2.退屈な平成は昨日まで -4-
「おい、レナ」
飛行機につながる通路を歩いている最中、左隣にいたレンが私に言った。
「お前、飛行機大丈夫なのか?」
その一言で、今の緊張感が一気に消えた私は我に返る。
表情を少し青ざめさせた私を見たレンは、クスッと笑うとポンと背中を押した。
「良く効く睡眠薬あるけど」
歩みを遅らせた私の背後から声がかかる。
部長の声……だが、前を歩くリンチャーリーのさらに前を行く部長は芹沢さんと話し込んでいた。
レンと2人で振り返ると、白髪の女の子が私の方をじっと見ていた。
彼女はそのまま私の右隣に来ると、ポケットから薬の入った箱を取り出す。
そのまま、青と赤のツートンカラーのカプセルを1錠手渡された。
「水なしで飲める。いまから飲めば、飛ぶころには意識が落ちる」
どこから聞いても部長の声で彼女は言う。
「どうも……」
私は少し動揺しながら言った。
カプセルを飲み込んで、一度は前に向けた視線を白髪の彼女に向ける。
「何か?」
「いえ、その、部長の声によく似てるなって」
「……?ああ、芹沢の横の…中森琴か」
私…というよりもカレンに似て、表情も無表情で変わらず、口数の多くなさそうな彼女は、一人納得したように頷く。
通路を過ぎて機内に入り、私達しかいないのだからと言って座ったファーストクラスの席。
左隣にレン、右隣の白髪の彼女、その横には小野寺さんと並んだ中で、不意に彼女は口を開いた。
「レコード上、あの人と僕は同一人物だからさ。僕は6軸の人間だった」
抑揚のない、怖い雰囲気の時の部長でも出せないような機械的な口調で言った。
私とレンはその声を聞いて、顔を彼女の方へ向ける。
「同一…人物?」
レンが言うと、彼女は頷く。
「その世界の人間はこの世界で言うこれだ…というだけの話。レコード上の同一人物は、基本的にほんの少しDNA配列が違うだけらしい。だからコトも、格好を変えれば僕と瓜二つ」
「へぇ~……」
彼女の言葉に、驚きながら頷いて見せたレン。
その横で、私は徐々に瞼が重くなってきた。
「…もう、話すのは止めにしよう。気にしないで眠るといい」
うつらうつらと、船を漕ぎだした私に気づいたのか、前田さんはそう言って私の椅子を倒すと、ポンと毛布を掛けてくれる。
機長の声が、スピーカー越しに聞こえ出した頃。
完全に目を閉じた私の意識は、徐々に徐々に闇の中へと落ちていった。
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「よぉ、レナ。どうだ?大丈夫か?」
目を開けると、レンが私を見下ろしていた。
横に目を向けると、前田さんが目を閉じて眠っている。
もう一度、レンに目をやると、私は口を開かずにコクリと頷いた。
「千尋、起きてよ。東京着いたよ」
横で小野寺さんがレンと同じように前田さんを起こす。
まだ覚醒しきっていない頭を必死に起こしながら、窓の外を見ると、空港の明かりが見えた。
もう、着陸して、駐機場に来て止まったらしい。
周囲を見ると、止まった直後といった所か。
「酔ってないよな?」
「ええ、何ともない」
そう言って、レンに手を伸ばす。
レンは苦笑いを浮かべながら手を掴むと、私をヒョイと引っ張り上げた。
狭い機内で、んーっと伸びると、ようやく頭に元の回転数が戻ってくる。
「薬、効いた?」
同じように、立ち上がった前田さんが目を擦りながら言った。
白い肌が、もっと、青白くなっている。
私も低血圧で、寝起きが辛いが…彼女はもっと酷そうだった。
「はい。お陰様で…ありがとうございます。その、どこの薬なんです?」
「榎田さんに聞いて。彼からもらったから」
サラっとそう言った彼女は、頭を押さえて小さく唸ると、やがて唸りを止めて手を下ろす。
すっかりさっきの様子に戻った彼女は、小野寺さんの後ろをついていった。
「さて、もうそろそろ動けるよな?行こうぜ」
皆が降りていき、最後に残った私達はゆっくりと飛行機を降りていく。
通路を登っていき、到着ロビーに入る。
特に大きな荷物もなく、着の身着のままの私達は、すぐに空港の出入り口付近までやって来た。
右腕に着けた腕時計は、夜の10時30分を指している。
「さて…俊哲、君は彼らをホテルまで連れてってくれる?それから僕たちは調べものと行こう」
旅行客をまとめる人みたいに、皆の方に振り返った小野寺さんが言った。
「え?」
部長やリンがそれを聞いて驚いて見せる。
「君たちはあくまでも僕達のミスの手助け班。さっき動いてもらったし、今日はホテルで休むといい。朝、起こすから、それまでね」
「でも、今は事態が事態ですよ?」
