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ガキ大将シリーズ

その日、ガキ大将はいなくなった

作者: 魅社和真



『るい!私がリーダーだから、ちゃんと私のあとをついて来るのよ!!』



そう言って笑った、君の自信にまみれた眩しい笑みを……僕は一度だって、忘れた事が無い。






昔、僕らは仲良し4人組だった。……その事を知るのは、もうきっと僕らだけだろう。


僕達3人には、1人だけ女の子の友達が居た。僕達の幼馴染だ。


その子の名前は柳瀬やなせ理子りこちゃん。可愛い名前とは裏腹に、ちょっときつい子だった。



『つみきなんて明日やればいいじゃない!今日は外でなわとびするの!』



僕達を引っ張って外に連れて行くワガママな子。当時、僕は彼女には何も言えなかった。


僕だけじゃない。残り2人の幼馴染……彰吾しょうごと、晴斗はるとも……彼女に対しては何も言えなかった。言うと泣くと知ってるからだ。


理子ちゃんはとても泣き虫だ。僕よりも。


泣かれるとどうしていいのか分からなくなる。……それに、どうせ謝って理子ちゃんの言いなりになるんだから、泣かせないように何も言わない方が楽だった。


確かに、僕はその生活が嫌だったんだ。好きな事も出来ない……理子ちゃんが泣いて怒るから意見出来ない……それは、彰吾も晴斗も同じだった。


お母様達は、理子ちゃんのお母さんとはあまり仲が良くなかったから……理子ちゃんのお母さん無しでよく彰吾と晴斗のお母さん達と集まっていた。

勿論、そこに僕達も連れて。


理子ちゃんに振り回されずに遊べるのは、この時だけだ。僕達は男だけで集まっていっぱい遊んだ。



「やっぱりこがいないと楽だなー!好きな事もできるし!」


「うん。りこの事、気にしなくていいから助かる」


「そうだね……」



3人で横並びにソファに座って笑う。たまにはこういう日があってもいいな、と嬉しくなって足を揺らした。


すると、晴斗が思い出したように声を上げた。



「そういえばさ、せいどうじ?のじゅけん……どうだった?」



西堂路とは、僕達が春から行く予定になっている小学校の事だ。

僕達の幼稚園の子は全員と言っていい程、皆西堂路に通う。


その晴斗の問いに、コクリと頷いた彰吾。どうやら手ごたえはあったらしい。



「僕は……どうだろ……あんまり、じしん……無いかも」


「だいじょうぶだろ!るいは受かるって!!……りこは、危なそうだけどな!」


「……ははっ!そうだね」



理子ちゃんが受験中に偉そうに仁王立ちしているのを想像して笑う。僕達の幼稚園に通っている生徒で西堂路に落ちる事はあまり無いって聞いたけど……理子ちゃんはちょっと難しいかな?


そんな冗談で僕を励ましてくれた晴斗。その励ましにホッと息を吐く。



「……でも、小学校行ってもりこにさしずされるんだろうな……」



ぼそっと呟いた彰吾の一言に、気分が沈んだ。


一気に小学校が嫌になった。理子ちゃんは嫌いじゃないけど……ああやって毎日……幼稚園の時よりも長い間、理子ちゃんと居ないといけないという事がとても苦痛だった。



そうやって沈んだ気持ちでお菓子を頬張ると、晴斗が突然「決めた!!」と大声を上げて立ち上がった。


理子ちゃんのように自信にまみれた晴斗の表情に、思わず彰吾と2人、顔を見合わせる。

そんな僕達に視線を下ろし、晴斗は笑った。



「俺……にゅうがく前に今までの事、ぜんぶりこに言ってやる!!」






「……――ねぇ……あそびたくないって言うのは……ちょっと酷かったんじゃないかな……?」



3人でバスを降りて、お母様達が待っているパーティー会場である晴斗の家へ向かう。


その僕達の後ろを、幼稚園バスが追いかけるように抜き去る。……理子ちゃんの姿は、窓からは見えなかった。



……さっき、僕達は理子ちゃんに想いの全てを告げた。

卒園後のパーティーまで台無しにしようとする理子ちゃんに、僕達ももう我慢の限界だった。



『あ、あー!そういえばっ、きょうはっ、うちに来なさいよね!!家にはその後に帰るの!分かった!?』



何てことない……いつもの事のように理子ちゃんは言った。

その僕達の事なんて何も考えていない口ぶりに……1番最初に、晴斗が切り込んだ。



『――え?いやだけど?』


『…………え……?』



理子ちゃんは、そんな事を言われると思っていなかったのか、それっきり何も発さなくなった。

晴斗に促された僕達が文句を言っても……理子ちゃんは最後まで何も喋らなかった。


不満の全てをぶつけた後の理子ちゃんは、驚く程静かだった。もっと泣き喚くとか、暴れたりするんだろうなと思っていたから……少し、驚いた。



「……でも、これでりこが大人しくなってくれれば……」



彰吾の呟きに、皆で頷く。

……もう僕達だって小学生になるんだ。女の子の言いなりなんて……恥ずかしい。


やっぱり気にし過ぎだったんだろうと3人で笑う。その中でも晴斗は特にご機嫌だった。



「でもりこが静かになったらビビるな!!どうするお前ら、りこがこんにちわーとか言い出したら」


「ブッ!それはないでしょ……あのりこちゃんだよ?」



想像して笑ってしまう。そんなお淑やかなのは、もはや理子ちゃんじゃない。



「いやでも……まぁそれはそれでありな気もするけどな?りこもだまってればそこそこかわいいし」


「……はるとってけっこうりこちゃん好きだよね……」



僕の一言に、晴斗は真っ赤になって首を掴んできた。それを慌てて彰吾が止める。


確かに晴斗の言うように理子ちゃんは可愛い。

性格で台無しだけど、たぶん晴斗は大人しい理子ちゃんが好きなタイプなんだろうな。前から理子が大人しかったらなーって言ってたし。



真っ赤になって煩い!と怒鳴る晴斗の後を苦笑いしながらついて行く。それでも喜んでるっぽい足取りは、小学校に上がった頃に理子ちゃんが大人しくなっている事を期待するような楽し気なものだった。



