22、悪魔3
『汚らわしい』
『さっさと死ねばいいのに』
『穢れるわ!』
『お前を兄だと思ったことは一度も無い!』
『化け物』
『悪魔の愛し子と同じ空気を吸っていると思うだけで不快だ』
『早くあの化け物を追い出してよ!』
『君のせいで死んだ』
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も――。
それからアデルは何度も辛い過去を見せられ、耳を塞ぎたくなるような言葉を浴びせられ続けた。まるでアデルの精神を壊すことが目的であるかのように。
特に堪えたのはエルが殺された場面で、最もアデルが見せつけられた光景でもあった。アデルが何に傷つき、何に苦しむのかよく分かっている相手による、執拗な嫌がらせといっても過言では無かった。
心無い言葉を投げかけられれば傷つくし、何度繰り返しても大事な人を守れないのは辛く苦しい。呼吸も儘ならない程苦しいというのに、アデルは死ぬことが出来ない。自分自身に対する自己嫌悪で真っ黒に染まってしまいそうだった。
それでもアデルは、どこか冷静だった。壊れてはいなかった。
彼が精神をボロボロにせずに済んだのは、恐らく悪魔に対する気づきがあったからだろう。気づいた瞬間は心の底から動揺し、知りたくなかったと思っていたアデルだが、今となってはその気づきに彼は救われていた。
「ははっ……最早笑えてくるのだ……」
黒い感情に支配されそうな世界で、呑気に笑って見せたアデルは当に異端者であった。
アデルの気づきと。アデルの知っている、信じているエルの存在。この二つが、囚われのアデルにとって大きな救いになっていた。
エルを信じている限り大丈夫だと、何の根拠もない自信がアデルの背中を押す。根拠など無くてよかったのだ。この暗赤の世界から抜け出せるのなら。
********
「……」
目を覚ますと、そこは見慣れてしまった灰色の世界が広がっていた。仰向けに倒れこんでいたアデルを覗き込んでいるルルラルカの呆けた面が、その視界にまず飛び込んできた。
「え、うそっ……」
アデルが意識を取り戻したことが信じられないのか、ルルラルカは初めて彼の前で当惑して見せた。その隙を見逃さなかったアデルは呆けた彼女の腕を掴んで力強く押し倒す。
立場が逆転し、仰向けのルルラルカをアデルが見下ろす形になった。
「っ……」
愛しいアデルから押し倒されている状況で、冗談一つも思いつかない程にルルラルカは目を白黒させている。その瞳には困惑と驚きと、批難めいた疑問がぐちゃぐちゃになって入り混じっていた。
「どうしてなんだ」と、そんな声が聞こえてきそうな視線に、アデルは神妙な面持ちでしか返すことが出来ない。
「……力、強いね。アデルきゅん。全然振り解けないよ……何で?」
「ずっと、身体にジルを蓄積していたのだ。このチャンスが訪れた時に、お前が抵抗できぬ様に」
「……そっか。ずっと前から準備していたアデルきゅんに今更対抗しようとしても、時既に遅しってことね」
アデルもルルラルカも、自分自身の意志でジルを生み出すことが出来る。だがその意思が無ければ、大量のジルは生み出されない。当然の話だ。
アデルはこの瞬間の為だけに、戦闘中常に身体強化と同じ要領でジルを溜め込んでいた。だがルルラルカはアデルの思惑など知らないので、当然準備もしていなかった。無限にジルを生み出すことが出来ると言っても、生み出すスピードには限度がある。
だからルルラルカが気付いた時には、既に百のジルを用意していたアデルの力に彼女が追い付くことは出来ないのだ。ルルラルカが追い付こうとする間にも、アデルは更にジルを溜め続けているからだ。
「でもこれぐらいじゃ殺せないってこと、分からないアデルきゅんじゃないでしょ?」
「あぁ。これはお前を殺すために用意したのではないからな」
「じゃあ何のため?私に教えてよ、アデルきゅうん」
「お前に聞きたいこと、話したいことを、落ち着いてぶつける為である」
アデルの答えを聞くと、ルルラルカは非常に冷めた目で首を傾げた。「そんなことの為にこれ程までの力を蓄えたのか」という呆れの声が聞こえてきそうな視線であったが、アデルは気に留めることも無く話を続ける。
