1.それは遠い昔の2人 -Last-
「きっと酔うから窓開けますね…あと、私の家は、国道に出て、少ししたら見えるビジネスホテルを折れた先にある住宅街です…近くまで行ったらまた言いますよ」
そういいながら、私は鞄から携帯電話を取り出す。
右手でレンの電話番号を入力しながら、左手で窓を開けるスイッチを押し続けた。
もう春だななんて言って、平和だなって思っていた日常から、急に緊迫した修羅場になる。
この前のこともあるから、これが何か悪いことの前兆な気がしてならないが…
「あ、もしもしレン?」
「ああ、どうした?」
数回のコールでレンにつながった。
バイクの音が聞こえるということは、チャーリーも近くにいて…そしてすぐに動けるということだ。
「急いで帰ってきて!チャーリーも、一緒にね!」
「え?何があった?」
「パラレルキーパーから、空港に可能性世界の人間が流入してくる可能性があるといわれたの。それも大規模にね!兎に角、すぐに帰ってきて、装備整えて空港に行かないと!」
「…了解…チャーリーに行ってすぐ向かうよ。ここからなら15分とかからんさ」
「上出来…家で待ってるよ」
その言葉を聞いた私はすぐに電話を切る。
付けていなかったシートベルトを締めると、適度に硬いシートに体を預けた。
窓から入ってくる風のせいで、右目がくっきり見えるくらいに髪が乱されるが気にしない。
外からの風を吸って、ふーっとため息を吐く。
普段、知らない人の車に乗ると、殆どすぐに酔ってしまってダメになるのだが…不思議と酔わなかった。
助手席では、部長がカレンと電話をしている。
静かながらも、刺々しい口調で言う部長は、仕事中の冷徹さがにじみ出ていた。
「その右目は……?」
バックミラー越しに目が合った浦和さんが言った。
彼は涼しい顔をして、混み合った国道を、右に左に一般車を交わしながら車を走らせる。
「親からの虐待痕。痛々しいから隠してるけど、もう気にはしてない」
「そっか……そうか…辛かったよな」
彼は、少し寂し気な顔を見せると、何度か自分に言い聞かせるように言った。
「………子供が小さい時に死んでるって言ってたけど、幾つの時に死んでるの?」
私は、バックミラー越しに彼を見ていった。
「一番上の子が5つ。その下が4つの時か。下らないミスのせいでね」
彼は、私を一瞬見ると、後悔の色を濃くした苦笑いを浮かべて言う。
「そう……そういえば特別にこの世界にいるって言ってたけど、家族は3軸の人?」
「ああ…でも来たのはそれが理由じゃない。芹沢さんがいない間のこの世界の監視だったんだ…まさか、別世界が入ってくるにしても大規模だとは思わなかったがね」
浦和さんがそういい終わるころ合いで、部長が電話を仕舞った。
それを横目で見ていた浦和さんは、着ているスーツの内ポケットからメモ帳を取り出して部長に渡す。
「これは?」
「さっき切り分けておいた配置だ。君たちは空港の地下に行ってもらう」
「地下?…地下は確か、業者用の通路だったわね」
部長はメモ帳を開いて中身を見ると、すぐに理解したのか、メモ帳を制服の胸ポケットに仕舞いこんだ。
「こっちの先行部隊のはたった3人。飛行機周辺に出てきた可能性世界の連中を手あたり次第に消して回っているが…間に合ってない」
「…でしょうね。この前の時だって、ほんの数分で30人は流れ込んできたのだから」
「ああ……似たように、この世界の幾つかの地域で偶発的に湧いて出てきてるそうだ…もう20を超えるレコードキーパーのチームが対応に当たってる」
浦和さんはそういうと、内ポケットから煙草の箱を取り出す。
「俺等だって3軸ばっかにかまってられない。その隙を突かれて他の世界が終わるから…」
そう言って、箱を振って一本煙草を取り出したが…バックミラーに映る私を見て煙草を箱に戻した。
「……気が利かなかった。煙草…悪いな……」