「……しょうごも、大人しいりこちゃん好きでしょ?」


「……べつに……」



もう1人の幼馴染にも問うと、そっぽを向かれた。

……でも、向こうを向いても見える耳だけは、分かりにくい彰吾の気持ちを代弁するように赤くなっていた。


それに僕は笑った。小学校に上がるのが……心底楽しみだった。



…………楽しみ、だった。



それが間違いだったと気づいたのは…………取り返しがつかなくなった後だった。






「……なぁ、誰か理子に会ったか?」


「ううん……彰吾は?」


「……見てない」



入学式を終え、ポケットにカーネーションを刺した僕らは一斉に集まった。もう1人の幼馴染が見つからないのだ。



「くっそ……理子のやつ、迷子になってんじゃないのか?」



そわそわと周りを見渡す晴斗。僕も一緒に見まわして探す。


……そんな僕達の行動を真似ることなく、彰吾は1人でフラッとどこかへ行ったかと思うと……真っ青な顔になって、戻って来た。



「ど、どうしたの彰吾!!顔色悪いよ!?」


「なんだよお前、病気かよ!座れよ!」



僕らに支えられ、彰吾は椅子に腰かける。突然真っ白になったような顔で現れた彰吾が心配でたまらない。


誰か先生を……と辺りを探そうと身を翻した僕の手を、彰吾が強く掴んだ。



「いっ…………彰吾?」


「…………んだ……」



真っ白な手に掴まれて困惑する。冷たい手の温度が、それとは対照的な熱を奥に秘めているように感じた。


何かをボソボソと呟く彰吾に首を傾げる。

僕の手からそっと彰吾の手を離そうとした晴斗の手ももう一方の手で掴むと、彰吾は真っ青な顔をガバリと上げて……呆然としたように、言った。



「――……先生に、聞いた……理子は…………西堂路に……受かって…………ないんだ」


「は…………」



それだけ言うと、彰吾は泣き出した。ごめん、ごめんと嗚咽を混じらせて……ここにはいない、理子ちゃんに謝った。



それを意味が分からないように見つめる、僕と晴斗。彰吾がどうして泣いているのかも……分からない。



「え……な、泣かないでよ……彰吾?そん、そんなの……別に……いつでも、遊べ「俺達は……誰か理子の家を知ってるのかっ……!?」…………」



……何も言えなかった。誰も知らないと、今気づいたからだ。



理子ちゃんの家には行った事がない。誘われた事がまず無かったから。


おこりんぼうの理子ちゃんの事だ。きっと僕達の家に遊びに行きたいと言った理子ちゃんのお願いを断ったから、理子ちゃんは僕達を家には誘わなかった。理子ちゃんは、そういう子だ。



――じゃあ……僕達は、二度と会えないであろう理子ちゃんに…………暴言を吐いたって事…………?



ぞっと鳥肌が立った。いや違う、そんな、そんなつもり、じゃ、なくて……!


ただ直して欲しかっただけだった。小学校に上がって、少しでも大人しくなって……皆で楽しく遊べたらって……それだけ…………。



体が震える。そんな事だって、理子ちゃんに会わなければ伝わりはしない。


僕の手も彰吾のように白くなった。もう会えない理子ちゃんの事を思って罪悪感と悲しみで涙が溢れた。



……そんな僕達の手を、温かい手がギュッと握り返す。



「メソメソすんなよ!そんなん、母さん達に聞けば良いだけだろ!!理子の母親とも連絡ぐらい取ってたんだから!!」



大きな声でそう言われ、涙を止める。……彰吾は、いつも通り笑っていた。



「……ま!俺は聞かないけどな!!理子が謝るなら今までの事は許すけど、別に仲直りとか考えてないし!」


「……ははっ、また……晴斗は、そんな事……言って……」



意地っ張りな晴斗は、遠回しにお前達が理子を呼んで自分と仲直りさせろと言ってきた。

不器用な幼馴染に、僕と彰吾は泣くのを止めて笑った。


そうだった。別に僕達に連絡を取る手段が無くても、大人のお母様達なら知ってる。


ホッとすると同時に、手に温度が戻って来た。

僕は頬に残った涙を拭うと、家で待っているお母様の所へと急いで帰った。






「ただいまお母様!!あの、理子ちゃんの家に電話してくれませんかっ!?」


「あらあら類!だめよ手を洗って来ないと……」



慌ただしく帰宅した事をお母様に咎められながら、理子ちゃんのお母さんに連絡を取るようにお願いする。

すると、いつも優しい微笑みを湛えているお母様は、僅かに顔を顰めた。



「……理子ちゃんって……柳瀬さんの?」


「そうです!僕理子ちゃんに酷い事言っちゃって……」



思わず俯く。……あれが最後の言葉なんて……あんまりだ。


だから、違うんだって言いたい。理子ちゃんには不満もあったけど、良い所だって沢山あるんだ。



理子ちゃんは、僕をいつも助けてくれるんだ。弱虫な僕の事を、庇ってくれる。


そんな理子ちゃんに憧れたんだ。女の子なのに、凄いなって思ったんだよ。



それすらも、理子ちゃんには言えていない。憧れた事も、ありがとうも……僕は何も……言えてないんだ。


無言でお母様が電話をかけてくれるのを待つ。……けれど…………どうしてか、お母様が理子ちゃんのお母さんに電話をかけてくれる事は……無かった。



「……もうお忘れなさい、類。類がそんなに反省しているなら、理子ちゃんも許してくれるわ。……さぁ、今日はピアノのレッスンの日よ?早く準備してらっしゃい」


「え……お、お母様、でも……」


「類は理子ちゃんに振り回されて嫌だったでしょ?お母様は知ってるわ。だからもう理子ちゃんの事は忘れましょうね」



そうにっこりと笑って、お母様は僕を部屋に追いやった。






「うちも、そうだった……理子の事は忘れろって……」


「じゃあ…………やっぱり……」


「…………」



無言で顔を見合わせる。全員の顔が、もう無理だと言っているように感じた。


公園のベンチから、晴斗だけが飛び降りた。そして口をへの字に曲げたまま、晴斗は僕達を振り返る。



「ふん……別に名前とか特徴でも見つかるだろ。……ま、俺は関係ないけど!」



それだけ言って晴斗は公園から出て行った。……お前らが探せって言ってるんだろうな……。


晴斗だけはいつも理子ちゃんに反発していた。それは、晴斗と理子ちゃんが似ているからかも知れない。


晴斗もきっと理子ちゃんが居なければ僕らのリーダーだったんだろう。

それが晴斗も気に入らないから、理子ちゃんをあの日責めたって所もあるんだと思う。


それでもやっぱりまた仲良くしようと考えてる辺り……やっぱり晴斗、理子ちゃんが大好きなんだなぁ……。



「……じゃあ、探す?」


「探さないと見つからないからな……」



もう1人も探してくれれば良いのにねー?とおどけたように笑うと、彰吾も珍しく噴き出して笑った。











「……お母様、どうして理子ちゃんの家に電話してくれないんですか?」



あれから1年経った。僕達はもう2年生だ。



理子ちゃんは、どうやっても見つからなかった。名前と性格が一致する人が居ない。


本当にこの周辺に住んでるんだろうか?もう引っ越したんじゃないの?


そんな疑問が、僕達の中に生まれた。だから、僕達は1番正確な情報を持っているはずのお母様達にもう一度聞く事にした。



「ちゃんと話がしたいんです。謝りたいんです。……お願いします」


「類……」



頭を下げてお願いする。頭上からため息のようなお母様の僕を呼ぶ声が聞こえた。


人を傷つけておいて謝りたいから会いたいだなんて……なんて図々しいんだろう。自分でも思う。


だけど、どうしても理子ちゃんには謝りたかった。1人で知らない小学校に行ったであろう理子ちゃんが……僕等に怒ってますます荒れてるんだろう事は想像出来るけど……。


ちょっと怖いな……と思いつつ、下げ続けていると、お母様から諦めの声が響いた。



「――はぁ……分かったわ、類……かけてみるわ」


「!!あ、ありがとうございますっ、お母様!!」



勢い余ってお母様に抱きつく。お母様は優しく僕の頭を撫でながら、理子ちゃんのお母さんに電話をかけた。


それを隣で静かに眺める。……いつ会えるだろう?どんな子になったかな?僕の方がそろそろ大きくなってるかな?


