3.相手は何時かの自分 -2-
「おい、レナ、起きろ。大丈夫か?」
ほんの少しの間、気を失っていたらしい。
硬い地面に倒れていた私は、芹沢さんの声で目を覚ます。
「え、ええ……」
地面に落ちていたライフルを拾い上げて、芹沢さんの方を見た。
再生したはずなのに、私の衣服には血がついていて…地面にも血の跡が見える。
「仕留めそこなった…ごめんなさい」
「ま、気にすんなよ。奴も無事じゃ済んでないさ…戻って家探しだ」
地面の血の跡と、車のタイヤ痕を見て少しだけ気の落ち込んだ。
芹沢さんは優しい声でそう言って、肩をポンと叩くと工場の中に戻っていく。
「しっかし、突貫する癖は治らないのな」
「……ごめんなさい。癖になっちゃった」
そう言って、持っていたライフルの安全装置をかけて、肩に下げた。
工場の中に入ると、硝煙の煙がまだ漂っていて、独特な臭いが立ち込めている。
壁に寄り掛かっていたり、床に転がる人を足で転がしてどかしながら、テーブルまでやって来た。
テーブルの直前。
何かを守るかのように倒れた白衣の男を転がして仰向けにする。
腹部が銃弾で血だらけになっていて、未だに血液が噴出している男。
微かに反応があったが、すぐに固まった。
「この人は……榎田さん?」
そう呟きながら、テーブルの上の資料を適当にとってみる。
「ああ、さっきの連中は別世界の…可能性世界の俺達だな」
芹沢さんはすでに何枚かの資料をまとめて持っていて、それに目を落としながら言った。
「なら、さっきのは…」
「俺だ。昔のフェラーリなんて趣味じゃねぇのにな」
そう言って小さく笑った彼を見て、私はほんの少し目を見開く。
パット見60歳前後の芹沢さん。
可能性世界がどれほど未来なのかは知らないが…少なくとも直近の世界を変えようと暗躍する夢の世界の住人。
「あの芹沢さんで60歳前後…」
私はそう言って、テーブルから拾い上げた資料を彼に渡す。
唯一、ちょっとだけ気になる新聞記事のスクラップだけは渡さずに…
「1940年代前後の生まれってこと?」
芹沢さんは否定もせずに頷いた。
「1938年…戦中生まれさ」
「……そう…それで、今殺したこの人達は?芹沢さんの何だったの?」
そう言って、血だらけになった人だった何かを見て回る。
皆、若くても40そこそこの人間に見えた。
「……」
芹沢さんはそれに答えずに、煙草を咥えて火をつける。
私は肩を竦めると、丁度コートの中の携帯電話が鳴り響いた。
何度散弾銃に撃たれても、着てるものも機械類だって元に戻る。
私は右手で電話を取り出して、通話ボタンを押す。
「レナ、今大丈夫か?」
聞こえてきたのはレンの声だ。
「ええ。大丈夫」
「レナの言う方法で都内に混ざり込んでる連中の位置は大体特定できた。全部で582人。……浦和さんにバッタリ会って聞いてみたらさっきよりも増えてるってよ」
「そう…それだけ?」
「ああ、今のところはな、こいつらの誰が頭で、何をしでかすかもわかってない。聞けばベルリンとサンフランシスコも凄いことになってるんだってよ。だからここがデコイだってこともありえそうだぜ」
そういうレンの声を聞きながら、私はもう左手に持った新聞記事に目を向けていた。
見えたのは、遠い昔に日本中を騒がせた強盗事件の記事。
「どうなんだろうね…私達は今ちょっとだけ掃除した所。レン、丁度よかった。もう大体の位置が特定できるなら、私達が今いる場所の近辺を探してほしいの」
私は新聞の切り抜きを芹沢さんに見せて首を傾げながら言った。
芹沢さんは、私の方を見て、記事を見て、顔を背ける。
「住所は分からないけど、湾岸線を降りてすぐにある埠頭の廃工場…赤いフェラーリに乗った男がレコード違反を誘発してない?」
「……最近か?」
「最近、数分前」
「待ってろ、2分くれ」
そう言ったレンの言葉を聞いて、いったん携帯電話を耳から離した。
「今、さっき逃げた男をレンに探してもらってる。で、芹沢さん、そろそろ教えてよ、昔のこと」
「さぁな…この仕事が無事に終われば…そん時にでもしてやるさ」
そう言って、芹沢さんは入り口の方へと歩いていく。
「レンが探し出してくれんだろ?戻るぞ」
そう言って、芹沢さんは部屋の片隅にあった大きなケースを持った。
私は黙って後をついていく。
「レナ!いいか?大体の位置が出たぞ」
