16、絶望1
今回から物語の本筋に入ります。
「アデル。君は僕よりも強くなった。僕が君に教えられることは、もう無いよ」
今まで見せたことも無い様な優しい笑みを浮かべて言ったエルに、アデルはポカンと口を開けた状態で茫然自失としてしまう。
告げられた内容がアデルにとっては衝撃的すぎて、上手く現実を受け入れられていないのだ。
だが確かにアデルは今回エルとの勝負に勝ち、これ以上の教えは無意味だとエルに判断された。これが事実であった。
この六年間の修行のおかげで、アデルは様々な成長、葛藤、苦しみを知り、肉体的にも精神的にも強くなっていた。その修行に全力で取り組むことが出来たのも、挫けずに進んでこれたのも、全ては師であるエルのおかげだった。
そんなエルにようやく認めてもらい、一人前になったアデルだが。
それでも――。
「……い、いやである」
アデルにはそれをすぐに受け入れることは出来なかった。
どこか悲痛な表情で、力なく首を横に振ったアデルは拳を強く握りしめて、その感情を閉じ込めようとしている。
「いやめっちゃいい雰囲気で言ったんだからそこは受け入れてよ。喜ぶとこだよ、ここ」
エルの想定では、師匠よりも強くなるという目標を達成することが出来た喜びにアデルが打ち震えるはずだったのだが、真逆の反応が返ってきたせいでエルは当惑してしまう。
「い、いやである……我はまだ、師匠にたくさん教えてほしいのだ」
「だから教えることはもう無いんだって。僕を困らせないでおくれよ」
尚も食い下がってくるアデルはいつもより聞き分けが悪く、エルは眉を下げて困惑の表情を露わにした。
「君はその年でこの僕よりも強くなったんだよ?そのことをもっと誇るんだ。君の努力の賜物だよ……よく頑張ったね、アデル。僕は君を、誇りに思うよ……君という人間を育てることが出来て、誇りに思うよ」
見下ろす側から、すっかりアデルを見上げる側になったエルは、ほんの少し背伸びすると彼の頭を優しく撫でた。その黒髪を、とてつもなく愛おしそうにかき混ぜるエルの相好はやはり穏やかである。
「っ……ちがう」
「?」
「師匠はそんなこと言わない……師匠はもっと厳しくて、全然褒めてなどくれない、鬼畜師匠なのだ」
「え、喧嘩売られてる?」
ほんの少し身体を震わせながら否定したアデルの言い分は、尊敬する師に向けるものでは無かったが、それだけ彼が師弟関係の終わりを惜しんでいるということでもあった。
「何故、まるで最後であるように言うのであるか?我はもっと師匠と修行を……」
「まったく……図体ばかりデカくなっても、やっぱりまだまだ子供だな、君は。……別に永遠の別れをしようってわけじゃないんだ。ただ僕と君の修行を終えるだけ。君は更に高みを目指して自主訓練に励むといい。僕ももっと強くならなくちゃ…………そうだ!いっそのこと僕が君に教えてもらうというのも良い手だと思わないかい?」
「我が、師匠に……?」
駄々をこねる子供をあやす様に、エルは絶え間なく言葉を紡いだ。例え修行を終えても悲しむ必要などどこにもない。鍛錬自体はこのまま続行され、二人が離れ離れになるわけでもない。そのことを何とかアデルに理解させようとしたエルは、弾みでそんな提案までした。
「あ!その師匠っていうのもやめないかい?自分より強い奴からそんな呼ばれ方しても嬉しくないし。寧ろ皮肉に聞こえて腹立たしいね」
「……そこは譲れぬ。師匠は、ずっと我の師匠である。これは揺るがぬのだ」
「今日の君は頑固だね……まぁいいけど」
冗談交じりに呼び方変更を提案してみたエルだったが、即アデルに拒否されたことでその提案が採用されることは無かった。よくよく考えれば、この提案だとエルがアデルを師匠と呼ばなくてはならなかったので、却下されたのはエルにとっても僥倖であった。
「あ、そうだ。折角この僕よりも強くなったんだから、冒険者登録でもすればいいじゃないか」
「……悪魔の愛し子でも出来るのであるか?」
「ばっかだなぁ、髪染めてバレないように登録するに決まっているだろう?」
エルよりも強くなったアデルはとうの昔にS級の実力を超えてはいるが、冒険者登録をしていないので正式なS級冒険者ではない。今から冒険者登録をするのなら、まず最低ランクであるF級から始めることになるが、アデルであればすぐにS級に昇格できる。エルはそう踏んでいるのだ。
