2.夢の中の違和感 -5-
「どうなったら負け…かぁ」
彼女はそう言って、シフトレバーを握っていた手を顎に当てた。
「お姉ちゃんのレコードが書き換えられたら…かな?」
「不可能じゃない?」
「そうでもないよ。お姉ちゃんのレコードをどうにかして奪ってしまえば…"気づいてしまった"人ならレコードに書き込める。それで、この世界を本物の3軸にぶつけてしまえばいい」
「そんなことができるの!?」
「理論上はね。レコードも、本人か、レコードを持つ者しか書き込めないようになってるんだけど…可能性世界じゃ誰かがその垣根を越えてくる事があるの」
レミはそう言ってシフトレバーに手を戻す。
「おかしいと思うんだ。私もさ。でも、事実として起きてる事なの。レコードが勝手に書き換えられて軸の世界…それか、別の可能性世界を取り込もうとする動きって」
「それは…何時だったか私の世界に起きてるから分からなくはないけど…」
「今回みたいな、レコードキーパーが主の世界でも起きると思う。まだ救いだったのは、主がレコードキーパーだってこと。普通の人が主なら、外野が勝手に書き換えるなんてことも出来るわけだし」
「レコードを持ってないから?」
「多分。レコードの監視下の人間だからだと思ってる…だから、こういう世界って主の人を守るほかに、気づいた人間を片っ端から処置して回る必要があるの」
「でも今回は私さえ守れれば良いって?」
「そういうこと。なんだけど…」
レミはじっと前を見つめたまま言うと、少しだけ表情を暗くする。
「時々、レコードを信頼できなくってね。レコードに決められたルールの範囲外の出来事が起きすぎてて、本当にお姉ちゃんを守るだけでいいのかって」
「良いんじゃない?私が言うのもなんだけど」
「まぁ…それしか手が無いというか、知ってる範囲で動くしかないから、仕方がないんだけどさ」
レミはそう言うと、私の前に腕を伸ばしてきて、ダッシュボードの方を指さした。
「そうそう。風戸さんからの贈り物、そこに入ってる」
「え?」
私は少し驚きながらも、助手席の正面にある小物入れの蓋を開けた。
入っていたのは、知らない人が見たら不思議な木製のオブジェにしか見えない代物。
それは、私がずっと昔に使っていたロシア製の拳銃の入れ物兼肩当てだった。
「マンションに行けばあったんだけどね。でも、それを言うのは無粋ってものでしょ?」
「ありがと…8発のこれじゃ…流石に弾不足だったから」
私はそう言いながら中の物を取り出す。
蓋を開けて、中身を手に滑らせるようにして取り出すと、見覚えのある拳銃が出てきた。
「というかさっきまで会ってたんだ」
「うん。この世界が終わってからの処遇とかの話を、もう少し詳しくね。昨日、経歴をもう少し詳しく見てて、多分どこに行っても重用されそうな人だったから」
「ふーん?」
私はレミの意外な行動に素直に驚いた。
だが、彼女はポテンシャルキーパー…私と違って幾つもの世界を見ているのだし、私よりもレコードについて詳しい部分だってあるのだろう。
「昨日話したでしょ?推薦のこと。普通だったら、レン君みたいに了承も取らずに勝手に書いておくものだけど、彼の場合は特殊な立ち位置にいたし、レコードを持っているわけでも無いのに"話せる"立場に居たからね…どうしたいか、昨日より詳しい説明をするついでに確認してたの」
「なら、この世界が終わった次には彼はレコードを持つ側に回ってくれるのね」
「うん。直ぐに回答はしなくていいって言ってたけど、3つの内のどれかにはなると思うよ」
「レコードキーパーに推薦は無いけれど?」
「推薦しなければ自動的にレコードキーパーになるよ。彼はレコードに無条件で貢献したのだから…それに、元々中途半端な立場にしてしまった借りもあるし」
「なんかレコードが人間染みてる」
「そんなものだよ、お姉ちゃん。何故かこの本は非情になれないの」
彼女はそう言い切ると、私の方を見て苦笑いを浮かべた。
「私達ですらレコード持ってるのに、風戸さんみたいな人が持てないなら、その理由を知りたいよ」
そう話し込んでいる間も、車はマンションの方へと向かっていく。
とっくに勝神威の中心部の近くまでやってきていた。
私は手に持っていた拳銃を、再び木製の入れ物の中に収めて外の光景を目で追いかける。
昨日とは違う消えかけた世界…道を行く誰も彼もが私のことを"認知"してしまえば、その途端、混乱の極みに嵌るのが目に浮かんだ。
「隠れたくなってきた」
赤信号で車が止まった時、私は冗談めかしに呟く。
レミはクスっと笑った。
「昔から逃げるのは苦手だもんね」
「うん。追い詰めてく方が楽だから」
そう言いながら笑って見せると、ふと交差点を通り過ぎて行く車に目が止まる。
私は直ぐに笑みを消して、レコードに手が伸びた。
「どうかしたの?」
「部長だ」
「今の赤い車?」
「そう」
「フーン……」
信号が変わって、レミは車を発進させる。
部長の赤いZが通り過ぎて行った方に2人揃って首を向けてみたが、遠くに離れて行く後ろ姿が見えただけだった。
「まだセーフ」
「まだ…ね」
「ここのレコードキーパー達が気づく前に準備しちゃいましょっか」
ホッと胸をなでおろした私達は、マンションの地下駐車場に車を入れる。
