1.2人の距離 -3-
「貴方は…歯車が狂ったタイプの人のようね。あと何年だなんて言えるような年数でもない…狂った歯車の中で十分謳歌出来るでしょう」
部長はそう言って対象に踵を返した。
対象の目の前に立った私は、手帳をポケットに仕舞うと、未だにこの世界に戻ってこない対象の顔を一度じっと見つめてから、部長の後を追う。
これで4人目。
後2人で午前中のノルマは達成だ。
それが終われば、部長はきっとお昼を何処かで食べようとでも言ってくる。
だが、私はそれどころではなかった。
今すぐにでもエマージェンシーコールをしたいくらいだ。
「ここまで来たら後の2人は簡単ね。ほら、そこのラーメン屋の店主とバイト」
部長について歩いて、彼女の言葉を聞いていないようで聞いている感じを装いながらも、私の頭の中はさっき見掛けた人の事で一杯だった。
勝神威の駅前通りの路肩に並んでいた青いスポーツカーの傍に立ってこちらを見ていた女。
華奢な体躯に黒い髪は右目を少し覆う程度まで伸ばしているが…私と違って外にハネる癖がある。
肌は白く、童顔だと思うが…目つきは鋭い。
そんな彼女を見間違うはずもない、私を見ていたのは……
「……」
"あとで"
口パクで彼女伝えてきた言葉。
その"後で"が何時なのかは知ったことじゃないが、レコードを持つ私を認知できる人間なのは違いない。
きっと何処かで接触してくるはずだ。
問題なのは、それが何時なのか。
ただでさえ"過去の私"を演じているのに、素性の知れない者の相手までしなければならないのだ。
私は脳裏でそんなことを延々と考え込みながら、部長の後を付いて行く。
向かったのは、中心街の中にある個人経営のラーメン屋。
お昼時のちょっと前だからか、開店したばかりでまだ客は入っていないようだった。
「……」
私は無言で厨房に入り込むと、間髪入れずに手帳を見せて2人を世界から切り離す。
部長が私の後ろから前に出て、2人それぞれに注射器を突き立てた。
「ふむ?…貴方達も歯車が狂ったタイプね」
部長は再生成されたレコードを見てそう呟く。
"歯車が狂った"とは全く関係のない第3者によってレコードが破られた事を示していた。
「今日はラーメンって気分じゃないから出ていくけれど、今度何処かで来ようかしら?味は良いと聞いてるし…それじゃあね」
部長はそう言うと、私を連れて外に出る。
「…思ったよりも早く対象を見つけられたわね。お蔭で暇な時間が出来そうだけれど…何処か行きたいところとかある?」
近くの公園まで歩いてきたとき、部長は私の方に振り返って言った。
私は表情を変えずに、部長の目をじっと見つめた後で、目を閉じて首を傾げる。
ノーの意思表示だ。
「そう。食べたいものもない?欲しい物とかも…」
小さく苦笑いを浮かべた部長は、そう言って食い下がる。
だが、私の反応は全て同じ。
「……そうだ!この前言ってたイタリアンにでも行かない?確か平日なら…」
部長がめげずにそう言った時、私はガシっと彼女の腕を掴んで首を左右に振った。
「え?…あっ…そうね…ごめんなさい。すっかり忘れてたわ」
彼女も私の拒否反応を理解してくれたらしい。
私は、中身こそ、この時代から見た未来の私なのだが…体はしっかりと過去の私らしい。
過去…自分がレコードキーパーになる前に暮らしていた学区付近は、レコードキーパーになった当時の私にとってトラウマ以外の何物でもなかった。
証拠に、私はそんな気が無いのにも関わらず、部長の腕を思いっきり掴んで、目を見開いてガタガタと震えている。
「忘れてた…私としたことが…午後からは…そうね…」
部長はそう言いながら、部長を掴む私を見つめる。
「そうね。レナ。午後はお休みしましょう?」
私は彼女の腕を掴んだまま、首を傾げた。
「午後からはあっちの方を回らないとダメなのよ。レナをあんな所に連れて行くのも悪いわ。だから…午後は家に居て」
部長はそう言うと、私の手を取る。
私は目を見開いたまま部長の方をじっと見つめていた。
「何度死のうが変わらないってのは十分分かったでしょ?最近は治療に仕事にって、休む間もあげられなかったから丁度いいわ」
彼女は私の顔を見てそう言うと、車を止めたパーキングの方へ歩き出した。
私は手を引かれて歩きながら、部長の顔をじっと見つめる。
有り得ない。
私の頭の中に浮かんだ言葉はそれだった。
「夕方までにはきっと戻るわ」
部長はそう言うと、パーキング内のエレベーターを呼び出した。
私はじっと彼女の方を見つめている。
"部長、正気ですか?"とでも言いたいが、彼女は特段変には思っていないらしい。
自分で言うのも悲しいが、この時の私の情緒不安定さといったら酷いものなのに。
私は黙ったまま部長の車の助手席に乗り込むと、今度は忘れずに窓を開ける。
