28、囚われの少女4
「え……」
「諸悪の根源はそのサリド?という男なのだろう?ならその男がいなくなれば……」
「待ってください!」
どこか悲痛な大声で呼び止められ、アデルは驚きで目を見開いた。
一方のメイリーンは、簡単にサリドを殺すなどと言ったアデルの冷静さが信じられなかった。まるで人を殺すことに一切の躊躇いを感じていないようなその態度が、体温が冷たくなってしまうような恐怖に繋がったのだ。
「どうして、そのようなことをおっしゃるんですか?」
「……何かおかしいことを言っただろうか?」
「人を殺すのは、いけないことですよ……」
アデルを諭すメイリーンの声は震えていて、彼は当惑気味に首を傾げてしまう。アデルも自分の何が彼女を怯えさせているのか分からず、困惑しているのだ。
「我は既に悪魔殺しの罪を犯している。もう一人増えたところで大した違いは無いのだ」
「悪魔、殺し……?……悪魔が生まれ変わったという噂は、本当だったんですね」
アデルが悪魔を殺したという事実を知り、メイリーンは思わず茫然自失としてしまう。だが悪魔が死に、新たな悪魔が生まれたことは知識と知っていたのか、どこか納得したような声を上げた。
「噂?」
「あ、はい……確か私がこの檻に囚われる直前の一年程前、街でそんな噂が……」
「うむ。時期が一致しているであるな。噂というのも案外当てになるのだな」
悪魔ルルラルカの死は今となれば世界中の誰もが知る事実だが、当時はまだ公にはされていなかった。世界中にその情報が行き渡る前にメイリーンは檻に囚われ、社会と隔絶されてしまっていたので噂でしか知らなかったのだ。
「……どうして、悪魔を?」
「彼奴は、我の師匠を殺したのだ」
「師匠様、を……?」
アデルの告白に、メイリーンは思わず目を見開く。先刻のアデル同様、メイリーンも自身と彼の境遇を重ねてしまったから。
「あぁ。師匠は我にとって家族のような……いや、本当の親その者だったのだ。そんな大事な師匠を殺した悪魔を、我は許すことが出来なかった。故に殺したのだ……後悔は無い」
メイリーンは大事な者を失う気持ちを誰よりも、痛い程知っている。だからアデルの気持ちも苦しい程理解でき、思わず顔を曇らせてしまった。
「復讐は何も生み出さない」などと、重みの無い言葉を投げかけることなど、メイリーンに出来るはずも無かったのだ。
「……でもそのことと、アデル様がサリドを殺すのは、違うと思います」
「違う?」
「アデル様は、サリドとは何の関係もないではありませんか。それなのに殺すなんて……」
「我の恩人になりうるメイリーンを苦しめた奴だ。それだけでは理由にならぬか?」
「それでもっ!アデル様のその考えは愚かだと、私は考えますっ」
その力強い瞳孔に、アデルは思わず目を奪われる。檻という狭まれた世界の中、一人きりで震えている少女が取り戻したばかりの声を荒げて、その意思を主張する姿は凛としていた。
「ちゃんと、よく考えたのですか?……サリドはこの国の元首です。彼が死ねば、この国は大混乱に陥ります。彼の立場を考慮せずとも、一人の命を奪うという行為を、そんな軽はずみな考えで決めないでください……」
「……師匠も、同じようなことを言っていたであるな」
メイリーンの切実な訴えに、アデルは思わずエルのことを思い出していた。それはアデルが父親であるルークスに拷問をした帰り。何でも無い様な顔をしていたアデルにエルが忠告した時のことである。
あの時のエルは今この瞬間のような場面を危惧していたのかと、アデルは朧気に理解する。
「師匠様が?」
「あぁ……よく考えろと……。すまぬメイリーン。我が愚かだったのかもしれぬ」
「い、いえ……私こそ無礼な物言いを……」
自身の間違えを認めたアデルは、気落ちした相好で陳謝した。だが頭を下げたアデルの姿を目の当たりにしたことで、先刻までの熱が引いて急に冷静になってしまい、メイリーンは途端に慌てふためいてしまう。
ふと、悪魔の話で気になったことを思い出し、メイリーンはアデルに問いかける。
「……あの、アデル様は新たな悪魔を憎んではいないのですか?」
「それはないのだ。師匠を殺した悪魔と、今の悪魔は何の関係も無いのでな……まぁ、ずっと探してはいるのだが」