驚いた様子で言った部長に、小野寺さんは少し申し訳なさそうな顔をする。
「気持ちだけ…今はこっちでしか動けないこともあるんだ。代わりに、ホテルまでの道中で今知りえている情報を伝えるよ…浦和、君はチームを連れて品川に行ってくれ。指示は道中で出す。千尋は僕と、地下に潜って事情聴取さ」
そういった小野寺さんに押し切られ、私達は芹沢さんについて行ってホテルまで行くことになる。
小野寺さんのテキパキとした指示で、大きな混乱もなく集団が動き出す。
芹沢さんに付いて行って空港を出て、現地のレコードキーパーが用意したマイクロバスに乗り込んだ。
芹沢さんと部長が一番前の席に座って、レコードを開きながら話し合っている。
その少し後ろ、私達は暗い車内で、外に見える街並みを眺めていた。
「芹沢さんもすげぇな、って思ってたけど、その上司の人もアレだな、凄いな」
狭い車内で、横に座ったレンが言った。
「月並みな感想だね。全く同感だけど」
私はそう言って、窓際の席で、少しだけ窓を開けさせてもらう。
顔がそろそろ青くなる頃合いだ…少し気分も悪くなってきた。
「あの人は例外中の例外だぜ、白髪のあの人も」
通路を挟んだ反対方向に座っていたチャーリーが言った。
「パラレルキーパーになる前は何してたんだっけか…リン、知ってっか?」
「確か…詳しくは覚えてないけど、工作員だとか…?よく映画に出てきそうな、スパイみたいな人だったはず」
チャーリーの横に座ったリンは、顎に指をあてながら言った。
「ま、レコード見てないから聞いた話でしかないが……ただ、今回のはちょっちヤバいかもな」
チャーリーは不安を隠さずに行った。
砕けた苦笑いの、瞳の奥には、ほんの少し、恐怖心のような色が見える。
「あの2人が偶々居たってこともあるんだろうが…あんな反応されるとはな」
「アタシ達も2、3回しか会ったことないんだけどね、ちょっとヤバいのかも」
チャーリーに続いて、リンもほんの少し表情を曇らせる。
それを見た私達は、思わず顔を見合わせた。
「私はそう思わない。心配しなくても何時も通りやればいいだけさ」
私とレンの前の席に座っていたカレンが、椅子に膝立ちになって振り返って言った。
「あの2人が忙しそうに動くのは初動の合間だけ…明日までに舞台を整えてくれるんだろう…だから、今は落ち着いて休んでおけばいい」
そう言って、カレンは私達の顔を見回す。
「ま、不安になってるなら、次に何ができるかを考えてみるといい。ナーバスになって無駄にするよりは幾分かマシだ。彼ら2人は諜報員上りで腕もある。何も問題ないさ」
「……」
「第一、本当にヤバいならホテルになんて行ってられないからな」
そう言って、椅子に座りなおした。
私達は、一様に顔を見合わせると、それからは一言も話さなかった。
成田から東京に入り、23区からは少し外れた郊外に出る。
まだ東京にもこんな場所があったのか、と思うくらいには木々の多い土地に入り、細い道を進んでいくと、大きなホテルが目に入った。
この前、春にレンといった、札幌の宿泊施設のような建物。
見上げるほどに高いその建物は、まるでリゾートホテルのようだ。
バスはそのホテルの入り口前に止まり、扉が開く。
酔ってフラフラしている私は、レンの肩に掴まってバスを降りた。
降りてから、自動ドアを抜けて、ロビーに着く。
部長と芹沢さんを先頭にして入っていくと、中にいた人たちの空気が少し張り詰めた。
きっと、ここにいるのは私達と同じように急に集合をかけられた地方のレコードキーパー達だ。
何かの大きなパーティでもあるのかというくらいには、人が多い。
「俺ら何かしたか?」
「部長と芹沢さん、有名人だから」
不思議そうなレンに、そういうと、ようやく酔いが引いていく。
ほんの少し張り詰めた空気は、2人が受付でチェックインをしだすと、やがて解けた。
「さ、私達も行こうか」
酔いが醒めるのを待っていたレンにそういうと、私達も受付の方へと歩いていく。
「あ、レナは1303号室ね。レンも同じ、もう全員分済ませたわ」
部長がそういって私にカードキーを渡してくれた。
小さく頭を下げて受け取る。
「アメニティとか、着るものは各々のサイズに合わせて勝手に用意されるそうだから心配しなくていいわ。装備類…特にレナの場合、銃の弾だけど、それも問題ない。用意されてるって」
「そうなんですか……至れり尽くせりですね」
受付に向かっていた歩調を、皆に合わせて反対方向に向ける。
通路は地方から来たレコードキーパーでごった返していたが、不思議と、部長と芹沢さんが通る先は何もなかった。