胸がドキドキした。どうしてか理子ちゃんが可愛くなってたらどうしようという謎の疑問を浮かべた所で……お母様は無言でスマホを下ろした。



「……お母様?」


「ごめんね、類……出ないわ……」



何度かけても。と、お母様は眉を下げた。



……僕達が、理子ちゃんに二度と会えない事が確定した夜の事だった。











「……ねぇ、晴斗……またやってるの?」


「はぁ?うっせぇわ。弱虫は引っ込んでろ」


「……もう放っておこう、類」



顔を傷だらけにした晴斗が、僕をひと睨みして舌打ちを打つ。それに、彰吾は冷たい眼差しを返した。



あれから晴斗はおかしくなった。毎日僕達を避けて、どこかで喧嘩してくるようになった。


僕も彰吾も気づいてる。きっともう理子ちゃんに会えない事が確定したからだ。



お母様だけでなく、彰吾のお母さんも理子ちゃんの家に電話をかけてくれたらしい。

……けれど、僕の時と同じで……理子ちゃんのお母さんは出なかったそうだ。


それを晴斗に報告してすぐは、そんなにおかしくはならなかった。……きっと、まだ名前と性格で探している方が見つかると思っていたのだろう。



……だけど、そんなに甘くはなかった。

今、僕達は中学1年だ。……けれど……その間に理子ちゃんの情報は……1つも入って来なかった。


理子ちゃんの名前を言うと、皆なんか居たような……という態度で、確証は得られない。

それでも、もしかしてと思って性格を聞くと、名前が似てる人物は理子ちゃんとは真逆の恐ろしい程暗くて陰気臭い女子だと言っていて、僕達は肩を落とした。


それに髪が長いと言っていた。あの理子ちゃんがそんな長い髪にする訳がない。邪魔だといつも言っていたんだから。



そんなのばっかりで結局僕達はあっという間に13歳になってしまった。……それから晴斗は何かを振り切るように、喧嘩に走った。



「……理子ちゃんに、また会えたら……晴斗も、戻るのかな……?」


「さあな……本人次第じゃないか?」


「……彰吾も、変わったよね」


「…………」



そう。彰吾も変わった。


気づかれていないと思っていたのか、彰吾は僕から僅かに視線を逸らした。



彰吾は……あれ以来、全く笑わなくなった。まるで凍ったように。



前から笑う事は少ない方だったけれど……今は、まるで表情が死んでいるように動かない。

何をしても冷めている。心が動かない。


そんな自分に、きっと彰吾自身気づいている。

でも、その原因を知っていても、僕も彰吾も……どうする事も出来ない。


僕達の起こした過去が、棘になって永遠に僕達を刺し続ける。自分を戒めるように。



「……高校受験に……理子ちゃん、西堂路に来たり、しないかな……」


「しないだろう。あのプライドの高い理子が、一度落ちた学校なんて」


「……だよねー……ははは……」



笑いながら無意識に空を見上げた。悲しい程に赤い空が、僕の顔を真っ赤に染める。


……この茜色の空の下……君はどんな気持ちで生きているのだろうか?






「もう止めなよ晴斗……それは理子ちゃんじゃないよ……」


「あいつの名前出すんじゃねーよッッ!!」



理子ちゃんに似た高飛車そうな女子の肩に腕を回す晴斗を見て、見ていられなくなりそう言うと、僕は激高した晴斗に殴られた。

腕を回された女子が悲鳴を上げて逃げてゆく。



「ンだテメェ!!いつまでもそんな昔の事引きずりやがって!!何が幼馴染だ馬鹿みてぇに……っ!昔ちょっと一緒に遊んでただけだろーが!!」


「……引きずってるのは晴斗でしょ。今の自分見えてるの?すごいよ?」


「テメェ!!類!!!」


「もうやめろ。見苦しい」



晴斗を笑ってやると、面白い程怒りだした。やっぱり晴斗はまだ理子ちゃんを引きずっている。

僕の襟を掴み上げる晴斗の腕を、真顔で彰吾が掴む。……こっちも相当引きずっている。


僕はもうため息しか出ない。あんなに仲が良かった幼馴染が、少し邪魔なものを排除しようとした結果がこれだ。笑える。



……そういえば、僕も変わった気がする。全然泣かなくなったんだ。


どうしたんだろう?何も悲しくなくなったんだよ、理子ちゃん。


昔はね、君が怖くて、泣かせるたびにもらい泣きとかしてたのに……全然泣けないんだ。


僕強くなったのかな?……と、心の中の理子ちゃんに問いかける。


……思い出の中の理子ちゃんの顔は…………もう、あまり思い出せない。



僕の襟から手を離した晴斗が、僕と彰吾をそれぞれ睨んで……舌打ちをしてから、また僕達に背を向けて去って行った。



……もう何回目だろうか。この流れは。それでも止めないのは……やっぱり、僕達はそれでも仲良し幼馴染3人組だからだ。


晴斗は僕達に捨てられようとしている。察しの良い晴斗の事だ。僕達がずっと晴斗を心配しているのが分かって、もう自分に構うなと……言葉に出すのが苦手な晴斗は思ってるんだろう。


そう分かっていても……もう…………どうする事も……出来ないんだろうなぁ……。



乾いた笑い声が廊下に響く。

その冷めた笑い声が自分の喉から出ていると知っても……僕は特別、驚かない。






――しかし、その地獄の終わりは、突然やって来た。



突然。本当に……突然だった。



その日は入学式だった。高校の。


……と言っても、僕達の高校はエスカレーター式だから別にめでたくも何ともない。


僕は体育館のパイプ椅子に座ってあくびを噛みしめながら、彰吾の新入生代表の挨拶を見守った。

……ま、あれだけ逃げるみたいに勉強ばっかりしてたら、代表にも選ばれるよね。


1人そんな事を考えながら、彰吾の背中を見つめる。……今日も、彰吾は表情が死んでいた。



新たに割り振られた教室に入る。ほとんど知ってる顔ばっかりだ。


やっぱりエスカレーターってつまんないな。と、真新しい机に寝そべる。


小学校から一緒の人ばっかりだから、僕がこうすると無視するのが分かって誰も喋りかけては来なかった。こういう所は利点かな。


静かに時が過ぎるのを待った。すると先生が入ってきた……この声は……中塚なかつか先生か。


先生は自己紹介をするとか言い出した。周りからブーイングが上がる。勿論僕も心でブーイングした。



……だけど、結果的に僕は中塚先生に感謝する事となる。



謎に後ろの席から自己紹介をするという変化球を見せつけた中塚先生。おかげで最初の生徒は準備が出来ずに戸惑っているような声色だった。


可哀想に……と思いながら聞き流す。どうせ知ってる人ばかりだ。


段々と長い自己紹介が子守唄のようになってきてウトウトと本当に寝そうになる。

流石に自分の番までは起きておかないと……と、必死に目を開いていると……ガンガンッ!……と……机の脚に思いきりぶつかる音が斜め前から聞こえて覚醒する。おかげで目が冴えた。



…………と、同時に…………弱弱しい声が……空気を震わせた。



「あ……っ……や、柳瀬……理子……です……よ、よろしく、お願いします……」



弾かれるように顔を上げた。



……何て言った?柳瀬……?理子って言った?柳瀬理子?……えっ…………?



