1.2人の距離 -4-
カウンター席に腰かけた私の前に、レミは冷蔵庫から出したコーラの瓶を置いてくれる。
私はそれを受け取りつつも、腕時計を見ながらレミに言った。
「3時までには帰りたいんだけど」
「問題ないよ。話すことは単純だしさ。ただ、他の視線が一切無い場所で話したいだけ」
レミはそう言うと、私の横の席にやってきて椅子に腰かけた。
免許が取れる頃合いになったレミは、同じ年にしたときの私より少し背が高く、大人びていた。
「その体、動かし難くない?」
「それはもう…この世界に来る前までは健康体だったから…下手に動くと痛いよ」
私はレミに言われてそう答えると、動きの鈍い右腕を見下ろした。
「お姉ちゃんはあの世界でどれだけ年取ったの?」
「どうだろう…?10年は経ってるはず」
「なら今のお姉ちゃんは20代半ば?」
「そんなところかな。レミは?」
「私もそんなところ。なら結局は生きてた頃の年の差位しかないんだ」
「みたいだね」
彼女はふんと鼻を鳴らすと、私の方をじっと見て首を傾げる。
「それで…聞かれたくない話って何なの?」
「話すことは3つ。この世界のことと、お姉ちゃんのこと、後は私達のこと…そんなに時間は取らせないよ」
大人びているのは見た目だけじゃない。
レミはレコードを開いて私に見せると、浮かび上がってきた何かを指さした。
「この世界のことなんだけど、まず、この世界はお姉ちゃんが居た3軸じゃない。可能性世界なの」
そう言ってレミが指したのは、何かの図解が書かれたページの一部。
私はコーラを飲みながら彼女の指先を目で追った。
「可能性世界といっても、常に何らかのIFというわけじゃなくって誰かの夢の中だっていうパターンがあるの。今回はそのパターン」
「その夢に私が取り込まれたってこと?」
「そうとも言えるかも。今回は更に珍しい…というかまず起こりえないパターンで、この世界はね、お姉ちゃんの夢の中ってわけ」
レミはさも当たり前のようにそう言った。
それを聞いた私は、動きづらい表情を精一杯動かして唖然とした表情を浮かべる。
彼女は笑みを浮かべて私の頬を摩った。
「お姉ちゃんが表情を変えると可愛いんだよね。ロウで固めたいくらい」
サラっと背筋が寒くなるような事を言った彼女は、私の頬に手を当てたまま説明し続ける。
「レコードを持つ人の夢が可能性世界になることって先ず有り得ないの。当然だよね。もうレコードの管理の外側に居る存在なのだから」
「うん…」
「でも、今回は例外!そこまでの理解はOK?」
「運悪く外れを引いたってこと?ココが夢の世界なら、私は何処かで眠ってるわけ?」
私は頬にあったレミの手を取って避けると、この世界に迷い込む前の事を思い浮かべる。
「そう。お姉ちゃん、この世界に来る前の事は覚えてる?」
「覚えてる。1985年の日向に居た…」
「合ってる。今のお姉ちゃんはその世界で眠ってる状態なの。そしてどれだけ起こそうにも目が覚めない…植物人間とは違うけれど、そんな感じになっちゃってるの」
「……外に居たはずだけれど」
「そこは大丈夫!ちゃんと回収されてるって芹沢さんが言ってた」
「そう…レンが運んでくれたのかな」
私がそう言うと、レミがポカンとした顔を浮かべた。
「レン?」
「そう。レミも知ってるはずじゃない?小っちゃい頃によく遊んでた男の子」
「今はレコードキーパーに?」
「うん」
「いいなぁ……ってそれどころじゃない…兎に角、お姉ちゃんは本当の3軸の世界で眠り姫になってるの」
彼女は一瞬緩めた表情を元に戻すと、私にそう言ってレコードのページを捲った。
「お姉ちゃんは3軸から急にこの世界に来た。3軸に居るはずのお姉ちゃんは眠っていて、ここは私達ポテンシャルキーパーの管理する可能性世界の1つ…そこまでいい?」
「分かった分かった…」
私は念押しをするように言ったレミに言う。
「そこからは私達の話。ポテンシャルキーパーだね。前に千尋に会ったことがあるって言ってたけれど、どういう存在かは知ってる?」
「千尋って…前田さんのこと?…可能性世界を管理すること以外は知らないかな」
私は前田さんのことを随分とフレンドリーに呼ぶレミを見て苦笑いを浮かべる。
私と部長だと、その間柄まで行くのにどれだけ時間が要るのだろう?
