2、出会い2
本日二度目の投稿です。
アデルは基本的に、食事をとらないことで餓死するということが無い。食べなくても死なないのだ。そしてそれが当然であるように、アデルは自身の異常さを知らない。
だがその事実は、食事を必要としないことと同義では無かった。アデルは他の人間と同じように食べなければ腹を空かせるし、それを放置したままだと力が普段より出なかったりする。とは言えその力も、しばらくすれば回復するのだが。
命の危機に瀕することは無いが、確実に僅かなダメージは食らうのだ。
だがアデルは使用人たちからも疎まれ、家畜以下の扱いを受けている。必要最低限の食事でさえも、アデルは与えられていなかった。皆知っているからだ。そのぐらいでアデルが死なないことを。
そしてこうも思っていた。それでアデルが死んでくれるのであれば万々歳であると。
そんな状況下でアデルが食べる方法は一つしかない。それは自分の力で食料を得ることだ。
なのでこの日も、仕事を終えたアデルは食料を調達するために近くの森を訪れていた。緑が生い茂るこの森には、クルシュルージュ家が治める領地に住まう領民たちが訪れることもあるが、アデルは遭遇しないように気を配りながら食料調達に勤しんでいた。
本日の収穫は、野兎一匹に山菜が少々である。雀の涙程度の収穫ではあるが、アデル一人分なので全く問題は無かった。
野兎を片手で持ち、後ろに背負いながらアデルは自身の住む小屋への帰路に就く。
すっかり夜も更けり、見上げれば数え切れないほどの星が浮かぶ空を見つめていたアデルは、小屋の前で待ち伏せている人物に気づいた。
「……まるで、野生児のようだな」
それは、この伯爵家において最も権威を持つ存在であり、アデルの父親でもある伯爵であった。伯爵はこの世界の平均的な成人男性程度の背丈に、キッチリとした燕尾服を身に着けている。白髪交じりのグレーの髪をオールバックにしており、ギロリとした瞳はティンベルと同じ藍色である。顎髭を生やしてはいるが、綺麗に整えているので不潔さは感じられない。
そんな伯爵の歯に衣着せぬ物言いに、アデルは一瞬不満気な視線で抗議した。そんな野生児のような生活を強いているのは一体誰だという主張が口から零れそうになったが、それを堪えられないほどアデルは人生に希望を持ってなどいない。
「……何か御用でしょうか?」
「貴様、またティンベルに近づいたようだな。あれ程忠告してやっているというのに、学習能力の無い奴だ」
伯爵はアデルが自分からティンベルに会いに行っているのだと勘違いしているのではない。ティンベルがコッソリと抜け出して、アデルに会いに行っていることを理解しているのだ。
理解した上で、毎度毎度アデルに苦言を呈しに来る。要するにアデルを甚振る口実が欲しいだけなのだ。アデルもそれを理解しているので、いちいち訂正を入れたりはしない。
「来い。折檻の時間だ」
「……分かりました」
当たり前のように、簡潔に告げた伯爵はアデルに背を向けると、邸宅へと向かい始めた。アデルは逃げることなく伯爵の後ろについて行き、これから行われる行為に対する煩わしさに、そっと瞳から光を失くしたのだった。
********
アデルが連れてこられたのは、邸宅の地下――伯爵以外は、彼の許可なしに入室出来ないパンドラの箱である。
地下に差し込む光など無く、覚束ない足下を照らすのはほんの少しのランプの明かりだけだ。部屋中には様々な拷問器具が並んでおり、アデルはその全ての性能を身をもって知っていた。
伯爵はアデルの両手を壁に固定された鎖でつなぐと、早速近くにあった剣を手に取った。
伯爵は元々加虐趣味があったようで、普段溜まりに溜まるその欲求をアデルで発散しているのだ。アデルはほとんどの人間から疎まれている上、その特性から甚振り続けるにはもってこいの人材だった。
伯爵は容赦なく剣先をアデルの身体中に沈め、小さく深い傷を作っていく。その度にアデルは顔を歪め、苦悶の声を漏らしたがそれは微々たるものだ。普通の人間であれば、大きな叫び声を我慢できないほどの激痛も、この行為に慣れてしまったアデルにとっては度合いが違うのだ。
身体の至る所から血が流れだし、アデルの衣服に不気味な染みを作っていく。同時にその衣服には穴が開いたり、ほつれが出来てしまっている。