斜め前の女子の背中を凝視する。……顔は見えない。


長い黒髪だった。思い出の人とは違う長い髪に、丸まった小さな背中。……別人?

呆けている間に僕の順番が回ってきて、別人だと判断した僕は気だるくいつものように冷めた声で自己紹介した。


…………すると、その女子は僕の声を聞いた瞬間…………肩を大きく震わせた。



――――理子ちゃん?



無言で目を見開く僕の、唇だけが声も無くそう呟いた。






教室を見て回るクラスメイト達。その中に、彼女がいる。


僕の前をゆっくり歩く彼女は、思い出とは全く違う。……それでも、僕は視線を逸らせなかった。



……理子ちゃんなの?……あの、理子ちゃん?本当に?



背中を見ても、君かは分からない。だけど……その小さな背中に…………僕はどうしてか……泣きたくなった。






授業も無く、個々で帰る時間になった。僕はせっせと鞄に教科書を詰める理子ちゃんの机に手を置いた。


僕の腕がある事に気づいた理子ちゃんが、驚き立ち上がる。……その時、僕達の視線が初めて重なった。



……――あぁ。やっぱり……やっぱり君は……。



眩しさに目を細める。久々に会った幼馴染は…………驚く程綺麗になっていた。


こんなに可愛い子だっただろうかと思ってしまう。

記憶の中の理子ちゃんを探しても、そりゃ見つからないはずだ。全く違うんだから。


光沢のある黒髪は、胸まで伸びていた。いつも怒ったようだった目は、とろんと優し気に下がって愛らしい。



胸がドキドキと脈打つ。おかしい程、手から汗が噴き出た。



何かを紡ごうとした唇を小さく結んで、警戒したように僕から少し距離を取る理子ちゃん。

僕は慌てて彼女を刺激しないように謝る。



「あ……ご、ごめん……驚いた?」


「…………」



思っていたよりも昔の自分のような弱弱しい声が出た事に、自分で驚く。まだこんな声が出せたのか。

まるで窺うような……下手に出るような声に、懐かしいと……嬉しいと、思った。


喜ぶ僕とは反対に、理子ちゃんは黙ったまま視線を動かさない。それに焦った僕は、彼女を怖がらせないように前の席の椅子にゆっくり座った。



……理子ちゃんは……僕を……晴斗や彰吾を、覚えているだろうか?



「えっと…………理子、ちゃん……だよね?僕、類なんだけど……覚えてる?」



……そう言った僕の声は、震えていなかっただろうか?


知らないと言われたらどうしよう……と、唾を固く飲み込むと……理子ちゃんから、よく分からない空気を吸い込むような音が聞こえた。

それに僕を覚えている事を確信し、ホッと息を吐く。



……言いたい事が、あったんだ。理子ちゃん……君に。


ずっと、ずっと言いたかった。僕だけじゃない。きっと、晴斗や彰吾も。



……君は許してくれるだろうか?君を傷つけた僕達を……。



許されなくてもいい。嫌われていたっていい。……だから、これだけは聞いて欲しい。



「あ、の……覚えてるか、分からないけどね…………幼稚園の卒園「ごめんなさいっっ!!」



勇気を出して振り絞った言葉が、遮られた。


理子ちゃんは、悲鳴のような大声で僕の言葉を遮ると……大声に驚いた僕の顔を見て震える手で口を押えた。……そして、何度も謝った。



ごめんなさい。ごめんなさい。



……どうして、君が謝るの?君は、何にもしてないのに……。



それに……君は、そんなに謝れる子だった?もっと怒鳴り散らすような子だったよね?


戸惑い、本当にあの理子ちゃんなのかと思わず本人だと確信しながらも聞き返す。彼女はコクリと頷いた。


呆気にとられて呆然とする僕の目の前から、彼女が消えた。気づけば、彼女は猛スピードで僕から逃げて廊下を走っていた。



――まって……待ってよ!!まだっ……まだ、何も話せてないのに!!まだ君に……っ……ごめんねも、ありがとうも……言えてない……!!



急いで教室を飛び出し、泣きそうになりながら追いかけた。涙が膜を張る感覚は久しぶりだ。あの頃に戻れたようで嬉しい。


だから理子ちゃん。謝らせて。君に酷い事を言った事。傷つけた事。


人混みの中、君がつまずくのが見えた。それに届かないと知りつつ必死に腕を伸ばす。



……と、その彼女の腕を、僕より先に掴んだ人物に……僕は目を見開いた。



「…………――理子」



離れた位置からでも聞こえた。彰吾の珍しく驚いたような感情の籠った声。


遠くでも分かる、彰吾が驚く顔。固まった氷が、溶かされる音。



理子ちゃんを追って辿り着くと、彰吾と目が合った。彰吾は……どうしてここに理子が居る?と目で語っていた。


懐かしさで涙が出そうになる。こうやって彰吾が感情を表したのはどのくらいぶりだろうか?


理子ちゃんの腕を掴んだまま嬉しそうにしている彰吾を見て、ハッと僕は後ろを振り返る。


すると、案の定別のクラスから出てきたであろう女子の肩を抱いた晴斗が、廊下に出てきたところだった。

僕はそれに一目散に走り寄った。



「晴斗!!」


「……あ?何だテメェ類……ボコられに来たのか?」



僕を見て不機嫌そうに顔を歪める晴斗。それを僕は少しも気にも留めず、晴斗の腕を引っ張った。



「来て!!早く!!」


「んだテメェ離せ!!いつまで俺と幼馴染のつもりだ!!もうテメェの面なんかーー」


「理子ちゃんが来てるんだよ!!良いから早く来てよ!!!」



僕を殴ろうと拳を振り上げる晴斗にそう言うと……晴斗の腕がピタリと止まった。

僕はそれでも尚、晴斗の腕を引っ張る。



「……ねぇ、もういい加減にしてよ。今から晴斗とデート行くんだけど?」



隣の肩を組まれた女子が、僕を不満げに見やる。……だけど、この女子とのデートは明日でも出来るかも知れないけど、理子ちゃんはそうじゃないかも知れない……僕達は、それを知っている。