「そう。まぁ、そう言うしかないよね。レコードキーパーの人に関わることってまずないし」
「……確かに」
「私達は可能性の世界を監視するのが仕事なの。パラレルキーパーの人達も見てるけれど、彼らは全部を見ていて、私達はその時々で送り込まれた世界が終わるまで見てるって感じかな?」
彼女はそう言うと、レコードのページを捲ってポンとページを叩く。
すると、この世界の情報が一気に浮かび上がってきた。
「私達の仕事は世界を無事に"終わらせる"こと。今いるこの世界は誰かの夢の中だけれど、その誰かが目覚めるまで、ちゃんと平和を保つこと」
彼女はそう言って私の目をじっと見つめてくる。
鋭い目つきで射抜かれたような感覚を受けた私は、ふと思ったことを口を開いた。
「……あれ、私って今3軸で眠ってるんだよね?」
「そうだよ」
私の言葉に、彼女は表情も変えずに肯定して小さく頷く。
「……誰かの夢の中って…私の夢の中ってこと?」
私は恐る恐るといった口調で言うと、レミはコクリと頷いた。
「流石お姉ちゃん。話が早いね」
「待ってよ。もう私はレコードから外れたのになんでこんなことになるの?」
「それはお姉ちゃんがあの3軸の人間だから。さっきも言った通り特殊なのよ。この世界」
そう言うと彼女は私が飲みかけのコーラの瓶を取って一口喉を潤す。
「向こうで何が起きてるかは芹沢さんに聞いて欲しいんだけど、3軸のレコードキーパーが可能性世界…自分の夢をそのまま広げた世界を作って閉じ込められるっていうのが多くてね。お姉ちゃんもその一人ってわけ」
「それで…レミみたいなポテンシャルキーパーが出向いてきて何とかしてくれるってこと?」
「そうだといいんだけど」
彼女はそう言って浮かび上がったレコードに指を指す。
「さっきも言ったけど、私達の役目は監視でレコードは壊せない。この世界が終わるまでは見届けるしかないの」
「なら…この世界はどれだけ続くの?」
「そんなに長くないよ。1週間くらい」
「それなら…それまで私は昔の自分を演じていれば良いのかな」
「それで終わってくれれば良いんだけど」
彼女はそう言って溜息を付く。
「夢の中の世界で、その世界の主を見つけてしまったら他の人がどう考えると思う?」
「え?」
私はレミの顔を見つめたまま考え込む。
だが、私が答えにたどり着く前にレミが口を開いた。
「主が起きてしまえば…この世界は終わりだとなった時どう思うかな」
「もしかして、主を見つけ出して……」
私はそこまで言いかけると、ハッとした表情を浮かべる。
レミはそれを見て小さく頷いた。
「そうなの。お姉ちゃんがこの世界の主だと分かれば、この世界の人はきっとお姉ちゃんを見つけ出そうと躍起になる」
彼女はそう言うと、私の体の一部を見た。
視線の先にあるのは、私の体に残る深い傷だ。
「今のお姉ちゃんを捕まえるのには苦労しないだろうね」
そう言ってレミは私の右手を掴みあげる。
私はほんの少しの痛みを感じて顔を少し歪めた。
「レミ?」
「だけどお姉ちゃんはレコードキーパーなの。可能性世界でレコードキーパーだなんて有り得ないんだけれど、それが今起きてる現実…お姉ちゃんはこの"軸の世界の写し"の中のレコードに縛られながらも、元の世界のレコードに縛られてる。不思議でしょ?」
彼女は私の腕をそっと撫でながらそう言うと、視線を私の目に向けた。
「だから厄介なのよ。お姉ちゃんはこの世界でレコードキーパーをやりながら、世界が終わるまで待てばいい。だけど、終わりが近づくにつれて周囲の人々は"お姉ちゃん"に気づいてしまう…そしてこの世界のレコードが破られ、縛りが緩くなればなるほど……」
「一般人が気づくだけなら…結局それはレコード違反なんだよね?なら部長とかが…」
「レナが良く知る人の見た目を持ってるだけで、ここは"可能性"の世界。所詮はまがい物だよ」
「あ……」
私はハッとすると、背筋が寒くなってきた。
まがい物…それなら、部長が違和感なく私を一人にした理由も察しが付く。
「だから厄介なのよ。お姉ちゃんの周りのレコードキーパーを相手に回した時にね」
「…だけど、私はその中で過ごすしかないってこと?」
「2,3日は…だけど、直ぐに離れないとダメになる。その時は私と行動することになるの」
レミそう言うと、そっと私の手を握った。
「それまで、私は何処か目につくところには居るから、お姉ちゃんに何かあったら直ぐに助けに行くね」
そう言って、手を握っていた彼女は私の体を引き寄せた。
「きっと思っていたよりこの世界は直ぐに終わる。そうすればお姉ちゃんも元の世界に戻れるから」
レミはそう言って小さく笑った。
まるで子供をあやすかのような笑みだ。
「多分体は昔のお姉ちゃんなんだろうね。そう思ってなくても、震えてるよ?」
「うん…それは、まぁ、そうなんだけど…」
「不安?」
「不安じゃないと思う?」
「思わない!」
彼女はそう言うと、私はギューッと抱きしめた。
「だから私が居るんでしょ?」
そう言われると、どこか昔の自分が感じていた情けなさを思い出してしまう。
私はポンポンと彼女の背中を叩くと、目を瞑った。
「なんか立場が変わったね」
「仕方がないよ。今のお姉ちゃんは傷だらけの時のお姉ちゃんだもの。今度は私が守らないとね」
レミはそう言うと、私から離れてテーブルの上に置かれたままの車のキーを手に取った。
「そろそろ戻ろう。時間は余裕だけど、お姉ちゃんはまだ1日も経ってないでしょ?数日とはいえ慣れないとね」
私は頷くと一回り大きくなったレミに付いて行く。
「次に私と会話するときが、お姉ちゃんが世界の敵になった瞬間だからね」
「そう聞くと眠れなさそう…ただでさえこの身体って悪い夢を見やすいのに…」
私はそう言って溜息を付く。
レミは私の方を一度見ると、直ぐに前に向き直った。
「…私が付いてるから、この数日間は、私が絶対に守って見せるからね」




