24、人間――ルルラルカ
灰色の世界に張り詰めたような静けさが走る。
まるで運命のように、世界を愛してしまう本能。荒唐無稽な話だと一蹴できればどんなに楽だったことか。だけど信じずにはいられない。
そしてルルラルカの話が本当であるのなら、それは残酷な運命と呼ばざるを得ないものだった。
「……まぁ、この世界には悪魔が絶対必要で。その悪魔が世界に敵意を向けたら終焉まっしぐらだから、そんなことが起きないように強迫観念を備え付けられてるんだろうけど」
「だ、だが……」
悪魔としての本能が存在していると仮定すると、一つ辻褄の合わないことがあった。それを追求しようとしたアデルの考えを見透かしたように、彼女は言葉を遮る。
「そう。だけど五千年の悪魔は世界を滅ぼそうとした。その当時は悪魔に対する差別も無く、幸せに暮らせていたはずなのに。……世界に対する恨みなんて無かったはずなのに……ほんっと、謎だらけの悪魔よ。もしかしたらその悪魔が原因で、このクソみたいな本能がその後の悪魔に芽生えただけなのかもしれないけど」
「お前でも、知らないのだな……五千年前の悪魔のことは」
五千年前。世界は当時の悪魔によって滅ぼされかけた。その悪魔を勇者が討伐し、世界は平穏を取り戻した。これが誰もが知る五千年前の出来事でありながら、その真相は誰も知らなかった。
それは同じ悪魔にも当て嵌まることだったらしく、アデルは思わず肩を落とす。
「……では、その本能のせいで……世界はお前を愛さないというのに、お前は世界を否が応でも愛してしまうのだな」
「っ……」
「お前は世界の為に、こんなにも力を尽くしているというのに。理不尽な話である」
「……ずっとそうよ。私も、アデルきゅんも、理不尽にしか晒されていない」
誰も気づいてくれるはずが無かった。理解してくれるはずも無かった。彼女のもう一つの感情。その感情を、気持ちを、アデルだけが気づいてくれた。
同じ気持ちを分かち合う為に、絶望に叩き落としてもその精神を壊さなかったアデルが、気づくはずが無いと諦めていた感情を掬いだしてくれた。
ルルラルカはそれが嬉しくて仕方が無かった。
「我は、師匠を殺したお前を許せない。我の決心は揺るがない。我は必ずお前を殺す」
「……」
傷を舐め合うつもりは無いと断言したアデルの決心は揺るがず、それを目の当たりにしたルルラルカはどう反応していいのか分からなかった。自分の感情さえも、よく理解できていないのだ。
一人で抱えてきた感情を分かってくれたことが嬉しいのか。分かってくれたというのに、その殺意に揺るぎが無いことが悲しいのか。殺されても良いかもしれないと晴れ晴れとしているのか。それともその全てなのか。
「だがお前が死んで、新たな悪魔が生まれた暁には、決してその悪魔を不幸にはしないと、我が誓おう」
「…………はっ……?」
唐突に告げられたことが衝撃的すぎて、ルルラルカは思わず呆けた声を漏らしてしまった。アデルが何を言っているのか理解出来ず、理解しようとすればする程当惑してしまったのだ。
「……そんなこと、出来ると思ってるの?」
「出来る出来ないの話ではない。我が新たな悪魔を、愛するか愛さないかの話だ」
「っ……」
何故かその瞬間、ルルラルカはポロっと涙を零した。涙を流さずにはいられなかった。ずっと欲しかった言葉。与えてもらいたかった感情。
自分に向けられた訳では無いと分かっていても、同じ悪魔として心を揺さぶらずにはいられなかった。悪魔はずっと、誰かに愛してもらいたかったから。
「お前たち悪魔は、世界から嫌われようとも、世界のせいで傷つこうとも、この世界の為に生きずにはいられない。悪魔は恐ろしい存在でも、畏怖すべき存在でもない。悪魔は本来、残酷な運命を背負わされた、悲しい存在なのだ。我はこの連鎖を断ち切りたい。だから我が約束しよう。新たに生まれてきた悪魔は、我が幸せにしてみせると」
仰向けになっていることで、彼女の涙は蟀谷を通って耳に届く。ルルラルカが悪魔として抱いてきた望みは切実だった。それなのに諦めてしまっていた。
それでもアデルが初めて分かってくれた。悪魔という存在を認めてくれた。自身を崇拝する、始受会の信者たちでも気づけなかったというのに。