だがどんなに身体に傷をつけようとも、数分もすれば何事も無かったかのようにその痕は塞がっていた。
「……おぞましい。これだけ痛めつけても無意味だとは……悪魔の愛し子とは本当に汚らわしく不吉だな」
確かにアデルは、受けた傷を全て無かったことにできる。だがその瞬間受けた衝撃や痛み、苦しみは当然人並みにあり、それを無意味の一言で片づけられるのは、アデルにとって甚だ不快なことであった。
アデルは物を知らない。だからこの伯爵家に留まり続けている。常識を知らないアデルが伯爵家を出て平穏に暮らせる保証はどこにも無かった上、ここよりも酷い差別を受ける可能性だってあった。
だから伯爵の機嫌を損ねないように過ごしてきたし、この辛い折檻にも耐えてきた。それでも苦痛が無くなるわけでは無いので、アデルに出来るのは目の前の伯爵をほんの少し睨みつけるだけであった。
「……なんだ?その目は。……ただでさえ汚らわしい赤い瞳だというのに、その目でこの私を睨みつけるか?」
苛立った声音で言った伯爵は、アデルの血で染まった刃を振ると、その血飛沫を床に散らせる。床にまるで真っ赤な花が咲いたようになっていて、アデルは一瞬そちらに気を取られる。
「これは……禊が必要だな」
低く小さな声でボソッと呟いた伯爵は、血の取れた剣を振り上げると、アデルの左腕目掛けて力強く振り下ろした。
「ぐっ……ぁあ!」
刹那の間でアデルは左腕の重みを感じなくなった。感じるのは脇より下に出来た切り口から、大量の血が噴き出る気持ちの悪い感覚と、今まで体感したことの無いほど強烈な痛みである。
あまりの痛みにアデルは思わずいつもより大きな苦悶の声を漏らしてしまった。片腕を失ったことで、アデルの身体を支えるのは右手首にかかる鎖だけになった。逆に左腕はアデルの身体から離れただけで、鎖から解放されたわけでは無いので、鎖に人の片腕がぶら下がっているという酸鼻な光景が広がっていた。
「はっ……ハハッ!お前のような悪魔でもそんな声を出せるのだな!これは良いことを知った」
アデルの身体から噴き出た鮮血を顔や身体に浴び、目の前で人の身体の一部が切り離される光景を目の当たりにした伯爵はハイになってしまったのか、狂ったような笑い声を上げた。
だが強烈な痛みに歯を食いしばっているアデルは、そんな伯爵の笑い声など耳に入っておらず、いつものように傷が塞ぐのを待った。いつもは自然に治るのを待つのみであったが、この時ばかりはアデルも無関心を貫けなかったので、早く塞がるように意識を集中させている。
するとアデルは僅かな違和感を覚えた。未だに左肩には激痛が走っているのだが、痛みの中に今まで感じたことのないような熱さが混じっていることに気づいたのだ。それはまるで、身体の中が沸騰しているような熱さでありながら、嫌な感じはしなかった。
そして次の瞬間、アデルの左側には感じる訳の無い重みがあった。先刻の違和感が、恐怖に変わる瞬間であった。
恐る恐る自身の左肩に視線を向けたアデルは、思わず目を見開く。だがそれは、伯爵に関しても同じことであった。
「っ……!」
何故なら、切断されたはずのアデルの左腕が新しく生えていたから。
「ば……化け物か貴様」
思わずそう零した伯爵だったが、正直今回ばかりはアデルも共感せざるを得なかった。今まで散々〝悪魔〟だの〝悪魔の愛し子〟だの呼んできたというのに、慌てるといきなり化け物呼ばわりされるのかとアデルは思ったが、今はそんなことを突っ込んでいる暇は無かった。
破れて無くなった袖はそのままに、腕だけが生えているのでその格好は歪である。そして、鎖に繋がれた過去の左腕は未だぶら下がっているので、今この場にはアデルの腕が三本あることになる。
物を知らず、自分の異常さに気づいていないアデルでも流石の今回は理解してしまった。自分が異端であるということ。そして、何故自身が〝悪魔の愛し子〟と呼ばれるのか。その理由の一端を知った。
その日、アデルは食事をとる余裕なんてあるわけもなく、一人小屋の中、いつもとは違う震えを感じながら夜を過ごすのだった。
