3.眠り姫への特効薬 -5-
換気口を這いずった先。
私は何となく記憶にある建物の作りから、隠れるには丁度いいのでは?と思ったことがある場所へと進んだ。
ゴソゴソと狭い換気口で、音をなるべく立てぬようにして進んでいき…やがて入ってきた場所と同じような所に抜ける。
網目状のカバーを取り外して外に出ると、そこは先程いた用具室とは真逆の位置にある部屋だった。
ここは9階だが、通常のフロアからは通じていない場所。
壁一枚を挟んだ奥にある、ホテルの舞台裏とも言えるエリアだ。
色々な機器が置かれている部屋を出ると、その先は細い廊下に繋がっている。
私はレミを引き連れて、消音器付きのライフル銃を構えながらゆっくりと廊下の突き当りを目指した。
こんなところに来たのは何時以来だろう?
以前は9階では無く…1階か2階から紛れ込んでしまった記憶がある。
その時は、一人になりたくて、部長達からホテル中を逃げ回った結果迷い込んだのだった。
私はその時の記憶を頭の片隅に思い出しながら、ゆっくりと慎重に足を進める。
背後に居るレミは何も言わずに、私の後ろを付いてきてくれていた。
「この先は階段…」
そう言って突き当りの扉を開けると、言った通り階段があった。
非常階段とも違う…狭く細い螺旋階段だ。
私は下の方を覗き込むと、誰も居ないことと何の物音もしないことを確認して階段を降り始める。
表側…私達が普段目にする設備の整ったホテルの裏側は随分と安っぽく感じる作りをしていた。
カン…カン…と、一歩足を進める度に薄っぺらな鉄板で出来た螺旋階段は音を立てる。
それが細長く、ホテルの下から上までを貫いている階段部屋に響き渡った。
私はほんの少しだけ表情を曇らせるが、そもそもホテルが使われているときに、稼働しているはずのこの部分から鳴る音がホテルに伝わってこなかったことを思い出して、きっと今も外には響いていないのだろうと楽観的に考えるようにする。
螺旋階段をグルグルと降りて行って…1階の"舞台裏"に扉に手をかけて奥に進んだ。
「良かった。思った通り」
私は扉の向こう側に見えた景色を見て胸を撫でおろす。
ここまで視線の先に突きつけていたライフル銃を降ろして、扉の先…狭い通路を奥まで歩いて進むと…一番奥の扉を開けて中に入った。
「シー…」
私は部屋に入るなり、手近にあった椅子に腰かける。
ふーっと溜息を付くと、手にしたライフル銃の安全装置をかけて傍に立てかけた。
「こんなところがあったなんて」
レミは地下の部屋を訪れた時の私のような言葉を呟くと、私の横にある椅子に座る。
この部屋は、換気口から…などの特殊な入り方をしない場合に限って、このホテルの表側と裏側どちらにも繋がる部屋だった。
正確には…奥にもう一部屋…このホテルの"受付"があって…そこから一つ扉を越えた先がこの部屋というわけだ。
「前にもここに逃げ込んできた事があるの」
私は随分と懐かしく感じるこの部屋を見回しながら言った。
「受付裏のスペースは空なんだ。物置みたいに使われることもあったけれど…今はそうでもないみたい」
「へぇ…なら、あの扉の奥が…?」
「そ、今でもロボットが2人居るはず」
私はそう言うと、少しだけ気を抜いて椅子にだらっと寄り掛かった。
すりガラス状の窓からは、外の景色が少しずつオレンジ色に染まって来た時間帯であることを教えられる。
「表から気配を感じれば、さっきの所から外に出られて…車までも近いし…その逆ならエントランスから…挟みこまれたら?その時はその時だね」
「その時は腕が無くなってもお姉ちゃんを引っ張ってって上げる」
「腕がないのに?」
「咥えれば良いでしょ?」
静寂に包まれた部屋で、私達は冗談を交えながら、張り詰めていた緊張をほぐし合う。