だがアデルが危惧していたのは、迫害されている悪魔の愛し子が登録できるのかという根本的な問題であった。
「騙すようで気が引けるのだが」
「別に悪いことしてるわけじゃないんだから、気にする必要ないよ。悪魔の愛し子が冒険者になっちゃいけないなんてルール無いんだし。アデルは髪色をちょっと変えるだけ。そしてそれが原因でギルド側が悪魔の愛し子だって気づかなくても、それはしょうがないことなのさ。事故だよ事故」
「随分と無理矢理な言い分であるな」
大分無理のある言い分をするエルに、アデルは思わず怪訝そうな視線を向けた。
「……まぁ、師匠がそう言うのであれば、今から王都に行って試してみるのだ」
「素直でよろしい。じゃ、いってらっしゃい」
「うむ、行ってくるのだ。師匠」
文句を言っても結局はエルを信頼しているので、アデルはその提案を採用することにした。冒険者として稼ぐことが出来れば、エルに恩返しができるかもしれないという思いもあり、アデルは早速冒険者登録をするために王都へ出発した。
――そう。この時のアデルは知らなかった。想像もしていなかった。
何故ならこの時アデルを送り出してくれたエルは確かに笑っていて、アデルの帰りを心待ちにしてくれていたから。この日のエルはいつもより幸せそうな顔で笑っていて、この後起こる悲劇など、全く予期していないようだったから。
当然アデルも、この笑顔を見るのが最後になるとは、思ってもいなかったのだ。
********
エルに言われて冒険者登録をしに行ったアデルだったが、生憎その日は偶々登録が出来ない日だったらしく、彼は目的を達成できないまま家路に就くことにした。
外はすっかり秋を象徴するような暖かい色に染まり始めていて、アデルはほんの少し足を速める。森に入ったところで髪の色を元に戻したアデルはふと、妙な違和感を覚えた。
「……殺気?」
普段感じることの無い様な、身震いするような殺気を感じたアデルは、誰かがどこかで戦闘しているのだろうかと考えた。アデルが感じた殺気は一種類ではなく、二つの殺気がぶつかり合っているような不穏なものであった。
途端、アデルは鳥肌が立つような嫌な予感を抱き、急いでエルの待つ家へと走り出す。
何が起きているのかも、この殺気の正体も、何もかも分からないアデルだったが、その嫌な予感だけは正しいものだという確信があった。
家まであと少しというところで、今までビシビシと感じていた殺気が一瞬の内に消え、アデルは血の気の引くような危機感を覚える。顔を真っ青にしながら走り続けたアデルは、ようやく家に辿り着き、苦し気に息を整えた。
家の外からでは中がどういう状況なのかは分からなかったが、やけに静かなことがアデルは少し気になった。
恐る恐る扉の取手に手を伸ばしたアデルは、ごくりと唾を飲み込むとゆっくりとその扉を全開にした。
「…………」
アデルは、目の前に広がっている光景を瞬時に理解することが出来ず、茫然自失としてしまう。
まず目に入ったのは、知らない人間一人とエルの姿だ。見たことも無い顔をしている来訪者は女性で、何故かアデルはその人物をどこかで見たことがあるような既視感に襲われる。
エルよりもほんの少し高い背丈に、スラっとした体型。尻を隠すほど伸ばされた黒髪は艶やかで、その妖艶さを物語っている。ゆったりとした目の奥に光る瞳は金色で、更によく見るとその瞳孔は空白の様な白だった。綺麗に弧を描いている唇は薄く、その者の不気味さを増長させる要因になっていた。
だが正直、アデルはその者の容姿などどうでも良かった。アデルが理解できなかった光景は、主にエルが原因で広がっていたからだ。
エルは目を凝らさなければ見えない程の、細い糸の様なもので吊るされていたのだ。その糸を、首に括りつけられた状態で。その手綱を握っているのは見知らぬ来訪者で、何故か実に楽しそうな相好を浮かべていた。
エルは傍から見てしまえば首つり自殺した死者のような状態で、アデルの困惑の理由はそこにあった。見方によれば操り人形のようにも見えるエルの姿に、アデルは思わず鳥肌を立たせた。
どうしてこんな状況になっているのか。エルを苦しめる女は一体何者なのか。そもそもエルは生きているのか。そんな疑問が頭の中を激流のように駆け巡り、アデルは一歩も動くことが出来ない。
「……し、しょう…………」
「っ……あで……」
「えいっ」
ブシャっ。ゴトンっ。