「……なら私、その悪魔に生まれ変わりたいなぁ……」
「……それは」
「それなら、アデルきゅんにも殺されてもいいって、心の底から思えるから」
涙を止めたルルラルカは、心底穏やかな笑みを浮かべて呟いた。ふわっと微笑むその姿からは、以前の不気味な笑顔は微塵も感じられない。
「生まれ変わりというものが存在するのかも、我にはよく分からぬ……だからお前が新たな悪魔に生まれ変われるなどと、無責任なことは言えぬ」
「正直だなぁ、アデルきゅんは…………でも安心して。今更抵抗しようとか、思ってないから。殺されないよう足掻いたところで、勝てる気しないし」
「……?」
ルルラルカが弱気な発言を零したことで、アデルは思わず首を傾げてしまう。今までの戦況を鑑みると二人の強さは五分五分で、勝敗を判断するのはほぼ不可能だった。だから何故彼女が弱気になっているのか、アデルには分からなかった。
「アデルきゅん、想像以上に強くて驚いちゃった。本気でやったのに、全然決着つかないし」
「……我は、師匠に鍛えられたのでな……お前は師匠を見くびり過ぎなのだ」
「……そ」
一言で素っ気無く返したルルラルカだったが、その表情はどこかスッキリとしていた。その時のルルラルカの心情は誰にも分からない。恐らく、本人も理解は出来ていないだろう。
ルルラルカは油断していた。悪魔である自分が、愛し子如きに苦戦するはずが無いと。そして彼女は侮っていた。アデルをここまで育て上げた、エルの師匠としての能力を。
「もうこの拘束は、必要無いであるな」
「……?」
憑き物が落ちたような表情を目の当たりにし、アデルは掴んでいた彼女の腕を放してやることにした。そして彼女の腕を引いて立ち上がらせ、二人は地に足をつけた状態で顔を見合わせる。
ルルラルカが首を傾げていると、アデルは掴んでいた腕を引き寄せて彼女をそっと抱きしめた。
「っ……!」
思わず見開いたその目には、灰色の世界にはそぐわない光が灯っていた。だがそんな彼女の表情も、抱きしめているアデルには見えていない。
二人に分かるのは、互いの体温、僅かな匂い、抱擁の感触だけで。そのほんの少しが、ルルラルカにとっては初めての経験だった。
「こうして抱きしめると、お前の体温を感じることが出来る。紛れも無く、一人の人間の温かさである」
「っ……」
「どれだけ触れても、どうってことない。穢れるわけも無い。ルルラルカも、一人の人間なのだから」
「っ……うんっ……」
耳元で囁かれた優しくて強い声に、ルルラルカは思わず嗚咽を漏らした。その涙声には、隠しきれない嬉しさが入り混じっている。
まるで家族のように名前を呼び捨てにされることも、優しく抱きしめられることも、一人の人間だと認めてもらうことも。ルルラルカがずっと求めていたというのに、手にすることの出来なかった経験であった。
アデルはただ、子供の頃エルにされて嬉しかったことを、最後に与えてやりたいと思っただけだった。だがそれは、ルルラルカが求めていたことでもあり、その感覚はどうしても似てしまっていたのだ。
「まったく……これから殺すっていうのに、惚れさせないでくれるかな?ほんとに……酷い男だね、アデルきゅうん?」
「?それはすまない」
「……いいよ。もう気は晴れたから」
ルルラルカの軽口の意味を理解できていないアデルは、キョトンと首を傾げつつ陳謝した。そんな彼を目の当たりにし、ルルラルカは思わず眉を下げてはにかんだ。
するとアデルは、ジルで作った剣を抜き、迷いのない真剣な表情で目の前の仇を見据える。
「アデルきゅん。私を殺すからにはあの誓い、ちゃんと守ってね」
「あぁ。約束しよう」
「……バイバイ。アデルきゅん……ごめんね」
アデルの意思を最後に確認すると、ルルラルカは落ち着いた口調で謝罪した。エルを殺したこと、アデルを愛し子にしたこと。これまでの全てを、最後の最後に初めて謝罪した。その言葉一つで清算できるだなんて思ってもいない。ただ、言わずに消え去るだけなんてことは、到底出来なかったのだ。
「……あぁ」