『……こんどで、いいんじゃないかな……?』



……忘れられない、自分の最低な言葉を思い出し……目の前に女子が居るにも関わらず舌打ちをする。


……何が今度だ。今度なんて無いじゃないか。



いつでも遊べると思った。それが普通だったから。……でも、それは当たり前の事なんかじゃなくて、もっと大事にするべき事だった。


一度のすれ違いから、二度と会えなくなる事だってあるんだ。もう一度だなんて……保証は、どこにもない。



グイグイと、はやる気持ちで晴斗を急かす。晴斗は僕を見つめたまま動かない。



「晴斗!早くーー「お前、何企んでやがる」……は?」



晴斗はそう言うと、冷えた目で雑に僕の腕を振り払った。



「誰だそれ。そんな奴知らねぇけど?勝手に自分だけ行けば良いんじゃねぇ?」


「晴斗……本気で言ってるの?」



震えて問う僕の問いを鼻で笑う晴斗。……僕は、そっと晴斗から距離を取った。


……そっか。もう、晴斗は戻る気は無いんだ。仲良しに戻る気も、元の自分に戻る気も。



「……そう?じゃあ晴斗はそれで良いんじゃない?僕は行くね」



馬鹿みたいだ。自分で自分を捨てるんだ、晴斗は。



結局晴斗は自分では何もしないまま。元々理子ちゃんを探してたのだって僕と彰吾だけだ。晴斗は探してすらいない。


なら会わせる必要もないよね、と振り返り理子ちゃんの方に足を向けた。

……すると、可愛らしい声が、精一杯張り上げたような声が突如廊下を駆け抜けた。



「……れっ、恋次君!!」



――誰かを呼ぶ、理子ちゃんの声が。



……その瞬間、僕の腕を掴んで後ろから走って来た人物がいた。



「……何?行かないんじゃなかったの?」


「うるせぇ!殴んぞ!!」


「……ははっ……やっぱり晴斗は晴斗だよ」



意地っ張りで、勝ち気で、初恋の女の子が今も大好きな……僕の、幼馴染。






彰吾の所に着くと、彰吾が空になった手をみつめていた。それに声をかけて、理子ちゃんの声がした方に向かうと……理子ちゃんが、誰かに背中を叩かれていた。



「何だアイツ……嫌がらせしてんのか?」



眉間に思いきり皴を寄せた晴斗がそう呟いた。


目の前では大男が理子ちゃんの背中を強めに叩いている。

理子ちゃんは逃げもせずにその大男にされるがままだ。



「理子!!!」



突如、隣の晴斗が大声で理子ちゃんを呼んだ。……晴斗の口から理子ちゃんの名前を聞くのは何年ぶりだろう。


若干耳を赤くした晴斗に白い目を向ける。

……何が僕だけ行けば?だ。呼びたくて堪らなかったくせに……。



大声で呼ばれた理子ちゃんは、ビクリと肩を大きく震わせて僕らの方を見た。その目は、涙で潤んでいるように見えた。



……その瞬間、隣とその隣から唾を飲み込むような音が聞こえた。本当に分かりやすい2人だ。



……と思いつつ僕も天井を見上げる。

理子ちゃんが大人しく喚かずに泣いているのが凄く新鮮で……言うと怒るかも知れないけど、可愛かった。


結局これで許してきた幼稚園時代だったなー……と今更ながらに思い出し、心の中で自分に笑った。

晴斗は真っ赤になりながらも首を横に振って我に返る。可愛いと思っている自分が許せないようだ。


小さな声で名前を呼ばれた晴斗は、理子ちゃんが自分の事を覚えていたことが嬉しいのだろう。益々顔を赤くして、怒ってますよという顔を作り理子ちゃんに一歩踏み出した。



「理子テメェ!!何で西堂路来なかったんだよ!!お前の家も誰も知らねぇし!今更来やがって何平然と「理子を理子と呼んでいいのは俺だけだ!!!」……は……?」



いや、受験に落ちたって彰吾が聞いたって言ってたよね?話聞いてなかったの?


……と思って頭を抱えていると、理子ちゃんの隣の大男が突然そんな事を叫んだ。


呆然と固まる僕達3人。……何?誰これ。どうして理子ちゃんを呼び捨てにしてるの?


頭の中で疑問が膨れ上がる。どれから聞けば良いのかと迷っている間に、何か自信にまみれた表情の茶髪男が今度は理子ちゃんの肩を馴れ馴れしく叩いた。



「理子はな!!他人に理子と呼ばれるのを嫌がるんだ!!だから理子を理子と呼べるのは、幼馴染の俺だけだ!!そうだな!?理子!!」


「えっ…………あ、うん……そうだね」


「ほらな!!お前達は柳瀬さんと呼べ!!」



突然の他人の出現に気圧される僕ら。ガタイも良いから威圧感が半端ない。


そんな大男に怯える事無く、理子ちゃんは動揺したように……またか、といった風に同意する。



……幼馴染?どういう事?僕達が幼馴染のはずだ。



理子ちゃんに馴れ馴れしいこの男に嫌悪感が湧いた。どうして僕達が理子ちゃんを柳瀬さんなんて他人みたいに言わなくてはいけないのか。


僕はムキになって男に近づく。……すると、男は……近づくともっと大きかった。


この男……晴斗より背が高い……!!理子ちゃんが小さかったからそのせいかと思ったら普通に大きい!!



途端、足が震えた。……あれ?僕……何も怖くなくなったはずなのに……?



「ど、どうして君が理子ちゃんの幼馴染なの!?ぼ、僕達が幼馴染なのに……!!」



声がヒョロヒョロと萎びれる。まるで幼稚園の頃のようだ。


足が震えて不格好な僕を鼻で笑うと、男は当たり前のように理子ちゃんを呼びつけて、理子ちゃんの頭ごと肩を抱き込んで肩を組んだ。

僕ら3人から驚愕の声が音も無く上がる。



「教えてやろう!!!答えは!!お前達がもう理子の幼馴染ではないからだ!!!俺は小1から理子の幼馴染だからな!!お前達が理子と遊んだのは6年間の内の何年だ!!俺は……10年!!!!つまり俺が幼馴染!!!」



そう怒鳴るような大声で言って、男は心底嬉しそうに理子ちゃんの頭を撫でくり回した。



10年……!?ぼ、僕達は……えっと……!幼稚園の年少さんからだから……!



「3年……」



ぼそっと呟いたのは彰吾だった。思わず彰吾を振り返ると、あの死んだ表情が嫉妬で歪んでいた。


それに暫く呆気にとられる。

……戻った?元の彰吾に……あの頃の、彰吾に……!


体が喜びで震えた。感情を捨てたような死んだ日々を送っていた幼馴染は……もう1人の幼馴染と再び出会えた事で…………やっと感情を取り戻したんだ。


やっぱり理子ちゃんは凄いよ!……と、理子ちゃんに笑顔を向ける。…………すると、理子ちゃんは男に何かをお願いするように、控えめに男の袖をくいくいと引っ張っていた。



――あれ?怒らないの?



