移し、その暗い道をゆっくりと進んでいた。
長年檻の中で過ごしてきたせいで完全に体力が落ちているメイリーンは、呼吸を荒くして何とかアデルの後をついて行っている。
「はぁ……はぁ……」
「メイリーン、辛いのであれば我がおぶ……」
「おいっ!誰かいるぞっ!」
「「っ……!」」
アデルがメイリーンを気遣おうとしたその時、二人の存在に気づいた冒険者らしき男たちが現れ、アデルは咄嗟に転移しようとする。
メイリーンの腕を掴んで転移術を発動しようとするが、突如二人の腕を引っ張って怪しげな小屋に引き入れる存在が現れ、術は不発に終わる。
「おいっ、どこにいるんだよ?」
「おかしいなっ……確かに誰かいたはずなのに」
「他を探すぞ」
「あぁ」
「「…………」」
真っ暗な小屋の中、引き入れた人物の正体も分からず声を潜めた二人は、追手がいなくなったことを確認すると、同時に安堵のため息を吐いた。
だが一難去ってまた一難。今度はこの小屋に引き入れた人物への警戒が最大値に達し、アデルたちは恐る恐る振り返る。アデルがジルで手元に炎を灯すと、部屋が明るくなりその人物の顔が露わになった。
「……?」
「……お前…………」
「お久しぶりです。アデル様」
その人物はメイリーンの知らない男で、だがアデルにとっては思いきり苦い相好になってしまう男でもあった。
当たり障りのない笑みを浮かべて再会の挨拶をしたのは、
「ギルドニス・礼音=シュカ……だったか?」
悪魔教団始受会第一支部の主教であった。
アデルがかつての敵の名前を口にすると、ギルドニスは途端に口をパクパクとさせて後退りし始める。その気持ちの悪い動きに増々顔を顰めるアデルだが、メイリーンは何が何やら分からず首を傾げている。
「わ、私の名前を覚えてっ……あ、アデル様に名前を呼んでいただけるなどっ……何という誉れでしょうか……」
「……」
「あ、あのアデル様?この方は……?」
「変態なのでメイリーンは見ない方が良いのだ」
相変わらずすぎるギルドニスに返す言葉も無かったアデルは、咄嗟にメイリーンの目元をその手で覆って彼の姿を見せないようにする。純粋なメイリーンにこんな変態を見せる訳にはいかないと思う程度に、アデルにとってギルドニスは自主規制対象なのだ。
「随分と酷い言い草ですね。私、アデル様以外の人間には全く食指が動かないんですよ?そこにいる娘っ子にも興味はありません」
「それはそれで厄介なのだが」
「……お二人はご友人か何かですか?」
「違うのだ」「違います」
メイリーンの問いを否定する二人の声が重なり、あまりにも息が合っているせいで説得力がまるで無い。アデルは単純に関わりたくないという理由からだが、ギルドニスは畏れ多いという理由で否定していた。
「それにしても、まさか私のこと覚えて下さっているとは……私、天にも昇るような気持ちです」
「……忘れるわけがないであろう。お前は我が知る中でも指折りの戦士であったからな。純粋な戦闘術だけで言えば、ルルラルカよりも優れていたと思うぞ?」
「……」
アデルの素直な評価に、ギルドニスは事態を把握することが出来ず、一瞬茫然自失としてしまった。
ルルラルカとの苦戦と比べてしまうと、ギルドニスとの戦いは短時間で決着がついていた。だがそれは、ルルラルカがほぼ不老不死だったことが要因であり、もしギルドニスに悪魔と同じような特性があれば、ルルラルカ以上の苦戦を強いられることは容易に想像出来たのだ。
「?どうし……」
「あ……あぁ……ど、どうしましょう……」
「…………おい、何故鼻血を垂れ流しているのだ?」
反応が無かったと思えば、突然顔を紅潮させ、鼻血を流し、足元から震え始めたギルドニスに、アデルは死んだ魚の様な目を向けてしまう。
一方のメイリーンは怯えるようにアデルの背に隠れて、彼の服の袖をぎゅっと握りしめている。
「お見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ありませんっ……まさかアデル様から称賛のお言葉を頂けるとは想像もしておらず……興奮が……」
「……それで、こんなところで何をしているのだ?ギルドニス」
鼻血を手拭いで拭き取りながら陳謝するギルドニスに苦い相好を向けつつ、アデルは彼がバランドール民主国にいる理由を尋ねた。
「あぁ。実は私、始受会を破門になりまして」
「………………はっ?」
次は明日投稿予定です。
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