その時アデルは、言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。今それを言っても、何の意味も無さないと思ったからだ。
軽やかな足取りでアデルとの距離を取ったルルラルカは、全てを委ねるように両手を軽く広げて見せる。
力強く握りしめられた剣が、天に昇り空を切る。その剣先は目にも止まらぬ速さで彼女の首元へと向かって行く。
勢いの良い、鮮烈な音が灰色の世界を占領する。バタッっと、身体の倒れこむ音が、アデルに向けた知らせであった。
「……我は、愛し子として生まれたこと……恨んでなどいないのだぞ……」
その死を見届けると、空を見上げて言いかけた言葉を吐露した。
愛し子として生まれ、何度も傷つき、何度も心無い言葉を投げかけられてきた。それでもアデルは、自身を愛し子にしたこと自体を恨んだことは無かったのだ。
悪魔の愛し子として生まれなければ、アデルがエルに出会うことも無かったから。
その日。現代の悪魔がその命を散らした。
そしてその瞬間、新たな悪魔が世界アンレズナに誕生した。
悪魔が誕生するというのは、人と人との間に赤ん坊が生まれるようなものではない。何故なら悪魔が死んだ瞬間、一切のタイムラグなく新たな悪魔を誕生させなければならないからだ。
それ故に悪魔の誕生の場面を知る者はこの世界にいない。どのように生まれるのか、どのような状態で生まれるのか。
身体、精神は当に人間のものであるというのに、それがどのように創りだされているのか皆目見当がついていないのだ。
謎に包まれた悪魔の誕生。今回の新たな悪魔の誕生も、見届けた者は一人たりともいなかった。
だが現代の悪魔をよく知っていた者は、その死を感覚的に察知することが出来ていた。
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悪魔教団〝始受会〟本部、第一支部。その自室でくつろいでいたギルドニスは、胸騒ぎする様な感覚に思わず立ち上がっていた。
何が起きたのか。何も知らない、何も聞いていないギルドニスではあったが、何故だか本能のようにその事実を察知していた。
「新たな悪魔の誕生、ということでしょうか……。面白くなってきましたね、アデル様……」
一人部屋の中、ボソッと呟いた彼は、記憶の中のアデルに向かい語りかけた。そんなギルドニスは何故か、不敵とも思える自然な笑みを零していたのだった。
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同じ頃、アオノクニにて。
健康的な日差しの下、木陰でくつろいでる人が二人程。そんな二人の髪が静かに風に揺れ、穏やかな雰囲気が伝わってくる。
一人はアデルと同い年程度の青年で、どこかけだるげな様子が窺える。アーモンド色の髪はほんの少し癖が入っており、短く切り揃えられている。伏し目がちな瞼の奥に光る瞳は紫色で、ほんの少し艶っぽい。どこか威圧感のある無表情からは、彼の感情を窺うことは難しかった。
もう一人は彼の腕に抱き込まれている同年代の女性で、蕩けてしまいそうな程うっとりとした瞳で傍の彼を見上げていた。
「……あ?……悪魔が、死んだ?……勇者の俺でも悪魔殺しなんて怠いっていうのに、んな面倒事好んでやりたがる奴いんだな……どこの物好きだよ」
驚いているのか、興味皆無なのかが全く分からない起伏の無い声が風に溶けた。
現代の悪魔が命を散らしたこの日。だがその青年にとって、この日はいつもと変わらない日常の一コマでしか無かったのだった。
第一章「悪魔討伐編」は今回で完結になります。次回から第二章「仲間探求編」がスタートします。第二章は第一章に比べるとかなり長くなる予定です。
最後に登場した謎の青年は、「レディバグの改変<L>」の完結後、続編として投稿予定の「レディバグの改変<W>」にて再登場の予定です。かなり後になるので、読者様がそれまで彼を覚えているか心配です……。
明日は投稿をお休みさせてもらい、明後日からの投稿は再び毎日させていただきます。
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