5.ノスタルジックな風に乗って -2-
「そういえばレナちゃん、車どうしたのさ?」
書類に目を落として、手を動かしながら、榎田さんが言う。
「芹沢さんに用意してもらいましたよ…何だっけ?ランボルギーニって」
「ミウラですね」
「ああ?」
私とレンが答えると、書類に何かを書きこんでいた榎田さんの手が止まって、驚いた顔で私達を見上げた。
「いやぁ…私も車には疎いんですけどね、レンに聞いたら価値のある車だって…」
「いやいやいや、価値があるなんて騒ぎじゃないでしょ…なんだってミウラなのさ」
「さぁ…?」
「俺にもサッパリで…」
榎田さんは私達の様子を見て、苦笑いして肩を竦める。
「…ま、アイツらしいっちゃらしいか…しっかしスーパーカーとはね…丁度今時期はスーパーカーブームの時期だったよな…懐かしいねぇ…ってそうだ、カレンは?相変わらずコトの車か?」
書類仕事に戻った榎田さんの問いに私達は顔を見合わせる。
私は部長の乗ってる車のことは知らないから、首を傾げた。
「じゃないですかね?部長は昔の…ああ、昭和だとそっか…ま、まぁ、相変わらずZですよ。真っ赤なZ…この時代だとまだ新車で買えますかね」
「ああ…じゃ、完璧に昔乗ってたやつだなきっと。カレンはその横か…意外だな」
「意外?」
「ああ、カレン、ああ見えて運転できるし、この時代にはフェラーリ乗り回してたんだぜ。新車の512BB」
「ええ?」
榎田さんがサラッと言った言葉に、今度はレンが驚いた。
私は車の名前を言われてもピンとこず、レンの方を見る。
「フェラーリ?」
「スーパーカーっていえばいいよな?ミウラみたいなやつさ」
レンにそう言われて、私もほんの少し目を見開いた。
確かにカレンなら乗ってそう…乗っても似合いそう…と言う思いと、あのカレンが?ていう思いが半々になって浮かんでくる。
「今は77年だから…丁度来年まで。結婚してフェラーリを売ったのさ」
「へぇ……」
「じゃぁ、部長達はこの時代に居るんだ。レコードキーパーとかじゃなくて、パラレルキーパーでもない普通の人としてさ」
「ああ。勝神威にいるかは覚えてないが…いるさ」
榎田さんはそういうと、書き終えた書類を持って私達の向かい側に座る。
私はカードを出して彼に渡した。
「ま、そうそう会うこともないだろうぜ。裏じゃあんなんだったが、表の顔はそれなりに忙しいんだ」
榎田さんはそういうと、慣れた手つきでカードを切った。
「俊哲は刑事、俺は医者。コトは外資で働いてて、カレンは結婚相手と会う前はOLだっけか…」
「ヒュー……」
サラッと言った榎田さんにレンは引き笑いで口笛を吹く。
私もほんの少し榎田さんから目を逸らした。
「はい、終わりっと」
榎田さんからカードを返してもらう。
カードを財布にしまうと、椅子から立ち上がった。
「ま、気を付けて帰りなよ。高い車だからな、壊したら大変だ」
榎田さんの言葉に、レンが苦笑いしながら頷いた。
「それじゃぁ、榎田さん、また」
そう言って、小さく会釈して来た道の方へ振り返る。
榎田さんも、次の人が待っているのを見ると、そっちの方へと歩き出した。
「やっぱり頭のいい人ほど変な人なのかな」
家電売り場から出て暫く歩き、エスカレーターに乗った頃に、私はふと呟くように言った。
「その類だわな…」
「…で、帰るわけだけど…レン、一つ聞いていい?」
「何だ?」
エスカレーターを降りて、歩きながら横に並んだ彼の顔を見上げる。
「あの車さ、荷物何処に入るの?」
そういうと、レンは少しの間思案顔になって…顎に手を当てた。
「…………あー」
そう言っている間に、外に出る。
一番奥に止まっているはずの車は、それまでに並ぶ他の車のせいで、影も形も見えなかった。
