1.2人の距離 -1-
朝に一人処置してしまえば、後は何かあるわけでもなかった。
日向に戻って来た私とレンは、泊めてもらっている速水さん達の家に車を置いて適当にぶらつくことにした。
家を出て、数分もしないところにあるトンネルの横に入っていき、そこから少々の山登り…
直ぐに何時もの展望台までやって来る。
何となく、示し合わせることもなくやって来た展望台。
私は特に何も考えていなかったが、何時ものように柵に寄り掛かって景色の一番奥に目を向けた。
「そう言えばさ、この前、偶々カレンと処置に出ることがあったろ?」
しばしの静寂ののち、隣に立ったレンがそう切り出す。
私は彼の方に顔を向けた。
「その時にレナがレコードキーパーに成りたての頃にあった話をされたんだ」
「ああ……」
随分と懐かしく感じる話だ。
私も数え年で言えばもういい年…
偶には昔の話でも…と思えるようになっていた。
「レナの最初…というより、今のレナみたいになった時の事かな?レコードキーパーになった時って、俺の時みたいに何かあったんだろ?」
「あった」
私はそう言って、海の方に顔を向ける。
潮風が一気に吹き込んできて、風が前髪をかきあげたが…昔みたいに右目を守る事はしない。
しっかりと開いている右目の当たりに手を当てた私は、何処から話そうかを考えて…それからゆっくりと口を開いた。
「時には昔の話をって…年を取った証拠だね」
「言うなよ、俺等だってもう幾つだ?どう1年を数えりゃ良いか知らんが、多分そろそろ30が見えて来てんだぜ?」
「あー…それならまだまだ若輩か。昔の話なんて、早かったかな?」
私はそう言って、少し口元を笑わせる。
「……昔持ってた拳銃を覚えてる?」
私はそう切り出した。
彼は少し思い出すような素振りを見せてから、ああ…と言って頷く。
「マシンガン代わりになるやつ?」
「そう。ロシア製の拳銃。それを初めて手にしたのがあの時だった」
私は、気づくと随分と遠い昔の出来事になってしまった過去の日の事を思い浮かべる。
「あの頃は……確か、まだ私がレコードキーパーになって3か月経ったかどうかって頃…部長すら満足に会話できなかったような頃だった」
私は柵に寄り掛かって、遠くを眺めたまま話し続ける。
「当時は傷だらけの体だった事もあって、お荷物も良いところ…振り返れば、よくもまぁ…注射器処置で消されなかったのかが不思議なくらい」
「右目は見えないし、見開けば痛いし…そんなんだったから常に人を睨みつけるような顔しかできなくてね。体も上手く動かせなかった」
「そんなんだったから、レコードキーパーになって最初の仕事は"治療"…榎田さんの所でね、1日に何度も死と再生を繰り返した」
私は苦笑いを浮かべながら言うと、右手を海の方に伸ばす。
当時は傷だらけで、動かすのにも痛みを伴っていた右手も、今では薄傷一つ無い綺麗な状態。
「今でも偶にさ…少しだけ足を引きずるけど、あの時の歩き方の癖が残ったんだろうね。結局あの時は多少マシ程度にしか治さなくって…」
「そんな時にさ、レンがレコードキーパーになった時みたいな感じで違反者が大量に出た。それが…きっとカレンが言う過去の話なんでしょうね」
私はそう言いながら、伸ばした手をギュッと掴む。
その時、私は周囲の景色の違和感に気が付いた。
「……?」
色づいた世界が急にセピア色に染まっていくように感じる。
私が全てから取り残されたような…そんな感覚。
周囲を見回しても、セピア色の光景は変わらなかった。
色も音も消え去り…世界にただ一人残される。
私は握った手を動かそうとするが…金縛りにあったかのように動かない。
動かせるのは視界だけ…横目に見えるレンは…ずっと遠くを…海を眺めているだけで瞬き一つすらしない。
「…!」
気づけば声を出そうにも出せなくなっている。
「…!…!…!」
きっと、それを知覚してしまったのがダメだったんだ。
私がそんな考えに思い至った時には、全てが遅かった。
セピア色に染まった光景は動きを止め、遠くに見える白波は再び海と混ざり合うことも無くなった。
さっきまで風で揺れていた木々は作り物のように固まっている。
周囲の異様な光景が私に危険を知らせてきたが…私にはどうすることもできない。
このまま…何が起きるのだろうか?と思慮を巡らせるほかなかった。
嫌な予感しかしないけれど、だからといって何が出来る?
