5.パートナー -2-
蓮水さんは一通り言うと煙草を一本取り出して、私の方を見てから動きを止めた。
「良いですよ。吸ってる人、周りに居ますし」
「悪いね」
私がそう言うと、彼女は小さく笑って手にした煙草を咥えて火を付ける。
「それで…時任さん。"3軸にしかいない"ってわざわざ言ったってことは、まだ何かあるんじゃないんですか?」
私は彼女にそう問いかけた。
彼女はピクリと反応すると、私の目を見て口を開く。
「ある。けどもまだ僕の中に取っておきたい」
「それは…話せるほど固まってないってことですか?」
「ああ…今言った2つとは違って…想像でしかないからね」
彼女はそう言うと、レコードを閉じて肩を竦めた。
「パラレルキーパーをやってきて…ある日突然そこから外れて世界を漂ってきて…何となく見えてきた事なんだけど」
彼女は何処か自信無さげな口調だ。
私は何も言わずに彼女の言葉を待った。
「まだ言わない。言うとしても、その時は僕の口からは言わないと思うよ。そもそも次会えるのは何時かも分からないし、その時の君達は本当にこの時間軸の先にある君達なのかも分からないし」
「ヒント…というより、取っ掛かりは自分を主観に置いた時の時間の話。君と妹があの世界で一緒だったけど…君がレコードキーパーとして過ごしてきた時間と妹がポテンシャルキーパーとして過ごしてきた時間には相当なズレがあった」
「パラレルキーパーの彼らと君達の時間…そして僕と彼女ですら、はぐれていた時に過ごしてきた時間は同じじゃないと思う…隣に居て、常に同じ時を過ごしていないと…互いにズレが生じるの…」
「その"ズレ"…主観を何処かに置いた時に位置づけられる君達の"現在地"…それがハッキリすれば…僕はきっと答えが出せると思ってる…僕達が"レコードを手放す時"…さっき"天国"って表現した、レコードに感知されない存在になるための方法…その答えが」
「それが永遠の時を強制された僕達の"正しい終着点"だったとしたのなら…という仮定の上だけどね」
・
・
喫茶店に残った私とレンは、2人が去った後も暫く席に座り続けた。
最後…彼女が気味の悪い笑みを浮かべたまま話したのは、レコードを持って、それを元に世界を監視する身となった私達にはとても想像できないことだった。
「主観…私と、レミのズレ…天国?…最後のアレはなんだったの」
私は呆然と、2杯目のコーヒーカップを手に持ったまま呟く。
レンも同じようで、何も言わずに肩を竦めて見せた。
「最後の最後に見てはいけない…聞いては行けないことを聞いてしまった気がする」
「ああ…あんな事を言われちゃな…」
私達は彼女の…"時任蓮水"の言葉に、どこかガツンと来る響きがあったように思えていた。
「人それぞれ、感じてる時間の流れも違えば…立ち位置も違う。そういう事でしょ?」
「だろうよ。俺とレナは同じように行動してても、見てない所で互いにどんなに時間が経ってるかを互いが知るのは無理って道理だろ?」
「ええ。私が眠っていた1週間…私が可能性世界で過ごした時間とレンがこの3軸で動いていた時間は違うものだって」
私はそう言って、2杯目のコーヒーを飲み干した。
「……で?あの人はそのズレがどうなれば天国とやらに行けるって?」
「さぁ?現在地がどうとか言われてもね。何が何やら…」
私はそう言うと、机に残った"4人分"の伝票を持って立ち上がった。
「その説明は何時かしてもらわないと。今朝の分はツケにしとこう」
「それもそうか」
「今日の私達はまだ動かないとダメだからね」
私はそう言って、伝票を持ってレジまで歩き始める。
レンは一足早く喫茶店を後にして、車を止めたビルの外へと向かいだした。
サッと支払いを済ませて外に出ると、既にアイドリングを始めていた黄色いスーパーカーのエンジン音が耳に飛び込んでくる。
聞き慣れたその音の方へと向かい、助手席のドアを開けて中に収まると、レンはゆっくりと発進させた。
「それで?"トワイライト・インターナショナル"だっけ?」
「そう…この道を真っ直ぐ行けば左手に見えてくるはず」
彼女の言葉が頭に強烈に残って離れないが…それでも割り切って次に行くしかない。
私達の今日の目的の一つにあったのが、私が可能性世界で部長に言われた施設…"トワイライト・インターナショナル"の存在を確認することだった。
場所は、街の中心へとつながる道を行って、その中心部を素通りし…真っ直ぐ町の外に抜けていく途中だ。
もう少しで隣町…周囲は、高速道路の入り口が一つあるくらいで、あとはただの草地と言うか…まぁ、原風景が広がっているといって良い場所。
私は改めてレコードでその場所についての情報を表示させた。
以前調べた時は、サクッと場所だけを調べたのだが…今回はもっと詳しい情報まで出してみる。
「……で、結局何なのさ?そこは」
車をダラダラと走らせているレンが、私のレコードを見ながら言った。
私はレコードに浮かび上がってきた文字をじっと見つめながら、そこに出てきた情報を元に口を開く。
「あー…何も無い…"80年代以降の私の秘密基地みたいなもの"って言ってたから…芹沢さんが持ってるマンションの地下とか、ホテルのある町みたいなもの何じゃないかな」
「なるほど、人気のない場所を切り開いて作った場所か」
「ええ。恐らく」
「でもよ、変じゃないか?」
「え?」
「そんな場所作ったんなら何故部長は今もそこを使わない?何なら俺等に教えてくれなかったんだ?」
私はレンの疑問を聞いて「ああ、確かに…」というしかなかった。
確かにそうだ。
そんな場所を昔から持っていたのなら、レンは無理でも私位は知ってても良さそうなものだと思うが…
だが、これまでレコードキーパーをやっていて、そういう場所があることなんて一切知らなかったし…リンもチャーリーも…何ならカレンですら話題に挙げたことが無かったはずだ。
「部長だけの場所…なのかな」
「恐らくな。あの世界でなんか言ってなかったか?」
「いや…部長以外は、処置し終えた後だったから…部長も誰かが知ってるだなんて言ってないし」
「…ふーん」
レンは幾つか考えがあるのだろうか?