夏真っただ中だというのに、どこか肌寒い地下駐車場から、昨日も訪れた芹沢さんの部屋に上がっていった。
「あ、お姉ちゃんこっち向いて」
部屋に入って一息ついて、着替えのある部屋の扉を開けようとしたときにレミに呼び止められる。
何事かと振り返ると、カシャ!っというシャッター音とフラッシュが私を包んだ。
「わ!」
私はフラッシュに一瞬目を瞑る。
レミは私にフィルムカメラを向けて笑っていた。
「何してるの」
「だってお姉ちゃんの子供時代の格好なんて今くらいしか見れないでしょ?」
呆れ顔で尋ねると、レミは笑みを浮かべたまま答える。
答えになっていないが…
それに、カメラがジー…と巻き戻る音を立てているのも気になった。
「うー…ん…?」
私は曖昧な苦笑いを浮かべたまま部屋に入っていった。
身に着けていた物を取ってベッドの上に放り投げ、衣服のボタンを外す。
「……」
下着まで脱いで、レコードで年齢を18歳に引き上げると、傷だらけだった私の体は傷一つない治癒した体に様変わりした。
クローゼットを開けると、昨日とはまた違う服を取って、サッと身に着ける。
上は白い7分丈のブラウス…下は膝下までの淡いネイビーブルーのスカート…それに、昨日と同じサマーコートを羽織って着替えは終わりだ。
コートのポケットには普段の持ち物を仕込み、スカートのベルト部分に拳銃のホルスターを引っ掛けた。
予備の弾倉は…昨日、受け取らなかった"3軸の"私が使っていた方の拳銃が入っているケースから4つ取り出してスカートのポケットに入れる。
腕時計を付けなおして…右目を隠した前髪を横に逸らせば、3軸の…1985年で過ごす私が姿見の前に現れた。
「お姉ちゃん、もういいー?」
「オッケー」
丁度レミが尋ねてきて、私が答えると彼女が扉を開けて入ってくる。
レミの方に顔を向けると、彼女は少しだけハッとした表情を浮かべた。
「…なんか着こなしが80年代って感じ?」
「私の世界じゃこれが最先端なの」
そう言ってクルリと回って見せる。
レミは目を点にして私の方を見て固まった。
「でも、やっぱ幼さは残るんだね」
「失礼な。これでも免許が取れる年なのに…行きましょ?それとも何か用事があった?」
そう言うと、レミはコクリと頷いてクローゼットの前に立った。
シャーっと衣服を避けると、クローゼットの奥に銀色の大きなケースが2つ立てかけられている。
それを取り出してベッドの上に乗せると、手際よくロックを解除して開いて見せた。
「拳銃だけじゃ心許ないからね」
そう言って彼女はケースの1つに入っていた散弾銃を取り出す。
肩当ても、銃身も切り詰められて、小さくて取り回し易そうだ。
「私はこれで、お姉ちゃんはソレ。使ったことあるって芹沢さんが言ってたけど」
「ああ…使えるよ。軽くて楽なの」
私には、何時か可能性世界の芹沢さんを追い詰めた時に手にしたロシア製の消音銃を用意しておいてくれたらしい。
手に取って、細部を確認してから弾倉を挿し込んだ。
「予備は2つ…これは…上着のポケットに押し込めそうかな」
そう呟きながら準備を進めて行く。
あの時とは装いが少し違っていて、消音器部分には持ち手とライトが一体になったアタッチメントが付けられていた。
「おっと…等倍じゃない」
上に載っているスコープも、等倍の物しか知らなかったが…今回のは少しズームが入っていた。
何倍なのかは知らないが…底辺のない正三角形に合わせて狙えば良いのだろう。
「独特な物しか使ってないんだね。初めて見たよ」
「元はアシモフの物だから、ロシア製なのかな?きっと」
「そう言うこと」
初弾は込めず、安全装置をかけた私はもう一度銃を見回して確認すると、小さく頷いた。
「準備完了っと」
そう言ってレミの方を見ると、彼女の方も終わったらしい。
私の方を見ると、小さくはにかんだ。
私達は部屋を後にして駐車場に戻り始める。
「それで?世界が終わるまで後どれくらいだっけ?」
「今日を入れて5日。この様子じゃ、その前に終わるだろうから…明日、明後日のうちには崩壊するはず」
「え?それでいいの?」
「何かが起きてしまった世界なんてそんなもの。お姉ちゃんだって最早普通の暮らしをしてないでしょ?」
「確かに」
駐車場まで降りてくると、レミに言って車の鍵を貰った。
変わりない様子で鎮座する青いスポーツカーのドアを開けて中に入る。
暗い車内…キーを挿し込んでライトを付けると、イルミネーション照明が付いて少し明るくなった。
そして、キーを捻ってエンジンを目覚めさせる。
アクセルを数回煽ると、モーターのように回転計が跳ねあがっていった。
「世界が終わるまで…何処に行けばいい?」
「そうだね…まずはこの町を出て、札幌の方に出よう…ホラ、レコードキーパーしか出入りできない秘密の街があるんだって?そう聞いてるけど」
「了解」
私は行き先を聞くと、ギアをバックに入れてゆっくりと車を動かし始める。
直ぐにギアをローに入れ、車の鼻先を出口へと向けると、ついでにCDデッキのスイッチを入れた。
レミが何も弄ってなければ、流れてくるのは私が一番好きな歌手のCDアルバムの1曲目。
思った通りのイントロが聞こえだしたのを聞くと、私は小さく口元を笑わせた。
 




