5.パートナー -Last-
「……今の私?」
私の言葉を受けた部長は、少しの間を置いた後で問い返す。
私はコクリと頷くと、ふーっと小さくため息を一つ付いてから口を開いた。
「1978年に犯した間違いの事は、もう過ぎたことですよ。今初めて知らされたことに興味が引かれなかったかといえば嘘ですが…本当に知りたいのはその先です」
私はそう言いながら部長に近づいていき…目の前で立ち止まると、少し上を見上げて部長の顔を下から覗き込むような姿勢を取る。
「1978年以降、部長はもう私達を裏切ったりしないですよね?…ここだって、教えてくれれば良かったのに。隠し事をするなとは、とても言えませんけど…最低限、仕事に関わる範囲でなら隠し事は無しじゃないですか」
感情を抑えながら言うと、部長は私の顔を見返しながら小さく笑って見せた。
「過去を変えるつもり何て毛頭無い…もう、ただのレコードキーパー…ここだって、レナに呼ばれて久しぶりに来たのよ?」
そう答えた部長は、周囲のメンバーの顔を見回してから、パンと手を叩く。
「でも、隠し事が無いとは言えないかも」
全員の注目を浴びてから、部長はそう言って表情を消した。
その表情は、久しく見ていない"仕事の時"の部長の顔。
その声色は、久しく聞いていない"仕事の時"の部長の声。
「隠し事…というよりも、ハッキリした事が言えないから言わなかっただけだけど」
私達は最近までの死んだような目をした部長しか見覚えが無いせいで、少し呆気に取られていた。
「改めてスクラップブックを元に過去を探っていたのよ。そして、過去のレコードを見ると、1952年に大規模な可能性世界からの流入に遭って時を戻したことがあるみたい」
部長の声色は、すっかり過去の…私が一番見たかった部長と変わらない。
私達の間にさっきまであった、微かな疑念や気まずさは何処かへ消えていた。
「他にも、観測できる範囲で、この時代…1950年~2050年の間の100年間で数度の時間跳躍を経て今に至ってる…そこで聞きたいんだけど、レナ。私よりも年が上のレコードキーパーを見たことはあるかしら?」
「……無いです」
「でしょう?何度も何度もループを繰り返している内に、気づけば"以前"レコードを管理していたはずの人々は何処かへ消えて行ったのよ。最初に私を処置した人だって、私がレコードキーパーになってすぐに消えて行った」
彼女は淡々と事実を告げていく。
私達は、その言葉が本当かどうかなんて判断できる術はまだなかったが…何よりも部長の表情が全てを物語っていた。
「この世界は所詮ループの中にある…それは、前々から薄々気づいてたけれど…こうして証拠が出てきた…そうしたら気になるのは、私達以前のレコードキーパーが何処へ行ったか…ということよね?だけど、それはどんな手掛かりを追っても見つからなかったの」
そう言って、部長は一番奥に止められた古いセダンの方へと歩いていく。
「そこで調査は行き詰ってた。私が不安定化させてしまった世界を治さないとダメだったし…あんまり調査にばかり入れ込んでも、私の立場から考えれば、余り良い事じゃない」
「コト。不安定なのは今も続いるんだ。裏でそんな事やっていれば尚更………」
部長の言葉に、カレンが食って掛かる。
当然といえば当然だが、カレンは目に見えて怒っているようだった。
「そんなこと、自分がやった後始末を付けてからやればいいだろう?…あれから何年経ったと…」
「カレンには悪い事をしたわね。でも、この不安定さが欲しかったの…未来の為の犠牲…だから今になっても解消しなかった…」
「な…!…」
カレンが詰め寄ったが、部長は動じずに答える。
私やレン…チャーリーやリンは、何も言わずに部長の言葉を待っていた。
「スクラップブックで見えた過去の3軸…何度も3000年以降まで進んだ世界…それが"0"に戻るのは、何時だって可能性世界からの流入が原因だったの」
「………」
口調を変えずに語り続ける部長に、カレンは言葉を失ったらしい。
滅多に見ることのない、目が血走った様子のカレンを、部長はじっと見つめてクスっと笑い飛ばした。
「消えたレコードキーパーは、時空の狭間に消えていないのは確かだった。狭間送りになったのなら、レコードに記録されるから…でも、レコードにはそれが残っていない」
