5.永遠の収監者 -3-
その車に乗り込もうとしている2人組の女。
車は…見間違いで無ければ、部長のと同じ型の、黒いZ。
この時代の、そんな高精度なカメラで取ったわけでもない写真だから何とも言えないが…
1人は、髪色が真っ白…つまりは前田さんで…もう一人は…元川さんのように見える。
「前田さんに元川さん?でも、車が違う。赤いオープンカーだったはず…それに去年の写真?」
「ああ。去年だ…」
芹沢さんはそういうと、口から離した煙草を灰皿に置く。
「その2人、ポテンシャルキーパーの方の2人じゃないのは分かってるんだ。去年、仕事でここに来た時に偶々見つけて写真を撮って尾行したんだけど、あっという間に路地に消えていった。車ごとね」
小野寺さんがそう解説すると、私の横まで来て写真を掴み取る。
「偶にあるんだ。レコードを持つ人間のドッペルゲンガーのような存在。君達2人にこれは共有しておきたかったからね。実物も見せてさ…つまり…何を言いたいかっていうとだ」
小野寺さんは写真を持ったまま私を見ると、一呼吸おいて口を開く。
「中森琴はこの写真の彼女達の関係あったのかもってことさ。この写真を元に、何人かのパラレルキーパーに命じて探させたんだけど…さっき見せた、レコードが示す時期の前後に、この近辺で見つかってる」
小野寺さんはそういうと、ポケットに写真を仕舞いこんだ。
「ま、今回は何も起こさずに終わったのだから。もうこれ以降、彼女は何もしないだろうけれど…問題は2人の方。レコードにも載らず…そして、レコード使いでもなさそうなんだ…」
「成る程…私達2人に偶にでもいいから探って回れってことですか」
「そうなる。出来れば…手段は問わない。文字通りこの世から"消してくれ"…これは他言しないでほしい。君のチームにもね。レンと君だけ」
小野寺さんはそういうと、ポンと席を飛び降りる。
私も彼につられて席から降りると、バッグを持って小野寺さんの後に付いていった。
彼はそのまま、射撃場に居るレンと前田さんに声を掛けると、レンだけを引っ張ってカウンターに戻っていく。
きっと、レンにも同じことを言うのだろう。
何となくついてきただけだった私は、レンと変わるように射撃場に立つと、バッグから前田さんに貰った拳銃を取り出した。
前田さんの周囲のテーブルには、幾つかの銃が並べられているが、彼女はどれも持たずに、私を待っていたかのようにテーブルに寄り掛かっている。
「話は聞いた?」
銃に弾倉を入れている時、何も喋らなかった前田さんはポツリと言う。
私はそれを聞いてコクリと頷く。
「そう…それは後にするとして、彼の銃を変えたよ。彼に機関拳銃は過剰だから…俊哲が昔使ってた38口径のコルトに変えた」
彼女はそう言いながら、そっと、私の背後に立つと、背中に覆いかぶさるようにして迫って来て、丁度銃の安全装置を外した左手を掴んだ。
「レナの癖、ちょっと狙いが雑な所にある。体のどこかに当てればいいとでも思ってる感じ…散弾銃を持っていればそれも良いのだけれどね」
彼女はそっとそう切り出すと、私の左手を取ったまま、そっと銃口をマン・ターゲットの中心に置いた。
「何処に当たってもっていう風に撃つものじゃない。掠れた弾丸は勢いを殺せずにそのまま飛んで、跳弾するかもしれない。人体を貫ければ…僕が用意した弾丸なら、貫通はしない」
彼女はそういって左手から手を離すと、私の背後から、私の横に立った。
私は彼女に言われたことに頷いて見せて、銃口を中心に向けたまま引き金を引いた。
渇いた射撃音。
ターゲットの中心…人体の中心を銃弾が貫いている。
「気になるのはその癖と、反動の受け流し方…力が無いからだろうけど。肘で受けてから、体でもう一回受け止めてる…それくらいかな」
彼女はそう言ってから、私は弾倉の弾がなくなるまで射撃を続ける。
最後の一発を撃ち終えた頃、前田さんは銃声の余韻が消えた時に口を開いた。
「もう一人の僕に気をつけろ。さっき一誠と俊哲はそう言っていた?」
私はちょっと驚きながらも、小さく頷く。
シューティングレンジの手元にあるテーブルに、スライドが引きっぱなしになった銃を置くと、前田さんをじっと見る。