そう言って、バックミラー越しに言う。
最後に何か言っていたが、私には聞こえなかった。
「ねぇ、浦和さん」
その言葉が聞こえていたらしい部長は、ハッとした表情で浦和さんを見る。
彼は人差し指を口の前に当てると、フッと苦笑いを浮かべた。
「??……で、その湧いて出てきてる人たちって、一般人じゃないんでしょう?どんな輩なんです?」
私は2人のやり取りを見て首を傾げたが、すぐにそれを思考の彼方に追いやって言った。
「一般人…じゃぁないな。よくある怪しい宗教団体っていえばいいのかな、ちょっと暴力的な」
「サリンとか撒いてそうな?」
「ああ、そんな感じ。厄介だぜ、まだ銃撃戦にはなってないが、奴ら小銃を持ってやがる」
そういうと、浦和さんは信号の奥に見えるホテルを指さした。
「…あのホテルだろ?こっからどうすればいい?」
「……ホテルの先の交差点を左折して、住宅街に入って行って…そしたら、公園が見える。その奥…4軒目の一軒家」
私は車の外の景色を見ながら言った。
遠い昔に乗ったはずの、助手席側の後部座席。
まだ、頭の中に思い浮かばないが…きっとこれも懐かしい景色なのだろう。
浦和さんは言った通りの交差点を折れていき、狭い住宅街に入っていく。
「一軒家か…随分といい仕事してるじゃない」
「芹沢さんが用意してくれたから…私の働きじゃない」
「ああ…そういうこと…ホントあの人…君くらいの年の子には弱いんだから」
浦和さんはそう言って小さく笑う。
「どういうこと?」
「あの人から見て子供ってことだよ。子供に弱いんだ」
そう言っている間に、浦和さんは私の家の前に車を止めた。
「じゃぁ…空港で。1番出口横の、関係者用出口の付近で落ち合おう。わかるよな?」
「ええ。じゃぁ…」
私の方に振り返って言った浦和さんに、そう言って頷いてドアを開ける。
バタンと閉めると、すぐにローレルは走り去っていった。
その後姿を、少しの間だけじっと見つめた後、家に入っていく。
制服に合わせたローファーを脱ぎすてて、そのまま階段を上がっていき、2階の自室の扉を開けた。
レコードをコートのポケットから取り出し、化粧台の上に置く。
少し広くなったベッドに、コートを脱いで放り投げると、手際よくセーラー服を脱いで、コートの上に放り投げていく。
レコードを取って、最後のページの自己情報を19歳に書き換える。
ほんの少しの痛みの後、ほんの少し背が伸びた、下着姿の自分が鏡に映った。
クローゼットを開けて、黒いYシャツと、濃い青色のジーンズを引っ張り出す。
パっと着てしまうと、クローゼットに掛けていたハーネスを取って、Yシャツの上から体に巻き付ける…といっても、ベストのように腕を通し、胸のところでバックルをつけるだけだが。
ハーネスを付けた後で、何度か腕を回して馴染ませる。
最後に、クローゼットから今の私の年齢に合わせた、カーキ色のトレンチコートを取って羽織った。
そして、大きな戸棚の前に行き、ガラス戸を開けて、中にある小さな拳銃のホルスターを手に取った。
この前、処置の時に拾った物。
別世界から来た公安が持っていた、小型拳銃の物だ。
それをハーネスの右脇の方に取り付ける。
拳銃は…空になっていた弾倉に、弾を込めていって、それからセットする。
予備の弾倉も、6つ…すべてに弾を込めていった。
予備の弾倉をコートのポケットに突っ込み、消音機を取って、それもポケットに入れて、拳銃は左手に持ったまま…
安全装置をかけたことを確認すると、バッと振り返って、鏡越しの自分に銃口を向ける。
髪で右目が隠れた自分の顔…額に銃口を向けて、銃を下ろした。
拳銃をコートの内側…ハーネスに括り付けたホルスターに仕舞いこむと、化粧台の上のレコードを取って部屋を出る。
階段を下りて、玄関横においてある車のカギを取ると、靴を履いて外に出た。
車庫から出してあった車のドアを開けて、乗り込まずにキーを差し込んで、手首をひねる。