「……」
セピア色の景色が…目に見えていた景色がまるでガラスを割られたかのように消えていく。
「…!」
「!!」
バン!…ガシャン!
……急に動かそうとしていた出が動き、目の前にあった何かを突き飛ばしてしまう。
セピア色の景色に色が付き…私は認知できた視界に映るものを見て言葉を失った。
「……」
目を見開いて、言葉を発そうにも発せなかった。
体が嫌な痛みを訴えてくる…思い出すのも久しい痛みだ。
気づけば私は肩で呼吸していた。
すっかり息が上がっていて、目を見開こうとすると鋭い痛みを感じる。
何かを突き飛ばしてしまった右手を起点に、右腕が痺れるような痛みを発していた。
「…え?……これ…」
視界に映るのは展望台からの景色では無く、どこかの病室。
突き飛ばしたのは、遠い昔に見た機械。
私はぼやけた視界の中で、ゆっくりと周囲を確認すると、音に気づいたのか…部屋に駆けこんできた一人の男に目が向いた。
「おっと…今回は随分と早く目が覚めたね。これならあと一回行けそう…?あーでも次に時間が掛かれば無理かなぁ」
入って来た白衣姿の男は、私が突き飛ばして床に落としてしまった機械には目も向けず、私の方を見て行った。
「……え、ええ?」
事態が読み込めない私は、入って来た榎田さんを見た後で、自分の体に目を向ける。
患者服を着た私の体躯は…どう見ても懐かしの中学1年生時代といった所だろう…
全身に薄く…一部に深々と残る傷跡がそれを示している。
右目を開けようとするだけで痛いだなんて、あの時までしか感じないはずだ。
「…あれ?起きてる?…どうしたの?そんな怖い顔して」
榎田さんが、私の様子を不審に思ったのかそう尋ねてきた。
私は直ぐに榎田さんの方に振り向くと、左目で彼の目を見つめる。
「ここは?」
「……ここはって、俺の家…ってそうか。混濁してるね?…ちょっと待った確認しよう」
私の問いに、榎田さんは一人合点がいったようで、そう言いながら近場にあった椅子に腰かけて私と同じ目線になった。
「名前は?」
「…平岸レナ」
榎田さんが始めたのは、私への単純な質問。
私が1日に何度も死んで何度も蘇って…と繰り返していくうちに、偶に思考回路が壊れる事があるらしく、私の反応がおかしかったら壊れ度合いのチェックを入れていた。
「生年月日は?」
「…2000年9月30日」
「年齢は?」
「………年齢は…」
私はふと、今置かれた状況を振り返る。
何がどうなっているかは分からないが…今は日向町の展望台じゃなく、勝神威の榎田さんの家に居て…何なら私は過去に戻ったかのように傷だらけだ。
つまりは…私は、レコードキーパーに成りたての頃。
「年は…12歳…?今年で13歳?」
「……曖昧だね。今は何時だか分かる?」
「分からない…」
「ふむ…」
私の答えに榎田さんはほんの少し首を傾げる。
「時間の感覚だけかな?…あー、アメリカの首都分かる?」
「……ワシントン」
「今の1000円札に書かれてる人の名前は?」
「夏目漱石…?」
「え?」
「あ…野口英世……」
「ああ。ビックリした。夢の中じゃ昭和にでも居たのかい?産まれてないのに」
私の回答に驚いた顔を浮かべた榎田さんはにこやかに笑ってそう言うと、手にしていたカルテのようなものに何かを書き込み始めた。
「受け答えは出来るし、時間のずれは前にもあった。ま、大丈夫そうだしOKでしょう。知らないだろうけど、ダメなときはこう…人としての受け答えすら出来ないくらいだし」
私はカルテを書き進める榎田さんをじっと見つめていると、彼はペンを止めてこちらを見た。
「?」
「あ、もう今日はOKだよ。17時。琴がもう外に来てる」
「あ…はい……」
私は困惑した感情を顔に出さないようにしながらベッドを降りる。
着替えとかを置いている部屋に行く前に、カルテの方に顔を向けた榎田さんに問いかけた。
「結局、今は何時なんですか?」
「ん…今は2011年7月11日。月曜日…大丈夫?」
「ああ……大丈夫です。思い出しました」