「探す?何故ですか?」
復讐以外の理由で、アデルが新たな悪魔を探そうとする理由が分からず、メイリーンは首を傾げてしまう。
「約束、したのでな」
「……?」
メイリーンにはその言葉の意味を理解することが出来ない。そんな彼女に分かるのはただ一つ。そう答えたアデルの表情はとても穏やかで、どこにいるかも分からないその人に向けられたのは憎しみなどでは無く、どうしようもない優しい眼差しだったということだけである。
「そうだ……今思いついたのだが、我がメイリーンの逃亡を手助けするというのはどうだろうか?」
「手助け?」
「あぁ。我は強いのでな。メイリーンを魔の手から守るなんて造作も無いことである」
「そ、そんな……アデル様にそのようなご負担をかける訳には……」
「負担などでは無いのだ。我は殺しても死なないのでな。問題無いのだ」
「で、ですが……あの少し、考える時間をください」
「承知した」
これまでのアデルの振る舞いなどを見て、彼が良くも悪くも正直なことをメイリーンは理解していた。その為アデルが問題無いと言えばそれが本心であることは彼女でも分かったが、だからと言ってすぐに彼に頼るという結論に至ることは出来なかった。
そんなメイリーンの気持ちを汲んだアデルは、柔らかい相好で了承した。
「あのアデル様……先程から気になっていたのですが、その大きな荷物は一体?」
ふとアデルの背で存在感を放っている背嚢に視線を向けたメイリーンは、当惑気味にその中身を尋ねた。
「これであるか?……確かに、メイリーンには見せておくべきであろうな」
「?」
意味深な言葉を吐かれたことで首を傾げたメイリーンを置き去りに、アデルはその背嚢を床にそっと下ろすと、紐に手をかける。
背嚢を開けると、その中で眠るエルの顔がアデルたちの視界に飛び込み、メイリーンは思わず後退りするほど驚いてしまう。
「っ……人?」
「正確には亜人であるがな……この亜人が、殺された我の師匠である」
「え……」
アデルの告白に、メイリーンは思わず呆けたような声を漏らしてしまう。目の前の亜人が彼の師であるという情報一つだけで、様々なことを理解せざるを得なかったからだ。
その亜人が眠っているわけでは無く、既に死んでいるということ。アデルが死者を連れて旅をしていること。
アデルが敵討ちとして悪魔を殺したのは一年前。つまりエルが死んだのがそれよりも前ということは、彼女にも理解できた。にも拘らず、その死体が綺麗な状態で保たれていることに対する疑問。
それらがメイリーンの思考を支配したのだ。
「……綺麗な方、ですね」
聞きたいことは山ほどあったが、エルを見つめて湧いたその思いを、メイリーンは初めに呟かずにはいられなかった。
絶世の美少女と言っても過言ではないメイリーンが見惚れてしまう程、エルは眠り姫のように美しく、儚い存在に見えたのだ。
「そうであろう?師匠は美人なだけでは無く、とても強いのだ。今となっては我の方が強くなってしまったがな……本来であればこのようなこと、師匠の傍で堂々とは言えないのだ。師匠に怒られてしまう」
「ふふっ……」
口元に人差し指を立て、茶目っ気を含めて言ったアデルにメイリーンは思わずクスっと笑い声を上げた。
そんな彼女の笑顔から、全く表情を動かさなくなったエルに視線を移すと、途端にアデルの相好が変化する。
「……これが、我の目的なのだ」
「えっ?」
「師匠を生き返らせることが、我の叶えたいことなのだ」
「っ!…………だから、神の力を……」
その実現困難な大きな野望を知り、メイリーンは驚きと共に深い納得に陥った。神の力に頼らなければ、アデルの目的を果たすことがほぼ不可能であることは、彼女にもすぐに理解できたから。
「どうだろう?神の力で、死んだ生物を生き返らせることは可能だと思うか?」
「正直、分かりません……神アポロン様は生死を司る神でも、輪廻転生の神でもありません。神と言えど、自分の管轄外の力は行使できないはずです。とは言っても、私もアポロン様の力の全てを知っているわけでは無いので、断言が出来ないのですが……」
アデルの問いに、メイリーンは顔を顰めながらそんな意見を述べた。流石のメイリーンも、その神の力で死者を蘇らせようとしたことは無かったようだ。