車に乗り込む直前、私は助手席を開けて、芹沢さんがケースを後部座席に置いている最中に、レンの声が携帯電話から聞こえてきた。
ドアを開けたまま、車に乗り込まずに寄り掛かって、電話を耳に当てる。
「そう…ありがと、どこ?」
「湾岸で何台かに掠めてったらしいぜ、そのフェラーリ。有明からレインボーブリッジに入った!。綱ぎっぱにしとけよ、きっとこのまま環状線だ」
その言葉を聞いた私は、エンジンのかかった車に乗り込みドアを閉める。
「レンから、湾岸からレインボーブリッジだって」
「了解」
芹沢さんに伝えると、芹沢さんは一気にアクセルを踏み込む。
慌ててシートベルトを締めて体を踏ん張らせる。
「このままいけば東京駅まで行かないといいがな」
「どういうこと?」
景色が流れる速度が徐々に速まっていく中。
レンは不安げに言った。
「徐々に東京がこの前みたいになってきてる。人の居るところはヤバいぜ。東京は人が多いからどこもかしこもアウトだ。特にヤバいのは東京駅と渋谷のスクランブル交差点」
「そう…ちょっと待ってね」
レンの言葉を聞いて、一瞬携帯電話を耳から離すと、芹沢さんの方を向いた。
「あれって芹沢さんだよね?」
「ああ!自分の老けた面を見るとは思わなかったがな、可能性世界の俺で違いない!」
芹沢さんに確認を取ってから携帯電話を再び耳に当てる。
チラッと見えたスピードメーターはすでに200を超えていた。
「レン!フェラーリの場所は?」
「環状線に入ってる!ずっと真っすぐ!…いや、汐留で右に分岐!このまま何もなきゃ江戸橋だ!」
「ねぇ、手薄な所ってあるの?」
「手薄?俺らが?連中が?」
「向こう!」
「……いくつかあるにはあるな…近場だよな、ちょっと待って」
電話越しのレンはそう言って、暫く黙る。
一般車を華麗に交わしていきながら、アクセルを踏み込んだままの芹沢さんを見て、また口を開いた。
「芹沢さん!他に使ってた建物とかないの?東京の中でも、人目に付きづらい場所で、あそこから行ける範囲で!」
「……今、奴はどこにいる!?」
「汐留を右に行ったって」
「なら……」
芹沢さんは常識外れの速度の中で思案顔になる。
「箱崎だ!フェラーリも近く!」
「レナ!箱崎だ、まだそこには影響が行ってない!」
芹沢さんとレンが同時に叫ぶ。
私はヒューっと口を鳴らすと、レンに言った。
「箱崎ね!違ったら電話して!」
「待った!レナ、そいつかもしれないが、転送装置を持ったのはまだ何人かいるらしい。それの破壊も頭に入れとけよ」
「了解」
そう言って通話を切った。
「箱崎…デカイ会社の本社ビルの近くにあるマンションだ」
「……そこも昔の?」
「ああ、セーフハウスだった。というか、俺が大家だった…」
そういう芹沢さんの表情は、どこか楽しげに見える。
外を見ると、広々とした湾岸線は終わって、狭い道路に入っていた。
この時代の頼りないカーナビは、現在地を都心環状線だと言い張っている。
どう見ても高速には見えないが…高架の上にあるのだから高速道路なのだろうか?
「ここは…?」
「汐留過ぎたところ。案外箱崎まであっという間だぜ、準備しとけよ」
狭い2車線を右に左に舞いながら、芹沢さんが走らせる大型セダンが突き進む。
見た目よりも甲高いエンジン音を響かせて、メーターの針は150から下にはなかなか下がらなかった。
私は徐々に酔いが回ってきそうな予感に駆られながらも、手に持ったライフル銃をパッと目視で点検する。
さっき1弾倉を使い切って、今は2つ目。
それも、数発撃った。
あと余っている弾倉は2つ。
そう考えると、案外余裕っぽく感じる。
ライフルを点検して、その後に、一発も撃ってない小型の拳銃を取り出した。
前田さんが渡してくれた小さな拳銃。
使い込まれて、角が丸まったそれを手に取って、スライドをほんの少し引く。
薬室には、私が使いだした拳銃と同じ弾薬が入っていた。
スライドから手を放して、ホルスターに仕舞いなおす。
パッと前に目を向けると、道が狭いながらも3車線に増えていて、箱崎を示す緑色の看板が見えた。
急カーブが迫り、減速しだす車。
そのまま右にカーブして、大きな車体が徐々に外にスライドしていく。
芹沢さんは絶妙な操作で車をいなしてカーブを抜けると、再びアクセルを踏み込んだ。