3人が一緒に顔を見合わせた。

鳥の巣のようにぼさぼさになった頭で……理子ちゃんは文句も言わずにただ男の気分を害さないように静かに抗議するだけだった。



……きっと、この時僕達の心は1つになった。



…………これ、理子ちゃん……だよね?



そう僕が思うと同時に、晴斗が慌てたように理子ちゃんに問いかけた。……本人だなんて、晴斗が1番よく分かってるだろうに……。


理子ちゃんは何やら僕達に自慢げにする男を宥めて……僕らに挨拶とともに頭を下げた。



……理子ちゃんが……頭を……!!



挨拶が出来てホッとしたような表情の理子ちゃんは、あの頃とは似ても似つかない。何か憑き物が落ちたかのようだ。


それに意味が分からず停止していた僕達は、混乱したように一斉に理子ちゃんに言葉を投げかけた。



「ちょっと待てよ!!お前本当にあのワガママ理子かっ!!?別人じゃねぇかよ!!」


「あ、はい……その節は……ご迷惑を……」


「理子はそんな畏まった喋り方しないだろう……!?もっと高圧的だった」


「あ、そうです……そういう時代も……よく覚えてましたね、喋り方まで……」


「理子ちゃんは僕達を君呼びなんてしなかったよ!!ど、どうして!?」



訳が分からない。あの理子ちゃんが何をどうやったらこんなお淑やかな子になるのだろうか?


それに敬語まで使っている。幼稚園の時は頑なに使わなかったから、これからも使わないんだろうと思っていた敬語を……普通に使っている。


そもそも、理子ちゃんは僕達に君なんて付けない。まるで男の子のように僕らを呼び捨てにするような子だったんだ。


……だから、そう指摘すると……理子ちゃんは初めて見る気まずそうな顔で、顔の前で手を左右に振った。



「いやあの……失礼ですよね?少しの間一緒に遊んだ程度の人が呼び捨てにするのって…………あっ、み、皆さんの事では、無いですよ?」



理子ちゃんの言葉に全員が黙り込む。……た、確かに……3年ぐらいしか遊んでないけど……!


それでも……その3年でも、理子ちゃんという存在は鮮烈だった。記憶に焼き付いて、離れない。

だから僕達は誰も理子ちゃんを忘れられなかった。

……初恋の子だっていうのも……あるんだろうけど……。



「……んなの……関係ねぇだろ……時間なんて……」



ぼそり。と、晴斗が零した。


……でも晴斗。僕達は理子ちゃんにとって嫌な記憶なのかも知れないよ。忘れたい時間だったのかも知れない。



そう思うと、理子ちゃんに君付けしないでなんて……言えなかった。僕達には、そんな権利は……無い。



……それなのに、目の前の男は当たり前のように理子ちゃんの手を取る。理子ちゃんを連れて行こうとする。



――ずるいなぁ。羨ましい。



そこに居れるはずだったんだ。僕達は。君じゃなくて……僕達が。



理子ちゃんに近づくと、僕達に気づいた理子ちゃんが怯えるように男に掴まった。

……よっぽど信用されてるみたいだ。……僕達の知らない10年を……この男は、ずっと理子ちゃんと過ごしたのだろうか?



「…………何で……小学校違うの、言わなかった……」



呟いたのは、晴斗。でもそれは僕達全員の意思だ。


どうして言ってくれなかったの?恥ずかしい事だと思った?僕達が笑うと思ったの?


プライドの高かった理子ちゃんの事だ。そう考えても不思議じゃない。



……もし、言ってくれてたなら……こんな事には、ならなかった。



きっと今でも理子ちゃんとは仲良しで……僕は、理子ちゃんにからかわれて……泣いて……彰吾は、理子ちゃんの後始末をさせられて……晴斗は、また理子ちゃんと反発し合ったりしてたんだろう。


そんな未来がない事は、僕自身よく分かってる。あの頃ああしてれば、なんて……結局は終わった後に思うものだ。


だけど、言って欲しかった。理子ちゃんから。……それは、僕らのワガママ……だろうか?



口ごもる理子ちゃん。その顔は何だか言いづらそうだ。


痺れを切らした晴斗が理子ちゃんに問いただそうとすると、男がそれよりも先に大声で晴斗を遮った。



「俺は知ってるぞ!!理子が家でお別れパーティーをしようとしたら断わられたから学校が違うと言えなかったってな!!俺は幼馴染だから何でも知ってるぞ!!!」



男はマウントを取るようにそう言い豪快に笑った。



――その一言に、僕の中の罪悪感は一気に溢れ出した。



『あ、あー!そういえばっ、きょうはっ、うちに来なさいよね!!家にはその後に帰るの!分かった!?』



……あの時の理子ちゃんは……一体、何を思っていたんだろう。


またいつものワガママだと思った。卒園パーティーも台無しにするのかと思った。


……でも、そうじゃなかった。理子ちゃんも……パーティーをしようと、思ってたの?


言えなかったの?……言える訳ないよね。だって理子ちゃんは…………プライドが高かったもんね。


あれでも精一杯頑張ったんだろうね。

家に遊びに行きたいって言った理子ちゃんにダメって言った時から、理子ちゃんが家に呼んでくれた事なんて……無かったもんね。


それなのに、うちに来なさいって……言ってくれてたのにね…………少し、考えれば……分かったのに……。


……そんな勇気を出した一言が……あんな暴言を返されて……理子ちゃんは、どう思ったんだろう。



「ご、ごめんね理子ちゃん!!僕っ、小学校も一緒だと思って……卒園式の時に、全部言っちゃおうって……小学生になったらその、ちょ……ちょっと直してくれたら良いなって……思ったから……」



風を切るように思いきり頭を下げる。


もっとちゃんと言おうと思っていた長年の謝罪の言葉は……萎んで小さくなっていく。

涙が頬を伝った。まるで、幼稚園児に戻ったように、僕の目からはとめどなく涙が溢れた。


彰吾も僕に続いて理子ちゃんに謝った。……彰吾も、泣いていた。


俯きながら、ひたすら謝った。…………晴斗は、謝りたくても謝れないんだろう。


チラリと横目で確認すると、晴斗は目を泳がせていた。本当に……どうしてこんな不器用な不良もどきに育っちゃったんだろう。


心では謝ってるんだろう馬鹿な幼馴染から目を逸らす。理子ちゃんは、私が悪いと泣いて僕らに謝った。



君が悪い事なんて何も無い。家に行きたいと言った事の何が悪いのか。


僕らの方が悪質だ。嘘までついて君が来れないようにした。


ごめんね。嘘だったんだ。理子ちゃんを上げたくなかったのは、理子ちゃんが家で暴れると思ったんだよ。……一度だって理子ちゃんがものに当たったりする所なんて…………見た事もない癖に。


それなのに、自分が悪いと言ってくれるの?こんな僕らを悪くないって……言ってくれるの?