時折何処かから聞こえてくる銃声や微かな振動が、私達の周囲から危機が去っていない事を思い出させてくれたが…それも今のところは遠くで起きている出来事…謎の2人組と、この世界の消えゆくレコードキーパー達のドンパチの音だ。
「音が聞こえなくなったら…外に出よう」
「もう?…って良い時間か」
「そう…夕方で…そろそろ外は暗くなる頃合い…榎田さんの車は飛ばすと怖いけれど…日向までは裏道を行けば誰もついては来れないだろうし」
「榎田さんの?」
「知らなかったの?レミの乗って来た車。元々は芹沢さんの仲間の車だったの。所詮ルーレット族?だったか…そんな類の人種の」
「へぇ…乗り辛くてしょうがなかったけれど」
「普通の車じゃないから…遅く走ると機嫌悪いの…!」
私はそう言って笑うと、直ぐに表情を元に戻す。
目を見開いた直後に、すぐさま座っていた椅子から立ち上がって、入って来た扉から出て行った。
「ゴー!」
小声でそう言って、レミを向かわせたのは勝手口の方…
私も背後を気にしながらも彼女に続いた。
「お姉ちゃん!こっち!」
少し肌寒くなった夏の夕暮れ時…
私はレミに手招かれて、ホテルの外に出来た遮蔽物に身を屈める。
レミの横に来て小さく首を傾げると、彼女は手を出して言った。
「さっきの拳銃貸して。お姉ちゃんはそれで手足を撃ち抜くの…」
「なるほど」
私は直ぐに意図を理解すると彼女に浴衣姿の少女が持っていた拳銃を託して、自分が持っていた消音ライフルの安全装置を解除する。
私は隠れた遮蔽物から少しだけ遠い場所に駆けだして、めぼしいところまでやってくると、クルリと振り返って出てきた扉の方向に銃口を向けた。
「……」
少しだけ間を置いたのち、銃口を向けた先の扉がゆっくりと開く。
そこから出てきたのは、まるで特殊部隊員のように銃を向けながら出てきた和装の女だった。
「!」
先程であった"少女"を成長させたような姿。
持っている銃器は全く見たことが無い、独特でクラシカルな見た目をしたもので…銃口を見る限り私が持つ者と同じように消音効果のある銃なのだと分かる。
その背後からは、銃を手にした彼女に護られるように付いてきている少女の姿が見えた。
私は出てきた女の足元に照準を合わせると、彼女がこちらに気づく前に引き金を引く。
カシュ!っという、ボルトの操作音くらいしか聞こえてこない銃声を放った私の銃から放たれた銃弾は、女の太腿を貫いて貫通し…その背後に居た少女の膝のあたりを貫いた。
「…!」
私はレミが2人の方に突貫したのをスコープ越しに見守る。
初弾の銃撃で手にしていた銃を落とした女が、落とした銃に手を伸ばしたのを見逃さず、私は女の手元付近に即座に狙いを合わせて引き金を引いた。
「Jackpot!…」
即座の狙いを決め切れた私は小声でそう叫び、今度は背後の少女の方へと銃口を向ける。
足元を撃ち抜いたものの…上半身がまだ元気よく動いていた。
左胸の少し上…肩の付け根あたりに合わせて引き金を引く。
「ナイス!お姉ちゃん!」
吹き飛んだ血飛沫と共にレミの声が聞こえてくる。
直後に聞こえてきたのは、レミが持つ大型拳銃の銃声…その直後に別の銃声…その流れが2回。
やったことはとても合理的だ。
一発目は倒れた2人を確実に仕留め…2発目で蘇生した2人を眠らせる。
レミは無事に役目を果たすと、私の方に駆けてくる。
私もスコープから目を離してから周囲を警戒しつつ、車の方へと体を向けた。
「お見事」
「どれだけ眠っていてくれるのかは分からないけれど…」
「即座に意識を落とすのなら、半日は持ってくれると思いたいね」
私に追いついてきたレミにそう言って、目の前までやって来た車に乗り込む。
長いライフルは助手席のレミに任せて、私はキーを取り出してエンジンを目覚めさせた。