セルの音が鳴り、すぐに独特なアイドリング音が耳に入った。
その、アイドリング音に、派手なバイクの音が被さる。
振り返って、車に寄りかかると、チャーリーのバイクが私の家の前に止まった。
レンはヘルメットもしないで後ろに乗っている。
彼はチャーリーの肩を小さくたたき、飛び降りるようにしてバイクから降りてくる。
その直後、甲高いエンジン音を発しながら、チャーリーのバイクは一気に消えていった。
「待ったか?」
「丁度エンジン掛けたばかり。準備してきて。レコードと、拳銃。今回もマンハントだから」
「……了解」
レンは年齢を引き上げた私の様子を見て、これからのことを少し察したのか、少し神妙な顔つきになって頷いた。
レンの準備はすぐに終わった。
彼は着替えもせず、学ランの上を脱いでYシャツになり、その上から普段来ているジャケットを羽織っただけの格好で出てきた。
遠目から見れば、クールビズのサラリーマンにしか見えない。
「いいの?その格好で」
「案外学ランって動きやすいもんなんだぜ?」
私は少し呆れた顔で言うと、彼は小さく笑ってそういった。
私は肩を竦めると、暖気の終わった車に乗り込む。
助手席にレンが座り、遊園地のジェットコースターのようなシートベルトを着けたのを確認すると、コンソールのスイッチを入れた。
「まだ…レコードは守り切れる…だけど、きっと、今の私達の規模じゃ押されてダメになるでしょうね」
車道に出た私は、込み合った国道に出ていくと、容赦なくアクセルを踏み込んだ。
派手に後輪が暴れだし、あっという間に電子音が鳴り響く。
間髪入れずにギアを上げるが、中々後輪が収まらない。
「榎田さん、中身もそうだけど趣味も狂ってるね」
ほんの少し、引き笑いを浮かべて言う。
込み合った道を右に左に、一般車を交わしながら突き進む。
あと少しすれば、空港につながる郊外の道に出る。
そこまでいけば、空港までは一瞬だ。
「そういえばレナ、状況は!?」
広い直線に出たところで、レンがエンジン音に負けないよう、少し叫ぶように言った。
「別世界からの流入が世界各地で起きてみたい!ここもその一つだけど、特に数が多いって」
「それ、俺等だけじゃ足りないよな?」
「もちろん!だけど、やらないと、今度は手遅れになる!」
「そういうと思った!」
レンは吹っ切れたような声で言った。
目の前に迫ったT字路。
そこを右に折れれば右手側に空港が見えてくる。
幸い、信号は青だった。
私はさらにアクセルを踏み込む。
道路の上に掛かる青い看板が、200m前であることを知らせた。
前の信号は、まだ青だが…そろそろ黄色になる頃だろう。
150…100…そこまで来たところで、信号が黄色に変わる。
ブレーキとシフトダウンで減速しながらも、止まる気は毛頭なかった私は、信号が赤に変わったタイミングでT字路に侵入し、猫の目のように落ち着かない車をいなしながら曲がっていく。
そこを抜けると、広い直線道路。
私はコンソールのミサイルスイッチに手を伸ばした。
「空港に着いたら、到着口の1番出口横に集まることになる。そこでパラレルキーパーと合流して、人掃除!今も彼らは少ない人数でやりあってるから、早いうちに行った方がいい!」
「部長とかは?待たないのか?」
「カレンもリンも札幌まで行ってるの。そのせいで遅くなる!」
「運の悪いこった!」
加速を続ける車内で、私達はできる限りの情報を交わす。
短い直線区間だけで270kmを超えた車を操り、空港の方へと伸びていくオーバーパスに車を向けた。
レーシングカーのような車内から見える空港は、まるでいつもと変わった様子がない。
今も、1機の飛行機が飛び去って行ったばかりだ。
夕焼けから、夜の闇に包まれていく最中の時間帯。
こういう血生臭いことを起こすにはうってつけの時間が、すぐそこに迫っていた。