「お前、何故師匠を殺したのだ?」
「はぁ?アデルきゅん忘れたの?」
「忘れてなどいない。……我を独り占めしようとしたから。そして、かつて愛し子を殺されたから。お前はそう言ったな」
「なぁんだ。ちゃんと覚えてるじゃない。何で今更もう一度聞くのよ?」
脈絡の無いアデルの話に、ルルラルカは思わず首を傾げてしまう。アデルが一体何を言いたいのかが一切見えてこなかったからだ。
「本当にそれだけが理由なのか?」
「そうよ」
「嘘であるな」
「はぁ?何を根拠に……」
何故かキッパリと断言されたことでルルラルカはムッとした表情で反論しようとしたが、それもアデルに遮られてしまう。
「もう一つ。お前は何故、愛し子という存在を作り出したのだ?」
「…………」
そう尋ねた途端、空気が一変した。あり得ない程の沈黙が流れた。ルルラルカが、呼吸さえも止めてしまったように口を噤んだのだ。
アデルが小さな頃から疑問に思っていたこと。世界の誰もが真相を知らない、悪魔が愛し子を作る理由。アデルはその答えに辿り着いていた。
分かっている上で、ルルラルカに尋ねたのだ。
「答えられないのであるか?」
「……」
唇をぎゅっと固く結び、目を見開いたままのルルラルカは、これ以上聞いても答えてくれそうになかった。
「同じなのではないか?」
「?」
「師匠を殺したもう一つの理由と、愛し子を生み出した理由。この二つは、全く同じなのではないか?」
「っ……」
核心を突かれたことで、ルルラルカは初めて慌てたように表情を強張らせて、アデルの拘束から逃れようと手足に力を入れて藻掻き始めた。
「抵抗するということは、そうなのであるな」
「なにを……」
抵抗しても無駄だということは先刻理解したはずなのに、それでも尚逃げようとした彼女の反応が、最早答えであった。
「お前、孤独に耐えられなかったのだろう?」
「っ……」
「生まれた時から、悪魔という十字架を背負い。他者から疎まれ、忌み嫌われ、恐れられ、差別され。ずっと一人で生きてきたのだろう?」
「っ…………やめて」
心を見透かしてくるような物言いに耐えられず、ルルラルカは声を詰まらせながら思わず懇願した。それでもアデルが追及を緩めてくれるはずも無かった。
「それが辛くて、辛くて、耐えられなくなったのだろう?」
「やめて……」
「だから愛し子を作った。自分と同じ力を持ち、同じ境遇に生き、愛情を知らずに育った存在を生み出した。自身の辛い気持ちを分かってくれる同類に出会うために」
「やめてって言ってるでしょ!!」
「……」
悲痛な突き抜けるような叫び声が、灰色の世界に響き渡る。今にも泣きそうな真っ赤な顔を歪める彼女は、紛れもなく人間であった。
血も涙もなく、人の命を木葉のように軽く扱い、人を絶望に突き落とす悪魔。そんな者は最早この場には存在していなかった。
『我がお前を殺そうとするから、その相手をするだけなのか?』
『まっさか。アデルきゅんを捕らえて一生一緒に暮らす気満々よ?』
『なら何故…………っ、あ……』
気づいてしまう直前、アデルが尋ねようとしたのは「なら何故自分が愛し子として生まれてからすぐに迎えに来なかったのだ?」という疑問だった。
本気でアデルと一緒に暮らそうと思っていたのなら、彼が赤ん坊の頃にクルシュルージュ家から奪うことが最善であるはずだった。赤ん坊のアデルに抵抗できるはずも無い上、すぐに迎えに行けばアデルがエルに出会うことも無かったのだから。
だがそれでは意味が無かったのだ。アデルはそれに気づいた。ルルラルカは悪魔の愛し子であるアデルに焦がれていたのではない。愛し子としての人生に絶望しきったアデルを待っていたのだ。
だからこそその気づきは、アデルにとっての足枷であった。悪魔が一人の人間だと理解していたはずのアデルでも、その人間臭い不器用さに同情してしまいそうになったから。
「ムキになるということは、そうなのだろう?」
「…………どうして……アデルきゅんは私と違うの?」
「……」
これ以上の言い逃れは無駄だと悟ったルルラルカは、ポツリポツリとその本音を漏らしていった。