涙がとめどなく零れた。


君と別れて10年……やっと、僕達は……君に謝る事が出来たんだ。



「俺は理子の家に行った事もあるし、理子が家に来た事もあるぞ!!!理子はグチャグチャになんかしない!!逆に俺の部屋の掃除をして綺麗にしてくれてる!!!ありがとう理子!!!」



突然大声を上げて僕達と理子ちゃんの間に身を滑り込ませた大男。威圧感があり、僕は驚きで涙を止め少し震えながら彰吾と後ろに下がった。


男は当たり前のように理子ちゃんを呼び捨てにし、ありがとうと言って両手で理子ちゃんの肩を激しく叩いた。理子ちゃんは慣れているのか痛がったりせずにしょうがなさそうに笑っている。



……所で、この人…………誰?



「……理子、コイツ誰だよ」



全員がそう思ったであろうタイミングで、嫉妬にまみれた表情をした晴斗がそう呟いた。


理子ちゃんが焦ったように晴斗の方を向くと、幻覚の晴斗の尻尾がブンブンと揺れた。……絶対に喜んでる。

…………と、思っていたら……男が晴斗の前に理子ちゃんを隠すように立ち、いきなり自分で自己紹介を始めた。


途端、晴斗の機嫌が急降下した。



「俺は秋雨あきさめ恋次れんじ!!夢は……ゴールキーパーの日本代表!!兼!!消防士!!理子とは小学校1年の入学式からの仲だ!!つまり幼馴染っ!!!……それと理子は男にからかわれやすいからな!!理子のボディーガードもしている!!何か理子に用がある場合は俺を一度通して「お前に聞いてねぇんだよ!!おいコラ理子答えろよ!!」



ベラベラとよく喋る男に負けない程の大声で晴斗が言葉を遮った。凄く意地悪だけど……僕も……たぶん、彰吾も晴斗には感謝していた。



何が幼馴染だ。後から来た分際で……理子ちゃんの、一体何を知ってるって言うんだ。


どうして君を一度通さないと理子ちゃんと話せないの?君は理子ちゃんの何なの?



嫉妬が心を埋め尽くす。僕は晴斗や彰吾みたいに、理子ちゃんへの恋心を引きずってる訳では無いはずだけど……何だか、このままこの男に全て持っていかれそうな気がして……酷く焦りを覚えた。


それを裏付けるように、理子ちゃんは怒鳴った晴斗から逃げるように男の背に隠れる。

……もはや、あの頃の勝気で暴れん坊の理子ちゃんの面影は……そこには無かった。



「おい理子!!何だお前弱くなりやがって!!男に隠れるような奴じゃねぇだろうが!!何しおらしくしてんだよッッ!!」



それに機嫌を最高に悪くした晴斗がキレる。その立ち位置は……晴斗がずっと欲しかった立ち位置だ。



晴斗は大人しくなった理子ちゃんに頼られたかった。

だから、あの日あんな事を理子ちゃんに言ったんだよ。


結果的には最悪な事になっちゃったけど……それでも、晴斗は理子ちゃんを見捨てる気なんてさらさら無かったんだ。



……きっとこの幼馴染は最後までそんな事は言わないだろう。それは、なんて……憐れなんだろうか。



顔を真っ赤にしながら怒る幼馴染に憐憫の眼差しを向ける。たぶん、この理子ちゃんは晴斗にドストライクなんだろうな……。


大人しくて声が小さくて……小動物のように怯えて、信用している人の背に縋る。



これは僕らの望んだ理子ちゃんだ。

……どうして、それを僕らが居なくなった後でしてしまうの?理子ちゃん……。


おかげで変な男が付いてしまった。あの晴斗が威圧しても絶対に退かない……それどころか逆に威圧し返して来る……恋次とかいう、大男が。


理子ちゃんが昔の自分はもう居ないから忘れろ、と言うと……晴斗は悲し気に眉間に皴を寄せた。

受け入れられないのだろう。


忘れられる訳がない。晴斗は理子ちゃんの面影をずっと探してたんだから。


付き合ってた女子だって、昔の理子ちゃんそっくりな子だったんだよ?

馬鹿みたいだよね。理子ちゃんじゃないのにさ。


それでも諦められない幼馴染は食い下がるように何度も理子ちゃんに怒鳴る。

……すると、理子ちゃんの表情を窺った男が、一度僕らを目だけで見まわし……理子ちゃんを完全に僕らから隠すように両手を腰に当てて仁王立ちして笑った。



「すまないな!!理子は俺と初めて会った時からずっとこんな感じだ!!だが可愛いと思わないか!!まるでカルガモの雛のようだ!!!ははは!!」



……そう言われ……男に掴みかかろうとしていた晴斗はそれっきり何も言葉を発しなくなった。


何が引っかかったのかと思い言葉を頭の中で反芻する。



初めて会った時……初めて?初めてって……小学校1年だっけ?……それって、……僕らと、別れて……から…………すぐ……?



