2.夢の中の違和感 -4-
「…最期は、うーん…結構悲惨ね。ま、そうなるには相応の良い思いをしてきたのだから、大人しく受け入れなさい」
部長の言葉と共に目の前の処置対象は徐々にこの世界に戻って来た。
憑き物が取れたみたいに、極悪人以外の何物でもなかった人相が、弱々しい老人のようなそれに変わっている。
半袖のシャツから出た両腕に彫られた入れ墨がまるで似合わない。
私は部長の後ろに隠れて、ほんの少しだけクスっと笑った。
部長は、私がこの世界で目を覚ましてから、日に日に私のことを認知しなくなっている。
彼女もレコードに縛られた存在…この世界では、私にとっての"監視対象"なのだから、寧ろ目が覚めた当初の認知できる状態であったということ自体が不思議なのだが…
私は処置を終えて、次の対象の元へと歩き出した部長の後を付いて行く。
彼女は私のことを認知せずとも、歩く速度は私に合わせてくれているようだった。
何時もなら、普段なら、彼女はそこそこ早歩きだから…
「さて…そろそろ目途が見えてきても良いころ合いだけど」
彼女はレコードを見ながら呟く。
今いるのは、昨日も訪れた二加峰丘。
昨日の私のように、車を大きな公園の駐車場に置いて、その周辺を歩き回っていた。
その最中。
部長の後ろを歩いていた私は、昨日、2人を処置した小学校付近にいる人影に目が留まる。
人影を見て立ち止まると、部長は私のことを認知せずにゆっくりと離れて行った。
私は彼女の背中を一度だけ見つめて、それから目に留まった人影に目を向ける。
影になっていて表情までは見えなかったが、確かに私を"認識"しているようだった。
この感覚は、今まで経験したことが無い。
背筋の凍るような…暗くて冷たい感覚。
私は無意識のうちに、サマーコート裏に忍ばせていた拳銃に手が伸びる。
部長の後を付いて行っても、今の彼女はレコードの管理下…外れるとどうなるのかは、想像したくもない。
面倒ごとになるくらいなら、一人で迎え撃った方が余程都合が良い。
私は周囲を見回して、適当な方へと歩いていく。
完全に部長の姿が見えなくなったが、最早気にする事もない。
人目が付かない住宅街の隅まで歩きながら、私はコートから拳銃と消音器を取り出して、銃口に消音器を取り付ける。
弾倉は予備含めて3つ。
これで何とかするしかない。
弾倉を確認して入れ直し、薬室に弾があるかを確認する。
昨日まで私に付いてきてくれていたレミは、今のところ目につかない。
目が届かずとも、直ぐに私の所に来てくれる位置に居れば良かったのだが…
居ない理由は昨日の別れ際に聞いていた。
居ないのは早朝の少しの間だけだということも…
「あと何分か知らないけど、そこまで粘らないとね」
私はそう言って来た道を振り返る。
追ってきている人影は居ないが、嫌な感覚の強さは増していた。
「……チッ…」
動きの鈍い中学生時代の体に舌打ちして、目の前に見える公園に入っていく。
迎え撃つなら…あの大きな飛行機の遊具の中だろう。
何もかもの動作がワンテンポ遅れる私の体でも、あの中で頭を使えば何とか出来るはずだ。
細かな砂利が敷き詰められた上を歩いて、目指すは馬鹿でかい飛行機の遊具の中。
機体後部から入っていくと、内部は飛行機を模しながらも子供用のアスレチックになっていた。
私は機体の一番奥…1階部分の先頭まで歩いて行って、影に隠れてしゃがみ込むとレコードを取り出した。
ページを捲ると、私が何かを書き込もうとする前にレコード違反者の名前でページが埋る。
ページを捲っても捲っても、同じように名前が浮かび上がり…最後にはレコードのページ全てが真っ赤に染まった。
「……」
背中に嫌な汗が一滴。
私は左目を見開いて絶句すると、レコードを仕舞って代わりに拳銃を取り出して安全装置を解除した。
レミが来るまで持つのだろうか?
持たせなかった時のことは考えたくもないが…
震える体に、冷めた頭…過去の体は、予想外の事態に完全に緊張しきっているが…頭の中はクリアに冴えている。
私はギリギリと痛む顔で無理やり笑みを浮かべて見せると、公園の中に入って来た数人の大人の姿を見止めた。
レミがこの事態に気づかないわけがない。
彼女が来るまでの籠城だ。
私は様変わりしていく世界の空気をヒシヒシと感じながら、顔に張り付けた青ざめた笑みをそのままに、遊具を取り囲んだ大人たちが目の前に現れるのを待ち続けた。
遊具の出入り口は、機体後部のハッチ1か所。
機体前方…2階部分から伸びる滑り台から…入ってこれなくはないが、滑り台が急すぎてそれは無理に等しい。
私は影から身を晒して、銃口を向けながら待ち構える。
そっと、何時でも2階部分に上がれるようにしながら、レコードから外れてしまった人の姿が目に写り込むのを待った。
「……」
そして、ようやく一人目の犠牲者が乗り込んでくる。
男が目をギラつかせながら、私を見止めると一目散に駆けだした。
「!」
手帳じゃ止まるわけもない!