不敵な表情を浮かべたままそう鼻を鳴らすと、小さく頷いてからギアを一つ上げた。
「…何か思いついた事でもあるみたいな顔してるけど」
「大した事じゃない。妄想レベルに近い話さ」
そう言うレンの右腕を、私は左手でチョンと突く。
「言ってみてよ。着くまで少しかかるでしょ?」
「まぁ、良いけど。勘だぜ?勘」
「良いから。暇つぶしになるし」
彼の念押しにそう答えた私は、彼の横顔をじっとと見つめて待った。
「部長がレコードを操作する術を見つけたのは、きっと俺がレコードキーパーになる少し前のことだよな?」
「ええ。可能性世界の部長はまだ知らないみたいだった。ヒント位は持ってそうだったけど」
「で、そう言う事を調べるのは時間がかかるだろう?2日3日の仕事じゃないよな」
「ええ。間違いない…」
レンは幾つかの前提条件を確かめると、少し間を置いてから口を開く。
「もし今から行くところが、本当に部長しか知らない場所だったら…部長はそこに色々と隠してるはずだよな…って思ってよ」
「隠す…」
「例えば…あー…思いつかないが、何でもいい。他人に見られたくない物さ」
「なるほど?要は隠し倉庫みたいな場所だっていうの?」
「ああ…」
「なんだ。案外つまらないのね」
私はそう言って溜息を付くと、彼はこちらに一瞬目を向けてから私の腕を突いてきた。
「?」
「何言ってんだ。こっからが本番だぜ」
「本番?そこが部長の秘密の倉庫ですって以上ある?」
「ああ…あそこが倉庫で、部長が作ったものだとしたら…きっとそこに居るのは部長だけじゃないはずさ」
レンはきっぱりとそう言い切った。
私は曖昧な表情を浮かべながら首を傾げる。
彼はどこか自信ありげな表情を浮かべたままだった。
「…はい?」
「部長だけじゃないってことだよ」
「いや、それは分かるけど…部長しか居ないはずってさっき言ったじゃない」
「ああ。だけど、部長が思ってもみなかった形でそうじゃなくなるんだ」
彼はそう言うと、シフトレバーを握った手を離して人差し指を立てた。
「ほら…何時か遭遇した前田さんみたいな存在さ」
彼がそう言うと、私は傾げた首を元に戻す。
「安いホラーにあるだろ?不老不死の薬を研究しているうちに、そう言った存在を呼び出しちまって不老不死になる…みたいなさ」
「……部長は私達が見た前田さんみたいな存在にあってレコードから逸脱する方法を探り出した…って?」
「そういう事。最初のうちは本当にプライベートな倉庫だったが…後々そこでレコードに感知されない存在と遭遇して、そこからは人知れずその謎を解き始めていたってわけだ」
レンはそう言い切ると、クスっと笑った。
「ま、都合の良い妄想だろ?筋は通ると思うがな」
「確かに。それなら部長がそこに行けっていった意味も分かるけど」
私はそう言って、窓を開けて外の空気を吸った。
「…それなら、部長は私にそんな思わせぶりなこと言うと思う?」
「どうだかな。可能性世界って言っても平成だろ?レナがレコードキーパーになった当初の時代って聞いてるけど」
「ええ。そうだった」
「その時には…その前からずっと部長は時を戻す事を画策してたんだぜ?…こう、言っちゃ悪いが何でもかんでも部長が本当のことを言っていただなんて思うのも…」
「そう。確かにその通り…だけど」
レンの言葉に被せて口を開いた私は、ハッとした表情を浮かべて押し黙る。
レンは一目こちらに目を向けると、小さく首を横に振った。
「いや、俺が悪かった」
「いいの。気にしないで…レンが正しいと思う。私も中々抜けなくて…」
「………」
「どうしても部長を無条件に信じ切っちゃう。あの人の言う言葉なら嘘でも本当に思えてね…」
私はそう言って苦笑いを浮かべると、膝に置いたレコードを足元に落とした。
「騙すにはまず味方から…なんて良く言うけどさ、部長は皆を騙して過去に戻った時にああなったの…その事実があれば、現実味がある想像だよね」
そう言って、開いた窓に肘をついてボーっと外の景色を眺めた。
「なんか重い空気になっちまったが、まだ何も分かっちゃいないんだぜ?」
レンは少し間を置いた後で、少し明るい口調でそう言った。
私は彼の方に顔を向けると、フッと小さく笑って見せてから前に向き直る。
「それもそうね。悲観しているうちは何も始まっていないか…」