エンジンがかかって、パーキングエリアを出た頃にはラジオの音が耳に入って来た。
「お、懐かしいこの曲」
部長がラジオを付けたようで、かかってきたのは彼女が"人間"だった頃の流行りの曲だった。
私はほんの少しだけ、顔を部長の方に向ける。
すると彼女はあっとしたような表情を浮かべて私の方に視線を向けた。
「ほら、よくやってたのよ。あの頃の曲は良かった的な番組でね?それで昔から知ってて」
何も言っていないのに、彼女はそう言って笑って誤魔化す。
私はゆっくりと視線を窓の外にずらした。
「そう言えば、レナは好きな歌手とかは居ないの?」
部長の問いかけには答えずに、もう一度彼女の方に視線を移す。
まだ、この私は貴女に心を開かない。
私は彼女に何を聞かれても、無言を貫いていた。
・・
結局、私は頭の中を整理しきれないまま、部長の車を降りた。
部屋の鍵を受け取って、赤く低いスポーツカーを見送る。
律儀に曲がり角を曲がって、姿が見えなくなるまで見送った私は、アパートの部屋に戻ろうと体の向きを変えた。
持たされたスマホを見てみると、今はまだ11時49分。
6人も処置して街中を回った割には時間が進んでいない。
ポケットにスマホを仕舞って、アパートに入ろうと足を踏み出した時、私の耳には聞き覚えのあるエンジン音が背後から聞こえてきた。
「……」
私には関係の無いことだと…言えればどれほど良かったか。
そのエンジン音は、私の背後でアイドリングの音に変わる。
恐る恐るといった風に振り返ると、丁度運転手の女が助手席越しに私を見つめていた。
「お姉ちゃん、乗って」
数年前に乗っていた車の運転席に収まっていたのは私の妹だった。
平岸レミ
記憶にある姿よりも成長していて…車に乗れるということは死を迎えるはずだった年を大きく過ぎている。
「……」
私は2,3歩後ずさりした後で、レコードを開こうとポケットに手を伸ばした。
「乗って」
だが、その前に彼女がそう言って何かをこちらに向ける。
「……私は別に世界がどうなっても良い。けど、お姉ちゃんにとってこの世界は大事でしょ?…」
体躯に似使わない大型拳銃を軽々と持った彼女は、そう言って私の方を見つめてくる。
私はふーっと溜息を付いて両手を上げると、随分と懐かしく感じる車の助手席のドアを開けた。
「……」
助手席のシートに収まった私に、彼女は拳銃をポンと投げ渡すと、シートベルトを閉める間もくれずに車を発進させる。
スライド部分に"GOLD CUP NATIONAL MATCH"という刻印が入った拳銃は、大きさの割には軽く感じた。
「弾は入れてないの」
彼女は悪戯が成功した子供みたいな笑顔を浮かべる。
弾倉を引き抜くと、確かに彼女の言った通りだった。
私は過去の私を演じる間もなく、目の前に居る…会えるはずも無いと思っていた妹の顔をじっと見つめていた。
「良いんだよ?私の前まで昔のお姉ちゃんのフリしなくたって」
レミは私の事を全て見透かしているような口ぶりでそう言った。
私は一瞬、どう返したらいいか分からなくなってしまう。
「…まだ混乱してる?パラレルキーパーの芹沢さんに連れてこられたの。お姉ちゃんを助けて来いって」
「芹沢さんが?じゃぁ…レミは…」
「私はポテンシャルキーパー」
レミはそう言うと、薄手の上着のポケットから赤いレコードを取り出して私に寄越した。
「……前田さんって知ってる?」
「うん。私はあの人の下に付いてるから、良く知ってる」
「そう……それで、今は何処に向かってるの?」
「芹沢さんのマンションの地下。そこなら誰の目も気にならないでしょ?」
レミは記憶に残っている時の彼女よりも随分と成長したらしい。
元々私よりも元気で活発だった子だけれど、随分としっかり者になったようだ。
「まさかまたレミに会えるとは思わなかった」
「私も。お姉ちゃんがレコードキーパーになってることは知ってたんだ。けど、私はポテンシャルキーパーだから会えることは無いんだろうなって思ってた」
「私が居なくなってからはレコード通りだった?」
「うん。レコード通りだった。そこからポテンシャルキーパーになって…」
私はレミの銃とレコードを見下ろした。
その直後、ガタン!と車が上下に跳ねて、視界が一気に暗くなる。
「ゴメン」
「大丈夫…」
「さっき借りたばかりだから…芹沢さんにさ、お姉ちゃんが乗ってたやつ!って頼んだら出てきたのがこれだったから」
目的地…街の中心部に建つマンションの地下駐車場に着いた。
レミはスーッと狭い駐車場内を走らせて、一番奥…目印代わりのポルシェの横に車を止める。
「そう言えばお姉ちゃん、酔いやすいって言ってなかった?」
「慣れと相性…レミは大丈夫だった」