「私と同じ力……悪魔の力を持ってる。産まれた時から嫌われて、迫害されて、誰からも望まれていない存在だったはずなのに……私と何が違うって言うの?どうしてアデルきゅんは、私と違って幸せそうなの?……それじゃあ、駄目…………アデルきゅんは、悲しそうじゃないと駄目なの。辛そうじゃなきゃ駄目なの!……だってそうじゃなきゃ、私の気持ちも分かってくれないから……」
「だから、師匠を殺したのだな」
ルルラルカが知らない間に、アデルは人の温かさに触れてしまっていた。エルに出会ったことで、アデルは様々な物を与えてもらっていた。
教えを、優しさを、厳しさを、人肌の温かさを、優しい抱擁を、力を、感謝を、まるで親のような愛情を。ルルラルカの知らない多くのものを、アデルは与えてもらっていた。
だがそのままだと、ルルラルカの目的を達することは出来なかった。だからその全てを奪うことで、アデルに本当の絶望を与えようとしたのだ。
「アイツがいると、アデルきゅんは幸せなままになっちゃう……アイツがいなくなれば、アデルきゅんは絶望を知って、不幸になる。……私と、同じになる。私の気持ちを分かってくれる。だから、殺したの」
「……お前は師匠を殺した。我はお前を許せない。傷の舐め合いをするつもりはないのだ」
ルルラルカに無駄な期待を抱かせないように、アデルは自身の思いをはっきりと告げた。悪魔として生まれてきた彼女を憐れむ気持ちはあれど、だからと言って彼女が犯した罪を許せるはずも無かったのだ。
「っ…………ただ、友達が欲しかったの。私の寂しさも、痛みも、苦しさも分かってくれる。逆に私も分かってあげられる、友達が欲しかったの。一人でもそんな存在がいてくれれば、大丈夫だと思えたから……」
震える声で語る彼女は、まるで子供のようだった。愛情を知らない、寂しがり屋の少女が、他愛の無い望みを吐露しているようだった。
「だけど、アデルきゅんにはあの亜人がいた。私はアデルきゅんを必要としているのに、アデルきゅんに私はいらなかった。それが、耐えられなかった……」
「……もう一つ、確認したいことがある」
「?」
何もかもを吐き出したルルラルカは、力無く首を傾げる。アデルにはもう一つ、絶対に確かめなければならないことがあったのだ。
「五千年前の悪魔は、世界中のジルを操って世界を終焉に導いた。だがお前はそれをしない。ずっとそれが、不思議だったのだ。……愛し子を作って傷を埋めようとする程世界に苦しめられてきたお前が、その世界に復讐をしないことが、不思議だったのだ……寧ろお前は、いつも世界のことを気にかけているように見えたのでな」
「っ……」
初めて会った時から抱いていた違和感。それを追及されたルルラルカは、今にも壊れて終いそうな程繊細に、目を見開いた。
『あはっ……アデルきゅんに束縛されるのは大歓迎だけど、流石にこんな場所での殺し合いは勘弁したいかしら……』
『ようこそアデルきゅん。私の世界へ』
『……ここは、お前が作ったのであるか?』
『そうだよ。ここは外とは隔絶されているから、ここで大爆発が起きたとしても世界に影響は起きない。この空間から外に干渉できるのは、私が作り出すジルを送ること。それだけよ』
ルルラルカはいつも激しい戦闘によって、地上に損害という形の影響が出るのを恐れていた。そして同時に、自身が生み出すジルが世界に供給されないことを何よりも危惧していた。
それがアデルには不思議でならなかった。何故この世界を憎んでいるはずのルルラルカが、そこまで世界に義理立てするのか。かつて大罪を犯した悪魔のように、世界を滅ぼそうとは思わないのか。そんな疑問が湧いて仕方が無かったのだ。
「何か、理由があるのではないか?」
「……悪魔にはね、抗えない本能があるの」
「本能?」
「そう、無条件に世界を愛してしまう、クソみたいな本能」
「っ!」
まるで自嘲するように、乾いた笑みを浮かべた彼女の声が一人歩きする。告げられた信じられない程の真実に、アデルは言葉を失わずにはいられなかった。
次は明日投稿予定です。
この作品を「面白い!」「続きが気になる!」と思ってくださった方は、評価、感想、ブックマーク登録をお願いします!
評価は下の星ボタンからできます。