「直接は言ってないですけど、今回の部長の一件にも絡んでそうだって」
「実際そうだろう。部下の上げてきた写真と報告にも証拠は上がってた…それでも、僕の言うことを聞くつもりはある?」
「どういうことです?」
私は前田さんの変わらない無表情を見て言う。
「あの写真の僕は、きっとポテンシャルキーパーの方の僕に違いないと思ってる。見かけたらコソコソ探るんじゃなくて、堂々と前に出ればいい。僕の性格ならきっと、立ち止まるはずだ」
前田さんは私のことをじっと見つめながら言った。
「1度だけ、彼女に話しかけられた。1990年代の可能性世界の一つ…夕暮れ時の勝神威駅の構内で、"こっちの千尋は私じゃない。よく似た別人か"…そう言って人混みに消えていった。追いかけても追いかけても、彼女の後ろ姿は見えるのに追いつかない。あれは相手にした方が馬鹿を見る。止めた方が良い」
「でも、レコードに影響があるんでしょう?止めないと…」
「手出しできないんだ」
私の言葉に被せるようにそう言った前田さんは、やれやれと言いたげに手を広げると、撃ち尽くした彼女の銃の弾倉に、鈍い金色に光る弾薬を詰め込んでいく。
「レコードにも載ってない。彼女の手によって変えられた運命は…そのままレコードに記される"真実"となる」
そう言いながら、弾倉に銃弾を詰め込んでいった彼女は、何かを決心するかのように…カシャン!と勢いよく弾倉を銃に突っ込むと、私に顔を向けた。
私は何も言わずに、自分の銃を手に取って避けると、前田さんはスーッと私が立っていた場所に来る。
「だから、僕からは、彼女をどうしろとは言わない。ただ、彼女の存在自体を調べてほしい」
そういうと、私が頷くよりも早く、彼女はターゲットに銃口を向け、素早く連射して見せた。
私は思わず、ビックリして仰け反る。
速射しながら正確に私の狙ったターゲットの一点付近に銃弾を当て続けると、あっという間に銃弾が尽きた。
「銃を持つ方が好きだ…1周目の僕と、2周目の僕の違いはそこなんだ」
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芹沢さんのマンションに行った日の夜。
何となくアパートに帰る気がしなかった私達は、そのまま高速道路に乗って小樽の方を目指した。
目的地は日向。
まさか、まだ部長とカレンがいるとは思っていない。
ただ、私とレンにだけ言われた…"もう一人の前田さん"に会うのなら、日向の展望台しかないと思ったからだ。
話を聞いてすぐに会えるだなんて思ってもいないが…
「当てもなく日向に行って帰ってくるだけ。ドライブには丁度良い距離だよね。景色もこんなに綺麗だし」
私はそう言って窓の外に目を向ける。
ほんの少しだけ太陽が落ちてき始めたが、まだまだ青空が広がる午後3時。
海沿いを走るスーパーカーの車窓は、穏やかな大海原を映し出していた。
「レコードキーパーになる前、北海道は家族で一通り回ったんだけど…結局この道と景色がしっくりくるんだよな。親の実家がそこってのもあるだろうが」
レンはそういうと、私の左腕をちょんと突いてくる。
窓の外に目を向けていた私はちょっと驚きながら前に向き直る。
すると、反対車線の遠くから、背の低い車がこっちに向かってきているのが見えた。
「あ」
私はそう声を上げる間に、その…赤黒の色をしたスーパーカーとすれ違う。
レトロ調のお洒落なサングラスをしたカレンがこっちに向かってサムアップをしていて…
助手席に居る部長は項垂れたままこっちを見ていない。
私とレンは手を振ってすれ違う。
「フェラーリっていうんだっけ?」
「そ、フェラーリ512BB…」
レンはそういうと、ほんの少しだけ眉を潜めた。
「ま、昨日今日で元には戻らないよな」
どこか少し冷たい声でそういうと、その直後に小さく表情を崩して、口元にシリアスな笑いを浮かべた。
「そういえば、どうだった?函館…」
「どうもこうもない。あっという間に壊滅したよ。気づく間もなく死んで…気づいたらどこかの倉庫の中にいた…」
「倉庫…?」