「そういえば、先程から疑問に思っていたのだが、そのアポロンという神は愛するメイリーンがこんな状態になっているというのに、何もしてくれないのだ?」
「私はアポロン様との連絡の手段を持っていません。神の力を初めて借り受けた時にアポロン様の声を聞いたことはありますが、それ以降は音沙汰が無いのです……。私から何かを伝えることも出来ませんし。恐らくアポロン様は、私の歌を天界から聞くことしか出来ないのかと」
天界や神々の事情など知る術が無いので、メイリーンにもアポロンの考えは分かっていない。
神の力のことを伝えた際に、その声を下界のメイリーンに届けて以降一切の連絡が来ないこと。それでも歌を歌えば、一定時間神の力を行使することはいつでも出来たこと。メイリーンに分かるのはその事実だけだった。
「神の事情など知らぬが、随分と勝手な奴であるな」
「我々人間の理解が及ぶはずもありません。私は、そういうものなのだと考えています。それに私は、この力を与えて下さったアポロン様に感謝しています」
柔らかく微笑んだメイリーンは、神の力を借り受けてから長年考え続けて導きだした結論をはっきりと伝えた。
「メイリーンは優しいのだな」
「そ、そんなことは……あっ、そうです!さ、早速試してみませんか?神の力で師匠様を生き返らせることが出来るのか」
「そうであるな……よろしく頼むのだ」
褒められたことで頬を染めたメイリーンは、照れを隠すようにそんな提案をした。そんな彼女の勢いに乗せられたこともあり、アデルはその提案を採用した。
「久しぶりなので、上手く歌えるかどうか……」
「楽しみである。我は歌い手の歌を聴いたことが無いのでな。師匠の下手糞な鼻歌ぐらいなら聴いたことはあるが……」
エルにチラチラと視線を送りながら〝下手くそ〟の部分だけ小声で言うと、メイリーンは再びクスっと笑みを溢してしまう。
エルが聞いていれば確実に不機嫌になるであろう発言ばかりするのは、それによってエルが目を覚ましてくれるのではないかという、叶うわけも無い淡い期待を抱いていたからだ。だがそんなアデルの複雑な心境など、メイリーンは知る由も無い。
「では……」
一言呟いてゆっくりと深呼吸をすると、メイリーンはスゥっとその口を開く。刹那、違和感のある沈黙が流れ、アデルは首を傾げた。
「っ……」
「……メイリーン?」
その沈黙は長く続き、口を開けたままほんの少し震えているメイリーンはどこか様子がおかしかった。心配そうにアデルが尋ねると、彼女は自身の喉を押さえて顔を真っ青にする。
「どう、して……」
震える彼女の困惑の声が、まさしく答えだった。鈍感なアデルでも分かる。声を取り戻したはずのメイリーンが、何故か未だに歌えないということが。
「歌おうとすると、声が出ないのであるか?」
「…………はい」
現実を受け入れたくなかったのか、メイリーンは長い間を置いて肯定した。衝撃で見開かれた目に光は無く、瞳は絶望に染まり始めている。
何故歌えないのかという疑問と。未だに自身の唯一無二が取り戻せていないという絶望に、メイリーンは心がバラバラに砕けそうになっていた。
「理由は分かるか?」
「……いえ」
「そうか……焦ることは無いのだ。声を取り戻したばかりで歌う準備が出来ていないだけかもしれぬぞ」
「……はい」
どこか虚ろな彼女の返事にアデルは危機感を覚えた。まるでアデルの言葉も一切耳に入っていないように感じられ、彼女にとっての歌の存在の大きさを犇々と理解させられていく。
「あの、アデル様……」
「どうしたのだ?」
「先程の……逃亡を手助けするというご提案、やはりお断りします」
「……何故であるか?」
「私はアデル様に貰ってばかりで……歌えない私がアデル様に返せるものがありませんっ……」
悔し気な表情に涙目を浮かべたメイリーンは自身の不甲斐無さを嘆いた。そんな彼女を目の当たりにしたアデルはそれを否定することも、励ますこともしなかった。そんなことをしても、彼女が惨めな思いをするだけだと分かっていたから。
次は明日投稿予定です。
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