「ここからなら、2時間以内かな」
サイドブレーキを降ろして、ギアをローに入れた私は少々荒っぽい動作で車を車道に出すと、一気にアクセルを底まで踏み込んだ。
「キャ!」
助手席のレミが思わず声を上げるほどの加速。
私は意に介さずに、メーターの針が一気に8千5百を越える所まで引っ張ってギアをセカンドに入れる。
一瞬途切れる加速…何かがプシューっと吹き出る音が聞こえた。
そして再びアクセルを踏み込むと、さっきと何ら変わりのない加速Gが私とレミをシートに押し付けてくる。
「お姉ちゃん!速い!怖い!」
そう叫ぶレミの意見を耳にした私は、7千回転まで上がっていたメーターを一瞥してからアクセルを抜き、ギアを1段ずつ上げる。
3,4,5…トップまでギアを上げて、高速道路を走っている車並みの速度に安定させると、車内には幾分かの平和が戻って来た。
「急がなくても良いんだよ?誰も追ってこないでしょ?」
「…それもそうだね。久々だったから、つい…」
「お姉ちゃん、乗り物酔い酷くなかったっけ?」
「うーん…自分の時は何ともないんだよね」
私はそう言うと、日陰とはいえ夏の熱気が残っていた車内を換気させようと窓を開ける。
レミの方も窓を半分ほど開けると、車内にはエンジンの音のほかに風の巻き込む音が聞こえてくるようになった。
「レコードを見る限り…外の情勢はもっと酷くなってるのかな」
騒音の多い車内で、私は少し声を張って尋ねる。
レミは、私のライフルやら散弾銃やらを足元の方に倒して手ぶらになると、レコードを取って開いた。
そして直ぐにレコードに何かを書き出し始めて…その直後には表情を苦笑い顔に変える。
私の方に顔を向けると、その表情のまま小さく頷いて見せた。
「酷いのはレコードキーパー達の方みたい。一般人もレコード違反…そしてこの世界に"気づき"始めているけれど…何時もの可能性世界よりは多くない」
「へぇ?意外」
「主がお姉ちゃんだからかな?元から認知されない存在が主の世界だし」
「それで終わってくれるのなら楽だけれど。あのホテルでこの付近のレコードキーパーは大方潰したようなものだし…あぁ」
私はそう言いかけて、直ぐに自分が居た一団を思い出す。
レミは小さく笑うと、小さく頷いて言った。
「うん…お姉ちゃんが居た所を除けば壊滅させたかな?」
「厄介なのが残ってた。というより、今までの彼らが部長にとっては良いデータ採りだったりして」
「まさか。レコードを見る限り、普通にレコードキーパーとしての任務を優先していたみたい」
「表面はね…でもね、レミ。あの人達は…部長は、表の顔をしっかりと維持したまま裏を操れるの…覚えておいて損は無いと思う」
私はそう言うと、窓を閉めて車内の声を通りやすくする。
レミは私の方を見て不思議そうな顔を浮かべた。
「3軸を不安定にさせた張本人は部長なの。あの人は、表でしっかりとレコードキーパーの仕事をしつつ…レコードから咎められない範囲で一般人へ干渉してレコードを操作していた…」
「嘘でしょ?そんなことが…」
「出来る…ああ、忘れてた」
私は、ついさっきまで頭からポッカリと抜けていた部長の事を思い出して…ゾッと背筋が凍り付いた。
「この段階の部長が何処まで私を知っているのか…分からない…けれど、あの人の周りには優秀な補佐も居る…」
私がそう言いかけた時。
薄暗い峠道を走っていた私達の車のミラーが一斉に光を反射した。
「!」
ハイビームに照らされて、形は良く見えなかったが…見える限りで間違いないのは丸目2灯のヘッドライトを持ち…大型のフォルランプがバンパーに付けられた車だという事…
「一難去ってまた一難…か」
私はそう毒づいて、コンソール上のスイッチを入れた。