「2人で行って、部長と鉢あった倉庫だよ。皆バラバラの場所に連れてかれてたらしい。結局、何とか拘束を解いて脱出して…チャーリーと合流できたから良かったものの…」
レンはそういうと、ほんの少しだけ目を見開く。
「……そうだ。チャーリーが言ってたな。前田さんに会ったって。俺の居場所伝えて去ってったらしいけど…レナ、どっかで前田さんと別行動してたか?」
彼がそういうと、私は引きつった表情を浮かべた。
「まさか。一度も別行動なんてしてないよ…でもさ、レン。待って…確認させて。一度しか殺されてないのに、どうしてすぐに復活しなかったの?」
「……知ったこっちゃない。背後から一突きで殺されて…暗転したら次の光景は倉庫の中だったんだ……じゃ、何だ。俺が会った前田さんは…さっきマンションで聞いた"居るはずもない前田さん"だったってわけか?」
レンはそういうと、前に迫った赤信号を見上げてブレーキを踏み込んだ。
日向にたどり着くまでに引っかかる最後の信号。
「気味悪くなってきたな。レコードすら関係ない人間なんかいたら、ここはどうなるんだ?」
「どーだろ。その"前田さん"に悪意があれば、簡単に軸の世界ですら壊せるってことくらいにしか思わない」
「涼しい顔で言ってるけど、一大事だな」
レンはそういうと、ニュートラルに入れたギアを再び1速に入れる。
交差する道の信号が黄色から赤に変わると、レンは小刻みにアクセルを煽りながらクラッチを繋いでいく。
そして青になって、スーッと車は加速していった。
「そういえば、出る前に駅で電話してたけど。相手は白川さん?」
レンは話題を変えようとして、口を開く。
「そう。今晩行くから1日泊めてって」
私もあれ以上何を言えばいいのか…頭がこんがらがってきていたから、丁度よかった。
「ああ…そういやもう4時前だもんな」
レンはそう言って、通り過ぎていく看板に指を指す。
「何度もこの道走ってるけど、自分ちに帰る時よりも"帰ってる感"出るんだよな」
「長閑だからね。そういえば、今の時期は向日葵が綺麗なんじゃないかな」
「ああ…そうだった」
レンは懐かしむようにそういうと、坂を登っていく車の鼻先を、ぱっと見道のはずれの方に向ける。
悪い舗装のせいで車が上下に揺られて、一瞬顔を青くするが、すぐに収まって元に戻った。
突き当たり…木々の向こうに海が見えてくる道を左に折れて、小さな町に吸い込まれるように落ちていく急な下り坂を下る。
すると、花壇一面に背の高い向日葵が生い茂った、ロータリーに突き当たった。
「到着っと」
レンは速度を落として、ノンビリとしたペースで町の方へと車を進める。
「家に行くのは後にしよう。彼らは今頃小樽に居るはずだから。向こうもちょっとかかるって」
「なら…展望台?」
「そう、トンネル脇に止めてさ」
そう言って、すぐに車は展望台への入り口…トンネル横に止まる。
狭い町だから、車で移動していればすぐだ。
背の低い車のドアを開けて外に出ると、夏の夕方…涼しくなってきた潮風がそっと吹いてきた。
「上着、1枚持ってても良かったかな」
そう言って、私は何時ものようにレンの右隣に収まる。
そこからは、日向に来ると何時も来ている道のりを登るだけだ。
人2,3人分しかなくて…左右に柵も無い獣道を上がっていく。
登っていく最中にも、木々の隙間から海が覗けて…耳をすませば、虫の鳴き声の先に、並みの音が聞こえて来た。
「老後は海のある田舎で過ごしたい」
「俺らに老後って来るのか?」
「部長とカレンを見てると、定年も無いよね」
「そりゃそうだ。永遠に生かされるんだろ。参るよな」
私が冗談を言って、レンが苦笑いを浮かべながら返してくる。
私は口元だけ、クスッと笑わせると、レンの腕を突っついた。
何事もなく、少しだけ夕方の成分が混ざって来た青空の下。
展望台の2階に上がると、木々の邪魔も無い景色が目の前に写り込む。
何時ものことだけど、いきなり目の前に広がってきたかのような錯覚を覚えた。
「さーって……ただ展望台に上がって綺麗ですねって?」
「カメラあれば、毎回でも写真撮ってるのにね」
私はそう言って、展望台に転がっていた小石を蹴飛ばした。