「ないんじゃね?…」
「トランクってないの?」
「見てみるか……」
店舗に沿うように作られたレンガ張りの歩道を歩いていき、一番奥の車の所までやってくる。
「あるとしたら…前?」
レンはそういいながら左側の運転席のドアを開けて、運転席の周囲を見回した。
「んー……?レナ、助手席のダッシュボード開けれる?ってかないのか…ああ、その窪みになんかこう…車検証入れみたいなのないかな?」
レンにそう言われて、助手席を開ける。
レンの方からは良く見えないが、彼の言う窪み…きっと蓋とかが付けられそうな窪みの中に車検証と、簡単なマニュアルが置いてあった。
「あ、レン。きっとこれだ」
私は少しだけ古びたマニュアルのような冊子を取る。
文面を見る限り、どこかの輸入代理店が、この車を売った時用に作ったものだと分かった。
ドアを閉めて、車の横で冊子を広げる。
スイッチ類の位置の説明がつらつらと書かれた後、この車の図面?のような絵が出てきて、トランクが車の一番後端にあることが分かった。
「レン、後ろだって。エンジンの後ろ。ほら、なんか黒い部品の後ろのスペース。開くんだってそれ」
「ええ……どうやって?」
「んー……説明しづらいなぁ…ちょっとこれ見てくれる?」
そういいながら、レンと私は車の後ろ側に回り込む。
私は冊子を彼に渡して、トランクの位置を指で示した。
「ああー…?」
レンはそういって冊子を見ながら、トランクを開ける。
小さなトランクルームが顔を出した。
2人でそれを見下ろして、ほんの少し黙った後で顔を見合わせる。
2人で旅行に行くのなら、2泊3日程度のキャリーケースが積めるかどうかだ。それも結構持っていくものを選別して、小さな小柄なキャリーに詰めた場合に限る。
まぁ…レコードで年齢を弄ってるからまだ本来は高校生なんだし、食料なんかも外で食べるか、学校帰りにスーパーかどっかで買おうと思ってたから…案外トランクに頼ることはなさそう…なのだが
「狭いね」
私はポツリとつぶやくように言った。
レンも頷いて、そっとトランクを閉める。
「ま、完全に趣味の世界の車だしな…まぁ、そうそう困ることもないんじゃないか?」
そう言って、私達は車の両脇に移動していって、ドアを開けて中に入る。
「そうだね」
そう言って、シートベルトを締める。
レンがカギを差し込んで、クイっと捻ると、セルの音の直後にエンジン音が鳴り響いた。
まだ慣れないこの音。ガラス越しに熱気と音が伝わった瞬間、私はちょっと身を縮める。
ノロノロとバックして、ギアが後退から1速に切り替わる。
重たそうなハンドルを回して車を店の外の方に向けると、ゆっくりと前に進みだした。
「何時になった?」
店を出る直前、レンがそう言った。
私は腕時計をチラリとみて、レンの方に顔を向ける。
「4時半過ぎ…帰ったら5時半前かな」
エンジン音に負けないように、少し声を張って言う。
レンは小さく頷くと、車を車道に出した。
徐々に車を加速させて、小さな金属音と共にギアレバーが2速、3速と切り替わっていく。
「よーし、なら帰りはアップルスターにでも寄るか」
そういったレンに、私は頷いて見せる。
「あと2,3日休んだら学校だね」
「それまではノンビリしてようぜ、少しドタバタしすぎだ」
「家でゆっくりと、ね」
私はそういって小さく笑って見せると、レンは小さく苦笑いして肩を竦めた。
彼は小さく何か言ったが、背後からのエンジン音にかき消されて私には聞こえない。
速度が乗っていき、温泉街の景色は、すぐに木々に囲まれた景色に切り替わる。
開けた窓からの風は、ほんの少しだけ冷たくなった。