部長はそう言うと、セダンの窓をコンと叩く。
「その時、ふと思い出したことがあった。レコードに感知されない存在が居るってね…」
「ああ……」
私は思わずといった形で声に出す。
それを聞いたレンも、私が思い当たったのと同じ事を思い出したのだろう…同じように声を上げた。
「私の知り合いには、3人ほど思い当たる節があった…パラレルキーパーだった時任蓮水に、前田千尋…それに、ポテンシャルキーパーの前田千尋も…そしてこう考えたの。レコードキーパーも彼女達のようになったんじゃないか?って…」
部長はそう言って、声を上げた私に目を向ける。
私は、鋭い瞳に射抜かれて思わずビクッと体を震わせた。
「レナ。十分答えにはなっていると思うんだけど?皆までいう必要は?」
「……私達も、このままずっと…レコードキーパーでいられないはずだから、時任さんや前田さんみたいな存在になりましょうって事ですか?」
部長からの問いに、私はゆっくりと…思考を巡らせながら答える。
答えが合っているかどうかは、彼女の表情から読み取れた。
「…それを調べるために、今まで不安定だったレコードを放置していて…そしてそれが限界に近づいていたから対処に出ているって事ですよね…?」
「ええ…間違いは無いわ。カレンに任せておけば、不安定なままであれど、世界は壊れないでしょう?」
「…そうですか…」
私はここから先、何を言えば良いのか、全く想像がつかなかった。
今、部長の口から語られたことが、想像の外にありすぎて…
その言葉…その話は、今朝、喫茶店で会った"レコードの範囲外"に居る時任さんの話と噛み合っていて…
何をどうすればいいか…迷ってしまう。
時任さんの話を聞いている私の立場からいえば、部長の言葉も行動も理解できた…
私やレンとは別の角度から…レコードの奥底を知っていき…そこから立てた仮説…考え…そしてそれは真意は分からずとも、答えから対して離れていない事は明白のように思えてくる。
やり方は良くないとは思うが…今一番将来を考えているのは、間違いなく部長だった。
だから、私のみの立場で言えば…元の…私が好きだった部長が戻って来たように思えた。
でも、それを知らないカレンやチャーリー…リンはどう思うだろう?
折角、元の部長に戻ったと思って話を聞いたら、まだ部長は壊れているままだという風にしか見えないはずだ…
世界のループ…元居た人々の行方…筋は通れど、彼女がやったことは"3軸"そのものを不安定化させ続けたまま、私的な調査をしていたという事実に変わりはない。
私が間に入る?
私に何が出来る?
部長を見つめたまま、頭の中でグルグルと思考を巡らせていると…やがて黙っていたカレンが動き出した。
「…おい……」
低く唸るような声。
部長の目の前に立ちふさがるような位置についたせいで、その表情は読み取れなかったが…声色だけで感情は十分読み取れた。
「……!」
「……!」
カレンの言葉の後…静寂が包み込んでいた倉庫内に、鈍い殴打の音が響く。
その直後にはガラスが砕け散る音…
カレンの拳と、部長の頭が、それぞれ古いセダンの薄い窓ガラスを突き破った音だった。
「カレン…!」
リンがカレンの方へと駆けだして止めに入る。
割れたガラス窓から引き抜いたカレンの腕は、ガラス片が刺さっていて痛々しい様子だった。
「…独断に何年付き合わされたと思ってる?…しおらしく黙ってるだけだと…気が抜けたお前を何度も…何度も気遣ってやった私がバカみたいじゃないか!ええ?」
それでもカレンはリンを突き放して、頭から窓を突き破った部長をひっつかんで起こし、胸倉を掴みあげる。
背丈も体格もカレンの方が上…部長も抵抗する気が無いのか、頭から血を流して…ダラリと腕を下げたままだった。
「あの時、お前を見捨てて仲良く狭間にでも飛ばされてた方が良かったんじゃないか?…あれからここまでで何度レコードがヤバい状況になった?それもお前は全て知っていて、それでも傷心そのままのフリをして、私に何も言わず裏で立ちまわってたってことだろう?」
聞いたこともないカレンの怒号。
私達は間に入ろうにも、入る隙も見当たらなかった。