脳が考える事を拒否するような感覚に見舞われた。罪悪感が僕の心を押しつぶす。



…………理子ちゃんが変わったのは……僕らの暴言を聞いて、すぐだった。



それっきりあの明るく活発だった理子ちゃんは、こんなに弱弱しく……この目の前の大男を頼るようになったのだ。



それに全員が動けなくなった。きっと皆、同じ重しが体に乗っかってるんだ。

罪悪感と、後悔で出来た重しが……僕らの上に。



少しお灸をすえる程度だったんだ。ちょっとマシになってくれれば良かったんだ。


変わったのは僕らだけじゃない。理子ちゃんも……あの日から、変わってしまったんだね。



もう二度と現れないであろう消えたガキ大将の笑みを思い浮かべる。


……そうか……あの日から……君は、もう……居なくなっちゃったんだね。


仲良さげに階段を下りてゆく2人を、僕らはただただ無言で見送った。






「……僕達が、理子ちゃんをあんな風に……しちゃったんだね……」


「あぁ……俺達のせいだ」


「…………」



彰吾は僕に同意するけれど、晴斗はまた意地なのか同意も何もしない。

もう、一度理子ちゃんにフラれた方がまともになるんじゃないのかな?人として。


寂しさに……虚しさに、視線を下に下げる。

あんなに変わって欲しいと思った理子ちゃんが変わってしまった事が寂しいだなんて……失礼な話だ。



「……理子、可愛かったな……」


「馬鹿じゃないの?彰吾。頭悪くなった?」



喪失感に浸っていると、ぼそりといきなり頭の悪そうな事を呟く秀才の幼馴染。

僕は思わず彼の頭を叩く。


でも……確かに可愛かった。理子ちゃんを守ってあげたいとか思う日が来るなんて夢にも思わなかった。


男の後ろから窺うように眉を下げて覗く理子ちゃんを思い出して、羞恥に痒くもないのに頬を掻く。……あれを10年、あの男は見てきたのか……羨ましい。


その僕の隣で思い出して顔を赤くする彰吾と晴斗から距離を取る。

結局僕らは昔から理子ちゃんが大好きだ。



「……でも、何か楽しそうだったよね、理子ちゃん」



本当に、楽しそうだった。



頼れる新しい幼馴染が居て……言動は暗くなったけど、彼とのやり取りは楽し気だった気がする。

彼が理子ちゃんを支えてくれたんだろう。僕らが修復出来なかった理子ちゃんの心の傷を……彼が…………。



…………うん。何か、腹が立つ。



窓に目を向けると、嬉しそうに理子ちゃんの手を握ってブンブンとつないだ手を振って歩く男の姿が目に入り、顔を顰める。


隣でてこてこと歩幅も狭く歩く理子ちゃんのペースに合わせてる所も何だか腹が立ってきた。



「……晴斗のせいで変な虫が付いた。理子はモテなかったのに……」


「はあっ!?俺のせいかよ!!お前らだって散々言ったじゃねーか!!」


「晴斗程言ってないよ!僕達は!!もう、絶対アイツ理子ちゃんの事好きだよ!!何であんな事言ったの馬鹿2人……ついでに僕も馬鹿だったけど!!」



ギャーギャーと喚く僕達3人。当たり前だった風景が、当たり前じゃなくなってた事に今更気づく。


こんな日々もあった。これが、僕達幼馴染だった。



理子ちゃん。君にまた会えて良かった。……余計なのが付いてたけど……。


君に会えたから、また君と仲直りしたいと思った。喋りたいと思った。笑って欲しいと思った。


それは、また僕達を繋げる絆になるんだろう。たとえ形は変わっても、その絆は変わらない。


もう一度知り合いからでいい。最初から、今の君と友達になろう。



幼馴染達のつかみ合いを見ながら、そんな事を思い……僕は1人、弱虫のように涙を流した。











「理子!!弁当が無いぞ!!俺と学食を食べよう!!」


「恋次君……お弁当早弁するから私が預かるって言ったの、忘れたの?」


「おおそうだった!!流石理子だ!気が利くな!!よし、誰だか知らないがこの机借りるぞ!!」



そう言ってあの秋雨恋次とかいう理子ちゃんの新しい幼馴染は、理子ちゃんに一緒に食べないかと問おうとした僕の机を理子ちゃんの机と合わせて、僕の椅子に座ってお弁当を食べ始めた。



「……ね、ねぇ……それ、僕の……」


「それは悪かったな!!だがあそこの席が空いてるぞ!!それに食堂にお前の幼馴染が居たのを見かけた!!一緒に食べたらどうだ!?」


「恋次君、ご飯粒付いてるよ。慌てて食べるから」


「おお!?本当か!?ここか!?ここだろ!!」


「違うよ。どうしておでこにあると思ったの?こっち向いて」


「……………………」



僕の席でイチャイチャするな!!!



この男の声がデカすぎて、僕の声が聞こえていない様子の理子ちゃん。当たり前のように男の口元にある米粒を取って笑っている。



……僕は耐え切れず泣きながら食堂に逃げた。



「聞いてよ彰吾、晴斗!!秋雨恋次が酷いんだよ!!」


「またアイツか……いつも邪魔をする」


「類も負けてんなよ!!理子と同じクラスなんだからよ!!」



食堂の一角で彰吾と晴斗と集まり作戦会議を始める。秋雨恋次抹消計画だ。


理子ちゃんとまた知り合いから始めようと思った僕らだったけれど……それ以前に、理子ちゃんにピッタリと張り付くあの男のせいで、2ヵ月経った今でも理子ちゃんには挨拶以外何も話せないでいる。



「もう邪魔だよ!!何ですぐ飛んでくるの!?」



僕が嘆くと2人から同情の声が上がった。僕はその声に勇気づけられ、涙を拭ってオムライスを頬張った。



「類は悪くない……確かにあの男、すぐ湧いて来るな」


「理子が1人の時間もほとんどねーだろ……あいつ友達居んのか?」



やいのやいのと男の文句で盛り上がる2人。



……あれから、たくさんの変化があった。


あの日以来、僕はよく泣くようになった。


前はどこか乾いてて、何をしてもつまらなくて……そんな僕が、あの男によく泣かされている。



彰吾は、表情がコロコロと変わるようになった。今だって、眉間に皴を寄せて不満げに男の愚痴を言っている。

元々無口寄りな彰吾は男の邪魔もあり段違いで理子ちゃんとの会話率が低い。

それでかなり鬱憤が貯まっているようだ。



晴斗は、喧嘩も女遊びもしなくなった。


理由は分かる。理子ちゃんが居るからだ。


血だらけの顔で理子ちゃんの前に姿を現した時に、理子ちゃんが飛び上がって逃げた事がかなり効いたのか、あれ以来絶対に喧嘩はしなくなった。


女遊びは……きっと、今までの子達が理子ちゃんの代わりだったからなんだろうなあ。

全く興味を示さなくなった。似た子が居ても全くだ。


そして廊下で理子ちゃんに会うと、今の理子ちゃんに合わせてか……少し軟化した態度で接するようになった。……それでも血だらけ事件以来怖がられてるみたいだけど。



……皆戻った。前の、僕達に。



「……うん。やっぱり、幼馴染はこうでないとね」


「はぁ?類、お前何言ってんだ?気持ちわりぃ」


「それよりお前達も、俺と理子が喋れるように秋雨恋次を追い払う方法を考えてくれ……俺はもう1ヵ月も何も話していない……!!」



僕に引いたような顔で暴言を吐く晴斗。


苦悩しているように頭を抱えて顔を顰める彰吾。



僕達幼馴染は、また何度も悩む。そしてまた何度もすれ違う。

それは当然の事だ。人と人は、同じではないのだから。


君が教えてくれた、人に不満を持つという事。


君が教えてくれた、後悔するという事。


君が教えてくれた、許される喜び。謝れる幸せ。



それを知った僕達は、間違えながらも何度だって仲直り出来るんだ。

……それは、君が教えてくれた事。



「……よし!俺があいつを言い負かして理子を連れてきてやる!待ってろよ彰吾!」


「ほ、本当か!?頼んだぞ晴斗!!」



笑い合う、2人の幼馴染……。その眩しい幸せに、僕は目を細めて笑った。











「俺を言い負かせると思ったか!!残念だが俺は理子を守るという義務があるから絶対に倒れはしない!!!お前は理子に似た他人とでも話していればいい!!」


「お前本当に何なんだよ!!?後から来た分際で!!とっとと理子出しやがれッ!お前に用なんざ無いんだよッッ!!」


「出さない!!理子が怖がるからな!!お前達はもっと反省しろ!!それと、お前はいつまで理子を呼び捨てにするつもりだ!!理子が許しても俺は許さないぞ!!!」


「何でお前の許しが要るんだよクソがあああァァッッ!!!」



……ただ、理子ちゃん。その煩い君の新しい幼馴染……いい加減どうにかしてくれないかな?




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― 新着の感想 ―
[気になる点] なんか煉獄さんみたいだよ・・・ 名前も似てるしw
[気になる点] この三人は、二人付き合いしてること知らないのか?
[良い点] 恋次のぶっ飛び具合w [気になる点] 理子ママは普通に思えるけど、なんでそんなに3人組の母親に嫌われてたんだろう? 理子のワガママのせい?それで母親を無視するかな? 理子が可愛いならママも…
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