何故か最初から思考の外に追いやっていた"手帳"で世界から切り離す考えは、一切通じないだろう事を察する。
私は反射的に2回引き金を引いた。
胸と頭。
そこを精確に貫いて、まずは一人始末した。
私は直後に上がって来た3人を冷静に仕留めると、弾倉を捨てて2個目を挿し込みながら2階部分に上がっていった。
あの勢いで来られればジリ貧になるのは目に見えている。
時間稼ぎをしたところで袋小路なのは違いない。
走るたびにあちこちが痛む体に顔を歪めながら2階に上がった私は、直ぐに振り返って追いかけてきた人影に向かって発砲する。
「…キリが無い」
2人を2発で仕留めた私はそう愚痴ると、後に続いてくる者が居ないのを確認して奥に進む。
操縦室を模した空間まで進み、そこから確認できる外の光景の中に、レミが乗ってくるであろう青いスポーツカーが居ないか見回した。
「…チ」
結果はノー。
私は小さく舌打ちすると、直ぐに振り返って2階部分に上がって来た男2人を銃撃する。
消音器が幾分か効いているのか、銃声だなんてまず聞くことが無いからか、彼らは私が銃を持っていると思っていないのだろう…無計画に突貫してきては私に撃ち抜かれ続けている。
2つ目の弾倉もそろそろ尽きるころ合い。
3つ目もあるが、それを使い切れば私は丸腰も同然になる。
幸い、あと数人を殺せればひと段落出来るだろうから、シビアに考える必要は無さそうだ。
外を見てみると、公園に入って来た大人たちの姿が見えなかった。
つまりは、全員がこの遊具に入ってきて私に殺されているということ。
私はガタガタと音を立てて上がって来た女を1人射殺すると、スライドが開きっぱなしになった。
「……」
弾が尽きた銃を持ったまま、操縦室横から生えている滑り台を降りて行く。
直ぐに立ち上がって、弾倉を捨てて新たな物を挿し込み、カシャン!と初弾を薬室に送り込む。
一度遊具の方を振り返れば、そこに人の気配を感じなかった。
遊具を出ても、何処にも行く当ての無い私は周囲を見回しながら、アシモフが居るマンションの方に目を向ける。
昨日の今日で、事態が変わりすぎている…それに彼を巻き込むのも酷な事だろう。
私は左手に持った銃を見下ろす。
残り1つになった弾倉が込められた銃を持ち上げて、ふーっと溜息を一つ付くと、マンションとは逆の方向…公園の奥へと足を進めた。
鬼ごっこなら追いかける方が好きなのだが…
偶には逃げるのも悪くない。
鈍い痛みを発し続ける体に鞭を打って走り出す。
公園の奥…飛行場が見える丘の麓までやってきて、生垣の影に隠れてから後ろを振り返った。
誰も追ってきていない。
それでも、今は周囲に誰も居ない方が良いのだろう。
私は前に向き直って公園の端まで進んでいくと、柵を乗り越えて歩道に出る。
この公園の先は、この区域の端…道を挟んだ向こう側には木々が生い茂っていた。
「……」
隠れる場所もない道のド真ん中。
私は周囲を見回しながら、手にした拳銃に安全装置を掛けた。
周囲には人影一人見当たらない。
一呼吸、落ち着ける状態になると、一体さっきのはなんだったのだろうか?という疑問が湧き上がってくる。
射殺したのは明らかにレコード違反を犯した人々だ。
だが、彼らにはそれ以上の何かがあるような気がする。
強烈な違和感……体感したこともない感覚…
そして、私も私だ。
逃げる必要はあったのだろうか?
今更な疑問であることは最もだが…
レコードキーパーは死にたくても死ねない訳だし…変な話、私が死を我慢し続ければ、それで良かった話では無いのだろうか?
立ち止まって考え込む私の耳に、独特なエンジン音が聞こえてきた。
遠くからでも分かる音。
パッと顔を上げて音の迫ってくる方向に顔を向けると、向かってきた青い車のライトが2回光った。
私はホッと胸をなでおろして、その車が私の目の前で止まるのをじっと待つ。
結構なスピードで向かってきた車は、キーっというブレーキ音を鳴らしながら私の前にピタリと止まった。
「乗って!」
運転席の窓越しにレミが言う。
私はコクリと頷いて乗り込んだ。
「その様子はタダ事では無いって感じ」
乗り込んで、シートベルトも締める間もなく走り出した車の車内でそう言った。
レミは私の方に一瞬だけ目を向けると、ほんの少し笑みを見せる。
「随分余裕だね」
「あと8発の命。追われる方は慣れてないんだけどね…それで?何が起きてるの?」
そう尋ねると、レミは少し驚いた表情を浮かべて直ぐに、ああ…と呟いた。
「少しずつ世界が壊れ始めてる。お姉ちゃんも襲われたでしょ?」
「ええ。レコード違反した人だったから、偶にある暴走かな?と思ってたけど」
「そうじゃないの。あれは"気づいてしまった"人の行動…明日位かなと思ってたけど、早かったの」
彼女はそう言うと、ほんの少しだけ表情を変える。
奥歯を噛み締めて、少しだけ怒っているような表情だ。
「一旦戻って、お姉ちゃんの年を変えよう。そこからは延々と逃避行だよ」
「分かった。一つ確認させて?」
私は冷静に、淡々とした口調で言う。
「うん」
「どうなったら私達の負けなのかを知っておきたいの」
 