「そして最後はなんだ。レナに言われてようやく洗いざらい話してか?…これまで迷惑をかけてきた全世界のレコードキーパーに、何度も助けに来てくれたパラレルキーパーに、何も了解も無しに、ただただ見つけた過去のレコードを調べたかったから…そんなののために私達は何度死ぬ思いをしてきたか…お前には想像できてるんだろうな?」
カレンは何かをいうたびに、掴みあげた部長を揺さぶり…容赦無く殴りつける。
部長はとっくに虫の息といった様子で…血だらけになった表情は、薄っすらと笑みを浮かべたようにも見える。
「…あの時くたばっておけば、まだマシだった!…1978年で終わりにしておけば…こうはならなかったんだ!ああ、私は大馬鹿者さ!目の前に居るお前ほどじゃないがな!」
最早声すら届いているかも怪しい部長に、カレンは今日何度目からの拳を振り下ろす。
古いセダンの、薄いボディの鉄板に、直せないほどの大きなへこみを一つ追加する威力で放たれた一発は、部長への止めとなった。
「……カレン…」
グシャ!っと音がして、車に背を預けて地面に崩れ落ちた部長は、直ぐに吹き出た血や傷が癒えて元に戻る。
そのタイミングで、今度はリンとチャーリーがカレンを部長から引き剥がした。
「ああ…気は少し晴れたよ」
カレンの怒りが収まる様子は無かったが、幾分か我に返ったらしい。
痣と血だらけの腕を見下ろした彼女は、毒づくように笑った。
「どうやら嫌われちゃったみたいね」
セダンに寄り掛かった部長がそう言うので彼女の方に目を向けると、先程の…仕事中に浮かべる怖い笑みを浮かべていた。
「部長…流石にあんまりだと思いますよ?…伝え方…そんなに下手でしたっけ?」
私はそんな部長に声をかける。
すると、全員分の視界が私に注がれた。
「下手なのは元々よ。私だって後ろめたかったわ」
「でしょうね…でも、さっきの話…カレンやが聞いたら、怒るのは当然だと思います…それをそのまま言って…何のフォローも出来ないじゃないですか」
「必要ないもの…カレンには私を殺す権利もあれば、消す権利だってあるはずよ」
「…そんなに意地を張って…」
私は周囲の視線に、気まずさや居心地の悪さを感じつつ、部長にそう言い放つ。
部長にとっては言う事は言ったことだろう…彼女は態度こそ素直じゃないものの、何処か晴れやかな…悔いが無いように見えた…例え自分が狭間送りになるとしても…だ。
そしてカレンは…リンやチャーリーは、やろうと思えば部長をレコードの管理人から外せるだろう…そして、今の彼らの感情や…これまでの事を思えば…そうしてしまうのが自然なように思える。
私は全員の顔を見回した。
「私が居た可能性世界で…そしてさっきも、部長が言う"レコードに感知されない存在"である時任さんと会っていました…そして、そこで話した内容は、今、部長が言っていたことと似通っています…だから、カレンが怒る気持ちも分かる一方で、部長が裏で調べていた気持ちも何となく分かるつもりです」
独白のように、頭の中の事を言葉に表す。
「将来にどんな目に合うかを知って、その時を迎える時にどうあるべきかを考えて………きっと罪滅ぼしのような形で調べていてくれたんですよね。やり方が悪かったけれど…答えを得るために打てる手は打つ…部長らしいなって思いますよ」
私はカレンと部長の顔を交互に見ながら言葉を紡ぐ。
「でも、今の今まで…部長はそんな素振りも見せなかったし…カレンは表に出なくなった部長のやっていたことを引き継いで奔走してた……忙しくなって…事あるごとに処置に走ったり、パラレルキーパーの人達とやり取りしてて…最近は…ここ数年は働きづめでしたからね…」
これから言おうとしていることが甘い考えだなんて事は…十分に理解できている。
だけど…今この瞬間に"答え"に飛びつくのは、きっと誰にとっても良い事じゃないから…だから私はそれを口にする。
「だから…私はどっちにも肩入れできる気がするんです。だから…ダメですか?…何もかもを今日限り…1日だけのいざこざだった事にするのは。きっと、今ここで部長を"消す"事だってできるでしょうけれど…今ここで私達がバラバラな道を行くことだって出来るはずですけれど…それは無しに出来ませんか?」
「今…感情に流されたまま動くと、きっと良くないと思うんです…だから…後で…時間を置いた後でもう一回…ちゃんと話し合う場を作って…そこでこれからどうするかを決めませんか?…」