********
次の日の朝、小屋から顔を出したアデルは辺り一面に広がる雪景色に目を丸くした。昨晩は一睡もできなかったというのに、雪が降っていることにアデルは気づけなかったのだ。
時間をかけて自身の膝まで積もった雪に気づけないほど、アデルは動揺していた。
アデルは一睡もできなかったせいで、いつもより早く身体を起こしていた。その為仕事の時刻まで多少の暇が出来てしまっていた。
アデルはこの暇を利用して、とある実験を試してみることにする。
その実験とは、昨夜アデルの身体に起こった不可思議な現象についてである。アデルはあの時、耐えられない痛覚を和らげるために、早く傷が塞がることを望んだ。そしてアデルは傷口に意識を集中させ、感覚のみで切り落とされたはずの左腕を元通りにまで作り上げてしまった。
普段、自然治癒に任せていたアデルは、あんなにも早く傷を治した経験が無かった。その上、昨夜は放置していれば死んでしまうような重症だった。にも拘らず、今アデルが自由に左腕を動かすことが出来るのは、やはり意識の違いが原因では無いかとアデルは考えた。
「っ……」
アデルはすぐ傍にあった小型ナイフを手に取ると、そのナイフで左腕に切り傷を作った。長さは十センチ程、深さは一ミリ程度の、子供にはきつい傷である。この程度の怪我であれば、アデルは五分程度でいつも完治していた。
だが今回は昨夜と同じ感覚で、一刻も早く傷が塞がる様にアデルは意識を集中させてみた。
「……やはりこうなるのだな」
実験の結果、アデルは自分の意思さえあればどんなに大きな傷でも一瞬にして治す――再生させることが出来るのだと自覚した。
左腕の切り傷は瞬きする間に一瞬で消え去り、残ったのは傷を負った際にほんの少し流した血の痕と、ナイフの刃先についた血だけである。
「昨晩は燃えるように熱い感覚であったが、今回はほんのり温かい程度であったな……傷の深さが何か関係しているのだろうか?」
失った左腕を戻した際との違いを見出すのであれば、治る際に感じる温かさの度合いであった。
首を傾げて思案してみるアデルだったが、自分のことも全く知らない彼が答えに辿り着ける謂われは無かった。
自身の身体のことで頭を悩ませていると、すっかり仕事の時間になってしまったので、アデルは思考を放棄してまっさらな新雪に足跡をつけるのだった。
********
アデルがいつものように手を真っ赤にしながら洗濯に勤しんでいると、彼の耳に雪を踏みしめる音が飛び込んできた。その音は一種類で、どんどんアデルの方に向かっているのか、その音量が大きくなっている。
思わずアデルは手を止めて、音のする方向に視線をやった。またティンベルが邸宅を抜け出してきたのかと思ったからだ。
だがアデルの視界に飛び込んできたのは、愛しい妹では無かった。
「おい、悪魔の愛し子。お前に仕事をやる」
「……ネオン」
アデルの元を訪れたのは、彼の弟であるネオンだった。完璧な防寒着に身を包んで現れた彼に、アデルは僅かな疑問を覚えた。つい昨日は嫌っているアデルを視界に入れただけで憤慨していたというのに、今日はどういう風の吹き回しだろうとアデルは首を傾げる。
「気安く僕を呼び捨てにするなっ!お前のようなクズを兄と思ったことは一度も無い!僕のことはネオン様と呼べ!」
「……何の御用でしょうか?」
〝ネオン〟と呼び捨てにされたことに腹を立てた彼は、アデルを睨みつけると大声で怒鳴り散らした。
呼び方云々の話を右から左に流したアデルは、先刻ネオンが言っていた〝仕事〟のことについて尋ねた。
「お前にお似合いの仕事を持ってきた。拒否権は無い」
「?」
仕事と言う割には、報酬など用意していないのだろうなとアデルは思った。アデルはこの伯爵家で使用人として働いており、立場的にはネオンは主人側の人間である。そんなネオンの命令に従わないなんてことは許されないというのが、ネオンの常識なのだ。だからこそネオンたちの解釈では、この伯爵家の土地で暮らせていること自体が、アデルに対する報酬なのだ。
「お前。ティンベルを殺せ」
唐突に言い放たれたその内容に、アデルは思わず目を見開いたのだった。
次は20時投稿予定です。
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