そんな音が耳に届き、すぐにアデルは顔にかかった生温かい感触に気づく。視界が赤く色づき、何が起きたのかよく分かっていない。パチクリと瞬きをして、ふいに視線を下ろしたアデルは、そこに転がっているものに思わず目を疑った。
「………………ししょう?」
先刻、アデルの問いかけに答えようとして顔を上げたエルの頭が、そこには転がっていた。生気の全く感じられないその顔を見たアデルは、途端に身体の中が気持ちの悪いものに支配されるような感覚に襲われる。思わずお腹を押さえ、唾を飲み込んだアデルはその心地の悪さに眩暈がしそうになった。
恐る恐る顔を上げると、少し離れたところにエルの胴体が落ちていて、アデルは現実を思い知らされた。
よく考えてみれば、アデルは最初から理解していた。あの来訪者が手綱を「えいっ」と覇気のない声と共に引っ張った途端、エルの首元から大量の血が泉のように噴き出し、その結果がアデルの元に転がっていたということを。
ただその光景が衝撃的すぎて、アデルは上手く思考を働かせることが出来ていなかった。まるで脳が、現実を受け入れないようにしているようだった。
だが理解してしまえば、驚くほどに思考はクリアになっていき、アデルは茫然としている暇など無いことに気づく。
「師匠っ!!」
思わず駆けだし、エルの頭を抱えて胴体まで向かったアデルは必死に治癒の術をかけ始める。ジルを操ることで傷を癒したり、欠損箇所を元通りにしたり、離れてしまった部位をくっつけたりすることの出来る術である。
エルに教えてもらったことで、すっかりアデルの得意技になっていた治癒術を行使すると、切断された首が見る見るうちに胴体と融合していった。
「師匠っ!師匠!起きるのだ!師匠っ!」
身体の傷を癒し、完全に元の状態に戻したアデルだったが、エルが意識を取り戻す気配は一向に無く、生きた心地のしない焦りがどんどん彼を襲った。
「無駄だよ、アデルきゅうん。そいつもう死んじゃったから、いくら元に戻しても無ー駄」
「っ……!?」
来訪者の残酷な言葉を聞いたアデルは、思わず彼女に殺気の籠った睨みを利かせながら振り向いた。
そして徐々に、エルをこんな目に遭わせた張本人に対するどうしようもない怒り、殺意、復讐心が湧き、アデルは息を荒くして血走った目で睨み据える。
「……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ……誰なのだ、貴様……何故このような……」
「んふふ……わたし?……私はね、あなたのことが好きで好きで堪らない、ただの人間よ。……まぁ、生きとし生ける者は私を、悪魔と呼ぶこともあるけれど」
「っ!?」
息苦しそうにその息を吐いていたアデルだが、その人物の正体を知った途端、驚きのあまりひゅっと息を呑みこんでしまう。
そしてアデルの中に妙な納得感が芽生える。初めて見た際に感じた既視感の理由。エルがこうも簡単にやられてしまう程の実力差。〝悪魔〟という、その存在の名前の意味。その全てが納得できてしまったのだ。
アデルはギリっと歯噛みすると、エルの身体に状態保持の術をかけ始めた。それは、生物や物に含まれるジルの働きを一時的に停止させて、対象物に変化を起こさない為の術だ。それを死者に対して行うと、死体が腐敗しないという効果があった。
「ちょっとぉ、アデルきゅうん。何で死んだ奴にばっかり構うのよぉ。そんなことしてもソイツの死は覆らないわよ?この世に死んだ者を生き返らせる術なんて無いんだから」
「……師匠が、言っていた」
不満気に頬を膨らませながら現実を突きつけてきた悪魔に一瞥もくれなかったアデルは、ボソッと呟いた。アデルの虚ろなその声に、思わず悪魔はキョトンと首を傾げる。
「悪魔が嫌悪されるのは、かつて大罪を犯した悪魔がいたせいだと。……師匠は言っていた。善悪についてよく考えろと……。だが……最早そのようなこと、関係ない。……師匠を手にかけたというだけで……師匠を傷つけたというだけで……お前を殺す理由には十分すぎるな」
気圧されてしまいそうな程の、その赤い瞳で悪魔を睨み据えたアデルは、一切の迷いなくその憎しみをぶつけた。
そんなアデルの瞳は絶望に染まり、光は一欠片も灯っていなかった。
次は明日投稿予定です。
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